第12話 大切な人のために

 沈黙が場を支配している。

 音声自体は存在する。点けっぱなしとなっているテレビから。

 アナウンサーは先日決着を迎えたテロリストによる日本人誘拐事件の顛末を読み上げている。


『……国際テログループリベリオンは壊滅を迎えたとのことです。誘拐された二人の少女の内、水鏡亜美さんは無事に保護され……』


 物音もまた健在だ。ナイフを砥石で磨く音色は聞く者の背筋を凍らせる音楽を奏でている。

 鉄斗も対抗して……というより手持無沙汰で拳銃の手入れをしているが、やはりこの状態が永遠と続いてもらっても困る。

 なので、氷のような眼差しでナイフを研ぐアウローラに声を掛けた。


「アウローラ」

「何だ、鉄斗」

「いや……他にすることないのか?」

「ない。お前こそ学校はどうした」

「俺は……筋金入りのサボり魔だ。アウローラはどうして……」


 学校に行かないのかというセリフを先読みしたアウローラが返答する。


「勉強が必要だと思うか? 私に」

「いいや全く……」


 再びの静寂。それもこれもクルミ義姉さんの手回しのせいだ。

 君華を連れて戻った後、クルミは謝罪を口にし、途中になっていた各種手続きを再開した。

 ピュリティ、アウローラ、ビシーの三名は調停局の保護下に置かれること。

 事情を考慮して、今までに行った仕事については不問とすること。

 アウローラには調停局の外部協力者として助力を要請すること。ビシーは当人の希望もあって保留とする。

 それらの重要項目を説明して、小難しい話し合いは終わった。

 と思いきや、最後の最後に爆弾発言をしていったのである。

 靴を履いて家を玄関口の取っ手を掴んだクルミは失念したとばかりあ、と声を出して、


「そうそう、ピュリティちゃん、明日から学校だからね。それじゃ」


 とだけ告げてお気楽に帰還してくださったのだ。手をひらひらと振りながら。

 その後続々と資料が届き、ピュリティ本人の希望もあって彼女は学校に行ったのだが、その時の慌てようと言えば散々なものだった。

 特に今は平然としているアウローラ。彼女はピュリティに人間は悪しき者だと教えて来たので当然だ。

 未だ、彼女は完全に人間を信用してはいないのだろう。自分も彼女の傍についていく、などと騒いで手の付けようがなかった。

 しかし彼女も今は納得している。特別措置として君華の(そして鉄斗の)クラスに試験的に転入させるとクルミから連絡があったからだ。

 いじめが起きたらどうするんだ、というアウローラの危惧もクルミの一言に一蹴された。


『なんで赤上家がここにあるかわかる? 豊かな人間が育つ土壌がこの土地にあるからよ。いじめは心が満たされず他者との共感性が低い人間が多い場合にしか起きないの。というかうん、堅苦しい理由はなしにしても、いじめ発生率が限りなく低いことは生徒たちの心理状態をスキャニングして調査済みなんだけどね。魔術って本当便利だわー』

「嫌味にしか聞こえないけどな」

『っていうか鉄斗も自分のクラスメイトたちを誇ったら? あの子たち、留年間近の鉄斗にさえ悪口を言わないできた子ばかりよ。普通だったら悪口の一つや二つ、悪い噂の三つや四つ、流れててもおかしくないんだけどね。流石お義姉ちゃんが選んだ土地。まぁ、別の噂は流れて……』

