第14話 謎が満ちて、山となって
「また一人になっちゃった」
騎士は滞在することなく、すぐにどこかへと行ってしまった。
君華は騎士に連れて来られた部屋からずっと外には出られていない。
しかし、ここから出られないという物理的な状況を除けば、不自由な部分はほとんどなかった。
食事は三食きちんと出た。スーパーやコンビニで購入したような安い弁当ではなく、ちゃんとしたお弁当屋さんの食事だ。さらに言えば、メニューを選ぶこともできた。
機能制限の掛けられたタブレットと、居間に置いてあるテレビの使用も自由。
もちろん、トイレも行きたくなったら行っていい。
誘拐されたという事実は、君華の心に深い衝撃を与えている。
でも、想像していたより酷い状況にだけはなっていない。
(暴行されたり、とか。テレビドラマで見るような……でも、そんなことはないし)
肉体的な安全だけは保障されている。
不思議とあの騎士が悪い人ではない気がしてくる。
(って、ダメダメ。これあれだよ。ストックホルム症候群)
被害者が犯罪者に同情してしまう心理。少し優しくされたからと言って、誤解してはいけない。相手は曲がりなりにも誘拐犯なのだ。
その点、君華は自分がそういう類に誤魔化されない心眼を持つと自負している。
クラスメイトからちょろいよね、などと言われたこともあるが、それはみんなが自分という存在を誤解しているだけなのだ。人を見る目は大いにある。
(鉄斗君が優れた人間だって、一目見た時に私は確信してたからね)
君華は一人、微笑む。鉄斗について考えると、この状況が大したことでもないように思えてくる。
それに、一つだけ気がかりがあった。この部屋には騎士の私物と思えるような物が一つもない。
唯一の例外を除いて。その例外を手に取る。
「女の子……」
君華と同年代と思しき女の子。高校の制服を着込み、入学式と書かれた立て札の横で満開の笑顔を咲かせている。普通なら親がいるはずの隣には誰もいない。
なのに、この子はとびきりの笑顔だ。親がいなくても大丈夫であることを示すかのように。
強がっている笑顔なら、わかる。そういう笑顔をよくする幼馴染を君華は知っている。
けれど、この子は本当に幸福そうだ。こちらにまで幸せが伝染しそうになるくらい。
でも、気になるのはこの少女の笑顔、というわけじゃなくて。
「どうして見覚えがあるのだろう……」
どこかで見たことがある気がするのだ。この子のことを。しかし、写真の校門には全く見覚えがない。行ったことのない場所だ。君華は日建生まれ日建育ち。旅行やお出かけしたことはあるけれど、別の高校にお邪魔するなんていう機会は全くなかった。
「何で……」
と渦巻く謎を疑念視していたその時、突然ドアが開く音がして、君華は慌てて写真立てを戻し、正座する。
だが、やってきたのは騎士ではなかった。
言い方は悪いが、軽薄そうな男だ。染髪であることが一目でわかる金髪。
チャラ男っぽい、と言えばわかりやすいかもしれない。失礼だとは承知しているが。
「いや、お見知りおきを、と思ってね。君を運ぶの手伝ったんだよ。雇い主といっしょにね。俺は一応、君が逃げ出さないためのお守りさ」
「は、はぁ……」
君華は困惑を隠せない。男は初対面の人間が取るべき距離というものを弁えず君華に近づいてくる。
馴れ馴れしい人、というのは確かに存在するし、君華としては別に嫌いではない。
……悪意がなければ。ただ仲良くなりたいという善い想いさえあれば。
しかし、君華の生来の勘が告げている。
この人からはそういう善い感情が全く見えない。
「あ、あの……」
「そう怯えないで。誘拐されて怖い思いをしたでしょ? 俺が慰めてやるからさ」
