第3話 シスター? シスター!

 男と女、それも年頃の男女が商店街の真ん中を歩く姿は、初々しいカップルによるデートの模様を呈していてもおかしくないはずだった。

 なのに、どう見繕っても場違いである。片や私服に身を包み、片や高校のジャージ姿だ。紛うことなき非行少年及び少女の風体を披露しながらも、鉄斗は堂々とクレープ屋の前にある野外テーブルへと陣取っていた。

 そこには無我夢中にクレープにかぶりつくバケモノが。鉄斗はまさに異形の怪物の如き食いっぷりに面食らいながらも彼女に質疑を開始する。


「ちょっと聞いてくれないか? そのままでいいから」

「ほのはは?」

「ああ……返答する時は、口に何も入ってない状態で頼む」


 口元にたっぷりのクリームをつけたバケモノはこくんと頷く。


「まずお前のそのシスターについてだが……」

「シスター」


 ぼそりと呟いたバケモノは、喜々としてクレープを頬張っていた時とは一変、暗い色を表情にのせる。


「そのシスターっていうのは教会関係か?」

「シスターはシスター」

「だからどの教会の……」

「ノンチャーチ、ノンシスター」

「うん? あぁそうか、ようやくわかった。……姉か」

「うむ」


 シスターとは紛らわしい。が、とりあえず彼女には家族がいるようだ。

 ちゃんとしているか、はどうかして。


「じゃあお前さんのお姉さんは……どこかの組織に所属しているのか? 例えば、魔術同盟とか、狩人協会とか」

「……わからない。何も教えてくれない」

「そうか」


 さもありなん、として鉄斗はそれ以上の追及を避ける。

 他に訊きたいことは山ほどあるので、次に何を聞き出すべきかを思案する。

 が、急にバケモノの手が止まり、何かを伝えたいようにこちらを見つめてきた。


「どうした?」

「う、う」

「俺に言いたいことがあるなら、構わない。言ってくれ」


 バケモノはわかりやすく悩んでいる。目は泳ぎ、眉間にしわを寄せ、小さく呻いている。そうして、ようやく決断し、口を開いた。


「ヘルプ」

「助けて、か?」

「うん、うん……! 助けて、欲しい。助けて」

「お前さんをか。わかった」


 やはりここは独力で動かずにコネを頼るべきか。そう判断した鉄斗は立ち上がり、電話を掛けに行こうとする。

 が、バケモノに裾を掴まれた。彼女は首を勢いよく横に振っている。


「ノー、ノー!」

「ん? どういうことだ?」

「ノン、ナイン!」

「わかった。落ち着いてくれ。話を聞く」


 鉄斗は椅子に戻る。興奮気味のバケモノはすぅ、はぁ、と仰々しく深呼吸をして、


「わたし、じゃなくて」

「お前さんじゃない。それで?」


 バケモノが言葉に詰まる。だが瞳は切実に訴えていた。

 助けて欲しい。救って欲しいと。

 才能のない人間として、やれることは限られているが。

 それでも、諦めている。夢も希望もない人生だ。

 どうせ何も成せないで死ぬのなら、頼み事ぐらい聞いたって罰は当たらない。


「私の――ッ!?」


 途中でバケモノは停止ボタンを押された映像のように固まった。


「バケモ……ッ!?」


 彼女の様子を訝しんだその瞬間、強烈な敵意を背後から感じる。

 遠方から、であればまだよかった。けれど、違う。

 近場から。もっと言及すれば――すぐ後ろからである。


「私の妹をたぶらかす、か。魔術の類ではなく、何らかの催眠術でも用いたか」

「――――」


 言葉が出ない。瞬時に理解できる。あのサングラス男は比較対象にすらならない。

 彼女は強い。まず勝ち目はない。それほど強力な相手の接近を許してしまった。


「だが、もう終いだ。死んでもらおう」

「だ、ダメ! シスター!」

「まだフォーマットが直らないか。ふん、構うものか。こうなった以上、リセットするほかあるまい」

「リセット、だと……?」


 振り向くことすらできずに、なんとか言葉を捻り出す。

 バケモノの姉は、嘲笑うような口調で告げた。


