第10話 ミューステリオン

 日建市で起きた魔術師襲撃事件から三日後。神宮はビルの屋上でたそがれていた。考えることは数多ある。そういう宿命だからしょうがないのだが、やはり面倒だし回りくどいとは思う。

 それでも、やらなければならないことはきっちりやる。

 だから、あえて過激な思想を持つ同僚たちにわかりやすいように堂々と姿を晒していた。

 勢いよくドアが開いて公安警察が流れ込んでくる。

 日本の暗部の一つだ。平和だと言われるこの国にもこういういじらしい面は存在する。


「神宮。一体どういうつもりだ」

「どうもなにも、たまたま俺が張ってた網に敵さん方がかかっただけさ。お前たちには本命の情報を与えたつもりだった」

「嘘を吐くな」


 黒スーツを着込んだ集団のリーダー格が問い詰める。


「おかげで容疑者を見失った」

「容疑者って誰だ?」

「高校生だ。とぼけても無駄だ。……この街にいることはわかっている」

「大の大人が寄ってたかって高校生を逮捕するのか? もっと他にやるべきことがあるだろう」

「犯罪者だ」

「魔術が関わるとなると事情は変わってくる。お前も知ってるだろ。現代日本の法律はあくまでも人間に適用されるものだ。魔術師にはいわゆる超法規的措置が適応される。少なくとも現段階で、あの子どもたちは犯罪者でもなければ重要参考人でもない。素直に、今回の事件の黒幕を追うことだ」

「何をバカなことを。黒幕がいようがいまいが、そんなものは関係ない。問題は犯罪者がのさばっていることだ。奴らを逮捕すれば事件は解決する」


 リーダーは一見すると正論のようなものを振りかざしているが、本音は子どもたちを利用して魔術同盟に対する交渉を有利に進めたいだけである。さらに言えば、連中は防衛省内部に燻る人間至上主義者の過激派と繋がっている。

 彼らがしたいのは逮捕などではない。子どもの命を自分たちの掲げる崇高な理想の成就とやらのために利用したいだけだ。そういう奴はどこにでもいる。世界中どこにでも。日本も例外ではない。

 だから神宮はたばこに火を点ける。今日も相変わらずまずいが、


「おい、お前――」

「落ち着け。今から上手いたばこを吸うんだ」

「何を――」


 なら己の手でうまくしてしまえばいい。神宮を追及していた公安たちは突如彼の背後に浮上したパワードスーツに目を剥いた。

 そうして、悲鳴が轟く。精確な射撃で男たちの足に穴が開いた。

 神宮はほくそ笑みながら屋上に着地した男の取り調べを開始する。


「あー、公務執行妨害だ。お前を逮捕する」

「それは困る。雇い主の情報を与えるから逮捕だけは止めてくれ」

「自供がスムーズに取れるならそれでも構わない。で、お前の雇い主は誰だ?」


 込み上げる笑みを抑え込み、問い質すと金髪の男はすんなりと自供する。


「グルヴェイグだ。そこに依頼された」

「となれば犯人を逮捕しなければ。しかし居場所がわからない。お前には参考人として道案内してもらおう」

「喜んで」


 神宮はグルヴェイグが雇用したと自称する傭兵――アレンと共にビルから立ち去ろうとする。


「待て、神宮!」


 が、足を射抜かれて苦悶に呻くリーダー格の男に止められた。


「こんな茶番が許されると思うのか!」

「その言葉、そのままお返しする」


 神宮は歩を進めてドアを閉めた。あしらっておいてなんだが、彼が最後に放ったセリフには同感だった。

 三文芝居を打たなければ子どもを奴隷のように扱う連中を壊滅させられないとは。

 日本とは、世界とは、なんたる茶番なのか。


「どうでした? 先輩」


 階段からエレベーターに移動しビルの一階へ移動すると、待機していた紅葉が訊ねてくる。

 神宮は行くぞ、と伝えただけだ。

 それ以上の言葉は必要なかった。



 ※※※



 魔術に関わる人間なら必ず耳にする組織の名前がある。

 調停局。人類魔術戦争調停局。

 簡単に言えば人間と魔術師が戦争をするのを防ぐのが仕事だ。本来の調停とは戦争に入った段階で行われるものだが、調停局には様々な権限が与えられている。そのため、火消しもまた調停局の役目として取り扱われる。

