第7話 アイアンウィル

「グルヴェイグか。殲滅すると一悶着ありそうだな」


 双眼鏡で戦闘を俯瞰する神宮は訳知り顔で独りごちる。グルヴェイグという単語が組織名ということすらも知らない紅葉ははてなマークを浮かべるのみだ。


「何のことです? よくわかりません、先輩!」

「いいからお前は大人しくしてろ。……魔女兵器の名は伊達ではないか。アイツ、意外に時間掛かってやがるな」


 神宮が観察する傭兵は、間違いなく凄腕の一人だった。そもそも軍に縛られてると戦いたい時に戦えないからという理由でアメリカ軍を辞めた男である。戦闘好きなことに加えて、その戦闘能力も言わずもがなだ。

 なのに、珍しく苦戦している。いや、手心を加えているのか。


「全く、お人好しだね。それこそが敵の狙いなんだが」


 子ども兵士は善良な心を持つ兵士に対して有効だ。そして元来、軍にはそういう人間が大多数いる。くそったれ共に悲惨な目に遭わされる子どもたちを救うべく兵士になったのに、実際に敵として対峙するのは救うはずの子どもたちだ。

 物理的な戦力としても使役できるし、例え何もできず殺されても精神的なダメージを敵に与えられる子ども兵士は、悪人たちが喉から手が伸びるほど欲しい逸材だ。

 そしてさらにくそったれなのは、子どもを誘拐して洗脳する大人が、元は同じ境遇の子どもだったという悪循環がごく当たり前に起こることである。


「世界ってのは嫌なもんだ。ま、やることはやらせてもらうがね」

「先輩……? 余計なことはしないんじゃ」


 紅葉が困惑するのも無理はない。神宮はケースからスナイパーライフルを取り出したからだ。バイポッドをビルの塀に乗せて、スコープを覗く。さも当然のように。


「余計なことをしないのはお前だけだ。……せっかくここまで出張ってきたんだ。何もしないで帰るわけにはいかんだろ」


 そういってにやりと笑い――間髪入れずに引き金を引く。



 ※※※



 傭兵は自身にとっての天職だと、アレン・コーデックは常々思っていた。

 仕事と雇い主を自分で選べるのがいい。そのような贅沢を行えるのは一握りの強者だけだが、アレンは間違いなくその一握りの中に入れている。

 だからより取り見取り……というわけでは残念ながらない。舞い込んでくる仕事は多いが、そのほとんどはくだらないものばかりで、丁重にお断りさせてもらっている。

 それでも軍に所属していた時よりはマシである。助けを求める人間を金の無駄遣いとかいう名目で救わなかったり、政治のせいで助けられる人間を見殺しにしていたあの頃よりは。


(とは言え、こいつは参った)


 アレンは背後に装着されたフライトパックを自由自在にコントロールして、発射される杭を避ける。敵の魔術は威力とその特殊効果こそ優れているが、パターン自体は単純だ。杭を創成し投擲する。対処法は対魔弾で撃ち落すか回避するかだけでいい。

 もっと面倒な術式を使う魔術師を屠ったこともあるので、彼女自体に脅威は感じていない。

 だが、以前殺した魔術師はれっきとした大人であり、


「私の邪魔を……よくも!」


 この可憐な少女のような子どもではない。そしてアレンは兵器として利用されるような子どもを殺すまいとして軍を辞めたのだ。軍人である以上は殺されてでも子どもを救うのが当然だと思っていたのだが、古巣の軍はそれを許さなかった。

 だが、今は堂々と命を投げ出せる。無論、全ての手段を試した後で。


「さて……どうする――チッ」

「面倒だわ! 一気に殺してあげる!」


 浮遊魔術を行使して、少女が一直線に突っ込んでくる。

 撃ち落すのは容易い。だが、それをしては本末転倒だ。銃弾ってのは厄介だ。殺したい相手は殺せないくせに、殺したくない相手を殺してしまうことがしょっちゅう起こる。

 迎撃ではなく回避に転じるか、と判断したアレンだが、頭部を掠るように迸った杭に本能が疼く。

 回避を封じたつもりなのだろう。彼女は。

 しかしその選択は命に直結する。アレンは迎撃しようとすればできるからだ。

 何なら殺すこともできる。脳内計算では既に五度ほど彼女を血祭りに上げている。

 だが、それでは。


(何の意味もないってか。くそ!)


