第16話 宿りし想い

「ゲッシュを使う魔術騎士団の生き残り、か」


 紅葉から報告を受けた神宮は公園のベンチで独りごちる。神宮の存在を面白く思わない勢力が周辺に潜んでいる気配をずっと感じているが、わざわざ排除する手間が必要だとは思えなかった。

 連中には神宮の真の目的は計れない。


(政府に活動を認可されている俺が監視されなきゃならないとはな)


 皮肉な想いが胸中を巡る。しかし次に脳へ伝わった言葉は、脳内での独白ではなく肉声だった。


「監視の数は多い……しかし誰一人拙者の存在には気付いておりません」


 神宮の隣から声がする。誰もいないはずのベンチから。


「無影流忍者の気配を察知できるほど有能な連中なら、今頃俺は生きていないだろうよ、お嬢さん」

「アサシンが紛れ込んでいるようです。侮れません」


 神宮の独り言に少女の声が答える。影も形もない場所より。

 その奇怪な状況を、神宮は受け入れていた。自然体のまま会話を繰り出す。


「問題ないから放っておけ。罪なき人間に危害を加えなきゃ暗殺されることはまずない」

「それで、拙者へのご命令は?」

「命令じゃない、若葉。これはお願いだ」


 神宮の訂正に若葉という姿の見えないくのいちは疑問を呈す。


「と、言いますと?」

「命令だとばれちまうだろ? 守護者たちは全員、少女一人が死んでもこの国が存続するなら構いやしない。本当に面倒な世の中だ」

「拙者はただの忍び、道具でございます。どのような命令も……なれば、情報を隠匿することも……罪なき人間を殺すことも、可能でございます」

「下手にそのようなことを口走るなよ? 俺は大丈夫だが、世の中には呆れて言葉も出なくなるような馬鹿者がいる」

「承知しました……では、ご命令……お願い、を」

「国際テログループリベリオンの痕跡について探ってくれ」

「ハッ。しかし、かの組織は壊滅したと」

「ああ。中世の騎士が地獄から蘇って天罰を加えた、なんて噂が流れてる」


 神宮は資料を取り出して閲覧した。目撃者……テログループに誘拐されていた被害者の脳内から抽出された画像には、騎士の姿がはっきりと写っている。

 しかし、妙な部分が散見されてもいる。


「いろいろと疑問があるんでな。例えば、この情報提供してくれた被害者だが」

「なんです?」

「無傷だ」

「良いことでは?」

「ああ、良いことだ。とてもいい。たったひとりの被害者を除き、全員が健康体。精神的外傷を負ったなんて報告も全くなくてな。もっと深刻な被害が出れば世間で騒がれただろうが、今は下火になっている」

「事件が風化されかけている、と?」

「ああ、そうだ。解決した事件として、いずれみんなの記憶の端へ追いやられる。その方が、都合がいいように」

「つまりそれは……これはテロなどではなく――」

「まだ断定できない。誘拐は事実だ。だから調べて欲しい」

「それがご命令……いえ、お願いでしたらば」

「ああ、そうだ。命令じゃない……。別の守護者のフィアナ騎士抹殺命令を聞くか、それとも俺の個人的な頼みを聞いてくれるかは、お前次第だ」

「拙者はこの国を影も残さず守護する無影流忍者。しかし、未だ騎士の排除命令は出ておらず……その前に、私情を優先するのならば、何一つ問題はありません」


 したたかな回答に神宮は笑みを浮かべた。よそから見たら公園のベンチで独りほくそ笑むという間の抜けた姿だが、構うまい。


「器用な生き方だ。お前の姉もそれぐらい器用に生きられたら、楽なのにな」

「姉と拙者は無関係です。姉は……いえ、私に姉はいません。あんな落ちこぼれなど、姉ではありませんので」

「そうかい」


 神宮が相槌を打つと、若葉の気配が消える。元々、影も形も残さない完全な透明だった彼女の存在を検知できる存在は限られている。

 そしてその限られた存在は神宮を監視する連中にも含まれていた。そのうちの一人が堂々と神宮の前へ近づいてくる。スーツ姿の男だった。しかしこの男が誰なのかはさして重要ではない。男の背景の方が重要だ。


