第13話 焦燥と孤独
爆発が起きた。市街地の真ん中で。
しかしその爆発の真の目的を理解できたのはほんの数名だけだった。他の者たちには唐突に、破壊が降り注いだとしか思えなかった。
標的にされたのは何の変哲もないオフィスビル。そこで仕事に勤しんでいた者たちは、想定外の事態に成す術もなく即死した。
「手緩い」
騎士は淡々と呟いて、己の内側に貯蔵される魔術を引き出す。
次なる命令に従うために。
※※※
「な、何……?」
意気揚々と家に向かっていた君華は、街中で起きた爆発に唖然とした。幸いにも魔術師の幼馴染と付き合いのある君華は、世界が完全な平和状態でないことを知っている。
だが、それでも一般人に知覚させる形で魔術師が暴れることはないと聞き及んでいた。
とすれば海外で騒乱を引き起こしているテロリズムに付随する無差別殺人である可能性が出てくるが、ピュリティの事件があった直後に全く無関係の勢力が攻撃を仕掛けてくるとは素人ながらに思えない。
となればやはり、ピュリティに関する事件のはず。君華は慄くピュリティの手を強く掴む。
「早く逃げよう!」
「う、うん……!」
君華はピュリティの手を引いて、鉄斗の家に急いだ。脳裏を掠めるのは断片的に聞いた魔術師と人間の在り方。
曰く、魔術師が人間を襲わないのは狩人に目をつけられてしまうから。
おとぎ話に出てくるような悪い魔術師は、古くから実在していた。彼らは人間を道具とか奴隷とか……とにかく見下しており、悪辣の限りを尽くしていた。しかし人間には抗いようがなかった。狩人が出てくるまでは。
魔術師狩りの狩人。彼らは戦士でも兵士でも騎士でもない。
魔術師を狩る専門家。戦うのではなく狩るのだ。
悪行を成す魔術師を狩る。
人を生贄にした魔女を狩る。
人を隷属に処す魔術師を狩る。
世界を破滅させる魔法使いを狩る。
鉄斗の説明は大雑把だったが、魔術師が弱体化したのは狩人に狩られたからだという。
バッファローが開拓者に狩られて絶滅してしまったように。
アフリカゾウが乱獲によって絶滅危惧種になってしまったように。
だから、魔術師たちは身を守るための同盟を結んだ。かつて敵だった者たちが絶滅の危機に瀕して結んだ同盟。それが魔術同盟である、と。
(なのに――)
一般市民を巻き込んだ爆発が起きた。魔術師同士の戦いであるならばいい。魔術師の問題なのだから狩人が介入することはない。
でも一般人が死ねば話は別だ。狩人は異能から人類を守護する者。もし特別な理由もないのに、ただ己の目的を成すためだけに一般市民を巻き込めば、確実に報復が来る。
報復が怖くないのだろうか。反撃されても問題ない?
(でも、今は――)
逃げることが先決。君華はピュリティにスピードを合わせて走る。
鉄斗が必死になって守った女の子を、自分がのろのろしていたせいで死なせるのはダメ。絶対にそれだけはダメだ。
鉄斗はずっと諦めていた。そんな彼が救った子。決してポジティブな気持ちで助けたわけじゃなかったけれど、それでも彼は三人の不幸な人を救ったのだ。
戦う必要はなかった。救う責任もなかった。ただ力がないからという言い訳で見捨てる自分が情けなさ過ぎて救ったという彼のひねくれた結果を、他ならぬ自分が台無しにしてしまっていいはずがない。
君華は無我夢中で駆ける。が、右腕を引っ張られて転びそうになった。
「ピュリーちゃん!?」
「君華……」
背後を振り返るとピュリティは今まで見たことないような険しい表情をしている。視線を辿って前へ向き直ると君華は息を呑んだ。
中世の騎士のような鎧を着た何者かが道の先で待ち構えている。
「誰……?」
問いかけるも、騎士は反応を示さない。
敵か味方かわからない……と言いたいが、目に留まるのは右手に持つ重厚な槍だ。元々魔術師でも何でもない一般人である君華にとって、それがどういう力を発揮する武装なのかはわからない。
けれど、武器を持つ人間をそう簡単に信用してはいけない、と思う。
「……っ」
君華は咄嗟に退路を確認する。来た道と前方、そして左側に道が広がるT字路だ。道を戻るか、左へ逃げるか。いや、そもそも逃げられるのか。
君華の中で考えが渦巻くが、初めての状況に上手く方針がまとまらない。
というより、足が震え出している。さっきまでピュリティをリードする気でいたのに、心が恐怖で埋め尽くされようとしている。
「あ、あ……」
足が竦む君華の元へ、騎士はゆっくりと動き出した。何を考えているかはわからない。でも、何事もなく済むはずがない。理性は逃げろと叫んでいるのに、感情が無理だと訴える。
怯えてどうしようもない君華だったが、突然掴んでいた右手が振りほどかれて目を見開く。
「ピュリティ!?」
「逃げて、君華! 急いで!」
そういってピュリティは元来た道を戻り始めた。君華を残して。
その意図がわからないほど思考は混乱していない。
即座に理性が保たれる。恐怖がより強い恐怖を上書きする。
(ピュリーちゃん……! ごめんね……!)
