第9話 モンスターオアヒューマンオア……?
ノットファウンド。見つからない。
サーチ&サーチ。未発見。
ビコーズ……経験不足。
「どこ……?」
ピュリティは街中を走り回っている。だが、一向に鉄斗の姿は見つからない。
彼はどんな場所で戦っているのか。
どこが戦場として最適なのか。
膨大な知識は脳内に蓄積されている。だが、その使いどころが。
解が導き出せない。
パーツはある。構成要素はインプットされている。でも、その組み立て方がわからない。
「うぅ……」
ピュリティは呻いて、周囲を見渡す。辺りには家が遍在している。
人が住んでいる家。街。
アウローラはピュリティを街に連れ出すことはしても、人との接触は最低限にしていた。
お前はバケモノだ。そう言って。そのことを責めるつもりはないが、
「困った……」
大変ではある。役に立ちたいのに、立てない。
パズルの組み立て方がわからない。思考の円環が完成しない。
これでは、どうしようもない。
道の真ん中で、迷子の子どものように苦悩するピュリティは、
「にゃおん」
「キャット?」
ネコの鳴き声に眉を顰める。ネコはピュリティに近づくと、足の周りに身体をすり寄せ始めた。
「むぅ……にゃにゃにゃ?」
ピュリティは平然とネコの鳴き真似をする。と、ネコは驚いたように硬直して、
「にゃ、みゃう、にゃにゃ」
引きつったような顔で応対する。ピュリティは躊躇いなく会話をして、
「にゃん、にゃにゃ、にゃーん」
「にゃうにゃう、にゃ!」
「にゃおんにゃ」
「にゃおん!」
ひとしきりネコと話し終えた後、迷いなく歩み始める。
ネコから鉄斗の居場所を聞いたのだ。ピュリティが学習した数多の言語には当然……動物言語も含まれる。
目的地まで一目散に進んでいくピュリティ。
その背姿を見送っていたネコは嘆息した。
「まさかネコ語も話せるとは。知れば知るほど珍妙よね。まぁ、これで、可愛い甥っ子の決意を見て取れるわけだけど」
※※※
逃げ場が塞がれた。銃撃で杭を撃退しているが、遅かれ早かれ杭が鉄斗の身体を貫くのは確実だ。
M4とP226を交互に連射しタクティカルリロードによって急場をしのいでいるが、弾丸がなくなればそのままくたばるだけである。鉄斗は焦燥していたが、焦ったところで解決策は見当たらない。
土台無理な話だったのだ。才能の無い鉄斗が正々堂々のバトルで敵に勝とうなどとは。
だからある意味予定調和な展開ではあった。鉄斗が正面切っての戦いで勝つ確率など宝くじで七億当たる方がまだ高い。
(でも二人を……いや)
三人を救わないと。鉄斗は方法を模索するが、
「ッ!」
「ライフルが砕けたわね?」
「くそッ!」
杭が突き刺さったライフルを投げ捨てて、ハンドガンを片手で構える。ポーチから魔弾を装填したリボルバーを取り出し、撃鉄を三回起こして目当てのシリンダーをセット。
転移弾を撃発。杭の猛襲を避けつつビシーの背後に回り込むが、
「残念」
「――ッ!」
予期していたビシーによる頭部すれすれの投擲を屈んで避ける羽目になる。攻勢に出るチャンスを潰され、それでもなおビシーを狙い撃とうとした鉄斗は、足元に魔方陣が浮かび上がったのを確認した。
そこから杭が生える。鉄斗は銃弾によって伸びてくる杭の進撃を止めるが、
「もしかして勝ち目があるとでも思っていたのかしら? 最初から、いつでも殺せたのよ」
ビシーはおもちゃに飽きた子どものような表情で呟いた。そして、地面からの杭を押しとどめるのに必死の鉄斗に向かって杭を構える。
「楽しかったわ、鉄斗」
「くッ!」
鉄斗は下部からの杭を凌ぐことで手いっぱいだ。杭を迎撃しながらナイフへ手を伸ばし、浄化のルーンを刻んだ刃先を魔方陣へぶつけて無効化。ビシーの杭を撃ち壊すために銃口を前方へ戻して、
「なッ……!」
P226のスライドが開いたのを目撃する。自動拳銃は他の銃器よりも丁寧に弾切れを知らせてくれる。銃を無我夢中で撃ちまくると、熟練の兵士でさえ残弾を把握できなくなることがある。そんな射手のための思いやり機構だ。