「私は使いだ」

「見ればわかる。お前の雇い主もな。だから、先に言っておくぞ。もう少し待て」

「魔術師同士の争い、などというのは詭弁だ。狩人こそ介入の兆しが見えないものの、我が国が直接被害を被った。その代償は払ってもらう」

「ビルの修理費用が欲しいのなら、俺がお小遣いを出してやる。日本国民の人的被害はない。むしろここで攻勢に出ることによって、必要のなかった犠牲が出る可能性が生ずる」

「それは問題を放置している場合にも言えるだろう。外敵であるあの騎士を信用するのか? 誰にも危害を加えないと? バカな。それこそ理想論だ」

「ま、そう言われちゃあ確かに、耳が痛いな。これでも俺は守護者の一員だし」

「納得したか。では、貴様をオブザーバーとして――」

「ただ、別の奴は納得しないかもしれんが」


 神宮が不敵に笑って告げると、唐突に男が呻いた。喉元を押さえ、浅く裂傷ができていることを知ると、虚空から刀を取り出して柄に手を置いた。


「貴様、先程の忍に!」

「いいや、無影流が守護者の使者に手を出すはずないだろ。……アサシンだ。連中は一人の少女を見殺しにする計画には反対らしい」

「傲慢な……!」

「そうやって悪態をついているようじゃ、連中の思うツボだ。気をつけろ。奴らに国境は関係ない。場所も立場も同様にな。刀を仕舞え」


 男はしぶしぶ刀を異空間に戻した。首をハンカチで止血する。


「くそっ! 汚らしい異教徒めが!」

「落ち着け。俺も、ましてやアサシン教団も、ずっと黙って静観してろなんて言わなねえよ。やれることを全てやって無理だったのなら、その罪は勇んで背負う覚悟だ。……最終手段に講じる前に、猶予をくれ」


 血を拭いながら不服さを隠す様子もなく男は神宮を見下ろす。


「国家安全保障の観点から長くは待てない」

「言われなくともわかってるさ。三日だ」

「それ以上は待たんぞ」

「ああ」


 男は陰陽術を発動させると、雇い主の元へと転移する。男の消失を見送った後、神宮はポケットの内側からたばことライターを取り出して火を点けた。


「相変わらずまずいな……」


 だとしたら、自分の手でうまくしないといけない。

 ここからは腕の見せどころだ。

 歯がゆさはある。だが、納得できないからと我儘を言い何もしないのは最低だ。

 ゆえに、多少情けなくとも今自分にできることをする。


「悪いなぁ、少年」


 神宮はたばこの火を消すと、携帯灰皿の中に吸殻を捨てた。

 

 