「そうだとも。お前とのささやかな記憶は消去される」

「……そうかい」


 自嘲気味に返答する。だが、視線はバケモノへ向けていた。

 バケモノは戦慄している。慄いている。

 ぎゅっと鉄斗の腕を握りしめている。

 怒っているのかと思った。

 怯えているのかと考えた。

 だが、違った。バケモノは――悲しんでいる。

 となれば、選択肢は一つだけ。

 往生際が悪い? 否。

 不屈の根性? 否。

 鉄斗は全てを諦めている。だからこそ、例え次の瞬間死んでしまおうが、命を賭して全力を出すことができるのだ。


「このッ!」

「――む」


 左脇のホルスターに手を突っ込み、後方に向けて乱射する。通行人に命中させるなどという初歩的なミスは犯さない。これでも銃器の扱いに関しては鉄斗はプロだ。実戦経験がある分、訓練しか受けていないような童貞兵士よりも遥かに練度が高い。

 それでもなお――相手の技量はこちらを上回っている。

 一瞬だけ、背後の存在を知覚する。銀髪をたゆたう少女騎士。

 騎士の装束にしては珍しく白いフードを被っているが、その美貌は隠しきれていない。

 もし平時に出会えたならば、目を奪われたに違いない。麗しい容姿もさることながら――何かしらの信念……というよりも、執念を滾らせるその眼差しに。


「鉄斗!」

「いいから来い! 走れ!」


 鉄斗は夢中で駆ける。バケモノの手を引いて。

 残された騎士は、動揺することなくただ漠然と呟いた。


「余計な手間を。まぁいい」


 自然と手が左腰に差さる剣の柄へ伸び――寸前で止める。

 代わりに、ナイフを引き抜いた。追撃を開始する。



「鉄、鉄斗!」


 バケモノが後ろで喚いているが、鉄斗に彼女に構う余裕はない。

 頭脳をフル回転させている。……どれだけ回したところで、彼女から逃げ切る策を思いつくかどうか。


(あれほどの猛者が傍についているなら、誰も見つけられないし、見つからないわけだ)


 仮説が当たって嬉しい気持ちよりも、ふざけるなという想いが強い。

 逃走しながらちらりと背後を確認する。戸惑うバケモノの顔から視線をずらし、その後方を一瞥する。

 姿はない。振り切ったと思いたいが……。


「鉄斗! 前!」

「何ッ!?」


 バケモノの叫び声で急停止する。コツコツと硬質的な足音が前方から響いた。

 薄暗い視界の先から、露わになるのはその鎧。先程は一瞥だけだったが、今はそのデティールがよくわかる。

 まず、その鎧。年代物のようであちこちに傷が入り、補修の跡が窺える。

 色合いとしてはオーソドックスな鋼色だ。だが、魔術的な意味合いは感じられない。強いて言えば年代物であるという点だが、それも術式を強化するためというよりかは、単に馴染み深いものだから使用しているという印象である。

 それよりも目を見張るのは、左腰に差してある剣と右手に持つナイフだ。武器を手にする以上、話し合いの余地はなさそうだ。無論、先制射撃を行ったこちらに言えた義理はないのだが、その部分を踏まえた上でなお卑怯だと鉄斗は声高に叫びたかった。


「く……ッ」

「私の義妹を連れてどこに行く? 敵よ」

「楽しいお散歩って言ったら信じてくれるか?」


 自分を奮い立たせるべく強気な言葉を吐く。どうやって切り抜けるかを思案しながら。

 冷え切った気配を醸し出す少女騎士は、しかし褪めた眼差しをこちらに向ける。


「期待するだけ愚かだ、少年。今すぐ妹を解放してくれれば、そうだな、楽に殺してやる」

「断る!」


 返答と同時に迎撃行動に移る。腰のポーチからスタングレネードを取り出して、少女騎士に投擲するが、魔道を司る者の標準的な運動能力を発揮して、彼女はグレネードをナイフで切り裂き無効化した。

 咄嗟に拳銃を穿つ。P226に装填してある銃弾こそは何の魔術因子も持たない実弾であるが、拳銃本体にはルーン魔術を施してある。強化のルーンは、北欧神話の戦士たちが使っていたポピュラーな魔術である勝利のルーンの現代改良版だ。

