第8話 フォーフューチャー

 鉄斗は戦うために出て行った。その光景=デジャブ。

 でも、明確に違ったのは、ちゃんと戦う理由を説明してくれたこと。


「うぅ……鉄斗」


 ピュリティは玄関を見つめている。少し街でデータを収集したおかげで、何となく思考の組み立て方がわかっていた。

 結果の前に過程が動くリズムはとても心地良い。円環が働き始と終が繋がっている。


「エンドレス、ではない」


 世の中はノーリピート。繰り返すのではなく繋がっている。

 だから鉄斗の意志は無駄に終わらない。

 けれど、世の中には酷いことがたくさんだ。


「鉄斗、無能」


 とてもいいひとだったのに、魔術師としての力がない。


「君華、優柔」


 彼女は優しいひと。けれど、悲しみに耐えている。


「義姉さん……アウローラ、勇敢」


 以前は疑問のプロセスは発生していなかった。でも、今なら強く実感できる。

 ピュリティがアウローラについて不自然に知らな過ぎたのは、彼女が自身の情報を操作していたからだ。優しい記憶だけを、しかもささやかなものだけを付与して、自分を押し殺していた。

 自分が嫌われてもいいとさえ思っていた。そんな義姉を見るとピュリティの心臓はあったかいものに包まれる。

 そして、目じりの奥が熱くなる。博士が殺された時と同一。

 でも、あの時とは明確に違う気持ちが萌芽する。

 優しさに殺されそうになる。

 そして、そんな人たちを殺そうとする人を殺したくてたまらなくなる。


「でも、ダメ……いけないこと」


 なぜか、と問われたら、ピュリティは返答できない。

 優しい人たちがダメだと言っているから、としか答えられない。

 けれど猛烈に……その人たちの想いを踏みにじってはいけないと考える。


「うぅ……でも……」


 何か役に立ちたい。ピュリティは純粋にそう思う。

 だから。少しだけ開いているふすまを覗く。


「頑張ってください、アウローラさん。鉄斗君はね、すごいんですよ。才能ない才能ないっていつも言ってるけど、本当はすごい人で、私なんか全然敵わなくて。だからすぐに戻ってきますから……うっ……」

(君華)


 君華は泣いている。不安に押しつぶされそうになっている。

 ピュリティの顔が悲しみに歪む。ああ……殺意が暴れている。

 けれど、その感情はノー。従ってはいけない。

 でも、もし、これを動力としてあのビシーが動いているとしたら、どうなる?


(ビシーは悪い子……? 私も、悪い子……?)


 人間ではなくバケモノ。悪意で動く怪物。

 アウローラの言霊が脳裏を走り回る。お前はバケモノだ。


『だから、無闇に人間に近づくな。彼らはお前に危害を加える』


『だから、人と接するな。彼らは悪意を持つ』


『だから、博士の教えだけを信じればいい。彼は良き人間だった』


 ……だから。


(経験不足……フィールドワーク……)


 ピュリティは純粋だった。純粋に過ぎた。

 だから、知らなければならない。


「行かないと、ダメ……」


 ピュリティはふすまを閉じた。

 幸い、家から抜け出すことには慣れている。


「ごめん、君華。義姉さん。でも、私は」


 知らないと。だから。

 ピュリティはこっそりと家を出て行く。

 アウローラを看病する君華に気取られずに。


「あらあら、困ったちゃん。うーん、どうしようかな……」


 ほうきに乗る魔女に観察されていることも知らぬまま。



 ※※※



 記憶が混濁する。過去と現在が混ざり混沌を生んでいる。

 そこに未来は含まれていない。先への展望はない。

 夢も希望も潰えていた。


「……」


 道を歩いている。孤独に。

 銀髪の少女が黙々と。

 ふと何気なく背後を振り返る。そうして、絶望に苛まれる。

 多くの屍が斃れている。

 そこには勇敢だった人たちが無残に殺されていた。

 栄光の魔術騎士団。その騎士団長であった父は、勇猛果敢でありながら慈愛の心を持ち、また理想主義者でもあった。

 今の世の中は完璧とは言えないが、着実に前進している。

 それが父親の口癖だった。だから、お前は努力しなければならない。

 力を、才能を持つ者には弱者を庇護する義務がある。

 それが父親の思想だった。少し古臭くはある。

 だが、娘は共感していた。そして父親はそれを見抜いていた。

 だから手解きをした。人を殺すために、ではなく人を殺さないために。

 人を殺す技術を得るということは、人を殺さない力を身に着けることに繋がる。

 生来の才能と鍛錬を積み重ねたこともあって、少女は順調に成長していた。

 道が、希望が見えていた。あの時までは。

 だが、当時の目標であった父親は、その仲間たちと共に斃れている。


「パパ……」


 そこからは俗に言う酷いありさまだった。頼れる人間をほとんど失ってしまった少女は、執事の巧みなネゴシエートによって、それでもなおまだ比較的温厚な魔術一派に預けられる予定だった。