 ※※※



 これはきっとバカな行為なのだろう、という自覚はあった。

 しかし、無能野郎がバカなことをしても別におかしいことじゃない、とも。

 幼馴染と交わした約束を守るのは当たり前のことだと、考えていた。


「ここか……」


 鉄斗はクルミに教えられた病院を見上げる。地元の総合病院でもかなりの大きさだったが、この大病院には敵わない。

 鉄斗が巨大な施設に呆気に取られていると、付き添いのアウローラが病院の概要を諳んじた。


「ここには犯罪に巻き込まれた被害者が集められているそうだな。特殊な事件に巻き込まれた」

「ああ。だから警備も厳重だ。まぁ、気にすることはない……はず」


 クルミが既に許可を取っている。なので、堂々と入口へと歩み寄るが、


「待て。ここに一般人は立ち入りできない」


 無愛想な警備員の対応に、鉄斗は敵意を押し隠した笑顔を向ける。


「面会の約束があるんですが」

「不許可だ」


 しかし付け入る間もなく警備員に入館拒否されてしまった。

 正式な許可を貰っているはずだ。鉄斗は疑念を声に漏らす。


「どういうことだ?」

「ふむ……通達はされているはずだ」


 アウローラは警備員をじっくりと吟味する。そして問いかけた。


「国の意地、とかいう奴だろう。可哀想にこの下っ端は、不本意な命令を強要されて仕方なく従っているだけだ。そうだな?」


 その言い方では逆効果じゃないか、と思った鉄斗の予想は的中する。


「言いがかりはよしてもらおうか。早急にこの場を離れなければ、武力行使も辞さないぞ」

「だそうだ、鉄斗。それでも君はここを通りたいか?」


 アウローラは鉄斗に問うが、鉄斗の答えは最初から決まっていた。


「通るしかない。じゃないと約束を破る羽目になる」

「では」


 まるで予定調和だとでも言わんばかりだった。

 アウローラは被っていたフードを外し、父親の形見である鎧を身に纏い――。


「押し通るとしよう」


 拳をガードマンの顔面にめり込ませた。吹っ飛ばされたガードマンが自動ドアのガラスを打ち破り、警報が病院内に鳴り響く。


「患者を刺激してはまずいか」


 危惧したアウローラが指を鳴らす。警報装置が沈黙し、病院の敷地内は何事もなかったかのように静まり返る。少なくとも患者は異常事態が起きたことを認識できないだろう。しかしこういう事案に備えるための警護部隊は別だった。

 玄関に警備兵を乗せた車が集結する。装備は一般的な警察よりもゴージャスだ。


『お前たち何者だ!』


 拡声器越しに放たれた怒声に対しアウローラは堂々と応える。


「調停局所属のエージェントだ。捜査の妨害が認められたので、権利を行使させてもらった。そちらが抵抗する気なら、いいだろう。全員まとめて相手をしてやる」


 好戦的な物言いをして剣を構えるアウローラ。彼女は肩越しに鉄斗へ囁く。


「鉄斗、君は行け。心配は無用だ」

「わかった!」


 アウローラの実力は嫌というほどわかっている。心配など湧くはずもない。

 鉄斗は病院内へと駆けこんだ。外の喧騒が嘘のように聞こえなくなり、病院内の一般職員は通常の業務を行っている。警備関係者はピリピリしているだろうが、安静にしているはずの患者は外で戦闘が起きていることを気付きもしないだろう。

 自分では間違いなく、ここまで優れた静穏魔術を発動することなど不可能だ。

 圧倒的な力の差を見せつけられながらも、念頭にあるのは情報提供者との接触だ。

 鉄斗は左腕のデバイスを操作して偽装魔術を発動。念のため警備員と鉢合わせることは避け、目的の病室まで階段を駆使して辿り着いた。


「どうぞ」


 ノックをして返ってきたのは元気のよい声だ。声音だけではとても入院が必要な状態だとは思えない。ドアを開けて、部屋に入る。今、鉄斗の姿はスーツを着た大人に見えていた。


「失礼、します」

「どなた、ですか?」


 ベッドの上で上半身を起こす黒髪の少女が不思議そうに尋ねる。

 捜査関係者の者です、とそれっぽい答えを見繕う。

 そこまでは良かったが、脳内に僅かな葛藤が芽生えた。

 これから行う尋問は必要なことではあるが、忘れたい出来事を彼女に想起させてしまう。

 その葛藤をどうにか押しやって、鉄斗は彼女の名前を呼んだ。


「水鏡亜美さん、ですよね」

「……事件のこと、聞きに来たんですね」


 少女改め水鏡は儚げな笑顔をみせた。

 苦しみを元気で覆い隠しているようなそんな表情だ。

 しかし、奇妙なのはトラウマと戦っているというよりも――。


(後悔、しているのか?)