 だが、今やその利権も過去のもの。一人の絶大な力を持った魔術師が引き起こしたとある事件……恐怖の大王事件は、アヴァロン島の消滅と共にたくさんの善人を巻き添えにした。

 もちろん、戦争に発展しないよう尽力していた調停局員も例外ではない。

 その結果、調停局は弱体化した。以前は火種と見れば半ば強引に消化したものの、今や交渉という名のお願いで相手が矛を収めるのを期待する程度である。

 しかしそれでは救えない命もある。

 だから、調停局の中でも指折りの実力を持つクルミ・ヴァイオレットは、グルヴェイグの本拠地である洋館の前で佇んでいる。星空に古風の魔女スタイルは映えた。


「さてと。こんにちはー、調停局でーす! お伺いしたいことがあって……」


 と門の前で声を張り上げるクルミの周辺で、いきなり子どもたちがそれぞれの武器を持って飛び掛かった。グルヴェイグご自慢の魔女兵器たちだ。

 しかし、


「参りました。少し、お時間をもらってもよろしいでしょうか?」


 子どもたちは一人残らず地に伏して、クルミは口上を述べ終える。杖を軽く一振りしただけで彼女たちは全員気絶した。無論、殺しはしない。ここで安易に殺すようであれば魔術師として二流だ。

 悲しいことに二流の魔術師は大勢いる。例えば、屋敷の奥に引っ込んであろうグルヴェイグの首領であるとか。


「よろしいですか? よろしいですね。行きますよっと」


 クルミは返事を待たずに敷地へ入る。複雑な術式で組み立てられたトラップが複数発動したが、クルミはそれらを簡単な動作で払いのける。杖を軽く、ひょいっと振る。それだけで人体を抹消するような魔術が破壊される。

 魔術師としての才能と血と汗を流して行った努力の賜物だ。弱者を救うための力。

 幼い頃に夢見た理想の魔法使いのカタチ。

 義姉のスペアとしてヴァイオレット家に招かれた孤児を、義姉は本当の家族のように愛してくれた。まさに義姉こそ理想の魔女だった。

 彼女のように自分はなれているのか。

 いいや、なれている。クルミは気楽さを保ったままドアの前へと歩き、


「開け」


 と一言命じると自動でドアが開いた。そこへ堂々と侵入し襲ってくる罠を解除し、不意を突こうとする魔術師を魔力の奔流で蹴散らした。


「あら?」


 轟音が鳴り響いて窓の外を見る。と、パワードスーツが屋敷の上空を飛行し、迎撃に出た魔術師を撃ち落していた。凹型の洋館の反対側からは、悲鳴と打撃音の後に殴り飛ばされた魔術師が壁を突き破って手入れの行き届いた庭をめちゃくちゃに荒らしている。


「ふむふむ。お姉さん、甥っ子の人徳に惚れ惚れしちゃう」


 もし彼があそこで戦わなかったらどうなっていたか?

 恐らく、結果自体は変わらないだろう。元々調停局としてグルヴェイグの所業は見逃せるものではなかったから、遅かれ早かれ介入していたはずだ。

 だがそれはきっと、ピュリティなる少女が彼らに悲惨な目に遭わされた後だったはずだ。アウローラは死に、ビシーは今も魔女兵器として扱われ、救えたはずの命が殺された後で。


(ふふ……)


 だからこそ、クルミは誇らしい。そしてもう少し彼はその功績を誇ってもよいのではないかとも思う。

 だが、きっと彼は誇らないだろう。あの人と同じように。

 大好きなお義姉ちゃんを奪い、それでいて自分すらも救ってしまったあの義兄に。


(義理の姉の結婚相手って義兄でいいのかしら。本当に魔術師ってのは面倒くさいわね)


 純正日本人が金髪碧眼に変質してしまうぐらいにはややこしい。

 魔術師という生き方の面倒くささに呆れつつ、クルミは目的を果たしに行く。

 目指すのは魔術工房だった。正直なところ、グルヴェイグの壊滅は物のついでである。知りたいのはあの少女のことだった。

 バケモノ或いはピュリティ。

 破壊と創成の力を持つ少女。

 元々奇妙ではあった。なぜグルヴェイグがあの少女に固執するのか。

 魔力量が優れているだけなら特筆して珍しくもない。確かに、魔力貯蔵量は多ければ多いほど良い。

 だが、人道的観点を度外視すれば、質こそ劣るものの魔力量を外付けで増量させることは可能だ。虫やら臓器移植やら。おぞましい黒魔術の儀式によって。

 なのになぜ彼女にこだわったのか? その答えはある意味出ているが、逆に言えばますますわからなくなってもいる。

 あの力をどうやって手に入れたのか。

 そもそも何に利用しようとしていたのか。


(一瞬で敵を屠る力と、人の傷を癒す力を併せ持つ少女。どう考えたってグルヴェイグ風情が持てるような人材じゃない。一体どこから。誰の手引き?)


