悲劇の少女と騎士の誓約

第11話 幼き日の約束

 その子は希望だった。

 全てを失った男にとって。

 彼女を守ることが全てだった。

 彼女の成長を見届けることが使命だった。

 弱弱しく蹲る彼女を、仲間たちの死体の中で見つけた時から。


「同胞たちよ。その死は無駄にしない」


 誓いを立てる。騎士の誓いを。

 そうして、怯える彼女を拾い上げた。


 ――その彼女は今、無残な姿で死んでいる。

 高校の制服はところどころに破け、身体には無数の傷が刻まれている。

 年相応の元気の良さも、惨劇を生き延びたゆえに会得した優しさもない。

 見る影もないとはまさにこのことだ。

 解せなかった。わからなかった。理解が及ばなかった。

 なぜ未だ世界はこんなにも幼稚なのか?

 他者を慈しみ、弱きを救い、命を尊ぶはずの大人は愚かなのか?

 騎士は少女の骸を抱えて立ち尽くす。

 泣き叫ぶことはない。怒りに狂うこともない。

 ただ一つの誓いを立てた。

 雨が降り注いで全身を覆う甲冑を鳴らす。

 初めて少女を抱えた時と同じように骸を持ち上げた。

 



 ※※※



 今日は久しぶりに学校を休んでいた。

 無断欠席ではなく、正式な理由による欠席で。

 鉄斗は自宅の居間でくつろいでいる。

 準備は万全だった。対策は完璧だった。

 アウローラにはどうにかして鎧から私服に着替えてもらったし、ピュリティもまた義姉とおそろいの服を着て上機嫌でいる。


「面倒になりそうなものは全てしまった。部屋も片付けた」


 口頭確認しながら、その時を待ち続けている。アウローラは能面のような表情でソファーに座り、ピュリティは義姉の隣で足をぶらぶらさせながらテレビを眺めていた。

 ふぅ、と一息を吐く。今のところ問題は発見できない。

 安堵している鉄斗に、まるで戦闘中かのように険しい顔色でアウローラが声を掛けた。


「鉄斗」

「何だ?」

「いつ、仲介役は来るんだ?」

「そろそろ来ると思うぞ」

「それは先程聞いた。で、いつだ?」

「正確な時刻はわからないよ。あの人、気まぐれだから」


 朝に来ると言って夜に来たり、夜に行くと言えば朝に来る。

 時間にルーズなのも大概にしろと言いたいが、よくも悪くも唯一の親類である。それに、鉄斗が様々な面倒事に巻き込まれないのは彼女のおかげだ。

 だから、鉄斗は文句が浮かばない。慣れっこになっているということもある。

 ゆえに、文句が向かう対象はアウローラだけだ。


「とりあえず、その怖い顔を止めてくれ。敵とやり合うわけでもないんだし」

「シスター、ノーホラーフェイス」

「これが怖い顔じゃなければ何なんだよ」


 殺気こそ纏ってないため平然としていられるが、何も知らない一般人が見ればその静かな覇気にやられて逃げ出すだろう。端正な顔がむしろ殺人兵器のような雰囲気を作り上げてしまっている。