「ま、間に合って、ますから……」
君華は距離を置く。しかし男は離れた君華の手を掴んだ。
「まぁそう言わずにさ、よろしくやろうぜ……。準備があるから、また来るよ。楽しみにしててな。きっと満足してくれるさ。心も、身体もな」
不快な笑い声を漏らしながら男は去って行く。
「鉄斗君……」
先程までの余裕は、吹き飛んでいた。
※※※
「罠だぞ」
「わかってる」
「絵に描いたような罠よ」
「ああ」
「デンジャラストラップ……」
「重々理解してる」
三者三様に繰り出される忠告を似たような語句であしらう。
鉄斗はスマートフォンが受信したメールを見つめている。そこには簡易な文章で、一方的な指示が記載されていた。
『17:00に日建スクラップヤードに来い。仲間は呼ぶな』
食い入るように三人もソファーに座る鉄斗を囲んで画面を覗き込んでいる。書いてある言葉はたったそれだけ。暗号などの秘匿情報が介在する余地はなく、メールとにらめっこしたところで、それ以上何かを得られるわけではない。
なので、顔を上げて、三人を少し下がらせる。
「もういいだろ。……俺は行くよ」
行かないという選択肢は有り得ない。
来なかった場合人質をどうするか、などの詳細が書かれていないことが余計に不安を煽った。
やられて初めて思う。これは非常に効果的なやり方だ。
「さっきも言ったが罠だ、鉄斗」
「わかってるよ。それでも行くしかない」
鉄斗は立ち上がって武器庫を物色し始める。相手は遠距離戦もこなせる可能性が高いので、スナイパーライフルの類は今回も出番はない。
アサルトライフル系統が効果が高いとも思えない。万能であるからこそ、限定的な状況では他の銃器の方が輝くのだ。
そんな鉄斗の様子を見て、ビシーが呆れた。
「この子わかってないわよ」
「おい、鉄斗! 聞いているのか!」
アウローラが口調を荒げるが、鉄斗は最適な装備の選択に入っている。
サブマシンガンの棚からセレクト。MP5Kの魔術改造バージョンを掴んで作業台に置くと、装弾数で物を言わすためドラムマガジンを掴んで並べた。弾薬箱から強装弾を掴んで詰めていく。
「そんな武器で勝てると思ってるの?」
「まさか」
鉄斗は素知らぬ顔で弾込めを続ける。ビシーは笑みを絶やさない。
「そう言えば、あなたは自己破滅型の人間だったわね」
「思い出してくれて何よりだ。アウローラもそんなにイライラするなよ」
「イラついてはいない」
というアウローラの弁明をビシーが一蹴する。
「嘘ね。ピリピリしててとっても愉快よ」
直後、アウローラが作業台を叩いた。眉間にしわを寄せて、鉄斗を睨んでいる。
「ここまで腹立たしい人間だとは知らなかったぞ、鉄斗。そこの女はともかく、私の意見すら無視するとは。この中で一番強いのは私だ」
「その意見には反対ね。私の方が強いわよ。実際、後ちょっとのところであなたを殺しかけたし」
「鉄斗に負けただろう」
「それを言うなら、あなただって負けたじゃない」
アウローラとビシーはしばし睨み合っていたが、思い返したように鉄斗へと視線を戻す。
「もう一度言うぞ、鉄斗。この騎士は私たちだけではなく、クルミも騙した狡猾な男だ。以前のように都合よく相手に隙があるとは限らない。なのに、単独で向かう気か?」
「ああ、行く。君華を救わないといけないからな」
「そうか、わかった」
アウローラは失望の眼差しを向けて、リビングへと戻っていく。そして、そっぽを向いてソファーに座った。似たようにビシーも肩を竦めてリビングに戻る。
鉄斗は集中して装備の準備を進めた。予備弾倉や拳銃用のマガジンに弾を詰め、丁寧にチャンバー内にも装填した後、一息を吐く。