ピュリティは自分を囮にするべく逃げ出したのだ。騎士の狙いは自身であると直感して。
なら君華も自分のやるべきことをする。がむしゃらにピュリティとは別方向……左の道へと逃げ出した。
助けを求めに。
その作戦が裏目に出るとは露ほど思わず。
※※※
爆発が起きた瞬間、鉄斗は反射的に拳銃のスライドを引いていた。
「アウローラ!」
「ああ、こっちだ!」
アウローラは鉄斗の呼びかけに応じてナビゲートする。彼女は強化の魔術で脚力と速力を強化して、鉄斗を引き剥がす勢いで一直線に向かい始める。
もちろん、ピュリティがいる場所へ。義妹の居場所の把握において、彼女の右に出る者はいない。クルミが敷いたセーフティよりも正確に位置を特定できる。
アウローラのスピードは鉄斗より遥かに速かったが、引き離されることはなかった。遠慮されている――否、信頼されている。
その期待に応えるべく、鉄斗も魔力を両足に回して疾走する。
鉄斗はアウローラの背中を追いかけるだけでよかった。と言っても、その道のりは困難だ。何せ彼女は魔術を用いたパルクールで文字通り真っ直ぐに住宅街を激走する。
鉄斗はどうにかその背中を追随していき、
「見つけた!」
「わかった!」
アウローラの報告で周囲を警戒しながら彼女の後を追う。屋根と屋根を跳躍し、地表に降り立つと、アウローラがピュリティを確保したところだった。ナイフを構えて、周囲を警戒している。鉄斗も彼女の傍によって、拳銃を構えた。
「敵は?」
「先程、接触したと。甲冑を纏った男だったらしい」
「魔術騎士か」
「流れかもしれない。その公算は高いな」
「どうする?」
鉄斗はピュリティの状態を確認し、アウローラに問う。だが、彼女は首を振った。
「すまない。経験不足だ。頼めるか?」
「オーケー……まぁ、一旦家に戻るのが定石だろうな」
交番に駆け込むわけにもいかず、また他に頼りになる拠点もない。
クルミには既に通知が行っているはずだが、出てこないことを見ると二人でもどうにかできると判断しているのだろう。彼女は今、秘密裏に敵の正体を探っているはずだ。
「よし、早速――」
「待って」
帰ろう、という言葉は護衛対象に遮られる。不審に思い、鉄斗は訊ねた。
「どうしてだ? 今は家に戻った方が――」
「き、君華……君華は?」
「何……?」
その名前を訝しむ。そして、彼女がいないことにようやく気付く。
ピュリティは君華に付き添われて学校に行ったのだ。あの世話焼き幼馴染がピュリティを一人で家に帰すなんてことをするはずがない。
つまり、今傍にいないのは何らかのイレギュラーが起きた証拠だ。
「どこで、別れた?」
「あ、あの……う」
「どこでだ!」
語調を強めてしまい、アウローラが周囲に目を凝らしながら諫める。
「鉄斗、落ち着け」
「……すまない。ピュリティ、教えてくれ。いっしょに帰ってたんだろ?」
「う、うん。それで、騎士、と鉢合わせて……それで」
「それで?」
「デコイ……囮になろうって……きっと狙いは私……だから、だから……」
「そこで別れたんだな!?」
鉄斗はスマートフォンを取り出し、発信する。コール音をもどかしく思いながら彼女が電話に出るのを待つが、代わりに聞こえてきたのは留守番電話サービスの自動音声だった。
「君華……! アウローラ、頼めるか!」
「ああ、任せろ。私の方もピュリティを守りながら探してみる」
鉄斗は駆け出した。思考よりも先に身体が動いている。
彼女は傷つけさせない。何があってもだ。彼女は無関係なのだから。
ただの一般人なのだから、傷ついていい道理がない。
いや、これは理屈じゃない。理論じゃない。絶対にダメだ。ダメだと言うからダメなのだ。君華が危険な目に遭う理不尽は断じて許せない。
「無事でいろよ、君華……!」
鉄斗は爆発によって混乱する街中へと溶けていった。
※※※
その子に初めて会ったのは、まだ幼い時。記憶も曖昧で、世界の全てが新鮮で。
その子もまた、不思議だった。謎に満ちた世界の新たな謎だった。
活発で、やる気が漲る男の子。まるで、自分が特別な存在であると信じているような。
ううん、実際に彼は特別な人だったのだ。魔術、という力を持つ。
内緒でその力の一端を見せてもらったことがある。
ほんの小さな炎だった。線香花火のように可憐で儚い。
けれど、その子はもっと自分は強くなれるんだと誇りに満ちた顔で言って。
しばらくして、その顔から笑顔が消えた。
「ん……」
どうやら夢を見ていたらしい、と自覚して目を開ける。
「あれ?」
視界の暗さに戸惑う。部屋の中は真っ暗で、足元はおろか自分がいる位置すらもあやふやだ。
困惑している内に、いきなり明るくなる。
そして、現れた甲冑を見て思考が現実に追いついた。
「あ――ひっ!」
君華は表情を恐怖に染める。
何があったのか? どうしてここにいるのか?