 だが、ピュリティは意味がわからないという風に、


「ノーマル」

「何?」

「普通。義姉さん、いつもこんな顔」

「マジで?」


 鉄斗は改めてアウローラを見る。が、彼女はさっぱり気にした様子はない。


「でも別に笑えないわけじゃないだろ? だからせめて」

「お前のオーダーに従い、普段の表情をしているまでだ。不満があるのか?」


 鋭い視線で鉄斗の言葉を跳ね返す。鉄斗は苦り切ることしかできない。


「……昔はもっと笑ってた。それは本当」


 ピュリティは懐かしむように柔らかい顔を作る。

 そして急に気分を沈ませた。


「私の、せい。きっと」

「――っ! そ、そんなことはない!」


 アウローラは焦って無理矢理笑顔を作るが、表情筋が引きつっている。

 作り物の笑顔を見てもピュリティの表情は晴れるどころか曇天だ。


「やっぱり私の――」

「くっ、何とかしろ、鉄斗!」

「いやそれ無茶ぶりだろ。自然に笑えばいいんだ、自然に」

「などと言われても……笑い方など、忘れてしまった……。お前が言わんとしていることはなんとなくわかる。だが、私は普通など知らないし、笑顔の出し方もわからない」


 落ち込むアウローラは友達と上手く話せないと悩む年頃の少女のようで。

 強面とのギャップに笑ってしまう。不機嫌そうにアウローラは鼻を鳴らした。


「性格に難があるようだな、鉄斗」

「別に嘲笑ったつもりはない。ただ少しおかしかっただけだ。気分を害したなら謝るよ」


 アウローラはムスッとしてそっぽを向いた。笑い方は忘れてしまったようだが、機嫌のバロメーターは正常に機能しているらしい。鉄斗は心の底でほっとする。もちろん、口にはとても出せないが。

 しばし静寂が場を包み、居た堪れなくなってきたが、不意にインターフォンが鳴り響いて鉄斗は玄関へと向かう。

 息を整えて、扉を開ける。そして、


「やっほー今日は正式に学校を休んだサボり魔君に、ノートを写させてあげに来たよー!」

「君華か、何しに来た」


 決めた覚悟が割れたガラスのように打ち砕かれてため息を吐く。


「来たのか?」

「いいや、違う。君華だ。今日は来るなって行っただろ……」


 アウローラがリビングから出張ってきたが、鉄斗は彼女を押し戻す。しかし彼女はむ? と疑問符を述べて首を傾げた。義姉の後ろをついて来たピュリティも気恥ずかしいようにアウローラの背中へと引っ込む。


「とにかく戻ろう。君華も入れ」

「ありがとう鉄斗君」

「今日はやけにしおらしいな?」


 いつもは無断で侵入し部屋の掃除や料理を勝手に行うというのに。


「ほら、親しき仲にも礼儀あり、でしょ? たまには感謝の気持ちを伝えないと。鉄斗君も私に感謝してくれていいんだよ? むしろ感謝するべきなんだよ?」

「はいはいありがとうありがとう」


 適当にあしらう――無論、感謝の気持ちは常に抱いている。鉄斗を絶望の淵から救い上げたのはこの幼馴染であり、感謝してもし切れない。けれど、やはり恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。こういうことは理屈では成立しないだろう。

 そんな鉄斗の様子を見て、君華はふーん、と非難するような眼差しを注ぐ。


「そんなテキトーに言っちゃうんだ?」

「急にどうしたんだ。いつもは頼んでないことも勝手にするくせに」

「いやいや、何でもないよ?」


 元々感情表現は豊かな方だが、今日の君華は変化がスムーズだ。鉄斗は不思議に思いながらも君華を招き入れソファーに座ろうとしたが、


「ん? コーヒー、飲まないのか?」


 君華も同じようにソファーに着席したので疑問視する。いつもは勝手に彼女がコーヒーを淹れていた。何度か自分でやろうとしたが、君華曰く私がやりたいからやってるらしいので最近は彼女に任せっぱなしだ。

 しかし君華はにこにこしながら言う。


「久しぶりに自分で淹れてみない? 鉄斗君。健気な幼馴染へのごほうびでさ」

「いいけど……」


 了承しながらも疑念を禁じ得ない。不可思議に思いながら砂糖とミルクを過剰投与し、コーヒー本来の風味を余すところなく消し飛ばした茶色を通り越して白色に近い液体をカップに構築。

 テーブルへ置く。と、意外なことに君華は目を見開いて、


「え? なにこれ」

「何ってお前さんが好きなよくわからない液体だろ」


 これをコーヒーと形容するのはいささか抵抗があった。どう見たってミルクだ。カフェオレだってまだコーヒーしているのに、この君華スペシャルは確実にコーヒーを引退している。だが、彼女にとってはこれがコーヒーらしい。鉄斗と君華では、コーヒーの概念に隔たりがあるようだ。