 クルミの手に掛かれば魔術師の命と言っても過言ではない魔術工房へのセキュリティを突破するのも簡単だ。足を踏み入れて、その場所の醜悪さに眉を顰める。

 多くの子どもたちの死体。ホルマリン漬けの裸の少女。解剖された四肢。


「外道」


 一言呟いて、思考を切り替える。魔術の痕跡を逆検索。

 しかしどうやら彼女はこの場で開発されたわけではないらしい。


「記録っと」


 クルミは帳簿にアクセスする。そこには“品物”のやり取りが詳細に記載されていた。

 マーガレット・フォン……失敗、処分。

 リム・クワイエット……成功、運用可。

 ビシー・ジエル……成功、運用可。


「ピュリティの名前はなし。当然か。じゃあアウローラ、アウローラ……あった」


 アウローラ・スティレット……保留、仮処分。


「あれほどの逸材に何の処理をしようとしたの? おバカさんたち。っと」


 突然男が剣を持って工房内に侵入してきたため、少し速度を落として読み進める。無論、右手は杖を構えて魔弾を発射していた。魔力の質量に男は押しつぶされる。

 そんな些細なことよりも、クルミはピュリティの出自が気になってしょうがない。アウローラの項目を読み進めると、フェミル・ファレオ博士の護衛と記載。


「フェミル・ファレオ……? ああ、現代のフランケンシュタイン」


 ヴィクター・フランケンシュタインの名はマッドサイエンティストに与えられる不名誉な称号ということになっている。フェミルはあらゆる魔術実験によって正気や自我を失った失敗作を回収し、自身の研究に利用しているとされていた。

 だが、その実情は哀れな実験体たちを元の人間に戻そうと奮力していただけだ。彼のどこがフランケンシュタインなのだろうとその名を聞いた当時は疑問に思っていたものだ。


(扱い辛かったから、適当なところに配置した、というところね。で、フェミルが研究……復活させようとしていたのがピュリティ)


 だがアウローラは突如として兵器部門へと戻されている。理由は博士の死亡。そこからは知っての通りだろう。だが問題はなぜ博士が殺されたのかだ。

 間違いなくピュリティの存在に絡んでいる。

 それに気になる言葉も散見された。


「助手に報告……? 博士の助手ではないわよね」


 状況に変化があるまで放置。何かあれば助手に報告。

 そう記されていた。つまり元々彼女が目覚めるかは半信半疑だったということだ。もし目覚めが確定していればアウローラを護衛に配置することはなく、より信頼のおける者に護衛を任せたのだろう。

 だから博士の殺人計画を企てた時にアウローラを担当から外したのだ。

 そしてそこからは孤独な逃走劇である。本来ならピュリティはとっくの昔にこの助手なる人物の元へ渡っていたのだ。

 ではこの助手は何者か? さらなる検索を続けようとしたクルミは、


「動くでない」

「レイクバルド・チェンジング……」


 壮年の魔術師が杖をこちらに向けていることに勘付く。

 レイクバルド・チェンジング。グルヴェイグの首領だ。


「たまさか調停局のエージェントが単身で乗り込んでくるとはな。弱体化したと侮っていたか」

「弱体化したのは否定しない。及び腰になったことも。けれど、力が全くないわけでもないのよ。ちょっとした紛争が起きたら……双方を消滅させちゃうぐらいには」


 もし今回の件で警察や自衛隊、日本の陰の戦力である陰陽師や忍者、侍が動き出せば当然、クルミとしては対処するつもりでいた。各国は基本的に自国のことしか顧みないが、調停局は世界規模で物事を考え、調停する。