さらに弾倉を装填すればロックを解除するだけでスライドが戻り、弾丸を薬室に送り届けてくれたりもする。リロードの度にいちいちスライドを引くなんていう面倒を排斥してくれるわけだ。急ぎの場合にはスライドを少し引いて前進させるというテクニックも存在する。
ゆえに、本来なら即座に射撃することができる。リロードするタイミングさえあれば。
鉄斗は拳銃を構えたまま固まり、ビシーも悦に入ったように笑う。
「リロードしないの?」
「……」
もしここでリロードしようとポーチに手を伸ばした瞬間、杭が放たれる。そしてその杭は今までのじゃれ合うような生半可な攻撃ではない。確殺するための投擲。直撃すれば死は免れない。
(どうする……)
ビシーの攻撃は非常に厄介だ。例え掠ったとしても毒が身体を蝕んでくる。
敵を殺すことに特化した魔女だ。まさしく魔女兵器。
鉄斗が握りしめている拳銃と同じ用途。
殺人兵器。人殺しの武器。
だが拳銃は時として人の命を救うことができる。
銃を習うのは人を殺すためというよりも、無闇に人を殺さないための意味合いの方が大きい。凄腕の銃使いというものは得てして人を殺さない術に長けている。自分が殺すと判断した相手以外を殺してしまうことがないように。
しかし魔女兵器であるビシーはどうだろうか。彼女は人を救えるのか。
アウローラは? ピュリティは?
いや、人を殺すのも救うのも武器ではなく使い手のはずだ。
罪を背負うべきは殺人に使用された武器ではなく、武器を使った本人のはずだ。
(止むを得ないか)
鉄斗は再び諦めようかと悩んだ。もうどうしようもないので潔く殺されて、アウローラとピュリティ、君華の保護はおばさんや前回交戦したあのくノ一とその背後にいる切れ者に任せる。
自分が戦わなければアウローラとピュリティが救われないなどと意気込んだが、あくまで一番安全な方法がそうであるだけで、きっとなるようにはなるのだ。
だとすればせめて、気休めかもしれないがビシーにお前に罪はないなどという慰めでも投げかけてやるべきか。きっと何言っているのあなた、という感じであしらわれて終わりかもしれないが――。
などと鉄斗が命を投げ出そうとした瞬間だった。
「鉄斗!」
「ピュリティ!?」
家で留守番していたはずのピュリティが現れて状況が一変する。鉄斗の動向を見守っていたビシーは自身の標的Bがのこのこと戦場にやってきたのを訝しみつつも身体の向きをピュリティへ変えた。
「あらあら、何しに来たの? お馬鹿さん」
「来るなピュリティ!」
鉄斗は叫んだ。反射的に左手がマガジンポーチへと伸びる。無論、その動きを見逃すビシーではない。
視界ががくんと下がった。衝撃に身体が貫く。拳銃と装填途中だったマガジンを手離し、視線が上へ下へと移動する。二、三歩後退したところで、身体に限界が来た。どうにかして両手に力を込めて、腹部に刺さる杭を抜いたが、そこで力尽きて仰向けに倒れる。
「鉄斗……鉄斗!」
「あーあ、余計な茶々を入れたから」
ビシーは他人事のように呆れた。ピュリティが鉄斗の傍へと駆け寄ったが、特に何もしない。何かする必要もないのだ。どちらとも脅威ではないのだから。
鉄斗は身体中を駆け巡る痛みに苦悶しながら、恐怖に震えるピュリティを見上げた。言葉をかけたいが、声を放とうとするだけで激痛が走る。痛みに支配されかけた思考を僅かに動かして、アウローラの偉大さを噛みしめた。
彼女はこれほどの痛みを耐えながらもピュリティを守っていたのだ。
そして、改めて己の無力さを痛感する。
こんな状態のアウローラにさえ、自分は敵わなかった。そんな自分がビシーに太刀打ちできるはずもなかった。なのに何を欲張ろうとしていたのか。惨めで情けないクソ雑魚野郎だ。
「鉄斗、鉄斗!」
ピュリティが泣き叫んでいる。しかし痛みの方が勝り、彼女が自身の名前を呼んでいるらしいことしかわからない。正常な判断ができない。ただ漠然と痛いことしかわからない。
それでも、ピュリティの状態は逐一理解できた。デジャブが起きる。
あの時と同じ。
サングラス男に鉄斗が殺されそうになった時。
きっとその想いは優しさから出るものなのだろう。凶暴さの現れでもなんでもない。
ただ大切な人が殺されてしまって。