「わぁークルミちゃんストップ!」


 というなぜか焦った君華の制止にクルミは従い、あれよあれよという間に、この気まずい空間が構築された次第である。

 アウローラは真剣にナイフを研いでいる。ギィギィと身の毛がよだつ音楽を奏でる。鉄斗も拳銃を組み立てるが、いよいよこの沈黙シリーズに耐えきれなくなってきた。


「アウローラ」

「何だ」


 椅子から立ち上がった鉄斗をアウローラは不審に見上げる。


「……何かするか? ほら、ずっと戦ったり逃げたりで遊ぶ暇もなかったんだろ? 見たい映画とかあるなら」

「ない」


 レンタルしたり買ってもいいし、という後続語は霞に失せる。


「じゃあ、好きな遊び……ゲームとか」

「ない」


 あれば対応するよ、という気遣いも焼却される。


「どこか出かけたいところとか」

「日建高校へ案内しろ」

「いや、学校はダメだ。ピュリティに言われたろ」

「う……」


 言葉に詰まるピュリティのように呻いてアウローラは引き下がる。

 ピュリティが学校に行くと決まった時、アウローラが同行を申し出るのは必然だった。それを却下したのはクルミでも鉄斗でもなく、彼女が愛してやまない義妹だったのだ。


「義姉さんはついて来ないで」


 そのセリフを聞いた時のアウローラの動揺ぶりは凄まじいものであった。嫌われたと思い込んだアウローラは酷く怯えて恐怖の眼差しでピュリティを見たものだ。恐怖で頭がいっぱいになると歴戦の騎士でさえもたじたじとなるらしい。


「あ、う、違う、ノー、ノン、ナイン!」

「落ち着け。それぐらいのことでピュリティに嫌われるはずないだろ」


 もし嫌われるとすればとっくに嫌われていてもおかしくないのだから、とまでは言わなかった。

 しかしこの反応は以前まで取っていた彼女の行動指針とは矛盾している。が、鉄斗はいい傾向だと考えていた。好き好んで家族に嫌われたがる人間はいない。安全が確保された今、二人は姉妹の絆を深めるべきである。

 そのような理由があるので、アウローラの希望には添えない。とすれば結局、沈黙第三弾の訪れが約束されてしまうのだが、鉄斗の不安とは裏腹にそうはならなかった。


「では」


 ことん、とアウローラは砥石とナイフをテーブルに置く。


「少し付き合ってもらえないか……?」



 ※※※



 ぶあっくしょん、という大きなくしゃみは教室中に響き渡り、不覚にも注目を集めてしまう。

 赤面した君華は後ろ髪を掻いて事なきを得る。


「むむ……幼馴染レーダーに反応が……危険な香りが……」

「大丈夫、君華」

「うん、大丈夫だよピュリーちゃん」


 君華は隣の席のピュリティに微笑みかける。クルミの采配により学校へ転入する運びとなったピュリティは若干人見知りの気配を滲ませつつも、すぐにクラスに馴染んだ。

 昨日説明した通りの豊かな土壌と環境の他に……多少の暗示は施してあるらしい。その点を差し引いても、クラスメイトたちはいい子ばかりなので、今のところ問題は起きていない。ピュリティも生来の大人しさと、君華が教えた他人との適切なコミュニケーションの取り方を忠実に守っている。


(良かった……)


 君華は安堵しつつ、ピュリティとは逆の席を見る。そこも空席だった。

 鉄斗の席。魔術師としての特例のおかげか、まだ中退となるほど事態は深刻化していない。当人に至っては高校を卒業しなくてもいいとさえ考えているようである。魔術師と人間では社会に対する考え方が違う。魔術社会は完全な実力主義らしく、結果さえ伴えば過程はどうでもよいらしい。

 学歴もさほど重要視はされていない……とか。もっとも、学業は実力を身に着けるための方論なので結局高位な魔術師ほど勉強をよくしているらしいが。

 しかし鉄斗は諦めている。勉強しても才能が足を引っ張ると理解しているから。

 けれどもどこかでしがみ付いている。諦める諦めると口酸っぱく言いながら、魔術師として一流になることを諦められていないのだ。

 それはある意味、夢見がちな青年よりも酷だ。実現できるかわからない夢を追い続ける夢想家よりも。

 なぜなら鉄斗の未来は既に決まっている。少なくとも、魔力量に物を言わせて大成することは不可能だ。

 才能がない、無能野郎。鉄斗はいつもそう自身を卑下している。

 けれど、それは視方次第だと君華は常に思っている。

 鉄斗君はただ気付けていないだけ――ぼんやりと幼馴染に思いを馳せた君華は、


「え?」


 突然動いた椅子に目を白黒させる。そして、席に着いた鉄斗――ではなく、友達の凛々子が見せたはつらつな笑みに面食らった。


「おや、愛しい旦那に想い馳せちゃってるんですかいこの妻は」

「な、何言ってんの!」

「それはこっちのセリフなのだよ、キミカン。いっけないんだーいけないんだー、学生である以上貞淑に振る舞わらなければならない校内でピンク色の妄想をしたあげく、きっかりんとお世話しなくちゃいけない転校生をないがしっちゃうとかもーやだやだですよ」