 しかし、そんな独特飲料が大好きなはずの君華はおぞましいものを見るかのように眉を顰めている。


「……いじめかな?」

「配分間違ったか? コーヒーの粒を入れ過ぎた?」

「いやいや逆でしょう逆」

「いやそれは俺のセリフだろ。いつも思ってるよ」

「いつもこんな嫌がらせを?」

「はぁ? これはお前が好んで――待て」


 鉄斗は息を呑んで硬直する。視線は壁時計へと注がれている。

 時計自体は問題なく機能している。だからこそ、異常だった。

 時刻は二時。そう、二時である。健全な高校生ならまだ授業中の時間帯だ。

 そして、君華は余程のことがない限り欠席や早退をしない。絵に描いたような優等生。学業を疎かにしない鉄斗とは真逆の秀才。

 つまり、ここにいる君華は――。


「遅いねえ、遅いよ、遅すぎ。そこの姉妹は最初の時点で気付いてたのに」

「くそ……やられた」


 鉄斗はゆっくりと後ずさる。君華はゆっくりと立ち上がり、微笑みを湛えたまま鉄斗に詰め寄っていく。

 一歩踏みしめるごとに身体――全身を覆う幻術――が揺らぎ、本当の姿が露わとなっていく。古風なとんがりハット、黒色のローブ。長い金髪と光り輝く碧眼。それでいて顔立ちは日本人の二十代前半。その人物には大いに心当たりがあった。


「おばさ――」

「んー聞き捨てならないこと言ったかな?」


 俊敏な動きで杖が喉元に突きつけられ、鉄斗は引きつった笑顔で言い直した。


「お、お姉さん……」

「よろしい」


 おばさん改めお姉さんは杖を取り出した時と同じように虚空の中へ消失させる。そして、意気揚々と二人に向き直った。


「初めまして。私はクルミ・ヴァイオレット。長ったらしいミドルネームがあるけど割愛するね。知っての通り鉄斗の親戚で、調停局戦乱予防監督官。よろしくね」


 にこやかな笑顔で、元気よく挨拶を交わす。

 鉄斗は勘弁してくれとばかりに項垂れた。



 後見人であるクルミは幼い頃に両親を亡くした鉄斗の唯一の親類と言っていい。正確には形式上の親戚はたくさんいる……らしいのだが、鉄斗は会ったことがないし会うつもりもなかった。

 全ては複雑な家族関係にある。魔術師特有の。


「さってと。さくっと自己紹介しちゃおうか。とりあえず二人の名前を聞かせて」

「既にプロフィールは伺っていると思いますが」

「うん、聞いた。でも、直接聞きたいの」


 クルミはテーブルに肘を乗せ両頬を握り拳で支えている。

 アウローラが確かめるように鉄斗へ視線を投げ、鉄斗は手を翻して先を促した。


「私はアウローラ・スティレット。グルヴェイグに所属していた魔女兵器ですが、出自は魔術騎士団で」

「歴代最高の騎士と謳われたシグルー・スティレットの一人娘、なんだよね。曲者揃いの魔術騎士団の結束を最も強固にした誇り高き騎士。知ってるよ。すごいよねぇ。魔術騎士団なんて妥協の末に名付けられた呼称を、名誉あるものへと変えちゃったぐらいだし。まぁ、だからこそ……いや、やめとこ」

「義姉さんのパパ、すごい人だったの?」


 ピュリティが興味津々に訊く。アウローラが説明しようとしたが、クルミが遮った。


「そうそう。あなたはあまり知識がないからわからないだろうけど、魔術騎士団ってのは本来、魔術騎士の寄せ集めだったの。ほら、一口に魔術騎士って言ってもたくさん流派があるでしょう? ルーン魔術や錬金術、神話再現、白魔術黒魔術現代魔術……陰陽術まで……まぁこれは騎士じゃなくて武士だけど――とにかく、本当ならそこまで仲がよくなかったりした人を、纏め上げて、連携を強固にした人なの」