 自分自身を責めているように見える。過去に犯した過ちを悔やんでいるかのような。

 その姿に、鉄斗の中の理性が降参する。

 鉄斗はデバイスの偽装を解くことにした。

 突然姿が変わったことに彼女は驚いたが、すぐに順応する。

 そのように暗示を仕掛けた。彼女はこちら側の人間じゃない。

 魔術耐性がなければ、簡単に暗示を掛けることができる。鉄斗のような才能無しでも。


「大人かと思ってましたけど……私と同じくらいなんですね? あれ? でも、今違う人が見えたような……」

「疲れてたのでは? 大丈夫ですよ」

「そう、かな? そう、かも……あはは」


 ただ話を聞くだけなら、大人の姿でも問題なかったかもしれない。

 だが、彼女には真摯に向き合うべきな気がした。それにクルミなら、間違いなくそうしただろう。


「で、何が聞きたいんですか?」

「敬語じゃなくていいですよ。俺はたぶん君とそんなに歳が変わらないはずですから」

「じゃあ、あなたも。ふふ、同年代の子とこんなに話したのって久しぶりだ……」


 水鏡は嬉しそうに呟くが、すぐに昏さが追いかけてくる。


「もし、私が何かできてたら……こんなことにはなってなかったのに」

「君のせいじゃない……」

「って、みんな言ってくれるの。誰もが。あなたのせいじゃない。君は悪くない。悪いのは犯罪者だって……でも……」

「……何か気にかかる点がある?」


 鉄斗が静かに訊ねると、彼女は毛布をぎゅっと掴んだ。

 そうしてしばらく返事を待つと……苦渋に満ちた表情で彼女は語り出した。


「私……私は勇美ちゃんのこと、無視してたの。ううん、私だけじゃない……クラスのみんなが無視してた。俗に言う……いじめを、してたの」

「……」


 表情には出さないように努めたが、少量の嫌悪感は否めない。

 だが、まだだ。結論を出すのはまだ早い。


「俺が聞きたかったのは、その羽音さんについて、なんだ。もし君が話していいのなら、聞かせてくれないか」

「いいよ。それを私はずっと待ってた……あの子について、誰よりも優しくて勇気を持ったあの子について語ることを」


 ようやく待ち望んだ時が来たのか、水鏡は告解するように語り始めた。

 一つ一つ、罪の重さを確かめるように。




 ――最初に言っておくと、私は勇美ちゃんと幼馴染だったの。昔はとても仲が良かった。小学校、中学校、高校と私たちはずっといっしょに過ごしてきたの。

 勇美ちゃんは両親を事故で亡くしてね。私はよく彼女が一人で住む家に遊びに行ったりした。

 勘違いしないで欲しいんだけど、彼女は親がいなくてもとても元気だったよ。本当に。育て親がいろいろ支援してくれているらしくて、その人との仲も良好で、何一つ不自由なくのびのびと学校に通ってた。その人のことを語る時、あの子の顔はとても活き活きしていたな。何回か、プレゼント選びに付き合ったりしたよ。