それをはっきり思い出せる。
誘拐されたのだ。この騎士に。
「狙いは、お前だ」
そう告げられて。意識を奪われた。
「わ、私を……どうする気」
どうにか捻り出した強い言葉。だが、身体は後ずさり、棚に当たってハッとする。
その衝撃で棚に飾ってあった写真立てが床に落ちた。落下音に肩を震わせる。
騎士は黙して君華を見つめている。
おもむろに歩き出し、君華の鼓動が暴れ回った。このままショック死してしまうのではないか。そう思ってしまうほどに。
騎士がゆっくりと手を伸ばす。反射的に目を瞑った君華だが、何かをされる様子がない。恐る恐る目を開けると騎士は落ちた写真立てを拾っていた。
「――何もしない」
「え……?」
「何もしない、と言ったのだ」
騎士は写真を棚の上に戻す。呆然とする君華に言葉を紡いでいく。
「お前にはここにいてもらう。私が望むのはそれだけだ」
「どういう……」
「お前は、人質だ」
「――っ」
人質という単語が君華の思考を掌握する。
人質。交渉を円滑に進めるための交渉材料。
この騎士は、自分を人質と呼んだ。つまり、何か要求することがあって。
また、要求する相手もいる、ということになる。
その相手は――。
「て、鉄斗君に……何を……」
「想像は容易のはずだ」
きっとピュリティに関すること。
君華の脳裏に衝撃が奔る。
「や、やめて……」
「無理な相談だ」
騎士は君華を突き放すように告げた。
静かに軋んで、扉が閉まる。
「そんな……鉄斗君……」
※※※
君華はおろか、誘拐犯と思しき騎士を発見もできなかった。
現場に到着した鉄斗は一心不乱に痕跡を探した。
痕跡自体は見つかった。というより誘拐は相手に誘拐したという事実を伝えるためにわざと痕跡を残していくことがままある。
ゆえに鉄斗が見つけた証拠はすなわち見つけられるためのものだ。
当然、直接的な手がかりになりそうなものは何一つ見つからなかった。
「くそ……くそっ!」
毒づいて机を叩く。ピュリティが肩を震わせる。
しかし今の鉄斗には、彼女を案じる余裕がない。
「君華だぞ。君華だ。彼女は、何も――」
「ああ、していない。悪いことは、何も」
リビングの片隅に立つアウローラが同意するように呟く。
さも当然というような物言いは、余裕のない鉄斗に響く。
「おい、そんな当たり前みたいに――」
「当たり前だ。鉄斗」
「ね、義姉さん!」
ピュリティが義姉を窘める。が、アウローラは聞く耳持たず、鉄斗の心を土足で踏み荒らすかのように言葉を紡ぐ。
「この程度の悲劇など、日常茶飯事だ。彼女は特別なことは何もしていないが、ただそこにいるだけで十分巻き込まれる可能性が残されている。……当然だとも」
「アウローラ!」
荒ぶる感情に従って、鉄斗はアウローラへと詰め寄る。
思わず手が出てしまう。彼女の肩を掴んで、荒い眼差しで彼女の瞳を覗き込み――。
その悲しさに、冷静さを取り戻す。
「そうか。そうだったな」
「ああ、そうだ」
それを回避するために、鉄斗は前回戦ったのだ。
この世界の理不尽さは嫌というほど知っている。もし理不尽じゃなければ鉄斗は今頃君華を救っているだろう。
無能だからこうしているし、力がないから無関係な人を攫われてしまった。
だが無能だからと言って、何もしないでいられるわけがない。
「調査しよう。奴が何者で、何が目的なのか」
基本の基本、基礎の基礎。誰でも思いつく初手をあえて口に出した鉄斗に、
「それでいい、鉄斗。私も協力する」
アウローラは力強い言葉で応えてくれた。
※※※
君華が攫われたという知らせはクルミの元にも届いていた。
表情には出さず、取り乱すこともなかったが、酷く後悔したものだ。
(くそっ。迂闊だった……こうなることも想定すべきだった……)
君華は一般人だから巻き込まれる可能性は限りなく低い。そう見くびっていた。
おまけに敵はこちらの講じた策を見切っていた節がある。
クルミは右手に持つ杖を見つめた。
(ピュリティの位置ならすぐにわかったけれど)
君華の位置など把握できるはずもない。そのような術式は施していないからだ。