自分でもどうしていいかわからなくなって。
心のストッパーが外れた状態で、ただ闇雲に気持ちをぶつけた結果だ。
「うぅ、ぐ、うううう!」
「怖いわね。彼の復讐でもする? いいわよ。そういう人間を何人も殺してきたし。慣れっこだもの」
などというビシーの表情も諦めているようにしか見えない。彼女もまたどうしようもないのだ。
人間の持つべき尊厳なんてものが奪われて。
殺さなきゃ殺されるから殺して。
やりたくもないことをやらされて、恨まれる。憎まれる。
そうしてまた死にたくないから殺すのだ。
「殺す……キル、ユー!」
「いいわよ、来なさい。温室育ちの野菜さん? おいしく食してあげるから」
ビシーはピュリティの心を逆撫でするように告げる。だが、朦朧とする視界の中でも、はっきりと鉄斗には見える。
似た痛みを抱えた人たちが、汚い大人による悪趣味な脚本に踊らされているようにしか見えないのだ。まさにストーリーの都合によって強制的に人格を曲げられるキャラクターの如く。
大人の社会の都合とやらで、子どもの性格が捻じ曲げられる。
本当に酷い社会である。その余波で、自分は今にも死に掛けている。
くそったれ。ああ、本当にくそったれだ。
だから、今一度冷静になる必要がある。鉄斗は苦しみに耐えながら声を捻り出した。
「おち、つけ……ピュリティ」
「てつ、と?」
「落ち着け」
そうして、右腕を持ち上げて振るう。ビシーの理解が追いつく前に、鉄斗は袖に仕込んでいたデリンジャーを掴んで発砲していた。スリーブガンは本当に便利だ。例え戦慣れした魔術師相手でも、不意を打つことが可能なのだから。
「な、に……あ」
ビシーは呆然と銃で撃たれた事実を認識し、倒れる。鉄斗もまたデリンジャーを手放して身体を倒した。
「て、鉄斗……?」
「アウローラの解毒剤のおかげだ……」
種明かしをする鉄斗は咳き込んで血を吐く。自身の状態を改めて確認し、息を吐いた。
「くそ、でもダメか……」
傷が深いことに加えて鉄斗自身の魔力耐性は高くない。アウローラほど生まれつき魔力が強ければ持ちこたえることも可能だろうが、鉄斗の肉体ではポイズンクラフトが解除されるまで持たないだろう。
死期を悟りながらも、笑みを浮かべる。これで目的は果たすことができた。ビシーもダウンしているが、命に別状はないはずである。これでみんな救われた。
「鉄斗! しっかり!」
「いいんだ、これで。無能野郎が何の代償も払わず、強い奴に勝てるはずがない。ちょうどいいバランスだよ」
「そんなことない! 鉄斗は死んじゃダメ! 誰も死んじゃダメ!」
ピュリティが喚く。誰もが持ち合わせるありきたりな想いだ。
だからこそ、みんないつの間にか見失う。持っていて当たり前。インプットされていて当然。そんな風に油断している内に、いつの間にかなくしてしまうのだ。
鉄斗はピュリティを再度落ち着かせようと口を開けたが、出てきたのは血だった。
「う、う、う……!」
ピュリティは怒りと悲しみのせいで混乱している。
鉄斗は言葉をかける代わりに手を置いた。
すると、念が伝わったのかピュリティが再び落ち着き始める。
「そう、そう……落ち着く」
ゆっくりと息を吐き出す。開いていた瞳孔が閉じ始める。
「リラックス」
深呼吸。胸に手を当てて目を瞑る。
「鉄斗は死んじゃダメ。だから」
平静を促した鉄斗でさえもその意図は読み取れない。
まるで怪我を負った病人を癒す聖人のように。
人類に原初の火を授けたプロメテウスのように。
ピュリティはそっと手を翳す。
ピュリティが……人間が持つ、悪意とは別の感情。
善意が彼女の中から溢れ出る。
自我が爆発した。
「…………」
鉄斗は言葉を失って、自身の身体に起きた変化を見つめる。
全ての傷が癒えていた。毒の効果すら打ち消されている。
改めてピュリティを見上げるが、彼女は聖母の如き微笑みをみせるだけだ。
呆然としている鉄斗の前から踵を返し、今度はビシーの元へ行く。
そうして、ビシーにも同じように手を翳した。眩い光が彼女の身体を包み込む。
「あなたも、きっとそう。だから」
「……っ」
ビシーは驚愕して起き上がった。鉄斗も反射的に立ち上がる。