「すごいの?」

「すごいよ」

「そうなんだ……」


 クルミの説明を受けてピュリティはまるで自分のことのように喜んでいる。

 が、反してアウローラは不機嫌だった。先程鉄斗に気を悪くした時と同じくむすっとしている。

 恐らく自分がするはずだった説明をクルミに奪われて不服なのだろう。そんなアウローラの様子を見てクルミはにまにましている。


「あらあら、そんな顔もできるのね?」

「私と義妹の保護を申請するための話をしていると思っていたのですが」

「私もその気よ? そうせかせかしないで」


 クルミはペースを保ち続ける。叔母の悪い癖が出ている、と鉄斗は強く思うが援護する気にはならない。極力かかわりたくないと言うのが本音だ。

 どうせこれが終わったら今度はこっちが説教の番だろう……鉄斗はうんざりしながら様子を見守る。


「さてお姉さんの次は妹さんね。まぁ、彼女は初対面じゃないんだけど」

「うう?」


 訝しむピュリティにクルミは奇怪な言動を放った。


「みゃみゃおう」

「むっ、みゃうみゅうみゃ」

「ピュリー」

「うっ……ごめんなさい」


 アウローラに窘められて項垂れる。

 今のは不憫だと鉄斗は思ったが、不干渉を決め込む。


「ごめんごめん。怒らないであげて。ネコで道案内してあげたの。これでも幻術や変身は得意だから」

「あの時のミステリアスキャット……」

「きっといい方向に働くと思ったからね。でしょ? 鉄斗」

「腹に杭が突き刺さったけどな? 毒入りの」

「それが?」

「いや全く貴重な体験でしたとも」


 死に掛けた程度で文句を言っていたら魔術師は務まらない。それに結果、アウローラとピュリティ、ビシーまでも救えたので文句の言いようがなかった。あそこでピュリティが来なければ少なくとも自分は死んでいたのだから。


「さ、幼馴染が偽物かも気付かない薄情者は置いといて、自己紹介をお願い」

「あ、う……私は、ピュリティ。……それだけ……」


 ピュリティが俯く。彼女は他人に語れるほどの情報が、経験が不足している。アウローラも申し訳なさそうな顔を作ったが、クルミは全く気にした様子がなかった。


「勘違いしてるわね、ピュリーちゃん。あなたはそれだけじゃないわ」

「う?」

「美人でカッコいいお姉ちゃんと、自分を育ててくれた博士がいるでしょ?」

「う、うん、いる、いる!」

「じゃあお友達は?」

「鉄斗! それと、君華! ビシーは……まだよくわからないけど……」

「すごいわね、鉄斗よりも友達多いんじゃない?」


 厭味ったらしく鉄斗の方を見てくるが、鉄斗の反論は許されない。それに、親族への配慮の少なさは別として、クルミの手腕は素晴らしい。ピュリティは活き活きとして話を弾ませている。何もないと思い込んでいた彼女に、数は少ないが確実にそこにあるものを気付かせている。

 心なしか母親に似ている。血は繋がっていないが、それでも彼女は母親の義妹なのだ。


「さて、自己紹介は終わり。本題に入りましょう。ピュリティも一応聞いておいて。少し難しい話だけど」


 アウローラは姿勢を正し、ピュリティもこくこく頷いている。一瞬で人見知りのピュリティの信頼を獲得するという技術には脱帽する他ない。


「今はね、二人とも、すごく危険な状態なの。この家に住んでいるとピンと来ないかもしれないけど、あなたたちは魔術師と人間、そのどちらからも狙われている。魔術の才能を持つ若い少女騎士と……何か不思議な力を持った特殊な少女。……女の子っていうのはね、危険なのよ。特に、才能のある魔術少女は」


 クルミの表情が陰る。アウローラの表情も厳しい。

 鉄斗とは無縁の話だ。才能の無い者にはわからない話。だが、鉄斗は首を突っ込むと決めた。クルミは続ける。


「ピュリーちゃんは実感が湧かないかもしれないから、とにかく危ないということは覚えておいて」

「うん」

「それで、具体的にはどのような措置を?」

「鉄斗から概要は聞いてると思うけど……よっと」


 クルミはテーブルの上にスクロールを投影した。現代用に改良された呪文がしたためられている。その術式には見覚えがあった。


「これは……」

「何?」

「簡単に言えば発信機だよ」


 鉄斗が口を挟むとその通り、とクルミは同意した。


「これが現状では限界ね。このスクロールで私はあなたと契約する。と言ってもそこまで強力な術式は使えないから、常時居場所を特定するようなものではなく、危機的状況に陥った時に発動する警報用。単純な探知魔術なんかよりも強固だから、すぐに駆け付けることができるわ。本当ならいろいろ術式を備え付けたいけれど……」