後悔するクルミに声が掛かる。
「落ち込む必要はないだろ」
「そうは言っても……」
「正確には落ち込んでいる暇はない、だな。お嬢ちゃん」
クルミを励ます神宮は、現場検証が行われている建築物を見上げた。
君華を誘拐したとされる騎士が爆撃したオフィスビル。しかし神宮は建物自体には大した興味がないようで、クルミへ積極的に話しかけてくる。
「これは誘拐事件だ。殺すならわざわざ連れ去ったりしない。そして、交渉が終わる前に手を出すという悪手もな。手口を見る限り、奴がプロだってことは容易に推察できる」
「はい。わざわざ魔術師が詰めている拠点を破壊したんですから」
爆発が起きた時、ほとんどの関係者が誤解した。
魔術師が人間に攻撃を加えたと。
だが実際は魔術師が魔術師を攻撃しただけに過ぎなかった。
ここには魔術同盟の一組織に属する隠密が潜んでいたのだ。調停局に悟られることなく密かにピュリティを監視するために。
「ってことは、どういうことです?」
さっぱり理解できない、と言った様子で無影流の忍が告げる。紅葉という名前の可愛らしい少女だ。初対面ではあるが、彼女の実力は知っている。その性格も。だから、クルミは特に苛立つことなく説明ができた。
「この事件は警察などの人間の組織……もっと言えば、日本という国家にとっては、そこそこ大きな事件だったのかもしれない。けれど、人類対魔術師というほど騒がしい事件じゃなかったの」
「つまり?」
「狩人が出張るような案件じゃないってことさ。魔術師同士の諍いだ。計画的な、我々の目を逸らすための陽動だった」
「なるほど」
合点がいったようにポンと両手を合わせる紅葉。もし知り合いが誘拐されている状況でなければ和んだかもしれない。
だが、緊張の糸は解れない。クルミにとっても君華は大切な友人だ。
年上のお姉さんとして、人生の秘訣をアドバイスしてあげたこともある。
それに、この間のあれはちょっとやり過ぎたかもしれない、と思っていた。だから、今度埋め合わせにどこかへ連れて行ってあげると約束したのだ。
その約束はきちんと守らなければならない。約束を破ると酷い目に遭うから。
「で、どうするんです?」
「お上からの命令は、誘拐犯から連絡が来るまで待機、だそうだ。ま、そんな悠長なことをしていたら取り返しのつかないことになりかねないし、上層部はまともに交渉する気もないがね」
神宮はうんざりした口調で紅葉の質問に答える。日本の警察は魔術師同士のゴタゴタが面白くないのだ。結果として一般人が亡くなったとしても、彼らは平気で知らん顔ができる。魔術がらみの事件がニュースとして取り上げられることはない。今回の事件もガス爆発か何かで処理されるはずだ。
君華は最悪、存在自体がなかったことにされる可能性もある。そんなことは断じて許容できない。が、それが世の中の仕組みであることも事実だ。
険しい表情になっているクルミを後目に、紅葉は同じ質問を繰り返す。
「わかりました。それで、二人はどうしたいんですか? 時間がもったいないですし、早く済ませましょうよ」
「紅葉ちゃん……」
能天気なように見えて、紅葉はかなり図太い。クルミは先程まで彼女について知ったかぶっていた自分を恥じる。
彼女は良い人物だと思っていたが、全然違う。かなり良い人物だ。
クルミは迷っていた要望を口に出す。
「協力してもらえますか?」
「もちろんだとも」
「はい、喜んで!」
即答が返ってくる。――ああ、本当に世界ってのは残酷だけど、考える以上には優しさにあふれている。
「ありがとう。私は騎士を魔術の痕跡から追跡します。神宮さんには……」
「ああ、こっちも別の視点から追いかける」
「私はどうしましょう、先輩? クルミさん?」
紅葉は自分に最適な役割がなんであるかをよく理解し、適切な仕事を模索している。
クルミはその謙虚さ、そして健気さに胸を打たれた。だから、彼女に相応しい役目を堂々と伝えられた。
「荒れているであろう甥っ子のボディガード、お願いできる?」
返事を聞く必要はなかった。
※※※