背もたれに寄り掛かりながら、なんとなくリビング内に漂う険悪な雰囲気を眺めた。
(いつもなら君華が緩衝材になってくれたけど)
今、彼女はいない。どんな状況かもわからない。
改めて自分を顧みると、やはり全く余裕がない状態だ。
これでは間違いなく君華に説教されてしまう。
「君華……」
幼馴染に思いを馳せた直後、どん、と荷物が置かれる音がしてそちらに視線を注ぐ。アウローラやビシーも疑念を抱いた瞳を覗かせていた。
視線の先には、大量の荷物を抱えたピュリティがいる。
「レディネス!」
「ピュリティ?」
得意げに胸を張るピュリティに、三人は困惑を隠せない。
しかし彼女は戸惑う三人を順番に眺めて、
「義姉さん、ビシー、支度は?」
「あら? この子行く気満々ね」
「待て、ピュリー。ダメだ。それにメールには仲間は呼ぶなと」
「イエス……あう……うん。だから大丈夫」
ピュリティは治らない癖に突っかかりながらも自信満々に告げる。
アウローラとビシーは顔を見合わせた。ピュリティは今度は鉄斗がいる武器庫へ向いて、
「私たちは仲間、友達。でも、鉄斗に呼ばれてない」
「それは屁理屈って言うのよ、ピュリティちゃん」
「屁理屈も理屈は理屈」
頑として譲らないピュリティを鉄斗は窘める。
「ダメだ、ピュリティ。危険だから家にいた方が」
「危険だから別れて、君華は攫われた」
「ピュリティ」
「私はついていく。きっとその方が安全。それに、義姉さんとビシーもついて来てくれるし」
断定したピュリティに、二人はすぐさま反論する。
「私はついていくって言ってないけど?」
「私もだ」
「でも、最初から行く気満々だった。でしょ? でも鉄斗がなかなか言い出さないから、二人は拗ねてる」
「拗ねてなどいない」
「あら? 私は拗ねたけど? アウローラったら冷たいわね」
「この」
「喧嘩はノン、ノン。……行こう、鉄斗。君華を助けに」
ピュリティは手を差し出してくる。
鉄斗は逡巡した。仲間を呼んでいないなどと言っても、実際に三人がついてくれば、騎士がどんな反応を示すかわからない。
それにピュリティが狙われる可能性が高いのだ。そんな危険な場所に彼女を連れて行くのは正気の沙汰とも思えない。
それでも彼女の言葉はどうしようもなく希望に満ちている。
絶望の淵にいた自分を救い上げた幼馴染のように。
吹っ切れるしかなかった。希望の前には無能野郎など無力だ。
ピュリティの手を握るのに、そう時間は掛からなかった。
「どのみち勝ち目は薄いし、それもありかもな」
「それに、私に何かあったらクルミがすっ飛んでくる。敵も、それは避けたいはず」
「いつからピュリティはそこまで頭が回るようになったんだ?」
「私も知らない。いつの間にか、成長していたようだ」
アウローラは誇らしさに寂しさを交えた複雑な表情を浮かべる。
しかし鉄斗はでもなぁ、と数秒前とは相反した表情で言葉を濁し、
「この荷物は明らかにいらないな。……どうして鳥との話し方なんて本を持って行こうとしてるんだ」
「こっちは物理学の専門書ね」
「これは聖書か。他の経典もあるな」
「う……でも、必要……」
「いらないな」「必要ない」「残念だけどどれも無意味ね」
「うう……みんな、酷い!」
ピュリティは癇癪を起した子どものように小さく怒った。
その姿に和んだ後、行動を開始する。
日建スクラップヤードは日建市のみならず近隣地域のスクラップを扱っているので結構な規模の敷地となっている。中央に作業員が詰める小規模の建物があり、その周辺を囲うようにして回収資源置き場が点在していた。
交渉の席にしては汚いし、広すぎる。今日は定休日だが、人目に付く恐れがある。