「敵に利用される恐れがある。わかっています」


 アウローラは魔術式に不審な点がないか目を走らせている。


「ざっくり言うと、これからあなたたちは調停局の保護下に入るの。全世界……魔術同盟と人間世界――にその事実を伝えます。つまり、もしあなたたちに害を成せば調停局がぶち切れますよってことをみんなに伝えるわけ。今まではそんなことしてもあまり効力はなかったけど……グルヴェイグがどこかの誰かさんに壊滅させられた今じゃあそんなことをするお馬鹿さんは少ないでしょうね」


 クルミがウインクする。鉄斗はまたため息を吐いた。


「しかし、やはり私は調停局を完全に信頼することができない」


 アウローラが深刻な表情で告げる。その反応は当然だ。調停局が信用ならないからこそアウローラはピュリティを連れて逃亡したのだから。

 それを見越していたクルミはもちろん、と口添える。


「だから、この簡易術式を使うの。重っ苦しい制限マシマシの複雑でギアスな感じの呪いじゃ受け入れてくれないでしょ? でもこれくらい簡易なものなら、大丈夫。そうじゃない?」

「……しかし組織ぐるみで動くとなるとやはりどこかから……」

「だから、組織ぐるみではないわよ?」

「今、なんと?」

「組織ぐるみじゃないと言ったの。これは私の専任。もちろん上に報告はするけど、大雑把な部分だけ。それが赦されちゃうぐらいに私は偉いんだなぁ、こう見えても」


 にかっと白い歯をみせるクルミだが、アウローラは珍しく慄いている。


「あなたの実力は……全てではないが聞き及んでいます。しかし」

「ふふ、一般的な魔術師であれば正気の沙汰とは思えないかもね。でも、このクルミ・ヴァイオレットなら別。何せ魔術の才能があるからってだけでヴァイオレット家に誘拐されちゃったぐらいだし? そこで義姉さんに会えたから結果オーライなんだけどさ」

「そうなのか……」


 同情しながらもアウローラはさほど驚いていない。この程度の悲劇は魔術界隈では普通だ。才能のある孤児を攫い、調教し、スペアとする。クルミほどの実力者も結局は姉である鉄斗の母親のスペアとしてヴァイオレット家に招かれたのだ。

 その結果、体質はヴァイオレット家のものへと変質している。


「それにね、あなたもいるし」

「私、ですか」

「あなたにはね、調停局の一員として協力してもらいたいの」

「……私を利用する気、ですか」

「そうよ」

「クルミ姉さん!」


 鉄斗はぎょっとして名前を呼ぶ。アウローラを調停局員として招き入れるという話は事前に聞いていたし、その理由も鉄斗は納得している。だが、そんな言い方をすればアウローラの反発を招きかねない。