「だ、誰がピンク……! というかピュリーちゃんのことをないがしろになんてしてないよ!」

「そーう? キミカン。ピュリティちゃん、なんか退屈そうなんだけど」

「え……?」


 君華が視線を送ると、確かにピュリティは退屈そうにシャーペンを弄んでいる。ピュリティは少々幼さが目立つ行動で誤解してしまいそうになるが、とても賢いのだ。勉強ができないのではなく、ため込んだ知識の使い方がわからないだけである。

 なので、今まで受けた授業も当然、知識としては蓄えられていて。


「量子力学とか、やらないの?」

「やらないよ!」

「うう……仮想アカシックレコードを用いたパラドックスの解析……」

「しないよ!」

「ぬぅ……動物言語学……ペンギンとの最適なコミュニケーションの取り方……」

「できないよ!」

「あははは、ピュリティちゃん本当面白い」


 凛々子は愉快そうに笑っている。君華としては少し心配になる。

 学校についていけなくなるのではなく、学校に来なくなってしまうのではないか、という意味で。

 もちろん、学校に来ることが正解だ、と断言するつもりはない。けれど、学校に来ないことで一人になって苦しんだりするのが良いことだとも思えない。

 そういう実例を一人知っているから。

 君華は鉄斗を孤独にさせないよう奮力してきた。

 孤独になっていいのは目標ができた時。やりたいことができた時。

 何もない状態で一人になってしまったらその人は、本当に何もなくなってしまう。

 だから君華は諦めない。少なくとも、鉄斗に何かができるまでは。

 彼が諦める代わりに、諦めない。

 思いつめる君華の気配を察したのかいないのか、凛々子が訊ねる。


「ピュリティちゃんは学校楽しい?」

「授業は……うん……ちょっと退屈。全部、わかってるから。でも……」


 ピュリティは賑やかな教室を見渡した。


「みんなといるのは楽しい」

「そっか。なら良かった」


 凛々子は君華にサボりが増えなくてよかったね、と小さな声で耳打ちした。こっそりと気を抜く君華だが、


「でもさぁ、この子、とっても可愛いよね」

「キュート?」

「うんうん、キュートキュート。ベリーキュートフルマックスでござるぞ」

「ピュリーちゃんはうん、可愛いよ」


 ピュリティの愛らしさは君華も認めるところだ。見た目も中身も可愛らしい。


「ってことはこれ浮気の危険性が上限突破してるよね」

「ぶっ」


 この手の話題の耐性が皆無な君華はあからさまな反応をしてしまう。きょとんとするピュリティに凛々子は悪魔めいた笑みで一言。


「幼馴染ってさぁ、その属性をゲッツしちゃった時点で敗北なのよね。これ、世界に根付いた絶対の法則だから」

「な、何言ってんの! 幼馴染は常に勝利と共にあるんだよ!」

「ノットフォーエバービクトリー。もはやこれは因果律の収束であり、神の力をもってしても変えられない神域すらをも超越した法則――」

「凛々子!」

「まーまー覚えておきたまえ、ピュリティ君。幼馴染は負け組ぞ」

「違うもん、違うもん! うぅ……違うよ……勝つよ……お、お嫁さんになるもん……」

「あちゃーからかいが過ぎたな。ジョークよ、ジョーク。キミカンの親友である私はこうやって厄払いしてあげてるんですのよ」


 凛々子が君華の慰めに入る。その様子を見ていたピュリティは、弄んでいたペンを持ち直し、幼馴染は負け組とノートに書き記した。



 ※※※



 アウローラはフード付きパーカーを目深に被り、ポケットに両手を突っ込んでいた。まるで不良だな、と鉄斗は思いながらも指摘しない。……指摘できる立場にない。