 何をあげても喜んじゃうから、どうせならいい物をプレゼントしたいの、って。

 ……私は最低だ。彼女が死んだ後に、彼女の思い出が止めどめなく溢れてくる。

 今となっては、何で彼女を無視してたのかわからない。でも、訊きたいのはそこじゃないよね。

 高校に入ってしばらく経った後だった。急に、クラスで勇美ちゃんが浮くようになったの。あなたも高校生ならそういう空気、に触れたことがあるかもしれない。

 何もないはずなのに、確実にそこにある空気。それは一気に学校中に広がって、いつの間にか、みんな勇美ちゃんを無視するようになった。

 何がきっかけだったのか、私にもわからない。……言い訳にしかならないけれど、私は彼女を無視するなんて考えもしなかった。

 みんなが無視しても、私は彼女の友達でいよう。そう考えていたし、さらに不思議なのは、勇美ちゃんは誰のことも責めていなかったんだ。

 みんなのせいじゃない。そう言っていた。

 だから、亜美ちゃんも気をつけて。

 なぜか私のことも気遣ってくれたよ。辛いのは勇美ちゃんのはずだったのに。

 なのに……そんな健気でいい子を私は……。

 私は、裏切った。

 なぜか、どうしてか。ずっと考えているけど、わからない。

 でも、私は彼女を裏切った。彼女を無視し出した。


「君も、みんなにいじめられたりしたのか?」


 ううん。そんなことなかった。私が知る限り……みんな勇美ちゃんをいじめる理由があるとも思えなかった。でも、実際にシカトは行われた。

 それでも勇美ちゃんはずっと学校に通い続けてた。

 しかも、忘れ物を届けたり、教室の掃除をしたり……みんなのためにいろいろとやってくれたの。

 でも、みんな無視した。私も……忘れ物を届けられたことがある。

 なのに、お礼も言わなかった。酷い奴なんて言葉で言い表せないほどに最低最悪だと思う。


「お礼を言わなかった? 形だけのお礼も?」


 うん。言わなかったんだよ。軽蔑されて当然。


「無視、したのか? 完璧に?」


 その通り。なのに、あの子は気にしなくていいからって言っていた。

 亜美ちゃんのせいじゃないからって。

 今にして思えば理解できない。あの子は本当は私のことを恨んで当然なのに。

 そんな風な関係が、半年以上続いた頃だった。

 私は、誘拐された。

 勇美ちゃんと帰ってる時に。


「二人で帰ってたのか?」


 形だけは、ね。勇美ちゃんはずっと私の傍にはいたの。


「追い払わなかったのか? 仲は悪かったんだろ?」


 そういえば、変だね……ううん、変じゃない。その間もずっと私は無視してたんだから。いじめてたんだよ。私は加害者なんだ。


「いじめ、と言うが無視だけか? 悪口を言ったり、とか……」


 他には何もしなかった。でも、私の罪には関係ない。


「わかった。続けてくれ」


 うん、話を戻すね。

 ……あの日、あの日は、突然黒塗りのバンが目の前に止まって……男たちが降りてきたの。


「誘拐犯たち、テロリストか。怪しい格好をした……」


 いや、格好は普通だったよ。覆面を被ってもいなかったし。


「本当に?」


 うん。だから、私は最初警戒しなかった。

 でも、勇美ちゃんは私の手を引いて逃げ出したの。

 そして、しばらく走った後に、彼女は私と別れた。


「その時何か言っていたか?」


 言ってたよ。……あなたは絶対に私が守るって。

 無視してきた私を、だよ。彼女がどれだけ素晴らしい人間かわかる……。


「続けて」


 その後、私は警察に通報しようとして……躊躇った。思い返せば何でそこで躊躇したのか、わからない。言い訳にしかならないってわかってる。でも、自分の中で……明確な答えが浮かんでこないの。

 だから、罰が当たったんだね。当然の報いが。

 男たちの狙いは、私だったみたい。それで私が誘拐されたんだけど、予想外だったのは……。


「羽音勇美が妨害した?」


 見捨てればよかったのに……勇美ちゃんはバンに追いついて、その子は関係ないから自分を連れて行けって……でも、男たちを観察して急に顔色が変わったの。


「どういう風に?」


 勇美ちゃんは誰かに同情して親身になる時……とても苦しそうな顔をするの。まるで自分のことみたいに没入して……だから、私は謝りながらどうしてそんな顔をするのって。


「待った、会話したのか?」


 誘拐されて仲間意識が芽生えたとか、そういうことなのかもね。洪水のように言葉が溢れて止まらなくなって……。


「ダムが放流したように、か。ごめん、続けて」


 私が勇美ちゃんに質問すると、彼女はこの人たちもみんなと同じだ、って答えたの。みんなっていうのが誰のことなのか……私はよくわからなかった。私たちのことだったのかもしれない。

 でも、みんなと同じ、という言葉の意味が理解できなかった。犯罪者の動機と私たちの心理が同じだったってことなのかな。当然だよね。いじめはオブラートに包まれているけど、行為は犯罪と大して変わらないから。

 誘拐されて、監禁場所に閉じ込められていた間も、勇美ちゃんは他の人質を励ましたりしてた。

 口癖のように言っていたのは、誰も悪くないってこと。

 でも、それって少し変だよね?