 アレンは選択を迫られ、その間にも少女は突撃を止めない。

 杭を手に持つ少女にサディスティックな笑みが浮かぶ。

 瞬間、アレンは彼女の真意を理解した。彼女はこちらが手加減していると知ってあえて特攻を選択したのだ。この男なら絶対に自分を殺すことはないと達観して。

 だが、それがなんだ。例え己のアドバンテージを理解していようとも、彼女の人生が悪意ある者によって歪められたのは事実だ。

 そのような人間を殺さないために軍を辞めた。

 だから例え救うべき対象に殺されても信念を貫く。

 覚悟を決めたアレンだが……唐突に放たれた銃弾に目を見開く。

 弾丸はピンポイントで杭だけを撃ち抜いていた。流石だ、と思わずにはいられない。

 だからあの男の依頼は必ず受けるのだ。にやりとほくそ笑んだアレンは、


「この距離の狙撃を――ぐはッ!?」

「すまないね、お嬢さん、眠ってもらうぜ!」


 蹴りを少女に放つ。

 蹴飛ばされた少女は瞬時に体勢を整えて、即座に判断を下したようだ。


「気に食わない……大人が!」


 吐き捨てると転移術式を起動させて消える。アレンはVRマッピングで周辺情報を確認したが、彼女の存在はおろか本来戦う予定だったサングラス男も存在しない。

 すぐさま、詫びの通信が入った。


『すまんな、アレン。よもや彼女みたいな子どもが出てくるとは』

「いいってことさ。少なくともあんたは子どもを殺せなんてくそったれなオーダーは出さないからな」


 軍なんかよりは遥かに信頼をおける存在だ。彼は政治に振り回されることがない。

 例え上層部が殺せと命令を下しても、必要なしと判断すれば拒否する。そしてそれを可能にする実力と権力を持っている。


「で、俺が苦労した意味はあったか?」

『もちろんだとも。敵の正体はグルヴェイグだ。まぁ、あの少年のお手柄だが』

「嘘こくなよ、どうせあんたは最初から気付いてたんだろうに」


 アレンは呆れたが、あくまでもあの少年を称賛する方針は変わらないらしい。

 確かに実力はさておいて、胆力のある少年ではあった。どこかで見覚えのあるスタンスだ。


「名前はなんだったか?」

『赤上鉄斗だ』

「赤上……おいおいまさか」

『かもしれんな』


 言葉を濁した神宮にアレンは大笑いをしたくなった。ここまで数奇な運命があるものか。あの男の息子は立派にその性分を引き継いでいるらしい。

 才能のないところも。自暴自棄なところも。それでいて、最後には――。


「どうせあんたのことだから居場所もわかってるんだろ? お邪魔するか?」

『頼れる後輩が拳でコミュニケーションを交わしたらしい。あの子の意志を尊重したい』

「世知辛い世の中だ。子どもを助けるのに子どもの手を借りるとは」


 だがそれが最善であるならば、そうするしかない。このくそったれな世の中はそういう風にできているのだから。

 無論、きっちり借りは返してもらう。アレンは固く決意する。

 というよりも、元々強固にできていた信念をさらに補強したという具合だ。


「さて、本格的にお仕事を始めるとするか。計画があるんだろう?」


 アレンはほくそ笑んだ。ここからは大人の時間だ。



 ※※※



 荒い息が室内を満たしている。

 感じるのは死の気配だ。死神が和室のふすまの前で今か今かと時を待ち続けている気がする。

 布団で眠る彼女の死を。ピュリティの義姉であり、アウローラ・スティレットという一人の少女の終末を。


「くそ……効果がない」

「鉄斗!」


 悲愴に満ちたピュリティの呼び声が響く。縋るような声音だった。

 だが、鉄斗はどうしようもなく無能である。その無能さは回復魔術にまで影響を及ぼしている。考えられる限りの手立てを施したが、アウローラの症状は改善される様子がない。

 息も絶え絶えと、呻いているだけだ。


「く……う……」

「義姉さん!」

「ピュリ、ティ……」


 ピュリティが呼びかけるとアウローラは目を覚ました。名前を名乗った後、すぐに気絶してしまったので、数刻ぶりの目覚めである。だが、酷く衰弱している。眠っても体力は回復していないらしい。