 幸い、日本政府はとても賢く、また平和主義者だ。どこぞの大国たちとは大違いである。無論、大国にも理解者はいる。基本的にどの国、どの人種にも善人はいるものだ。

 目の前にいる老人のような悪人のみで構成される国というものは存在しない。第二次世界大戦時のドイツだってそうだった。


「空恐ろしいな、狗」

「品位が問われるわね」


 クルミは危機的状況ながらも平然としている。グルヴェイグは基本的に弱いが、レイクバルドは別だ。過激思想を持つ古代の魔術師としてそれなりの実力者であると聞いている。

 不利な状態での交戦は望ましくなかった。だからクルミは躊躇いなく杖を手放す。


「降参。こんなところで戦ったら流石に分が悪いし」

「ほう。潔いな」


 邪悪な笑みを浮かべるレイクバルトに対しクルミは、


「だって、汚れるの嫌だし」


 汗を掻くから運動するのが嫌という女子高生のようなセリフを放つ。


「何を――ッあ」


 訝しむレイクバルドは真意を模索しようとして、唐突に死んだ。

 後頭部を撃ち抜かれて。彼が斃れると後ろに隠れていた人物がたばこに火を点ける。レイクバルドの死は痛手でも何でもないので気にも留めない。


「神宮さん、どうも」

「お嬢ちゃんとバッティングするとは思わなかった。ふぅ、今日もたばこがうまい」


 特注のガバメントオペレーターカスタムをホルスターに戻して、クルミの傍へと近づこうとした神宮の周辺で防御用の魔方陣が展開する。しかし彼は素知らぬ顔で歩き続け、クルミが術式を解除する羽目になった。


「勘弁してくださいよ、もう」

「お前ならどうにかできるだろう」

「っていうか独力でどうにかできるでしょう? 日本の守護者さん」

「俺自身はただの人間だ。さて、何がわかった?」


 神宮も帳簿を覗き込む。そして顎に手を当てた。


「何か知っていますか?」

「いいや。ただ何かが動いているとは薄々気付いてた」

「それが助手、ですか」

「それもある。奇妙なこともあったしな」

「奇妙なこと? ほかにも何か?」

「お前の甥っ子。彼と俺の部下がやり合ったんだが」


 その件についてはクルミも承知している。今度鉄斗に会ったら褒め殺してやろうと画策していたところだ。手加減されていたとはいえ、無影流の忍者を撃退するとは。

 だが、神宮が言及したのは勝負内容ではなかった。


「その時な、スーパーカーが暴走したらしい。白昼堂々、街中でな」

「速度超過はよくあることでは?」

「それが峠とか田舎道だったならな。ただのスピード違反なんてもんじゃなかった。無窮組手で封殺したそうだが、速度の出し過ぎ程度なら忍の秘儀なんぞ使わなくとも止められたはずだ」

「人為的に暴走させた、ということですか?」

「もし暴走がなかったら、鉄斗少年と俺の部下が交戦することは有り得なかった」


 クルミは難しい表情を浮かべる。ピュリティと鉄斗が出会ったのは、間違いなく偶然だ。そこに疑いの余地はない。

 だが、彼女と出会ったことで、何か巨大な陰謀に巻き込まれてしまった可能性がある。


「参りましたね……」


 クルミはため息を吐く。あのとかく危なっかしい子が陰謀に巻き込まれてしまうとは。


「大丈夫だろう。アイツの息子なら」

「あの人の子どもだから、心配なんですけどね。はぁ……」


 クルミの胸中は不安でいっぱいだ。今頃彼は何をしてるだろうか。

 厄介な事態になっていなければいいが。



 ※※※


 

 本来自宅とは、安息が約束された場所であるはずだった。

 しかし今は違う。大いに違う。

 阿修羅とはきっと、彼女のために作られた言葉だろう。

 そう誤解してしまうほどの気迫を彼女は纏っていた。


「ねぇ、鉄斗君……」

「君華、ちょっとま」

「誰その子――!!」


 君華は激怒した。妹の結婚式に出るという理由から、自分で喧嘩を売った王に友人を人質として残してマラソンしたメロンのパチモンみたいな名前の男のように。

 その元凶は鉄斗の背中に貼り付いている。小気味が良さそうにくすくす笑い、


「ふふ、この子好みかも」

「勘弁してくれビシー」

「ちょっと話を聞きなさい! 幼馴染はそんな子の来訪を許可していませんよ!」


 君華は苛立っているが、鉄斗としてはそこまでムキになる理由がわからない。

 いや、彼女の視点に立てばわかるはず。鉄斗は彼女に親身になって、


「これ以上他人の世話をするのも大変か」

「そういうことじゃないよ!」


 では一体どういうことなんだ? という鉄斗の疑問に答える前に、ビシーがアクションを起こす。うっ、うっ、と聞こえてくる嘆き声。君華はへっ、と間の抜けた声を漏らした。


「ごめんね、君華。私、身寄りがなくて、寂しくて。そんな時、彼が救ってくれたもんだから、甘えちゃって。出てくね」


 健気でいたいけな娘のようにしおらしく泣いて、ビシーはリビングを後にしようとする。無論、君華が行かせるわけはない。ビシーの策略に乗せられているという残酷な事実に気付いていない限りは。