 誘拐犯に何らかの動機があるってことはわかる。

 もしかしたら、動機自体は正しいことだったのかもしれない。

 けれど、間違いなく誘拐は悪いことで、その責任は誘拐犯にもあるはず。

 なのに、勇美ちゃんは断言していた。

 誰も悪くないって。そして、こうも。

 本当に悪いのは誰……って。


「真犯人を探してたってことか?」


 そうかも。でも、私はわからなかったし、それに……。

 それに……っ。

 勇美ちゃん……。


「無理に話さなくてもいいよ。……その後のことは」


 ありがと……ごめんね。

 勇美ちゃんが……亡くなったと聞かされてすぐ、奇妙なことが起きたの。


「奇妙なこと?」


 ……勇美ちゃんを殺したって私に言った人が、自殺したの。

 他の誘拐犯の人たちも、自傷行為に奔ったり、私たち人質に優しくしたり。

 すまない、悪かった、って謝り始めた。

 で、しばらくして……さらに不思議なことが……。


「騎士の亡霊を、見た?」


 う、うん……。騎士としか思えない格好をした人が来て、私たちを救ったの。その人は勇美ちゃんの遺体の場所を聞き出してどこかへと消えていった。


「その騎士は、犯人たちから詳細を聞いた? もしくは、君に事情を尋ねた?」


 誰にも話を聞かずに……たぶんテロリストの人たちは彼に殺されたんだと思う。


「テロリストが抵抗したかわかる?」


 たぶんだけど……抵抗はしてなかったはず。当然の報いだ、殺してくれって……懇願まで、聞こえてきた。

 これが、私が誘拐されて救出されるまでの顛末。

 私は何もできなかった。

 勇美ちゃんをいじめて、救われたのに、何もできなかったんだ。




「ありがとう、水鏡さん。話してくれて」


 鉄斗は堪え切れず涙を流し始めた水鏡にお礼を述べた。

 彼女のおかげだ。

 真実が闇に葬られなかったのは。


(さて、怪しい物は)


 鉄斗は丸椅子から立ち上がって、花瓶台に置いてあったスマートフォンに目をつける。目を見張るのは備え付けられたアクセサリーだ。


「綺麗なストラップだね」

「……どう、かな。個人的には微妙だと思うけど」


 涙を拭って彼女はスマホを手に取る。小さなクリスタルのストラップがついていた。


「微妙だと思うアクセサリーをスマホにつけてるのか?」

「そう言われると、おかしいね。学校で配られたものだったんだけど」

「……全校生徒に?」

「うん、そう。勇美ちゃんはつけてなかったけど。思えば……その頃かな」

「無視し出したのが?」

「そ、う。ううん逃げちゃいけない……そう。たぶん、一人だけストラップをつけなかったから……仲間外れにされちゃったのかな」

「ちょっと貸してもらってもいい?」

「いいよ」


 鉄斗は受け取ったクリスタルを眺める。

 綺麗な水晶だ。無色透明。

 ――何らかの呪いを加えるのに、最適な触媒だ。


「このスマホ、誘拐された時も肌身離さず持ち歩いてた?」

「ううん、落としちゃったから。これは警察が回収してたものを返してもらったの」

「つまり君が羽音さんとバンの中で会話した時には、これを持っていなかったんだな」

「うん……そうなる、けど、どうして?」

「いや、気にしないで。……ありがとう」


 鉄斗はスマホを返すと同時に、彼女の左手を掴んだ。

 水鏡の顔に僅かな困惑が張り付く。対して、鉄斗は人懐っこい笑顔を灯した。


「え? 何?」

「占いが得意なんだ。いいかい?」

「占いは私も好きだよ」

「それは良かった。始めるよ」


 鉄斗は体内にある魔力循環器に意識を集中する。

 無能なのは変わらない。だけど、全くの無力ではないはずだ。

 才能ある魔術師にまともに太刀打ちできなくても、罪悪感に苦しむ一般人を救うぐらいは可能なはずだ。


「君は、羽音さんが死んだのは自分のせいだと思っているね」

「そうだよ。あなたも私のせいじゃないって言うの?」

「俺はそんなこと言える資格があるような、能力のある人間じゃない。専門知識のあるカウンセラーでも。決めるのは君自身だ。……今日、君は夢を見る。その夢はとても幸福で、だからこそ、とても悲しみに満ちた夢だ。その夢の中で、君は今までの考えを覆すような事態と直面するだろう。だけど、その夢は大切でかけがいのないものだから、決して忘れないで欲しい」