 だが、何者かによる執事の暗殺で状況は一変する。

 その暗殺の黒幕は未だに不明だ。自分を引き取ったグルヴェイグかとも思ったが、執事は騎士団の召使いに恥じぬ実力を身に着けていた。

 相当な実力者でなければ殺せない。

 敵の正体は未だ掴めない。というより、探す手立てがなかった。

 グルヴェイグに囚われてしまったから。魔女兵器として利用され続けたから。


「……」


 今度は正面へ向き直る。

 無数の屍が転がっている。

 どこを向いても死者ばかりだ。


「情けない」


 血に塗れる全身を眺める。父親の形見の鎧は汚れ、剣には血が付着。

 それで構わないと思っていた。あの子を守れるならば。

 しかし、現実は――。


「私は、何を、して――」


 屍が散乱する中心で、アウローラは膝をついた。

 情けなさに恐れをなして、勇気の証である剣を手放す。



 ※※※



 鉄斗は市街地を堂々と歩いていた。鉄の意志を胸に秘めて。


(さてと、少なくとも派手な急襲はしてこないはずだが)


 下手に街中で騒ぎを起こせば、厄介なことになる。警察やあの傭兵に妨害を受けることになりかねない。

 なので、彼女はタイミングを見計らっているはず。鉄斗の予想は当たったようで、街中を突き進む段階では何の攻撃も受けることはなかった。


(どうやって倒すか)


 鉄斗はビシーの攻略法を模索しながら、人気のない場所へと進んでいく。

 しかし残念ながら対処法が思いつかない。正確には、対処法自体は思いついている。そのどれもが実行不可能であるだけだ。鉄斗が無能であるからゆえに。


(ま、やれることはやるさ)


 鉄斗は人が少ない地区を漠然と進んでいき――。


「人払いか」


 敵の術中にはまったことを理解する。まだ街中であるはずなのに、人の気配が完全に消えている。否、たったひとりだけ反応はある。人ではなく魔術師にカテゴライズされる存在に。


「一人で来たのね、すごいすごい。なんて……褒められるとでも思った?」

「まさか。褒められたことなんて数えるほどしかないんでね」


 鉄斗は肩を竦める。ビシーは隠れることなく道路の真ん中で仁王立ちしていた。

 周辺には鍵が差しっぱなしの車が何台か停車し、買い物客で賑わっていたであろう商店からはBGMが垂れ流しである。店主の趣味なのか流れているのは西部劇のサントラだ。確かに夕陽をバックに向き合う姿はガンマン同士の決闘のような風味を醸している。

 しかし実際に行われるのは虐殺に近しい殺し合い。鉄斗はますます皮肉げとなる。


「一応聞いておくか。あんたも被害者って形ではあるはずだ。俺はご存知の通りクソ雑魚だが、雑魚なりにいろいろ方法を模索することはできる。武器を収めるなら今の内だ」


 形式通りのセリフを述べる。期待していなかったが、


「くっふふ、あはははは!」


 ある意味予想通りの反応が返ってくる。

 ビシーは腹を抱えて笑っていた。格下の相手による降伏勧告に。もし逆の立場なら鉄斗も苦笑したかもしれない。小学生が軍人に勝ち目はないと言っているようなもの。或いは、アリが人間に領土を渡せと強がっているとでも言えばいいか。


「ふふ、ギャグのセンスもあるのね、あなた。驚いちゃった」

「正直、俺も知らなかった」


 とぼけた調子で応える。無論、そんな安っぽい挑発にビシーは乗らない。


「私が被害者、ねぇ。被害者なら殺さない。可哀想な相手だから殺さない。そんな高潔なセリフをのたまって、美味しく食された善人が一体何人いるのかしらね」


 ビシーが邪悪な笑顔を浮かべる。そんな表情を見ても、鉄斗は本心から敵意をぶつけることができない。ただ酷い世の中だ、と父親の呪いを受けた時からずっと秘めている想いを反復するだけである。