だが、バトルフィールドとして考えると十分な広さだ。網を張っている警察も少ないだろう。
(そう簡単にはいきそうもないな)
敵の知的さを確認して、鉄斗は堂々と敷地内を歩く。鉄の錆び臭さが混じるその場所を、ギターケースを背負いながら進むその姿はどう見繕っても場違いだ。
そんな鉄斗以上に場違いな存在が突然目の前に現れる。
白銀の甲冑を纏った騎士。
君華の誘拐犯。
「約束を違えたようだな」
騎士の第一声がそれだったため、鉄斗は肩を竦める。瓦礫山の上にアウローラとビシーが姿を晒した。
「呼んだわけじゃない。ついて来ただけだ――そう言えば、納得してくれるか?」
「お前の家庭環境はある程度把握している。想定内だ」
鉄斗は苦り切った笑みをみせる。
ここでは想定外と答えてもらうのがベストだった。
二人の援護を予想していたのなら、最悪の場合自分たち全員を呼び出すつもりだった可能性もある。
しかし今更タンマと言ってやり直すわけにもいかない。二人は姿を見せてしまったし、ピュリティも少し離れた場所でこちらを見守っている。
それに、勝機がないというわけでもない。いつもとは違う。
「君華はどこだ」
鉄斗は事前に仕込んでいた台本通りに対話を続ける。
「ここにはいない」
「やっぱりか」
やはりこれは明白な罠だった。
しかし……少し奇妙ではある。
自分ひとりだけが来ると確信していて君華を連れて来なかったのなら、まだ理解できる。三人の到来を予期できなかったというのなら。
だが、彼は鉄斗が一人だけで現れなかった場合も想定済み。であるのに、人質という最大限のアドバンテージを利用する気配が窺えない。
君華を連行し身代わりにピュリティを引き渡せと告げた方が楽なのは確実だ。
「攻撃したら、君華に手を出す……ってことか?」
鉄斗はギターケースの中身を取り出して、セーフティを解除。チャージングハンドルを引きながら訊ねる。
対して、騎士は魔銃槍と丸盾を構えて応じた。
「そのような手段を講じる必要もない。お前たちを倒せば良いだけだ」
「それは――」
「これ以上の語り言葉は不要だな」
そう騎士は締め句を述べて、槍の切っ先を鉄斗へと向ける。
その行為はますます疑念を呼び起こさせたが、今は悠長に思案に耽っている場合ではなかった。
鉄斗はMP5Kの引き金を引く。ドラムマガジンから強装弾が雨のように降り注ぐが、騎士にとっては小雨――否、雨合羽を纏いながら嵐の中に平然と佇んでいるようなものだ。
「効かない――!」
騎士は銃弾の直撃を受けたまま、銃槍の砲身に魔力を充填し続ける。弾丸はフルプレートアーマーに命中し、潰れて足元に散乱している。
理屈はわかる。ボディアーマーを装備しているのと同じだ。米軍のパワードスーツはアサルトライフルの掃射はおろか、戦車の砲弾すら耐えしのぐ装甲を持つタイプも存在すると聞く。
だが、弾を弾くとは言え、衝撃は内部へ到達する。フィクションでは銃撃と打撃では打撃の方が効果が高いような描写がされることはあるが、銃弾が命中した衝撃は鈍器による打撃より遥かに凶悪だ。
それなのに身じろぎ一つないと言うのはおかしい。いや、より正確に言うのなら、それもおかしなことではない。
本当に不可解なのは――。
「避けねば死ぬぞ、少年」
「くそッ!!」
鉄斗は右手にある瓦礫の山の後ろへ駆ける。
直後に閃光が迸り瓦礫を吹き飛ばした。しかし、間一髪のところで鉄斗は無事だ。
いや……それもまた、不可解な事態ではあるが、一番謎なのは。
「防護魔術を発動した気配がない。一体どういうことだ?」
――あの鎧の中に衝撃緩和システムでも詰まっている?