 解毒剤が効いていない。くそっ……と心の中で毒づいた鉄斗をアウローラは見上げて、


「落ち着け、少年……解毒剤は……効いている」

「ダメだ。俺の実力じゃ解毒できない」

「違う……君の、じゃない。私は既に、解毒剤を服用していた。あらかじめ、用意していたんだ。一度目に不意を打たれた後で。だが……強力過ぎる。毒の専門家だけはあった……」


 アウローラは血を吐いた。その口元を鉄斗が拭う。


「ああ……天罰か、これは……。因果応報……」

「そんなことない!」

「そうか……? ああ、そうかもな……すまない、よくわからない……」

「無理にしゃべるな」


 アウローラは壊れかけのガラス細工を彷彿とさせる。透き通って綺麗だが、いとも簡単に砕けてしまう脆さを内包しているのだ。

 砕け散る寸前のアウローラは鉄斗に手を伸ばす。目が強く訴えていた。


「すまない、ピュリティ。少し席を外してくれるか?」

「……う……」


 ピュリティは不本意のように顔をしかめたが、義姉の切実な表情を見て従った。心配りを眼の中に潜ませてふすまの奥へと引っ込んでいく。


「いいぞ」

「ああ……察しがいいな、君は……」


 アウローラはまた咳き込んだ。息に混じって血が奔る。


「あの魔女の名前は……ビシーだ。得意とする魔術はポイズンクラフト。複数の毒魔術を独自にアレンジしたものだ。君は博識だから、わかると思うが」

「単純な毒じゃない。毒の効果を魔術で再現する代物だな。どちらかというと呪いに近い」

「そう、だ。だから、どのみち、解毒剤はあまり効果がない……これでも随分マシになった方だが」


 アウローラは部屋の隅に置いてある自分の荷物を見つめた。


「ポーチに……調合した解毒剤がある……」

「今飲ませてやる」

「いや、いい……君が持て」

「何言ってる?」


 鉄斗は返しながらも、わかっている。彼女の真意を理解しているが、だからこそ解せない。


「率直に言って、俺が戦うよりもあんたが戦う方が確実だ」

「だが、君は戦うはずだ。死んでも構わないと思ってるだろう? 無論、無駄死にするつもりはないだろうが、それでも……止むを得ないと思っている。自身に才能がないから……」

「それでもこれはお前さんが飲むべきだろう」

「飲んだとしてももう効果がない。私の症状は改善されないだろう……。今、私が頼れるのは君だけだ。君なら、理解できてるだろう……くっ」


 アウローラの言葉が途切れる。鉄斗は正しく状況を理解できている、と自負する。

 調停局に保護を求めても、彼らには力がない。下手をすれば元の場所にバケモノは戻されて、最悪、解剖されるのがオチだ。良くて魔女兵器となる。それでは何の意味もない。

 警察も同様にだ。理解者の元に転がれればいい。だが、魔女は殺すべきと考えているような過激派や交渉材料に使おうと目論む連中に利用されかねない。

 魔女同盟も候補には上がるが……生憎、鉄斗にはコネがない。複数の魔術組織で成り立つ同盟には人道に基づいた理念で活動する善人ももちろん存在するが、彼らが庇護下に置く前にグルヴェイグによる妨害が必ず入るだろう。

 狩人教会は……何をするかわからないというのが本音だ。彼らともまともなコネクションを持っていないので、無闇に魔術師を狩ることはないと頭では理解していても頼るのには不安が残る。