 全く酷い世の中だ。有り得ないほどに理不尽だ。

 誰かが一発ぐらいは喰らわせてやらないと。刃向かってやらないとあまりにも惨めすぎる。


「意外ね。熱血ヒーロー的なあなたは身も心も焦がすような情熱的なセリフを吐くと思ったんだけど」

「だからお前さん、俺のことを買いかぶり過ぎだって。能力はもちろん、人間的にも全然未熟者だよ。今ここに立ってんのだって、物語のヒーローみたいに勇気を振り絞って、なんてものじゃない。やけくそ精神だ。ずっとそうだったよ」


 彼女は可哀想だ。だから俺が救うって決めた! なんて美しい思想なんかじゃない。

 あーくそ面倒くせえ。俺の前でごちゃごちゃやりやがって。しかもなんかふざけたことになってんじゃねーか。止めてやるか。ぐらいの気持ちである。

 ビシーは首を傾げた。邪悪さを纏っているのに、仕草は年相応の少女のそれだ。


「つまりあなたは自殺しに来たってこと? いわゆる、勝つつもりで来たぜ、とか強気で言っちゃう感じではなく」

「一応心構えとしては勝つつもりでいるさ。けど、負ける可能性は高いね。それでもまぁ……やるけどな」


 ギターケースを放り投げて、獲物を構える。M4カービンは信頼性の高い銃だ。アクセサリーなしでも十分に戦える。その十分がビシーに届くかはさておいて。

 アサルトライフルを構えた鉄斗を見て、ビシーは再び笑う。笑うと本当に、年頃の少女にしか見えない。……それが彼女の素なのだ。無理矢理歪められている。

 そしてまた、鉄斗と同様に彼女も諦めているのだろう。


「いいわ、実にいい。ああ、本当はもっとね、いじめてあげようかと思ってた。ふふ、でもその覚悟に免じて、あなたの要望に応えましょう。一対一の決闘を。けれども、急いだほうがいいわ。万が一あなたが私に勝ったとして――グルヴェイグは動いている。彼らのしつこさって言ったらもう、嫉妬に駆られた女ぐらいにねちっこいの。何せ名前がグルヴェイグ――殺されても蘇る女神だからね!」


 ビシーは喜々として杭を構えた。鉄斗は投擲される杭を銃撃で撃ち落す。一発でも喰らえば命はない。杭自体の殺傷性は元より、致死性の高い毒を含んでいる。おまけに毒は呪いによって再現されていると来た。だが、彼女はアサシン教団のアサシンではない。探知能力に優れた魔術師にすらも気取られず、殺される瞬間まで対象が気付くことはない暗殺者では。


「ふふ、いいのかしら? これじゃあ、ただ杭を投げているだけで終わりそう。哀れ。本当に才能がないのね」

「何度も言ってるだろ!」


 鉄斗は最小限の弾丸で杭を一つ一つ撃ち抜くが、向こうは大容量の魔力を備えているのに対し、こちらの弾丸は限られている。ビシーの言葉通り、このままではじり貧。なので、左手で拳銃を取り出してビシーに向かって穿つ。


「うん、躱せるわ」


 ビシーはアウローラほど完璧な動作ではないが、それでも銃弾を躱せるぐらいの力量は標準搭載のようだ。魔術師の天敵は銃である。銃弾を避けられないぐらいでは、魔術師はやっていけないのだ。

 されど達人は回避する魔術師に命中させるという荒業をやってのけるわけだが。

 残念ながら、鉄斗の銃の腕前はそこそこだ。


「本腰入れて射撃訓練しとくんだったか!」

「降参する? いいわ。あなた面白いから、生かしといてあげる。私の新しいごちそうとして、だけど」

「意外だな。アウローラを連れ帰った時、お前さん、ブチ切れてなかったか?」


 銃と杭でコミュニケーションを交わす。ビシーはもし傍観者であれば見とれてしまうであろう杭の舞踊を披露しながら、


「これでも煽り耐性には定評があるの。何せ――虐げられても組織に隷属するドMだから」

「嘘つけ。俺にはドSに見える」

「そういう人もいるでしょう? 人間ってのは複雑なのよ」


 ビシーは杭を三本投擲して、鉄斗はライフルとピストルの同時運用によって迎撃に徹しなければならなくなる。手数を増やしたつもりが、どうも相手に弄ばれているようだ。それが彼女なりの答えなのだ。諦めた結果。