 強化のルーンがもたらす効果は単純――威力の強化。だが、戦闘においてはそんな単純さが雌雄を決定づける。

 ――が、それは命中した場合の話だった。


「強化魔術か」


 少女騎士は機敏に銃弾を避ける。その避け方は実に鮮やかだった。命中するであろう部位を少しずらすだけで、銃弾を回避する。映画でのお披露目だったら胸沸き立つであろうその脅威的回避は、現実においては最低最悪のサーカスでしかない。

 次手を講じようとした瞬間には、蹴りが腹部にめり込んでいた。血と息を吐き出しながら宙を舞う。


「鉄斗!!」

「呆気ない……ああ……やりすぎかもな」


 バケモノの姉はどこか他人事のように呟く。

 鉄斗は苦悶に呻くも事態を挽回するべく、頭をフル回転させていた。

 だが……どう考えても上手くいく情景が思い浮かばない。いや、それはバケモノを数に入れているからだ。もし彼女を放置して全力で逃げれば、或いは逃げ切れるかもしれない。

 腹を押さえて、バケモノを見つめる。彼女は恐怖に慄きつつも首をこくこくと縦に振っている。肯定――逃げて、と言っているのだ。自分はいいからと。


(ああ……それもいいかもしれないが)


 鉄斗は改めて視線を騎士へと戻す。この一戦で理解した。彼女の実力は折り紙付きだ。例え調停局の調査部が事態の解決に乗り出したとしても、この上級魔術騎士が本気を出せば霧の中へと消えてしまうだろう。