敵の性能を推測しつつ鉄斗は残った瓦礫の残骸から騎士を確認する。
丁度、アウローラとビシーが攻勢に出たところだった。
アウローラは隠密仕様ではなく、父親の形見である剣を抜き、魔力の奔流で秘匿用フードが外れている。
ビシーは二つの杭を双槍のように扱って、騎士に切迫していた。
「かつての同胞として、引導を渡す!」
「汚い大人は皆殺し! 美味しく頂かれて!」
二人は飛び掛かって挟撃。しかし騎士は回避しなかった。
「優れた力だ」
騎士は冷徹に分析し、対処を開始する。
「だが私には届かない」
騎士は槍でアウローラの斬撃を受け止めて、槍の刺突を盾で防御。シールドバッシュでビシーを殴り飛ばし、槍の横薙ぎでアウローラを後方に退避させる。
「近接戦は好みだけど、私の本領はこっちよ!」
ビシーは杭を投擲。再度斬りかかろうとしていたアウローラに注意を削がれていた騎士はしかし、身体を左右に傾けることで杭を避ける。
放たれた杭はむしろアウローラに対して脅威となっていた。直撃コースの杭をアウローラは切り落として、騎士に剣を振るう。
「チッ、惜しかったわね」
「お前、私を狙ったな」
「あらあら、そんなこと、わざわざ口に出すまでもないことだと思うけど?」
ビシーは挑発的な物言いをして、新しく杭を取り出す。
「喧嘩しないでくれよ、ここで」
鉄斗は愚痴るが、自分のやるべきことは理解している。
強装弾程度ではロクにダメージを与えられない。なので、ナイフを取り出して正面の瓦礫に刻印を刻んだ。なるべく音をたてないように気をつけて、移動しながら同じ手順を繰り返す。弧を描くように。
その間にも会話と同時進行で戦闘音が奏でられている。
「連携に難があるようだ」
「連携? 私はその女を一刻も早く屈服させたいだけよ?」
「銃を借りてくればよかった。そうすればいつでも撃ち殺せたのに」
剣戟音と投擲音、そして言葉がスクラップヤード全体に響いている。
だが、騎士、アウローラ、ビシーそれぞれの攻撃はどれも決め手に欠けているようで、決着がつきそうにない。
その間、密かに役割を終えていた鉄斗は、愛用のP226を握りしめた。スライドを軽く引いて薬室に直接弾丸を流し入れ、撃鉄を起こす。
「アウローラ!」
警句と共に弾丸を発射。騎士は避けようともせずに弾丸を受けるが、
「むッ――」
強烈な閃光が煌いて、一時的に行動不能となる。
瞬間、周囲に魔力が注ぎ込まれた。刻まれていた捕縛のルーンが展開、瓦礫から複数の鎖が湧き出ると、騎士を拘束する。
「このような術式を仕掛けた気配はなかったが」
騎士は疑問を呈す。鉄斗はMP5Kをスタン弾へと変更しながら応えた。
「魔術で設置したわけじゃない。無能野郎の特権さ」
魔術を用いて術式を仕込めば、察知される恐れがある。
だが、大した力のない鉄斗が人力で術式を構築すれば、そう簡単に露見することはない。しかも、戦闘中だったのだ。周辺に余計な気を回せる余裕が出るほど、アウローラとビシーの相手は容易くない。
「なるほど。設置役と発動役を分担したか。先程の連携不足も私を誑かすための演技であると」
「いや、それは知らないが」
あれは素であると鉄斗は考えていた。だからこそ、騎士の目を眩ませることに成功したのだから結果オーライだ。
「とにかく、これで形成は逆転だ。君華を返してもらう」
「それは早計というものだ、少年」
騎士は焦りもせず拘束の破壊に移った。鉄斗は急いで最終手段の指示を出す。
「なッ――ビシー!」
「はいはい、拘束を引きちぎるのは想定内。本命はそこの女じゃなくて、この私!」