 街中を歩く中で当然、二人の少年少女は目立つが、必要以上に悪目立ちしないための護符を所持しているため、職務質問されるような事態にはならない。

 とは言え彼女は目つきが鋭すぎる。鋭利になり過ぎている。

 せっかくの美人が台無しである。なので、


「ちょっと肩の力抜いたらどうだ」

「お前はリラックスし過ぎている。いつ何が起こるかわからないのだぞ」

「安心しろ。確かに世の中には悪人が多い。けど全ての人間が悪というわけでもない。お前さんは悪い人間ばかりを見て来たから、すぐには信頼できないかもしれないけどさ。少なくとも、俺が傍についてる」

「お前より私の方が強い」

「知ってるよ。けれど、何もないよりはマシだろ?」

「……そう、だな」


 アウローラはフードを外した。麗しい顔立ちが露わとなる。


「その方がいいさ」

「無防備、だがな」

「たまにはそれもいいだろう。戦士にだって、いや戦士だからこそ休息は必要だ」

「そういう、ものか……」

「だから外に出て来たんだろ?」


 鉄斗が問いかけると、アウローラは気難しい顔を作る。


「そうとも言えるが、異なる……。買い物がしたかったんだ」

「買い物? 何だ?」

「女の子らしい物を。わかるか?」

「……俺に訊くか」


 鉄斗は腕を組んで眉を寄せた。アウローラは目を伏せる。


「嫌だと言うなら単独行動を」

「いや、買い物に付き合うのはやぶさかじゃない。ただお前さんの趣味がどういうものかわからないから」

「ああ、私のじゃない。ピュリティの物だ。どうも私のセンスは悪いようで、彼女が本当に求める物を理解できていない気がする」

「そりゃあ、理解はできてないだろうな」


 事実だとしても、オウム返しで指摘されるのは誰にとっても不愉快だ。不満そうに自分を見返すアウローラに、鉄斗は見落としている真実を伝える。


「だってピュリティはお前さんがいてくれればそれでいいんだ。別に特別なものじゃなくても、お前が買ってくれるならなんだって喜ぶさ」

「む……う、それは盲点だった」

「でも、気持ちはわからなくもない。例え何をあげても喜んでくれるとしても、どうせならいいものをプレゼントしたいよな」


 鉄斗は経験則を語った。何が欲しいか訊ねた時、あなたがくれるなら何でも嬉しいと言った幼馴染のことを。


「鉄斗?」

「協力するよ。とりあえず……些細なことでもいい。何かピュリティが喜びそうなものはあるか?」

「そうだな……」


 アウローラは顎に手を当てて考える。

 そこから、二人のプレゼント探しは始まった。

 とりあえずプレゼントになりそうな物を片っ端から見て回った。あまり人混みに慣れていない彼女をけん引し、鉄斗は店をはしごしていく。

 ジャンルも様々だった。本や映画ソフト、ゲームなど現代っ子が喜びそうなものから、洋服やアクセサリーなどの着用品、文房具や小物入れ、カバンなどの日用雑貨まで。

 しかしアウローラの中で決め手となるものはなかったらしく、ベンチに座って休憩を取っている。身体能力的な意味合いでは疲労など感じる余地もないはずだが、不慣れな環境に長時間身を晒した弊害だろう、心なしか気疲れしているようにも見える。


「ふぅ……」


 アンニュイなため息を吐く。そんな様子を見かねた鉄斗は手近な店に立ち寄り、クレープを購入して戻ってきた。


「何だ、これは」

「クレープだ」

「食物か?」

「それ以外の何に見える?」

「それもそうだな」


 相槌を打って、一口頬張る。すると、目の色が変わって無我夢中に食べ始めた。どれだけ刃物として研ぎ澄まされていても、その中身は人間であり女の子だ。美味しい物を食べれば目の色も変わる。