 売春宿に売り払われた少女が快楽に逃げるように。

 誘拐された少年兵が敵を殺すことに快感を見出すように。


「くそったれ……」


 鉄斗は毒づく。が、状況は改善される兆しが見えない。焦りが募っていた。恐らく、グルヴェイグは今この瞬間もピュリティを捕縛するため動いているはずだ。

 無事でいてくれ。そう願いながら、鉄斗はチャンスを窺い続ける。



 ※※※



 結論から言えば、鉄斗の努力は無駄に終わった。

 グルヴェイグは主力を日建市に投入していた。なぜなら今回の標的は是が非でも獲得しなければならないからだ。

 そういう約束だった。約束の反故は許されない。元々、かなりの時間をかけて捜索してきたのだ。ようやく見つけ出した尻尾を取り逃すなどありえない。


「拠点は既に補足している。全軍、突撃せよ」


 新調したサングラスをかけた男は義手を握りしめて指令を出した。形式的にビシーの部下ということになっているが、実情は逆である。ビシーはあくまで兵器であり、男は魔術師だ。武器はしょせん、使い手に使われるのみ。

 

 夕陽によって黄金色に光り輝く街中で、大勢の魔術師が動き出した。杖や槍、ナイフや剣など自身のバトルスタイルに適した武器を触媒とする集団が、赤上家へと辿り着く。突撃の手筈は特殊部隊のそれと大差ない。音響と閃光を組み合わせた魔術を行使し、扉を蹴破る。

 そして、一瞬で制圧する。それがセオリーだった。

 よもや蹴破ろうとした矢先、扉が消失してずっこけるなどという失態を、突撃係が犯さなければ。

 醜態をさらした魔術師は唖然としている。身の危険を感じ面を上げると、そこには黒いローブに身を包み、とんがりハットを被った古風なスタイルの魔女が緑茶を嗜んでいた。


「残念でした。はーずれ。地図の見方、勉強したら?」


 茶目っ気溢れるセリフを聞いて、魔術師は気付く。ここが赤上家から正反対の位置に存在する空き家であることに。


「バカな、これほど高度な幻術を扱える魔術師など、奴らの仲間には」

「一応、親戚なのよ、これでも。名前はクルミ・ヴァイオレット。ミドルネームは割愛。日本だし。鉄斗の母親の、妹になるんだけど」


 得意げに自己紹介を続けるクルミは金髪碧眼の麗しい笑顔を浮かべて、


「つまり叔母か。盲点だった」


 というセリフに固まる。不穏な空気を表出させて、


「今、聞き捨てならないことを言ったかな?」

「何――?」


 魔術師たちに戦慄が走った瞬間、空き家ごと大爆発が起きた。


「ふぅ、ちょっとやり過ぎちゃった」


 文字通り木っ端みじんに吹き飛んだ廃墟の中で平然とするクルミは、市街地に蔓延る魔術師たちの存在を感知する。数自体は多い。それに、今ので幻術は見抜かれた。自分一人だけならやりようはいくらでもあるが、防衛戦は人手がないとどうしようもならない。