 危惧する鉄斗だが、クルミはアウローラの瞳をじっと見つめている。アウローラもまた彼女の瞳を真剣に射ていた。

 そして……根負けしたように視線を外す。


「その方がより濃度の高いバックアップが可能だから。そうでしょう?」

「頭が良くて助かるわ。どこかの甥っ子とは大違いね?」

「どうして上手くいった?」

「時にはね、事実だけを伝える方がいいのよ。言い訳は後回しにしてね」


 特に彼女みたいに他人を信頼していない場合は。そうクルミは語る。


「私とてバカではない、鉄斗。一人では無理だと悟っている。それに、お前の親族なら信用できるからな」

「信頼してもらってるわねぇ、鉄斗。これは君ちゃんピンチかも」

「どうして君華が出てくるんだ?」

「どうしてだろうねぇ」


 クルミの意味不明さに鉄斗は息を吐き洩らすしかない。


「だってアウリちゃんって鉄斗と同い年でしょう?」

「そのようですね」


 アウローラはさして興味がなさそうな反応を示した。


「あちゃあ思った以上にドライだね」

「これでドライ、とは? 別に彼がいくつでも関係ないでしょう」

「いや大いにあると思うんだけど……年頃の男女よ?」


 クルミはちらっと鉄斗の様子を窺う。しかしこちらもいつものクオリティだった。


「男と女がいるからって必然恋愛しなければならないという話でもないだろ」

「あれ、お姉さん二人のことちょっと心配になってきたよ?」

「クルミは色恋の話をしていたのか? 鉄斗」

「俺はそうだと思ったが、違ったか?」

「私はさっぱりわからない」

「色ボケした人みたいに言うのやめてよーサキュバスめいてるみたいじゃない」


 異界に封じられたとされる悪魔を引用しながらクルミはショックを受けたように呟く。君華ちゃんも大変だあとメル友の名前を口ずさんで、


「そりゃあ幼馴染が偽物でも気付かないわけだ。非情だね鉄斗は」

「あれはクルミ姉さんの幻術が高度過ぎたせいだろ」

「いやいや、初歩の初歩よ。例え姿を見抜けなくとも、違和感で気付けるでしょ。あれほどいっしょにいるのにさ。これって鉄斗が君ちゃんに全く興味を持ってないって証拠でしょ? あれほど甲斐甲斐しい幼馴染を」

「そういうわけじゃないけど」


 しかし発覚が遅かったのは事実だ。心の底で申し訳ないとは思っている。


「君ちゃん知ったら悲しむだろうね」

「たぶん大丈夫だろ。君華は俺が無能だって知ってるし」

「どうかな。鉄斗の本当の価値をちゃんと理解しているのは、君ちゃんだけだと思うけど」

「だとしたら、あいつは誤解しているだけだ。俺は相も変わらず無能だよ」


 鉄斗が肩を竦める。また肩竦めてる、と甥の癖をクルミは嘆き、しかし追及することはしなかった。


「本当に生まれ変わりみたい。あの人の」

「そりゃあ親父が呪いをかけたからな。俺に」

「ふぅー。困っちゃうねぇ。そう思わない? アウリちゃん」

「どこが困っているのか私は理解しかねますが」

「……あー、いいや。はぁ、どうしよう」


 クルミが珍しく思い悩む。鉄斗は手持無沙汰となり、とりあえずコーヒーカップを下げることにした。

 カップを持って台所に向かう――と。


「あ……」

「君華……?」


 台所で座り込んでいた君華と目が合った。慌てて時計を確認するともう四時近く。世話好きの君華が忍び込んできてもおかしくない時間帯ではあった。

 別にそのこと自体は問題ではない。赤上家の日常だ。目下の問題は、他にある。その他の問題について鉄斗は杞憂であればよいと考えていたが、君華は慌てて眼尻を拭っていた。


「ご、ごめんね。難しいお話してたみたいだから、邪魔しちゃ悪いんじゃないかと思って。あ、だからね、盗み聞きしてたわけでもなくて」

「君華……」


 鉄斗はクルミへと視線を移す。が、困ったようにクルミは首を横に振る。きっとその意図はなかったのだろう。だから咄嗟にフォローしようとしたのだ。

 なのに鉄斗は気恥ずかしさのせいで誤解を招く発言をしてしまった。

 しかし君華は我慢強い性格だ。そしてとても優しい。ごく一部の例外を除いて、彼女が鉄斗を叱るのは鉄斗を想ってのことだ。

 そんな彼女は気丈な顔で、平然とした振る舞いをしている。


「あ、アウローラさんとピュリーちゃんも、ごめんね。聞いちゃって」

「問題はない」

「ミートゥ……うう、同様に」


 ピュリティはフォーマットを日本語へ修正しながら返答。アウローラもさして気にした様子はない。


「良かった、うん。それだけ。クルミちゃん、久しぶり。け、けど、あの、私……とした、ことが、うっかりしちゃって、そううっかり……だから」

「君華」

「帰るね、ごめんね……」

「ま、待――君華!」


 君華は鉄斗の制止を無視して裏口から出て行ってしまう。本当なら糾弾の一つも出てもおかしくない。いつも世話していた人間を見抜けなかったばかりか、本人がいないのをいいことに好き勝手言っていたのだから。