 血は繋がっていないとはいえ、姉妹揃って甘いものが好きなようだ。

 ある程度食べ進めると、横顔を観察していた鉄斗に気付き、アウローラは訝しむ。


「何だ。おかしいか? 私も美味と感じたりもする」

「いや、普通だよ。俺は普通の女の子が普通に好きな物を食べるのを眺めていただけだ」

「ふん……私一人で食すのもなんだ。君も食べるがいい」


 と言って彼女は躊躇いなく、また恥じらうことなく食べかけのクレープを差し出す。


「おいおい、食べかけだろ」

「不満か?」

「いや、別にそういうわけじゃない。友達同士で一つの食い物を分け合うことに抵抗はない」

「となると……私とお前は、交友関係にはない、ということか? 赤の他人であると」


 アウローラは表情こそ変わらないが明らかに落ち込んでいる。鉄斗は苦笑する他ない。


「飛躍し過ぎだ。そうもいっていない。俺とお前は男と女だろう?」

「クルミのようなことを言うのだな」

「まぁ、この状況ではクルミ姉さんの言葉が適用される。恋愛関係でもない男女が食いかけの食べ物を共有するのはあまり好ましくないだろう」

「……どういう意味だ。もっとわかりやすく説明してくれ」

「あー、つまりだな、間接キスになるだろう」

「ふむ、それは確かに色恋の分野だな。諸外国では、挨拶代わりのキスはさして珍しい慣習でもないが――」


 アウローラはちらり、と鉄斗の方を見る。


「ここは日本だ。ピュリティにフォーマットを厳守させている以上、私が理を破るわけにはいかない。忠告感謝する、鉄斗」

「わかってくれて何よりだ」

「……それに、私に対する気遣いも好ましい。君は徹底的に私を一人の人間として認め、配慮してくれた。君のそういうところが好きだ、鉄斗」

「それは、どうも」


 不覚にも鼓動を高らせながらも、クレープを食すアウローラを見守る。完全なる不意打ちであった。無自覚とは言え、いきなり好きと言われて惑わない男子はいない。

 鉄斗は己に情けなさと恥ずかしさが混ざる不可思議な感覚を奥へと押しやり、瞬く間に平らげられつつあるクレープとその実行人であるアウローラを眺める。

 不意に想起されるのは、アウローラに対して目覚めた未知なる感情――などではなく、デジャブだ。

 既視感。同じように無我夢中でクレープを頬張る女の子。


「そうか……これがあった」

「鉄斗?」


 アウローラは不思議そうに鉄斗を見つめる。義妹がそうであったのと同じように頬にクリームを点けながら。

 鉄斗は笑みを漏らしながらハンカチを差し出す。


「クリームが頬についてる」

「む、なんたる不覚……それで、何かわかったのか?」

「食べ物だよ」

「食べ物……そうか」


 アウローラも察したようで、ハンカチを返却して立ち上がる。


「そうと決まれば早速、何か美味しそうな物を」

「待て、それじゃあ特別感が足りない。そうだろう?」

「特別感?」


 不敵に笑いながらも心境では同意している。矛盾を抱えたまま鉄斗は続けた。


「そこいらで買った食べ物も確かに美味しいさ。特別な日にはケーキだとか赤飯だとか……そういうめでたい食べ物が必要不可欠だ。でも、お前さんはピュリティに心の底から喜んでもらいたい。そうだろう?」

「それは、そうだが……」

「だったら自分で作るべきだ。きっとその方がピュリティは喜んでくれる」

「そうは言っても……私に料理の心得はないぞ」

「いいや、当てならある。強力な助っ人がな」


 何せ、この提案もその人の受け売りなのだから。

 もしその経験がなければ鉄斗は今頃アウローラとケーキ辺りを買いに向かっていただろう。


(全く……幼馴染の世話焼きぶりがここにきて破竹の勢いで役立ってる)