「あ、う、私こそごめんね、びっくりしちゃっただけだから! そういう理由ならいていいし、遊びに来ていいから!」

「本当!? ありがとう君華!」


 がばっと勢いよく抱き着いたビシー。君華はこちらに背を向ける形となっているため表情は窺えないが、きっと世話焼き根性丸出しの優しい顔になっているに違いない。対して、ばっちり表情が観測できるビシーは邪悪の権化のような笑顔だ。

 鉄斗は頭が痛くなってくる。最近こういうことばかりだ。そもそもここは俺の家なんだが、という当たり前の主張も黙殺されて久しい。

 鉄斗が実質的なシェアハウスと化してきた我が家の現状を嘆いていると、唐突にドアが開いて居候の姉妹が現れる。


「喧嘩、終わった?」

「あ、ピュリーちゃん。大丈夫だよ。別に喧嘩なんてしてないからね?」

「リアリィ?」 

「ピュリティ」

「あぅ、ごめんなさい……義姉さん」


 英語を使用したピュリティを注意するアウローラは本当の姉にしか見えない。

 いや、実際に彼女は真なる意味での義姉であり家族だ。だが、雰囲気は以前のまま。冷酷な戦闘兵器に近しい空気を醸し出すアウローラに、しかし君華から離れたビシーは意外なものを見る目で言う。