そして、ビシーが動き出す前に二人の間に割って入った。
「ま、待て! とまれ!」
「はぁ?」
「落ち着けよ、そうだ、落ち着け」
攻撃態勢へ移行したビシーへ言葉を投げかける。正直、鉄斗自身も冷静には程遠かったが、とにもかくにも必要なのは落ち着きだ。平常心を保つ必要があった。
「何を言っているのかわかっているの、あなた。この子は私の捕縛対象で」
「だから、落ち着けよ。その必要が本当にあるのか?」
鉄斗は状況が呑み込めないピュリティを差し置いてビシーの説得を開始する。
ここで再び殺し合いに興じても、汚い大人がほくそ笑んで終わるだけだ。
ピュリティの奇跡を無駄にしてはならない。一体どんなトリックかはわからないが、それでも。
「どういう意味かしら」
「戦う意味があるのかってことだ。お前さん、別にグルヴェイグが大好きってわけでもないんだろ」
「でも、その子はごちそう」
「美味しいものが食べたいってんなら後で何か驕ってやるよ。とにかく、一旦気を静めるべきだ。そこまで焦る必要もないと思うけどな。何せ、お前さんが本気を出せば俺たち二人を瞬殺できるんだ。だから、いったん、止まれ。いったんな」
「素直に従う理由が私にあって?」
「ないかもしれないけど、それは逆に言えばあっても構わないってことだろ?」
「……ふん。いいわ、聞いてあげる」
ビシーは杭を収める。鉄斗は胸中で安堵しながらも頭を回転させる。
「こいつは一つ提案だが、このままグルヴェイグからおさらばしないか?」
「そんなつまらないことを言うために止めたの? 私の食事を」
「いいや、お前さんはこの選択肢をつまらないなんて思っていないはずだ。なのにつまらないなんて感想が出てくるのは、それが実現不可能な夢物語だと考えているからだ。ま、実際アウローラとか見てたらそう考えても不思議はない。世界は優しくないからな」
時代が進んでも人間は未だにバカなままだ。世界という巨大なボードの上で繰り広げるゲームを楽しい楽しいと言って遊んでいる。しかもゲームのルールには従わない。まだルールに従ってゲームを遊ぶ子どもの方が聡明で分別を弁えている。
子どもにルールを守りなさいと言いながら、自身は平気で破る大人が作り上げた世界は恐ろしく残酷で不条理で、もっといい世界に逃げ出したいと思う人も少なからずいるはずだ。
でも、結局自分たちが生きるのはこの世界なのだ。なら例えささやかなことでも、やれることはしないといけない。
「けれど、世界はなかなか変えられなくても、自分を変えることは比較的簡単だ。住む場所を変えたり、考え方を改めたりな」
「逃げる私をグルヴェイグは放置しないわ。同類の魔女兵器が送り込まれて、私を殺すだけ。何を隠そうそんな元仲間を私は何度も殺してるからね。残念ね、理想家さん。理想で人は救えないわ」
「けれど現実ばかり見てたって何も変わらないだろ? というか俺に言わせれば理想主義者も現実主義者も中途半端なんだ。理想を思い描きながら現実で動く。これがどう考えたって最善だ。頭の中で金持ちになりてぇって思ったって、現実の自分が動かなきゃどうにもならない。例えそれが宝くじを買うっていう運任せな方法だとしても」
「ふぅん。なるほど。それで? 現実理想主義者なあなたは、一体どうやってその理想を現実に落とし込むのかしら」
試すような物言いに、鉄斗は自分なりの答えを突き返す。
「断言できるぞ。知らねえ」
「は……?」
「知るわけないだろ。俺は弱者だ。めちゃくちゃ強いとか言うんならお前を守ってやるから安心しろとかカッコいいセリフが言えるさ。けれど、現実の俺はクソ雑魚だ。俺の力だけで誰かを救えるだなんて到底思えないね」
「あなたは……ギャグを言いたかったの? それとも、無責任なきれいごとを」
「無責任なんかじゃない。勝てるかは知らないさ。ていうか、負ける公算は高いね。けれど俺は人生を諦めてるんでね。一度約束したら、死ぬまで守るさ。それが俺の流儀だよ。死んでも別に構わないからな」
鉄斗は胸を張って宣告する。鉄の意志を聞いたビシーは放心し、しばらくして狂ったように笑い出した。心の底から漏れる笑みだ。腹を抱えて、無邪気に、相応に、子どものように。