 それでも構わないかもしれないと、思う。バケモノの身に危険が及ぶ可能性は現時点では低い。騎士は少なくとも、バケモノを傷つけるつもりはないようだ。

 だが、彼女は言ったのだ。助けて、と。

 彼女自身ではない。バケモノは己の身を案じていなかった。

 では、誰なのか? その答えは一歩ずつ自分に近づいてきている。


「そうだ、そうだ……しかし、いつどこで情報が洩れるかわからない……」


 その足取りは重い。殺人を忌避するからかとも思われたが、彼女の瞳を見れば違うと即座に気付けた。

 なぜだろうか。圧倒的優位にいて。羨望を受けるかもしれない才覚を携えて。

 恵まれた力を持っているはずの騎士は、酷く――疲れていて。

 やつれている。本来持つはずの美貌を覆い隠すほどに。


「苦しみは一瞬――」

「義姉さん!」

「バケモノ……どけ」


 その響きには苦悶が混ざっていて。なぜかとても苦々しげだ。

 もし彼女が古典的な魔術師ならば有り得ないはずの表情だ。

 もし彼女が妹を本当にバケモノだと考えているならば、浮かびえない表情だ。

 その顔はどうしようもなく、人だった。年相応の少女のそれ、ではない。

 大人びている。否――くたびれている、顔。

 人生に絶望している顔。諦めている顔だ。


「私の邪魔をするな。彼は殺す必要がある」

「ど、どうして! 彼は悪い人じゃ」

「ああ……そうだろう。だからお前を他人と接触させなかった。知らぬはずだ。お前は知らない……この少年もきっとああなる。穢れてはいけない……」


 姉は妹の静止を聞かずに鉄斗の前へ辿り着いた。

 そうして、躊躇いなくナイフを振り下ろす――寸前。


「ダメ、やだ、やだ――!!」

「くぅッ!?」


 衝撃波が姉の身体を吹き飛ばす。バケモノがまた正体不明の力を発露させたのだ。

 単純な魔力の奔流はだからこそ、その身に宿す魔力量がモノを言う。けた違いの魔力の洪水は、優れた魔術騎士である少女でさえも一時的に足止めするほどの威力を持っていた。


「来い!」

「う、うん!」


 来た道を鉄斗は全力で逆走していく。

 とは言え、路地裏は直線だ。ただがむしゃらに逃げるだけではすぐ捕まってしまう。

 となれば、ショートカットする他ない。才能の無い鉄斗にとってそれは、高くつく代物だが、有事の際に四の五のは言ってられなかった。


「俺の手に掴まってろ!」


 ポーチから小口径のリボルバーを取り出す。そして、撃鉄を二度起こして、目当てのシリンダーをセット。真正面へと撃発する。

 瞬間、空間が歪んだ。転移術式を独力で使えない才能無し魔術師への有難いプレゼント、現代魔術の結晶、転移魔弾である。


「え? てつッ――きゃあああ!!」


 免疫のないバケモノの悲鳴を最後に、二人は路地裏から消失した。

 そこへ、よろめくように少女騎士が追いすがる。


「ふん、このような稚技、私が見抜けないと思ったのか」


 そう呟きながらも表情に余裕はない。脇腹を押さえて呻いている。

 解析するべく消失した空間に手を伸ばし、耐えきれず膝をつく。


「く、くそ……まだ完全には、無理か……」


 そのダメージは、バケモノの攻撃によるものではない。

 少女は歯噛みして、立ち上がろうとするが失敗する。

 代わりに吐血した。自分が吐いた血を見下ろして、情けなさに震えた。



 ※※※



 たばこは身体によくないが、上手いから吸っている。

 だが生憎と、今は酷い味だった。最後に上手いたばこを味わえたのは一体いつだっか。

 もっとも、それは銘柄が悪いからじゃない。元々大好きだった種類だし、歳をとって味覚が変化したという爺臭い理由でも、メーカーが配合を変えたという大人の事情のせいでもない。

 喫煙する状況だった。事件が起きているとたばこはとてもまずくなる。

 悲しいことに最近は事件が頻発していた。男の所属する部署が専任している案件が。


「魔術ってもんは一応、秘匿されて然るべきもんじゃないのかね」


 茶色のスーツに身を包む男……神宮孝則かみやたかのりはため息を吐いた。公安五課という本来は存在しない部署に所属する以上、該当する事件もまた世間に存在が認知されない……というのが望ましいが、名物らしきものもない商店街の見世物になっていることを踏まえると、どうやら望むべくもないらしい。

 またため息を吐く。すると、視界に顔が入ってくる。


「先輩、あまりため息吐いちゃダメなんですよ? 幸せが逃げちゃいますから」

「へいへい」


 能天気な黒髪ポニーテールの少女……もとい部下も、これでも立派な公安刑事である。大学に通っていてもおかしくない小柄な少女は、神宮が偶然の巡り合わせによって出会えた逸材だ。

 これほど優秀な人材は、曲者揃いの公安警察を探したところで見つかるまい。問題は多々あるが、部下として彼女以上の適任はいなかった。


「で、お前は何食ってんだ?」

「え? これが何かわからないんですか?」


 少女と女性の中間に位置する齢の部下は逆三角状の黄色い物体を指し示す。


「いや、わからないわけじゃないがね。仮にも今は職務遂行中なんだが?」

「いいじゃないですか。どうせ私、捜査なんてできないですし」

「おいおい」


 と呆れながらも彼女の言葉は真実である。クレープをご機嫌に頬張る部下は、確かに事件の捜査には全くと言っていいほど向いていない。彼女の本質は別にある。

 なので、神宮も深くは追及しなかった。十八の社会人とは言え、未成年だ。ぴちぴちのティーンエイジャーには大人のルールなんてものは早すぎる。汚いことに特化した大人の保身に満ちた責任の押し付けあいなどは。


「まぁくだらないことは置いといて、早速やるべきことするかね。俺ものんびりしたいし」


 現場を捜索し始める。と言っても彼の捜査はただ歩くだけである。損害自体は凄まじい。路地裏は爆弾でも破裂したかのようにちょっとしたクレーターができている。だが、どんな力で壁と床をくぼませたかなど神宮の眼中にはなかった。

 なぜ起きたかが重要である。もっと深く言えば、誰と誰がどうして戦ったのか。

 破壊方法など、重要視はされない。例え目の前で死体が転がっていたとしても、なぜ、そして誰がが大事なのだ。

 なぜならば、敵の手品は一種類ではないからだ。例えば、ナイフで刺殺されていたとしても、次なる手口が同様であるとは限らない。敵に殺害の選択肢は無限に存在するのだ。殺害方法からの推測が困難である以上、手口の解明などは物好きな魔術鑑識係にでもやらせておけばよい。