「あなた随分丸くなったわね」

「お前に言われる筋合いはない。……因縁が完全に失せたわけではないぞ」

「あら、言うじゃない言えるじゃない」


 ともすれば一戦交えてもおかしくない緊張感が発生しかけるが、緊張感の欠片もない君華のおやつでも食べようか、という掛け声で氷解する。


「ウィ!」

「ピュリティ」

「うぅ……言葉、面倒……」


 ピュリティは落胆する。その間にそそくさと君華は台所へ向かい、コーヒーとクッキーの準備を開始。

 鉄斗は軽く息を吐いて、どうしたものかと思索を進める。

 あの戦いの後、ピュリティとアウローラ、ビシーは赤上家に居候している。助けておいて放り出すという無責任なことをするつもりはないのでそこは構わない。

 だが、山のように積み上がっている手続きが面倒だった。この三人は全て魔術界隈では実力者だ。三人とも世界の裏側で暗躍・逃避を続けていたため表側では有名人ではない。

 しかし此度の戦いで注目する魔術師や人間がいてもおかしくないのだ。

 そんな連中から彼女たちを守らなければならない。影に潜むようなやり方ではなく堂々と姿を晒しても問題ないように。


「悩んでいるのか、鉄斗」

「誰かさんのせいで哀れ、鉄斗は悩める子羊ね」

「お前のせいだと思うがな」

「あなたのせいだと思うけど?」

「二人とも、落ち着く」


 ピュリティに窘められて、二人はそっぽを向く。


「ま、コネがあるからそれで」

「親の七光り? 嫌だわぁ鉄斗」

「ズルしようってわけじゃないんだ、別に構わないだろ?」


 例えば裏口入学に親のコネを使おうとするならいけないことだろう。

 だが人命救助のため親族が築いたコネクションを用いるのに何の引け目も感じない。


「叔母さんがそのうち戻ってくるから、その時にまとめて処理してもらう。それまでは騒ぎを――っ」


 鉄斗は瞬時に家の外へ注意を向ける。アウローラとビシーも同時だった。


「私が行く」

「いやいや私よ」


 きょとんとするピュリティの間で、二人は言い合いを始めてしまう。鉄斗はしょうもない諍いを中断するべく魔術工房へ足を踏み入れた。


「俺が行く。二人は待っててくれ」


 そして、いつもの武器であるP226のスライドを引いて、ジーパンの後ろポケットにしまう。作業台においてあったグレネードを一つ取って、準備を終えた。


「鉄斗?」

「ピュリティもな。お客さんだ」

「え? お客さんなら私が」


 君華が名乗りを上げたが、彼女が対応するべき相手ではない。


「大丈夫だ。セールスだから適当にあしらっておくよ」


 玄関へ向かい靴を履く。ドアを開けて、


「警察だ。赤上鉄斗だな。お前を魔術師法違反で逮捕する」


 という威圧的な勧誘を受ける。鉄斗はドアを閉じると、静音術式を起動。家の中に騒音が聞こえないように細工した。


「どういうことです? 俺が何か罪を?」

「証拠は挙がっている」

「どんなのです?」


 と言ってもスーツ姿の男は具体的な説明をしない。証拠など出るはずがないのだから当然だ。魔術師を逮捕する時、証拠に頼ることは少ない。動機による推論だ。ゆえに冤罪も多い。信用できる警察など一部の腕利きのみだ。

 しかしだからこそ逮捕する時は強硬策を用いる輩が大多数だ。十人ほどいる黒スーツのみならず、路肩に停車してある黒塗りのバンには特殊装備を整えた隊員が待機しているはずだ。


「同行してもらう。この家の人間全員にな」

「俺だけならともかく、それはちょっと横暴では?」

「黙れ。警察に協力するのは市民の義務だ」

「はぁ……そんな態度だから、非協力的な市民が増えるんですよ」

「黙って手を出せ。さぁ!」


 反論すら許さずまともな説明もせずに刑事は鉄斗に手錠をかけようとする。刹那――鉄斗は魔力を纏わせた右腕で男の腹部を強打、そのまま人間の盾として拘束した。

 スーツたちが拳銃を抜いたが、鉄斗はP226の早撃ちで次々とダウンさせていく。バンが開いて特殊部隊員が出てきたので拘束していた男を蹴り飛ばし、グレネードを取り出して歯でピンを引き抜くと放り投げた。


「グレネード――うわあああ!」


 バンが爆発し、数人の隊員が巻き込まれて気絶する。運よく爆発から逃れた隊員は、腹を撃つことで戦闘不能にした。


「無能でもこれくらいならできるさ」


 僅かな時間で公安警察を制圧した鉄斗は、苦悶に呻く男の懐から警察手帳を取り出す。本物ではある。だからこそ解せない。


(俺の目的に気付いて陰から補助してくれた人たちの中に、間違いなく公安はいた。いつでも俺を捕らえることができたのに、その人は無視を決め込んでくれた。今更俺を逮捕しに動き出すはずがない。それに)


 手口としては非常に幼稚である。エリート集団の塊とされる公安警察の中にも、こういう間の抜けた奴は存在する。どこでもだ。だから世界は未だくそったれなのだ。

 逮捕が目的だったためか警察手帳は持っていたので生きてこそいるが、これがもし鉄斗とは違う強力な魔術師で警察手帳も持っていなければ、敵対組織の手先と判断されて全員殺されていたことだろう。

 鉄斗が推察していると、最初に殴って蹴飛ばした公安が意識を取り戻した。


「こんなことをして、ただで済むと……」

「調停法を犯す前なら説得力があったんだけどな。悪い魔術師は確かにいる。だからってこんな方法取ってたら、罪もない魔術師を傷つけるだけで終わるぞ」


 調停局がルールを敷くのは人間と魔術師その両方に対してだ。あのくノ一もやりすぎな節があったが、彼女の拳には思いやりがあった。

 しかしこの男たちには敵意しかない。おまけに鉄斗を高校生だとして侮っていた。高校生は高校生でも魔術師の高校生だ。戦闘訓練も積んでいる。どうしようもないクソ雑魚だが、何の策も講じていない人間に敗北を喫するレベルではない。


「訴えないから大人しく帰ってくれ」

「何を偉そうに……ぐ……」


 男は再び意識を失った。鉄斗は再び思考を回す。

 やはりおかしい。あのくノ一の上司であれば、もっとスマートに自分はやられていたはずだし、こんな下っ端を使う理由がない。

 となれば別の誰かが彼らに情報を流したのだ。目的は定かではないが、危害を加えるつもりであることは明白だ。


「一体誰が……」


 独りごちて苦悩する。だが敵の正体も目的もさっぱりわからなかった。


 

 そんな彼の姿を俯瞰している男がいた。フード付きの青い外套で全身を隠匿し、さらには鉄仮面をつけている。

 男はもう十分だと言うように、左腕に装着されたデバイスの転移術式を起動した。

 光の中に消えていく。誰かに気取られることもなく。

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