「バカにしてくださいって言ってるの、それは? 説得力皆無!」
「説得力なんてものは犬のおやつにでもしとけ。きっと美味しく頂いてくれるさ」
「何言ってるの、本当に」
「どうかしてるのはわかってる。けどな」
鉄斗は己の意味不明さに肩を竦めながら告げる。言動はイカレていても瞳は真摯だった。
「今がターニングポイントだと思う、ビシー。ずっと暗闇に囚われるか。それとも、光の中に戻るか。現実は厳しい。世界は非情だ。だからこそ、自分で決断しなければならない。まぁ、それでもお前さんはまだいい。選択肢がある。いいか。俺は強要してるわけじゃない。考えればわかるだろ? 従わなければ殺すっていうありきたりな脅しじゃない。もしお前さんに本気を出されたら俺は死ぬぞ」
「説得とは違う。交渉とも異なってる。あなたのそれ、ただのお願いよ? 弱者が強者に跪いて止めてくださいって言ってる懇願。大人たちがよくやる、メリットとデメリットを考慮したくだらないネゴシエーションごっこじゃなくて」
ビシーは先程の爆笑が嘘だったかのように真顔だ。しばらく鉄斗と見つめ合い――肩の力を抜いた。
「だからかしらね。その提案に乗っていいと思えるのは」
「ビシー」
鉄斗はほっと一息つく。いくら無能でも、敵が嘘を吐いているかどうかくらいならわかる。少なくともビシーが今浮かべているのは、さっきの戦闘で時折みせた心の底から出る笑みだ。もしこの笑顔が殺意の表れだとしたら、ここで殺されても構わない。
何せ、諦めているのだから。
鉄斗の無防備さを見てビシーは、
「お礼は言わないわよ、鉄斗」
「助けを求めていない相手に手を差し出したんだ。そんなおこがましいことは求めない。ピュリティもそれでいいか?」
「……う、肯定」
「そこははいでいいと思うんだが」
ピュリティの言語選択は不安定だ。君華が以前分析していたように、経験が圧倒的に不足しているためだ。いろいろ試している段階なのだろう。彼女についてもまた手回ししなければ。
「その子」
「う?」
ビシーに見られてピュリティが畏縮する。鉄斗の背中へと駆け寄って隠れた。人見知りの子どものような動作に鉄斗は苦笑するが、ビシーはそんな人間めいた一面とは別の側面について言及する。
「まるでワルキューレみたいね」
「戦乙女か? 北欧神話の……」
「英雄の選定者。生きるべき人間と死ぬべき人間を選択して、魂をヴァルハラへと連れて行く」
「彼女について何か知ってるのか?」
「さぁ? 私は彼女を確保しろという命令を受けただけ。でも、ちょっと奇妙な任務だとは思ってた。だって、自我が芽生えるまでは、完全に放置されてたんだから」
「だから、俺の挑発に乗ったのか?」
ピュリティについての謎は深まるばかりだが、今は目先の疑問を解消する方が先だった。鉄斗の発言に、ビシーの眉がぴくりと動く。鉄斗の予測が正しければ、それは相手に真実を見抜かれた時に出るくせだ。
「何? どういうこと?」
「とぼけるな。なんだかんだ言ってお前さんはかなり優しい部類だろう」
「は? 調子に乗らないで。少し仲良くしたからってそんな」
「嘘つくなよ。だってもし完璧に命令を履行するつもりだったなら、俺を飛び越えて直接自宅に攻め入れば良かったんだ」
「そっちは組織が……っていうか、あなた、組織は!」
「気にするな。薄々予想はできてたんだが、ここまで見事に緊急連絡がないとなると想定通りに事態が運んだんだろう。少なくとも現場入りした人間は壊滅状態じゃないか?」
「肝心なところを他人任せにしたってわけ?」
「お前さんもな。自分で直接手を下せばよかったのに、わざわざ俺の相手をした。脅威でもなんでもない、スルーしてもいい相手を。そこにはきっと、お前さんなりの優しさか、或いはそれに似た感情が含まれていたってわけだ。だから、俺は説得を試みた。説得を聞かなそうな相手に熱心に言葉を並べ立てるほど、俺は情熱的な人間じゃない。お前さんならわかってくれる。そう信じたんだ」
「後付け台詞でしょ。全部自分でわかってたようなふりをしてただけ」
「それでいいさ」
「……むかつく」