 それでも、もしアウローラが健全なら戦う以外の選択肢を考慮することも可能だったろう。だが、彼女は戦えない。症状は悪化の一途を辿っている。

 となれば対応策は一つだけ。鉄斗が戦って、ポイズンクラフトを解除するしかない。


「本来なら……私の命など、取るに足らないものだ。君は、ピュリティを然るべき機関に保護するだけでいい。私を代わりに差し出せば、きっと彼女の安全だけは保障してくれるはずだ……」

「それでピュリティが納得すると思うのか?」


 鉄斗の窘めるような口調にアウローラは口元を痛々しげに歪ませる。


「だから、君に託す。博士から託された彼女を。解せないことは多々ある……なぜ彼女が狙われるのかわからないが……」

「お前さんしか知らない、不思議な力が秘められてるとかそういうことじゃないのか?」


 アウローラは首を横に振る。身体は汗でびっしょりと濡れている。


「それは、ない。魔力量自体は優れているが、それだけだ。元々何らかの実験体だったのは確かだが……その実験も失敗したと聞いている」

「その実験をしたのが例の博士……じゃないよな?」

「当然だ。博士は失敗作として破棄されていた彼女を保護し、育てていた。実験の影響からか、自我を喪失していた彼女を彼が保護し、彼女の復活を待ち続けていた。マッドサイエンティストなどと揶揄されていたが……彼は一人の少女を救おうとしていただけに過ぎない……いや……」


 二人か。アウローラは呟く。そして激しく咳き込んだ。顔中が吐いた血で赤く染まっていく。それほど衰弱した状態でも彼女は鉄斗の腕を力強く掴んだ。


「君を彼のような善人と見込んで頼む。義妹を救え! 生まれて間もなく、人生を片鱗すらも謳歌できていない彼女を守ってくれ!」


 その熱意は鉄斗の心を震わせる。が、首肯する気にはなれない。

 その言葉をそのまま認めるわけにはいかない。なぜなら、彼女は間違いを犯しているからだ。


「勘違いしてるぞ、アウローラ」


 鉄斗は彼女の手をそっと布団の上へ戻す。


「俺が救うのはピュリティだけじゃない。お前さんもだ」


 実際に救えるかなど知ったことじゃない。それでもやると決めた。

 どうせクソ雑魚無能野郎なのだ。ならせめて自分の気持ちには嘘を吐かない。

 アウローラは一瞬呆けて……年相応の涙をみせた。


「その優しさは毒だぞ……鉄斗。ふふ……今、私を蝕む毒よりも強烈だ。君は、私を殺したいのか……」

「その逆だ。そんな風に冗談を言えるなら、きっとピュリティも笑ってくれる」

「そうか……そうだと、いいな……」


 アウローラが疲労の貼り付いた笑顔をみせる。

 そして、急に力が抜けたように眠りに落ちた。


「笑ってくれなきゃ困る。俺のことを殺そうとしたんだからな」


 鉄斗は立ち上がる。ふすまを開けて、震えるピュリティと彼女を抱いて落ち着かせる君華へ向き直る。


「アウローラさんは」

「眠った。処置はさっき教えた通りに頼む」


 勘のいい君華は鉄斗の発言に含まれる意図に気付き口を開こうとして、閉じる。

 代わりに強がった笑顔をみせた。


「わかった。後は任せて」

「ありがとう」


 再び不安の重圧を君華に押し付ける。そのことに負い目はあるが、だからと言って二人を見捨てることなどできない。

 想いを汲んでくれた君華は本当に強い少女だ。自分なんかよりも圧倒的に。

 鉄斗は感謝の念を抱きながらピュリティを見つめる。


「彼女を見守ってやってくれ。アウローラはお前さんを必要としてる」

「でも、鉄斗」


 ピュリティの瞳は切実に訴えている。私も戦うべきだと。

 鉄斗は彼女に目線を合わせた。彼女は容姿こそ十六歳程度だが、その中身は無垢であり純粋なのだ。


「正直なところ、俺はお節介を焼いている。ああ、果てしないほどの世話焼きだ。初対面の人間を無策で救ったばかりか、二度目、三度目、そして四度目と……自分より遥かに強い相手と戦おうとしている。自分でも何をバカなことを、と思うよ。というより世の中の賢い人間って奴は大概……汚いことを平気でする」