「……これ、本当に占い?」

「占いだよ。真実に気付き、よりよい未来へ向かって進むという……占いさ」


 鉄斗は水鏡の額に人差し指を当て、記号……睡眠のルーンを描いた。


「眠れ……君は、何も悪くない」

「違う……私は悪い……」

「君は最後に、羽音勇美の……無念を晴らしたんだ。だから、もう自分を責めなくていい。だって彼女は君のことを、一ミリも恨んでないし、君もずっと彼女のことを大切に想ってきたんだから」

「勇美……ちゃん……」


 水鏡亜美は眠りに落ちた。

 安らかに眠っている。羽音勇美が死んでから初めての熟睡だろう。

 彼女は罪悪感に苦しんでいた。自分が幼馴染を死なせてしまったと思い込んで。

 だが、それは違う。取って付けたような慰めではない。

 真実が異なっている。

 携帯電話が鳴ったので、鉄斗は通話ボタンを押す。相手はクルミだった。


「クルミ姉さん」

『こっちは終わった。そっちはどう?』

「今、話を終えて寝てもらったところだ」


 水鏡亜美はすやすやと寝息を立てている。


『つまりそっちも不眠症だったわけね』

「姉さんが調べた方も?」

『うん、全員。羽音勇美を無視したと主張する生徒たち全員が、罪悪感による不眠症を訴えてた。彼らは全員所持品に――』

「軽度な呪いを込めるのに丁度いい触媒……クリスタルのアクセサリーを所持していた、か」

『そう。それに知り合いがいろいろ調べててくれたんだけどね、テロリストたちもクリスタルを携帯してたみたい。つまり――』

「これはテロじゃない。……計画的な殺人事件だ」


 多くの無実の人間を巻き込んだ、たったひとりを殺すための偽装テロ。

 そして世間はまんまと騙された。

 警察も見事に欺かれた。

 表面だけを見ていたら、学校ぐるみでいじめられていた不幸な生徒がさらに不運な目に遭ったようにしか見えないはずだ。

 だが、そこで結論を出してしまえば彼女の想いが踏みにじられてしまう。

 ……やるべきことはわかり切っていた。


「アウローラと合流する」

『……戦うのね?』

「まぁ、たぶんそうなるだろうな。でも、羽音って少女の無念は晴らさなきゃならない。水鏡が代弁してくれた羽音の想いを、しっかりと届けなくちゃならない。それに――幼馴染との約束は、絶対に果たさなくちゃな」

『オーケー。こっちもできることはしておく。でも、気をつけて? その病院にはちゃんと許可を申請したけれど、直前で匿名の情報提供者による妨害があったみたい』

「敵勢力による妨害?」


 自宅へ公安警察が押し寄せた時のことが脳裏をよぎる。


『うーん、どうだろう。でも、邪魔者がいることは忘れないで』

「ありがとう、クルミ姉さん。じゃあ、行ってくるよ」

『行ってらっしゃい、鉄斗。君華ちゃんを助けてあげて』

「ああ」


 通話を切る。病室を出る前に、写真立てが目に入った。

 水鏡亜美と羽音勇美のツーショット写真だ。

 ……もう既に、悲劇が起こった。

 十分なくらいに。だが、まだくそったれな事態が進行している。

 これ以上、悲惨な出来事を起こさせるわけにはいかなかった。


「任せてくれ。君の想いは、騎士に伝える」


 鉄斗は動き出す。間違いを正すために。

 携帯電話を取り出し、騎士へメッセージを送信した。

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