ムッとした表情をみせるビシー。ここまではどうにか上手くことが運んだ。
しかし大変なのはこれからである。どうやって魔術同盟や争いごとを避けるために動く日本政府の横やりを回避して、三人の安全を確保するか。
そうやって思案しようとした矢先、不穏な足音を聞いた。
反応はビシーの方が早い。咄嗟に杭を構えた彼女は急に糸が切れた人形のように地面に倒れる。
「く……逃げなさい!」
「無理だな」
ビシーに鉄斗は言い返す。無論それはヒーローじみた思想から出た言葉じゃない。
「俺の実力で逃げられるわけないだろ。無茶言うなって」
最後の最後でどうやら読み間違ってしまったらしい。鉄斗は頭脳すらもろくに回せない自分に呆れる。
全く、いつも呆れているが、今日は特に呆れてばかりだ。やれやれ。
そうやって、建物の陰から現れたサングラス男を見る。右腕は義手となっているが、きっと戦闘力は変わってないだろう。
ビシーが離反した時のために何らかの呪詛を仕掛けていたに違いない。
逃げられないし、逃げてはならない。さてどうするかと再び間抜けな頭で考え始めるが、やはり鉄斗のスタンスは第一にこれだった。
「はぁ、降参だ。諦めるとしよう」
「鉄斗!」
ピュリティが驚く。そんな意外なものを見る目で見るな、と心の中で思いつつ、
「潔いな、少年」
「潔くもなるさ。だって」
音もなくサングラス男の後ろに立つ少女騎士へ視線を送った。
「彼女なら一瞬で片をつけてくれるからな」
「終わりだ」
アウローラが男の上半身と下半身を切り離す。グロテスクな光景にやり過ぎだ、と鉄斗は頭を抱えつつも、ポーチからリボルバーを取り出して苦悶に呻く男へ引き金を引く。
「全く、死んだらどうする」
「構わないだろう。このような下劣な男」
「義妹の教育によくないと思わないか?」
鉄斗は親指でショッキングな映像を見て硬直したピュリティを指す。すると意外にもアウローラは青ざめた。義妹への溺愛ぶりは凄まじい。
「す、すまないピュリティ。大丈夫だ。殺してない」
慌ててピュリティに駆け寄る。が、ピュリティが固まっていたのは衝撃映像のせいではなく義姉の来訪によるものだったようで、たどたどしい言葉による説教が始まった。その微笑ましいやり取りを背中で受け止めながら、鉄斗は瀕死の重傷を負ったサングラス男を検閲する。
先程の銃弾は仮死弾だ。生命活動を一時的に強制低下させることによって延命を図るための措置。よもや敵にこの貴重な魔弾を使うことになるとは思いもよらなかったが、貴重な情報源に死なれては困る。
それに利用価値はあるのだ。ボードゲームのポーンになってもらわねば。
「私の、ごちそう」
アウローラによって文字通り呪いが両断されたビシーは、目の敵にしていたアウローラが希望を得た姿を目に焼き付けている。
「まだ彼女を狙うのか?」
「少なくとも、ピュリティやあなたのように簡単に割り切れる相手じゃないわね。年期が違うから」
「そうか。だが、今は勘弁してくれないか?」
忘れろとも止めろとも言わない。言えない。
流石にその問題は瞬時に切り替えられるとは思えなかったからだ。そんな鉄斗の姿勢を評価したのかビシーは頷いてくれた。
「そうね。今日のところは見逃してあげる。で? ヒーローさん? これからどうするの?」
ビシーの問いかけに鉄斗はにやりと笑った。
「わからん。けど、なるようになるだろ」
「鉄斗!」
ピュリティがアウローラへの説教を終えて、突然駆け出してくる。
訝しんだ鉄斗の手に、ポケットにしまっていたそれを渡した。
単価は十円程度。どこでも買える飴玉だ。
けれど今この瞬間は、どんなに大金を払っても買えない物のような気がした。
「ありがとう!」
「ああ――どういたしまして」
ピュリティにはわからない部分が多い。もしかすると、想像もつかないような秘密が隠されているのかもしれない。
けれど、一つだけわかっていることがある。
彼女は人間だ。バケモノでも、また他の何かでもない。
普通の少女。少し無邪気で純粋過ぎる子ども。
今はそれだけで十分だった。
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