ビシーが地面に手を置いて、騎士の周囲に紫色の魔方陣が展開する。土の中から大量の杭が生えて、騎士を貫こうとするが、既に騎士は鎖を壊しきっていた。盾から密度の高い魔力が放出されて、全ての杭を防ぎ切ろうとするが、
「侮ったわね、大人!」
「天にもか」
魔方陣が上空にも出現し、杭の雨が降り注ぐ。騎士は槍を頭上に向けたが間に合わず、騎士の身体は串刺しになった。一瞬冷や汗を掻いてビシーの方を見るが、彼女はつまらなそうに髪の毛を弄んで、
「平気よ。殺してはいないわ。ま、死んだ方が楽と感じてるでしょうけど」
「ふん、あまり信用はできないがな」
とはアウローラの弁。殺されかけたのだからしょうがないが。
「あなたに信用される必要性を微塵も感じないんだけど、そこのところどう思う? 鉄斗」
「いいから、とにかく君華の居場所を吐かせるぞ」
鉄斗は取り合わずに、立ったままぐったりとする騎士に近づく。
そして、
「鉄斗!」
突如放たれた刺突をアウローラが割り込んで防いだ。しかし、腹部を強打されて、そのまま後方に吹き飛ばされる。
「嘘でしょ!? 解呪した兆候なんて――ぐッ!」
咄嗟に杭を両手に呼び出したビシーは、しかし反撃に転じる前に投げられたシールドによってダウンさせられた。
騎士の身体から杭が抜け落ち、アウローラのおかげで無事だった鉄斗へゆっくりと歩き始める。
鎧は無傷のままだ。最初から攻撃など受けなかったかのように。
鉄斗は後退しながらMP5Kの銃撃を加えるが、スタン弾でさえも効果がない。
まるで生ける屍だ。
あっという間に弾切れとなり、拳銃へと持ち替えて引き金を引くが、これも同様。
「少年、ここまでだ。抵抗しなければ、彼女は返そう」
「くそッ。ああ……それもいいかもな」
鉄斗は銃を下ろす。作戦を完全に無効化された今、鉄斗にできることは何もない。
それならば騎士の指示に従って……君華の解放を信じる方がまだましだ。
「逃げろ、鉄斗……」
「ここにきて、諦めるとか。本当、あなたむかつくわ」
「そうは言うけどな、仕方ないだろう? 俺は諦めてるのさ」
ああ、自分の人生はとっくの昔に諦めている。
何度も繰り返し言うように。才能の無い人生。
無能な、役立たずな人生だ。
だけど――。
「俺については割り切ってるけどな。でも、君華は違う。あいつの将来がどんなものであるかは知らない。不治の病とか不幸な事故とかで早死してしまうかもしれない。けどよ、誰かに殺されたり傷つけられるのだけは許せねぇ。世界がどれだけ理不尽だとしてもだ」
騎士は鉄斗の前で立ち止まった。フルフェイスの中にどんな表情が押し込まれているかわからない。
だが、嘲るような雰囲気は一切なかった。
むしろ同情しているような。しかし、それがなんだ。
「だからよ、俺については諦めているが、君華は絶対に無傷で返してもらう!」
鉄斗は拳銃を構えて、騎士にヘッドショットした。だが、銃弾は虚しく弾かれる。
そして、槍が鉄斗の腹を抉る……。
「まさか、ここまで私のことを信頼してくださるとは。感謝感激です」
――前に、槍が受け止められていた。素手で。
いや、ただの素手ではない。無影流忍者の無窮組手だ。
紅葉が、鉄斗の前に立ち塞がっていた。
「ついて来ているのはわかってたからな」
「でも、普通、こうやって命を預けたりしませんよっ、と!」
紅葉は回し蹴りを繰り出して、騎士を後方へ跳躍させる。
最終手段が失敗した場合の保険だ。彼女は鉄斗が家を出てからずっと尾行していた。どうやら彼女は尾行があまり上手くないらしくバレバレだったが、それでも接触することなくあえてずっと放置していた。