「義姉さんが言ったように……? 見てきたように? 本の中にいる、悪役のように?」

「頭の良さと性格の善さはイコールじゃないんだ。むしろ最近は賢くないと大それた悪事はできない。ちょっと悪いことして捕まるような奴は頭の良くない悪い奴。けれど、捕まらず、社会のルールを悪用して悪事を成すのは賢い奴」


 これから鉄斗が戦う相手であるビシーは、悪事を成しているが、賢いどうこう以前に操り人形である。恭順しているのは彼女なりに諦めてしまったからだろう。

 そして恐らく、いざ彼女の存在が露呈した場合、社会もまた彼女を救うことを諦めるのだ。

 諦める。諦める。諦めて諦めて諦める。

 鉄斗もまた諦めている。

 だけど、諦めないことの尊さをよく知っている。諦めているからこそ既知だ。

 自分を救ってくれた人がいるのだから。

 彼女は諦めていないのだから。

 鉄斗はピュリティの肩越しに気丈に振る舞う君華を見る。


「この世界には、善いことをするバカが不足してるんだ。だから、誰かがそういうことをやらないと世界は回らないだろ? 地球は丸いんだからな」

「鉄斗は……ヒーローなの?」

「いいや、馬鹿者さ。俺はヒーローなんかにはなれない」


 もし力があればなっても良かったかもしれない。だが、鉄斗は才能がどうしようもなく足りない。

 不足している。ならその不足を補う必要がある。

 けれど今はダメだ。もしここで鉄斗が大人の力を借りれば、アウローラの孤独な戦いが全て無駄になってしまう。ハッピーエンドになるならいい。だが、迎えるのはバッドエンドだ。

 となれば方論はたった一つだけ。


「ならどうして」

「俺は諦めてるんだよ、どうしようもなく。知ってるのさ。世界がどれだけくそったれに見えても、確かに世の中にはいい奴がいるって。絶望して挫折して、死んでも構わないとまで思った人間を、甲斐甲斐しく支えてくれた人がいて。そして、血の繋がらない他人を妹と呼んで、人生を投げ出した人もいる。なら俺も動かなくちゃな」


 何よりここで動かなければあの呪いの言葉に苛まれる。

 鉄斗は胸中で亡き親父に愚痴をこぼしたい気分だった。

 あの忌々しい親父め。見てるか? 才能の無い人間が何を成せるか見せてやる。


「アウローラを頼む、ピュリティ」


 ピュリティはしばらく黙す。何かを懸命に考えている。

 学んでいるようにも見える。世間ではメアリー・シェリーの創作だという話になっているフランケンシュタインの怪物は、実在した存在だ。究極の生命体を作ろうとしたヴィクター・フランケンシュタインの末路は概ね小説版に沿っている。というよりほぼノンフィクションなのだから当然だが。

 彼女はその怪物の再来なのかもしれない。善と悪の境目がわからない怪物。

 バケモノ。だが、フランケンシュタインの怪物が創造主に恵まれなかったことに反して、彼女には素晴らしい創造主と義姉がいた。


「鉄斗……帰ってきて。お礼したいから」

「わかった」


 飴を食べてしまった時と同じように。

 彼女は優しい人間に育てられた。ズレているとは思う。

 無知だとも、無垢だとも。

 彼女には多くの可能性が眠っている。

 志した道が塞がれた鉄斗とは大違いだ。

 嫉妬に駆られて彼女を壊すこともできる。

 無関係だと無視を決め込むことも可能だ。

 いや、それは果たして実現可能と言うべきか?