 だが、幸い、今回は人手が足りている。これも全て、あの子のおかげである。


「本当にお父さんに似ちゃって。悪いところも、いいところもさ」


 クルミは呆れたように笑うと、リーダー格であるサングラス男を探すために動き始める。

 鉄斗の努力は無駄である。ビシーとの交戦を除き。

 彼は焦る必要がない。倒すべき相手に集中するだけでいいのだ。



 ※※※



「拳の絆は、固いですよ!」


 無窮組手は魔術の法則すらをも曲げる。紅葉は唯一の武器である身体を用いて、市街地にのさばる悪しき魔術師たちを成敗していた。

 恥さらしと言えども無影流忍者である。

 影すら残さず、無影流は日本を守ってきた。

 忍者が魔術師如きに後れを取る理由はない。そもそも忍術や陰陽術、魔術は同一の力を用いている。地域や流派によって呼び名が違うだけだ。

 それを踏まえてなお、紅葉は異端である。なぜなら彼女は異能の類を一切使っていないからだ。

 体術に始まり、体術に完結する。例え才能がなくとも修練を積めば、核兵器すらも凌駕できる。


「この身は人々を守るためにこそ!」


 魔術で防御壁を張った魔術師を壁ごと殴り飛ばす。魔術師たちは唖然としながら、長い年月をかけて磨いてきた魔術がただの拳闘に破壊される様を眺めるしかない。

 否、ただの拳闘ではない。鍛錬を積んだのは紅葉も同じだ。

 それに信念では彼らを上回っている。負ける道理は微塵もない。




「しかしあんたも回りくどいことしてるな」


 紅葉が身体を使って奮闘している傍で、アレンはパワードスーツを纏って不届き者どもに銃撃を加えている。

 通信システムを起動し、片手間で会話をしながらだ。放たれた魔術はフライトパックで華麗に躱し、サブマシンガンから雨を降らせる。


『俺も子どもを無駄に殺したくないからな』

「で、本当ならここで横やり入れてくる連中はどうしたんだ?」

『今頃北海道辺りに出張ってるんじゃないか?』

「あんたほど仲間に欲しくない奴も珍しいぜ」


 口笛を吹いて、神宮の手腕を褒める。もしここに連中――神宮の同僚である公安五課の面々――がいたら、無用な犠牲が出ることは確実だろう。あのなかなか見所がある少年も、きっと連中特有の強引な手段で排除させられていたに違いない。何せ、彼らは警察の皮を被った日本の工作員だ。情報を得るためだったら、誘拐でも暗殺でも平気で何でも行う。


「CIAもどきも嫌だねぇ。俺はCIAも嫌いだが」

『お前はアメリカ人だろ』

「どいつもこいつも世界をミクロの視点で見過ぎるんだ。奴らはアメリカ人しか見てない」


 アレンは呆れる。呆れながら剣を振るってきた魔術師を蹴り飛ばす。

 全く、どいつもこいつも。自分のことばっかり見ていたら、どこかで大掛かりなことを企てている狸に全部美味しいところを持ってかれると気付かない。

 昔ならお節介を焼いてくれるいい人間たちがいた。だが、彼らはほとんどがくたばってしまったのだ。もし、何かが起きた時、誰も助けてはくれないぜ。


『ま、今時はどこの国もそんなもんだ。だから世界はいつだって――っと』

「おい?」


 突然神宮から通信が切れる。顔を顰めながら、魔弾を回避しつつ魔術師の首をナイフで掻っ切ったアレンへ、


『すまんな。いきなり背後から襲われたんでね』

「平気か?」

『当然だ。気絶させた』


 涼しい声での通信。神宮は非戦闘員だから戦場に繰り出さないのではなく、単純にどこを防衛する必要があるか俯瞰するために市で一番高いビルの上に陣取っているだけだ。

 神宮自身もプロである。ハリウッドスター顔負けの技能を持った、映画に登場するスーパーエージェントみたいな男。アレンは肩を竦めて、透明化した魔術師によるバックスタブへ回し蹴り。一連の動作を観察していたであろう神宮から、


『日本人のサラリーマンは、電話口の相手に頭を下げる癖がある。アメリカ人もそうなのかね?』

「知らんさ。というか誰だって呆れたくもなるよ。ユーモアがある奴なら」


 アレンは苦笑する。片やしのぶつもりのないくノ一が拳と足を使って暴れまわり、遠方のビルでは警察官の名を借りた凄腕エージェントが居座っている。プロトタイプとは言え、ハイテク装備の塊であるパワードスーツを着込む自分が間抜けみたいだ。


「でもま、あの少年の意志は無駄にしないさ。ちょっと子供らしくはないがね」


 アレンはサブマシンガンを構える。傍らでは紅葉が構えを取った。


「あの人は立派な大人ですよ。半人前の私なんかよりも」

「同感だ。アイツよりもガキな大人はごまんといるしな」


 さてはて、自分はどちらにカテゴライズされるのだろうか。チャイルドな大人か、アダルトな大人か。

 どちらにせよ、ただ自分ができることをするだけである。何もしないよりは、マシなはずだ。


『わかっていると思うが、彼が守っている少女のことなど俺は知らない。向こうに関しては彼の問題だ。だから、俺たちは俺たちの問題を片づけるぞ』


 了解、という威勢の良い返事が戦場に響いた。



 ※※※



「くそ……ッ!」


 鉄斗は歯噛みする。歯噛みするしかできない。道路での銃弾と杭の応酬では埒が明かないと判断し、店の中に逃げ込んだのはいい。だが、攻勢に出る機会が見当たらない。おまけに攻撃しても相手にダメージを与えられるかは謎ときた。