 しかし君華は何一つ文句を言わなかった。きっと誰に対しても悪感情を抱いてないはずだ。


「やっちまった」

「ごめん、鉄斗」


 クルミが謝罪するが、鉄斗は彼女が悪いとは考えなかった。


「いや、これは俺が悪い」


 そもそもクルミが変身していなければ、などと責めることは簡単だが、それは間接的要因に責任を転嫁しているだけだ。


「悪いけど少し出てくるよ」

「うん。後はやっておく。頼んだよ」


 外に出た鉄斗は自然と動く身に任せて君華の捜索を開始する。いや、これは捜索というよりも単純に彼女が向かった場所へ移動しているだけだ。

 目的地にはすぐ着いた。馴染みの公園の木の下。そこで君華は両膝に顔を埋めている。


「君華」

「鉄斗君……? どうして」


 顔を上げた君華は涙を手で拭う。鉄斗はポケットからハンカチを取り出した。


「ほら」

「ありがとう。でも……」

「悪かった。あれは本心じゃない。それに、変身を見抜けなかったこともすまなかった」

「な、何で謝るの。鉄斗君は何も悪くないよ。そ、それにクルミちゃんも。私がただ面倒くさい性格なだけで」

「自分を卑下するのはいけないことなんじゃなかったか?」


 鉄斗は君華の隣に座りにやりとする。懐かしい幼馴染語録だ。

 ここにはたくさんの思い出が詰まっている。目を閉じれば数々のエピソードが思い浮かぶ。

 主に鉄斗を励ます君華の姿が。不貞腐れた幼馴染を元気づける面倒見の良い女の子。


「でも、やっぱり悪いのは私――」

「じゃあ俺が謝りたかったから謝ったってことにしといてくれ」

「あ……うん、そうだね」


 君華も昔を思い出したようで納得してくれる。柔らかい笑顔が再点灯する。


「なんか、久しぶりって気がするね。こうして、二人で」

「ま、高校生になってからはわざわざ公園で身を寄せ合う必要もなくなったわけだしな。それに、変な誤解もされるし。嫌だろ?」

「べ、別に嫌じゃ、ないけど……」

「無理すんなよ」

「無理してないのに……」


 というかクラスでは半ば公認みたいな感じに――と君華はぶつぶつ呟いているが、鉄斗の脳裏をよぎるのは幼い頃に交わした数々の約束事だ。

 やはり一番印象に残っているのはあの約束だろう。思わず笑みがこぼれた。


「何笑ってるの、鉄斗君」

「いや、昔の約束思い出しちゃって」

「え、えっ」


 急に君華はどぎまぎし始める。そんな恥ずかしい話だったかと思ったが、鉄斗は完璧に記憶してある。きっとそれは君華も同じはずなので、なぜか緊張の面持ちになっている君華へ例の約束を告げた。


「私が許可しない限り、鉄斗君は危険な目に遭っちゃダメ。やっぱりあの約束はめちゃくちゃだ」

「あ、そっち? 何だ、あはは」

「他にも何かあったか?」

「いやいや何でもないですとも!」

「何で急に口調が変わる? 気になるな」

「き、気にしなくてもいいよ。……でも、あの約束、この前も言ってたよね。アウローラさんと戦う時にも」

「忘れてないさ。確かに俺の目は節穴だけど、忘れてない」


 君華のおかげで救われたことも。人生に絶望しなくて済んだことも。


「そっか」


 夕陽がきらきらと輝いている。幼い頃、この光景を何度も繰り返し見ていた。

 君華と二人で。あまり他人と関わりたくなかった鉄斗の傍には、いつも自分の心配をしてくれる幼馴染がいた。

 彼女との約束は破っていけないと思う。これはもはや一種の誓い……誓約ゲッシュだ。


「ゲッシュは破ると痛い目見るからな」

「また魔術の話?」

「どちらかというと日常の話だ」


 約束を破れば痛い目を受ける。それは魔術世界も人間世界も大差ない。

 無論、中には裏技も存在するだろう。旨味だけを得る方法が。

 だが、基本は変わらない。約束は極力破るべきではないのだ。


「帰るか?」


 起立した鉄斗は君華に手を伸ばす。


「うん」


 君華は鉄斗の手を掴んで立ち上がった。

 幼き日と同じように。

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