クルミの予想に反して冷静さを既に取り戻していた鉄斗は、地図に現時点で知り得る情報を書き込んでいる。そこへアウローラがピュリティの情報を元に描いた騎士の人物像を持ってきた。
「これが例の男だそうだ」
「ありがとう。……なんだこれ?」
鉄斗は思わずイラストを二度見する。ふにゃふにゃな、騎士と言われても納得するのには時間が掛かる難解な絵だった。控えめに言っても全く参考にならなさそうだ。
「ピュリティはやっぱりショックを受けていたのか。それとも、何らかの魔術で認識が阻害されていたか?」
「……何を言っている?」
「お前さんが何を言っているんだ?」
鉄斗はボールペンを机に置いてアウローラを見上げる。すると、何かを察したらしいアウローラが無言でイラストを回収しようとして、
「知らなかったの? その女、絵の才能はからしきよ? 幼稚園児の方がまだましな絵を描けるわ」
「お前」
「ビシー?」
するりとリビングに姿を晒したのはビシーだった。彼女は敵意を強くするアウローラをあしらいながら対面席に座る。
「で? どこまで掴んだの?」
「お前には関係ない」
「あるわよ、アウローラ。彼女は私の新しいおもちゃだもの」
言い方こそ語弊があるものだったが、鉄斗には彼女が本気で君華を救おうと考えているように感じられた。でなければ、わざわざこの一大事に首を突っ込むはずがない。ようやく魔術世界の暗部から抜け出せたのに。
それがわかっているから、鉄斗は素直に感謝を述べられる。
「助かるよ、ビシー」
「素直なのはいいことよ、鉄斗。どこかの胸でか女にも見習ってほしいものだわ」
「胸の大きさは関係ないだろう」
「別にあなたのこと言ったつもりないんだけどなぁ。自分が巨乳だって思ってるんだ」
「お前!」
「二人とも、ステイ!」
言い争いになりかけた二人は、ピュリティの一喝で制止する。
「今は、君華!」
「わかったわよ」
「すまない、ピュリティ。わかっている」
二人ともピュリティには頭が上がらないらしい。彼女たちのおかげで、鉄斗もどうにか平常心を保ちながら情報整理に努められている。
もし一人であれば、一体どうなっていたかわからない。辛い時や惨めな時も、ひとりぼっちのようでいて、実は一人ではなかった。
両親が死んで荒れていた時も。ピュリティたちを救うべく奮闘していた時も。
いつも君華がいたのだ。
しかし今、君華の傍には誰もいない。
「ビシーは見落としがないか確認してくれ。アウローラは引き続き情報のアップデートを頼む」
「わかった」
「はいはい」
「う」
ピュリティが沈む眼差しで鉄斗を見つめる。彼女の気持ちも痛いほどわかる。
なので、すらすらと言葉が口を衝いていた。
「ピュリティは、そうだな。飲み物を用意してくれると助かる」
「ウィ!」
役目を与えられて無垢な少女の笑顔が弾ける。
この時ばかりは、誰もピュリティの言葉遣いを訂正しなかった。
※※※
孤独は慣れている。
単独での任務の遂行も。
しかし、任務内容には皮肉を感じずにはいられない。
「私に誘拐させるとはな」
他ならぬこの私に誘拐をさせるとは。
物思いに耽るフルプレートアーマーの騎士は自嘲気味に呟く。
適任は他にいたはずだ。奴らの信者は多い。
しかし白羽の矢が立ったのは自分だった。
戦闘力は折り紙付き、ということだろう。
実際に誘拐を成功させてもいる。
警察は混乱し事態の把握が遅れ、日本の古き守護者たちの目を眩ませた。
その上で狩人の影響を最小限に押し留め、調停局のエースエージェントであるクルミ・ヴァイオレットすら欺いた。
結果だけを見れば、十分に満足のいく成果だ。
しかし。
「因果応報か」
こうなる運命だった、と思うしかない。
それが世界なのだ。そのような世界を変えるために、自分は生きている。
「始めよう」
誰にでもなく呟いて、騎士は行動を開始する。
携帯端末を操作して、秘匿通信でメッセージを送信した。
赤上鉄斗に向けて。
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