 鉄斗の心が赦さない行いを。

 情けない大人の振る舞いを。


「すぐ戻る」


 鉄斗は魔術工房へと足を踏み入れる。P226を作業台へと置き、カスタムパーツを並べる。まずスライドを外し、シルバースライドを取り出す。ナイフを手に持ち、慎重にルーンを刻んだ。

 浄化のルーン。これで少なくとも、杭を迎撃することはできるはずだ。


(金持ちなら対魔弾や銀弾を使うこともできるんだが)


 あの傭兵のように潤沢な資金でもあれば、豪華な装備で戦うこともできた。

 だが、生憎、鉄斗はそこまで金持ちでもない。親が遺してくれた資金も魔術の才を磨くために使い果たしてしまった。

 残されたのは無能の身体とその身を補うための武器だけだ。

 鉄斗は作業を続ける。スライドを銃身に戻すと、今度は弾薬箱を取り出した。魔術によって保全されている箱のカギを外して、目当ての弾丸を並べていく。

 見た目は通常弾と変わりないが、火薬が増量された強装弾だ。マガジンに一発ずつ詰めていく。さらに弾薬箱の中身を漁り、ホローポイント弾や炸裂弾を次々マガジンに押し込んだ。

 特殊弾薬はどれも強力だが、それは命中すればの話だ。それに、鉄斗としてはあの少女――アウローラ曰くビシーという名前――を殺すつもりはない。

 そもそも殺せるほど実力がないのも正しい。よく銃があれば子どもでも人を殺せるなんて話があるが、それは訓練していた場合だ。素人が銃を撃っても当たらない。加えて、命中しても殺せないという話もざらだ。素人が玄人を銃殺できたとすれば、それは完全に運の問題である。

 そして、そんなものに命を委ねるつもりはない。なぜなら、神様はどうも自分を嫌っているらしいから。

 不遇な肉体を持つ身としては、運命を味方に付けるなんていう博打に賭けるはずもなかった。


(……ビシーは悪い奴だが、生まれついて悪人だったわけじゃない。そもそもそんな奴がいるのか知らんが)


 善か悪かなんてものは先天的に獲得する概念ではなく、後天的に学習するものだ。生まれが善人だろうが悪人だろうが、その人間の性質には関係ない。そもそも何をもって善や悪とするのかも定かではない。

 人は良くも悪くも変わる者だ。ビシーだって変われるはずである。

 それに、そうすることこそが……ピュリティのためになるような気もする。


(被害者を襲う被害者を殺して悦に浸る、なんてのは教育上よろしくないしな)


 ピュリティが何も知らない無垢だとしたら、良い手本になる必要がある。

 どうせ勝ち目は薄いのだ。目標ぐらいは高くしたい。


「さて」


 鉄斗は気を取り直して、弾倉をポーチの中に突っ込んでいく。魔弾を装填したリボルバーも忘れない。拳銃を腰のホルスターへ。隠密のルーンを記してあるので街中で露見することはない。普段は無意味な魔力消費を抑えるべく使わないが、今日はあえて魔術の痕跡をたっぷり残していく予定だ。

 主武装を決めるため、鉄斗は部屋に飾ってある銃器群を眺める。ふと奥に仕舞ってある箱に目が留まった。

 そこには父親が愛用していた古い銃器と……刀が仕舞われている。


「見てろ親父」


 鉄斗は銃器箱から目を逸らした。鉄斗と父親は装備のチョイスが異なっている。父親は才能がないからこそ旧式の銃を使って威力を底上げする方針を取っていた。

 対して鉄斗は些細な恩恵よりも使い勝手の良さを選択した。親父のやり方は時代錯誤も甚だしい。


「これが俺のやり方だ。生き方だ」


 鉄斗は最終的にM4のカービンモデルを選択した。軽量化を優先したためアクセサリーの類は外したまま持っていく。スコープの類もオミット。アイアンサイトだけでいい。照準器でまともに狙いをつける暇もない。

 モジュラーシステムが長所のアサルトライフルを基本状態のままバッグに放り込んで、鉄斗は魔術工房を後にした。

 剥き身のままで戦う。それが赤上鉄斗の戦い方だ。

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