 しかし微塵も悪い気はしない――。鉄斗はアウローラをリードし始める。


「さて、お前さんは何が食べたい? きっとアウローラが食べたい物が、ピュリティの食べたい物だ」



 ※※※



「激動の一日だった……」

「タイアード? 君華」

「ピュリティちゃん」

「あぅ……疲れた?」

「うん、ちょっとね」


 ピュリティの癖を注意しながら、君華は歩調をピュリティに合わせる。

 今は二人で下校中だった。ピュリティの初登校はこれにて終了……いいや。


「お家に帰るまでが学校だからね、ピュリティちゃん」

「うん」


 ピュリティは頷いて、君華の隣をとことこ歩く。

 その姿は本当に愛らしい。君華は個人的に、妹ができた気分でいる。

 誰かの世話をするのが大好きな君華にとって、妹が増えるのはウェルカムだ。しかもこんなに可愛らしく、また素直な子であるならば当然のこと。

 激動だったのは否定しようがない。疲れたことも本当だ。でも、その疲労感が心地よい。これこそが人生の醍醐味、と豪語してしまうぐらいには。


「ふふ……」

「君華?」

「ピュリティちゃん、私のことも新しいお姉ちゃんだと思っていいからね」

「ノン、ノン。私の義姉さんはアウローラだけ……でも」


 ピュリティは小さく笑う。


「君華はともだち」

「うん、それでいいか。その方がいいよね」


 義姉の提案を拒否されても悲しむどころか嬉しくなってしまう。本当にピュリティちゃんは可愛い。凛々子が告げたように、君華にとって障壁になる恐れがあるとしても、そんなことは度外視してしまうほどに可愛い。

 君華が密かにピュリティの愛らしさを愛でていると、突然スマートフォンが鳴り響く。画面を見ると、鉄斗からメールが来ていた。

 少しだけ、心臓が唸る。有り得ないと知りつつも、期待をしてしまう。


(そろそろ慣れてもいいような……悪いような)


 複雑な乙女心を抱きつつ開封すると、


「えっ!」

「君華?」


 そこに記されていたのは衝撃的な文章だった。

 アウローラと買い物に出かけた。

 その一文は君華の中をぐるぐると渦巻き嵐となり、心の海を荒らしまくっている。穏やかな平穏は崩れ去り、豪雨やら雷やら、挙句の果てにはひょうやら雪やら。まさに天変地異の如く、恋する少女の心をずたずたに引き裂き――。


(ん、ピュリティちゃんへの……お詫び?)


 全文を読み終えたことで、収束する。ほぅふぅ、という盛大な安堵の息を漏らして、次の瞬間にはやる気が漲っている。


「どうしたの?」

「あ、ううん、何でもないよ。ちょっと仕事ができただけ」

「お仕事?」

「うんうん、大事な大事なお仕事だよ」


 誤魔化しながら、既に頭は回転している。狂いかけた歯車は正常に戻り、さらには生来持ち合わせた世話焼き根性による支援もあって、通常以上の効力を発揮しつつある。既にレシピは頭の中で精製済み。最高のおもてなしを行える。


「よーし、帰るよ!」

「……うん?」


 困惑するピュリティの手を取ると、駆け足で帰り始めた。



 ※※※


 

 ビルの屋上では風が吹き荒れている。しかし、強風が吹こうとも男が揺らぐことはない。

 予定変更の知らせは唐突に届いた。無論、計画は変異するのは当然だと承知している。しかしその命令が奇天烈ではあった。


「注意を引け、か」


 独りごち、頭部から脚部に至るまで甲冑を身に纏う騎士はヘルムの内側から下方を見下ろした。

 何の変哲もない街。何の憚りもなく過ぎる時。

 しかし騎士からは色褪せて見える。以前なら見えていた美麗な色素が見つけられない。

 そもそも自分は同じ世界にいたのだろうか。実は別の世界に、知らず内に迷い込んでしまったのではないか。

 そう錯覚してしまうほどに、世界には異変が起きていた。

 しかし男は知っている。この世界は同じ。同一のものだ。

 だからこそ……約束は果たされなければならない。


「目立たず、しかし、派手に動く」


 矛盾した命令だが、その意図は理解できる。

 子細はわからないが、必要なことなのだ。そして必要であるならば、動く理由に不足はない。

 騎士は右手に持つランスを持ち上げる。

 下部には少女が二人並んでいる。


「では、最小限の派手さを実行に移すとしよう」


 そして、ランスに魔力を注ぎ込んだ。ランスの先端が展開し、露わとなった砲身から目的を果たすにふさわしい威力の砲撃が放たれる。

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