一度戦ったことのある鉄斗は知っている。彼女は魔術師の力量を計る基準である魔力量と照らし合わせた場合、人畜無害な一般人だと誤認されることを。
「これは想定外だ」
騎士はただの凡人として紅葉のことをカウントしていたのだろう。
ようやく騎士の計略から外れることができた。しかし、騎士は未だ焦る様子がない。
「鉄斗さん、本気出しますので巻き込まれないように」
「わかった」
鉄斗に警告した紅葉は、一直線に疾走する。
弾丸めいた素早さ。拳と槍、盾が打撃音を演奏し始める。
人間業とは思えない物理法則を無視した拳と足が雷鳴の如き速度で放たれるが、騎士は慄くことなく完璧に防御してみせた。
「この技量……! いえ、しかしこれは――」
紅葉は盾と槍を殴りながら戸惑っている。鉄斗も同じくらい訝しんでいた。
騎士は間違いなく格上だ。それは理解できる。
強者はたいていの場合、弱者が理解できないようなロジックを使って無双する。だから、頭ごなしにデタラメな強さを有り得ないと一蹴するつもりはない。
だが、いくらなんでもこれはおかしい。どれほど強力な存在だとしても多少なりともダメージは入るはずだし、体力や魔力も消耗するはず。
一番奇異なのは、ビシーの毒を無効化したことだ。毒を喰らった瞬間に解毒して、応戦したのならば理解できる。相手が用意周到だっただけであり、こちらの不手際であるからだ。
だが、騎士には一切その兆候がなかった。事前に解毒剤を服毒していたにしても、ビシーのポイズンクラフトは非常に強力だ。全く効かないはずはない。
「一体どういう魔術だ……? いくらなんでもこれは……」
先程見た光景が繰り返される。騎士と紅葉は膠着状態に陥り、殴り防ぎ合って一向に決着がつきそうもない。騎士の背後ではアウローラとビシーが立ち上がろうと踏ん張って崩れ落ちている。
(ただの一撃で二人がここまで、か? それでいて紅葉の攻撃を完璧にいなしている……)
鉄斗が驚愕しながら戦闘模様を俯瞰していると、突然騎士に隙が生まれた。防御がおろそかになり、当然紅葉がその隙を見逃すはずはない。
「やりました!」
勝利宣言と共に物理法則を屈服させる拳を放つが、
「まずい!」
「な――ッ」
鉄斗は警告を発し、紅葉は驚愕のあまり硬直する。
みぞおちに突き刺さったはずの正拳突きは轟音を立てるに留まる。騎士は平然とした様子で、盾で紅葉を殴り返し、彼女は鉄斗の傍へと転がって来た。
「どういうからくり、ですか……! 拳が、効きません……!」
「くそッ!」
鉄斗は再び拳銃を構える。もはや打つ手はない。
仮にこの無敵に近い防御力を突破できたとしても、単純な力量で鉄斗は劣っている。
前回は上手くいった。アウローラにもビシーにも弱点や付け入る隙があった。
運にも恵まれた。そもそも彼女たちは敵でもなかった。
しかし、この騎士を前にして成す術はない。
万事休す。だがそれは大して関係ない――。
今度こそ命を賭して戦おうとしたその時、
「……む」
何かに勘付いたように騎士は停止する。鉄斗は咄嗟に周囲を見回したが、アウローラたちが地面に伏している以外に気にかけるようなものは何もない。
慌ててピュリティの位置を確認するものの、彼女はまだ安全圏内にいる。今にも飛び出しそうになってはいるが。
かと言って、これ以上救援が現れる気配もない。圧倒的に不利な状況だ。
だが騎士は魔銃槍を下ろす。
「勝負は預けるぞ、赤上鉄斗」
「おい待て――うわッ!」
騎士は転移術式の光に包まれて、忽然と姿を消した。
「どういうことだ?」
疑念と、満身創痍の仲間たちを残して。
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