「ああ、くそ、全くどうしろってんだ」


 愚痴を漏らして、ライフルの弾倉をチェンジ。カウンターに背を預けて、床に腰をつけている。

 こじんまりとした商店で、店内は売り物の食料品ばかりだ。棚の上にはまとめ買いがお得と銘打たれた炭酸飲料の箱が置いてある。

 その他にも旨そうな食べ物がたくさんあったが、とてもじゃないが食欲は湧いてこない。


「お腹でも空いたの? 鉄斗君?」

「お前は何か食べないのか?」


 おどけながら告げると、ビシーは声を弾ませた。


「ふふ、じゃあお言葉に甘えようかしら」


 そういっておもむろに――店内の商品を漁ってお菓子を頬張り始める。ばりぼりと響く咀嚼音。日常的な音楽が戦場に響くが、不意を打って銃撃するつもりにはならない。鉄斗がどこに潜んでいるかなど一目瞭然だ。むしろ、ビシーはこちらが痺れを切らして射撃するタイミングを待っている。

 彼女が取る手は至極単純。銃撃を避けて、杭を連発すればいい。そうすれば、串刺し鉄斗のできあがりである。君華も驚くほどのスピードクッキングだ。


「早くしないと太っちゃうわ」

「女性は少しふくよかな方がモテるらしいが」

「それはあなたの好みなの?」

「俺の好みか? 仲良くなったら教えてやる」

「それじゃあ二度と聞けなさそうね」


 かもな、と相槌を入れつつ、鉄斗は懐から拳銃を取り出す。マガジンを排出し、炸裂弾用のマガジンへチェンジ。スライドを引き直してチャンバーに残った弾丸を弾き出し、発射可能状態へ。


「出て来ないの? 鬼ごっこはおしまい?」

「いや、まだ付き合ってもらう!」


 鉄斗は勢いよく立ち上がり、一番最初に目が付いた炭酸飲料の箱へ銃撃する。急激に熱せられた缶が変形し、銃撃による衝撃もあって爆発する。人体を傷つけるほどの威力はないものの、驚愕したビシーを置いて店の裏口から逃げ出すことはできた。

 炭酸飲料塗れとなったビシーは怒るどころか目を丸くして、バカな遊びをしたいたずら子どものように大笑いしている。

 その笑い声を背に、鉄斗は右手に持つピストルを仕舞い、代わりに懐を弄った。片手にライフルを持ったまま疾走する傍らで、アウローラから預かった瓶を取り出す。


「イチかバチか、か。やるしかないか」


 飲み干して瓶を投げ捨てる。そのまま少しでも有利な場所へ移動しようとして、


「そんな頑張らなくても大丈夫よ。そろそろ、疲れたでしょう?」

「ッ!」


 気遣う言葉と共に降り注ぐ杭の雷で進行方向を塞がれる。上手く逃げていたつもりが、自ら危険地帯に足を踏み込む形となった。


「あなた、本当に面白い。私と戦う相手はいつも似た反応ばかり。子どもだと言って憐れんで、殺してくださいとばかりに隙をみせるか、汚らしい兵器だと罵って、無様な死に様を晒すか。けれど、あなたは違う。まるで、私を愉しませてくれるために来てくれたみたい。素敵よ、あなたはもうごちそうなんかじゃないわ」

「おつまみってところかな」


 鉄斗は逃げ場を探すが、ない。今後もし似たようなシチュエーションがあったら、二度と路地になんか逃げ込まないと密かに誓いを立てながら、剥き身のM4を構える。


「銃には疎いの。でも、それが何のドレスも着込んでない裸の銃だってことはわかる。なぜかしら」

「どうせお前さんには通用しないよ。ただの重しになるだけだ」


 一撃で殺されるのがわかっている相手に、重厚な鎧を着込んで行っても邪魔なだけだ。それならまだ裸の方が生存率が高い。例え微々たる数値だとしても。


「そう。……どうせならあなたの全力が見たかった。せっかくのおともだちだもの」

「遊び方を変えた方がいい」


 ライフルを構える。もちろん、ビシーが鉄斗の提案に乗るはずもない。


「機会があったら、考えるわ。たぶん――ないと思うけど」


 ビシーが何もない空間から一気に十本もの杭を取り出す。

 逃げ道のない鉄斗に向かって、大量の杭が放たれる。

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