「む?」


 注意深くあたりを観察していた神宮の足が止まる。路地裏の途中の地面だ。予感が奔り懐から小さな容器を取り出して、液体を振りかける。

 透明色の液体が、きらきらと淡い光を放ち出した。


「何かわかりました?」

「ああ、ここに魔術の痕跡があるな。きっと、血痕あたりを除去したんだ」

「へぇー、大変ですねぇ」


 後輩は平然とした様子でクレープを食べ続ける。よく食えんなお前、と神宮は苦笑しながらも思索を続行する。


「片方は重傷。もう片方は上手く逃げた。となると、どっかでもう一回やらかす可能性が高いな」

「あー、じゃあワンチャンありますねー」

「ワンちゃん? 犬がどうかしたか?」

「違いますよ。ワンチャンス、ですよ」

「若者言葉はわからん」

「おっさん臭いですよ、先輩」

「お前は子供じみてるんだ」


 他愛のないやり取りをしながら、神宮は路地裏を出る。次に目を付けたのは後輩が美味しそうに食すクレープの販売元だ。クレープ屋はあのような事件が起きた後も、何事もなかったかのように営業をしている。普通なら、店じまいをしてもおかしくないというのに。


「失礼ですが、ちょっとお話よろしいですか?」

「いいですよ。刑事さんでしょう?」

「話が早くて助かります。……そこの席で、拳銃が発砲されたんですよね?」

「はい。いきなり、ですよ。何の前触れもなく三十代くらいの女の人が……」

「三十代くらいの女性ねぇ……」


 神宮はテラス席を一瞥する。野次馬で賑わっているが、メインの客はあくまで高校生だ。

 引っかかる点はそこだけではない。先日保護されたチンピラたちは、五十代の男性に銃で撃たれたとヒステリックに喚いていた。


「なるほど。ところで、昼間、ええ、ちょうど事件が起きた時間帯ですが、誰か特徴的なお客人はいませんでしたか? 例えば、そう、高校生とか」

「高校生……?」


 店員の女性はしばし考え込んで、男が推理した通りの返答を寄越した。


「ああ、はい。いましたよ。一人はとても良い食べっぷりのお嬢さんで。もう一人は……うーん、すみません。あまり印象がない、子、でしたけど」

「その少年は?」

「……少年って私言いました?」

「いえいえ、何となくのあてずっぽうですよ。少年ね。いいですねぇ。ちょっと羽目を外して、恋人といちゃいちゃですか」

「若気の至りって感じですけど、その二人が何か?」

「いえいえ。ただ質問しただけですよ。まぁ、ちょっと悪いことをしてるんでね、少し注意しなくちゃならないんですがね」


 店員に礼を言って、神宮は後輩へ手招きした。クレープを食べ終えた彼女は、満足していないかのように再度クレープ屋を見つめたが、どうにか欲望を制御し切れたようである。


「とりあえず弱い方を当たろう」

「弱い方……ですか?」

「そうだ。不意打ちをされた方だ。だから暗示も中途半端だった。きっと緊急時用の事前仕込みタイプだから粗が多いんだ。そこのクレープ屋は普通なら怯えて休んでもおかしくないのに、何の支障もなく営業してる。加えて、前回の哀れな被害者たちと意見も食い違っている。証言は統一させるべきだった。魔術で記憶が操作されているとバレるから」

「で、どんな容姿なんです?」

「流石にそこまで甘くはない。が、すぐ見つかる。高校生の男女だ。それも地元住まい。そして、昼間学校をサボってた奴。幸い、ここいらで高校は三つほど。そこに今から――おい?」


 神宮が訝しむのも意味はない。後輩は、仕事は終わったとでも言わんばかりの足取りで、商店街の先へ歩き出したからだ。


「先輩に任せますよ。もし何かわかったら教えてください。それまで私は満喫してますから」

「おい、一応、仕事の最中だぞ?」

「え? でもそういう約束でしたよね?」

「あぁー、そうだった。いいぜ、遊んで来い」


 失念していた約束を思い出して、意気揚々と街に繰り出す後輩を見送る。

 ため息をついて、たばこに火をつけるが、


「やっぱりまずいなぁ、おい」


 味はどうしようもなく劣悪だった。



 ※※※



 どうにか逃げ果せたが、完全にとは言い難い。

 正直なところ、街から逃亡しようかは何度も考えた。

 だが、それでは何も解決しない。

 彼女がしていたことと同じだろう。そう判断して、鉄斗はまだ家にいる。

 バケモノもいっしょだった。彼女はソファーの上で体育座りをしている。膝の間に、顔を埋めていた。


「おい、元気出せ……」

「義姉さん……どうして」


 そう呟いて、殻の中に閉じこもる。さっきからずっとこの様子だった。

 仕方ない、とは思う。あのような姉の一面を見たのは初めてなのだろう。

 人間の別側面を目の当たりにした時は、例え親しい間柄の人間だとしても衝撃を受ける。ショックを受けるなという方が難しい。

 だが、あまりくよくよされても困る。鉄斗は思い悩みながら、携帯の画面を見下ろした。

 これで五度目である。電話をしようか悩むのは。


(おばさんが出張ってくれれば、きっと、いい具合に進む……けれど、もし対応するのがおばさんでなければ)


 それに、それにだ。もし彼女の姉がバケモノを守るために逃避行を続けているのだとしたら、なぜ味方になってくれるはずの調停局に駆けこまなかったのかが引っかかる。

 調停局は文字通り、魔術界と人間界の調停役だ。パワーバランスを調整し、魔術師と人間の衝突を食い止めるべく日々暗躍している。

 しかし、その立場上、難しい決断を迫られることがある。例えば、一人の人間の命を差し出せば、戦争を未然に防げると判断した場合、苦渋の決断を行うことがあるのだ。

 以前の調停局ならば力があった。だが、十一年前の思い出したくもない事件によってエース級のメンバーのほとんどが死んでからはその力は確実に弱体化している。


(下手に連絡を取れば、最悪事態を悪化させる場合があるか)


 もしここで調停局から派遣された強力な魔術師や狩人が、決して弱くはないバケモノの姉と対峙したらどうなるか。……最悪の結末が鉄斗の脳裏をよぎる。


(何らかの秘密作戦に従事した経験があってもおかしくないしな。こいつの姉は)


 となれば、まだ弱者である自分が対決した方が、事態を円滑に解決できるかもしれない。実力差は明確だが、だからこそ彼女の方にも余裕が生まれるというものだ。

 そこまで考えて鉄斗は苦笑する。なぜ弱者の自分が強者の心配をしているのか。

 だが、あの顔は、間違いなく追い詰められていた顔だ。

 以前の自分に似ている。どうすればいいのかさっぱりわからず、思いつく方法を手あたり次第に試している状態だ。ボロボロで、今にも折れそうなあの感覚。

 頼れる大人がいればいい。だが、あそこまで悪化するのは頼れる大人がいない状況だからだ。

 鉄斗と同じように。自身に無能という呪いをかけた父親は初歩的な魔術を少し教えただけで、優秀な魔術師である母親ともども死んでしまった。


「泣けるよなぁ、全く。世の中って奴は」

「何が泣けるの? 泣きたいの?」

「君華……」


 バケモノに話しかけたはずが、驚異的幼馴染スニーキング力を発揮した君華がいつの間にか背後から様子を窺っていた。ちゃっかりエプロンをしていることから、無断で裏口から上がり込んで料理をするつもりでいたらしい。

 大声を上げなかったのは既に何度も不意打ちを喰らった経験があるからで、心拍数自体はきちんと上昇している。


「バケちゃん、見つかったんだね。シスターって人はどうだったの?」

「ん? んー、それがだな」


 さてどうやって誤魔化すべきか。頭を悩ませる鉄斗だが、唐突に放たれた言葉に注意を逸らされる。


「喧嘩した」

「バケちゃん?」


 バケモノはようやく顔を上げた。涙でぐちゃぐちゃな顔を。


「喧嘩したの。ファイティング。やっちゃいけなかった。今までそんなことはなかったのに」

「喧嘩したこと、なかったの?」


 君華はバケモノの前に移動して、目線を彼女に合わせた。幼子の心を紐解くように、バケモノの想いを引き出していく。


「イエス、ウィ! なかった。なかったのに。義姉さんを傷つけた。助けてくれたのに!」

「うわっ……よしよし」


 バケモノが勢いよく君華に抱き着いたが、彼女は少し驚いただけで背中を撫でた。鉄斗としても流石だと思わざるを得ない。……彼女の優しさに何度救われたことか。

 なのに、自分は遠ざけていた。今まで最悪な状況では、彼女に助けられていたのに。

 ……独りよがりという名の保身で全てを背負いこむのは止める時だ。

 鉄斗は決断し、ソファーから立ち上がった。


「話してくれないか? お前さんと、お姉さんに一体何があったのか」

「うん……いいよ」


 涙を拭ったバケモノは、鉄斗をまっすぐ見て応じた。

 そして、口火を切る。自分と姉の関係を紡ぎ始める。

 鉄斗と、君華に。

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