第2話 セカンドミーツアクシデント
順当に考えて、彼女をそのまま帰宅させるわけにはいかなかった。
鉄斗はバケモノを自称する少女を連れて自宅の前へ帰っていた。
シチュエーションだけを考えると、初対面の人間をお持ち帰りするナンパ男のようにも見えるが、二人からは浮ついた空気は一切感じられない。
バケモノは困惑しているが、鉄斗はそんな彼女を手招きする。
「その状態で帰すわけにはいかない。こうなった以上はな」
あの時名前を問い質した時から、無視しないと決めた時から、こうなることは決まっていた。面倒に巻き込まれても仕方ないと諦めたのだ。今更遠慮されても困ってしまう。
だが、鉄斗の想像とは違い、バケモノの戸惑う理由はもっと人間らしいものだった。
「初めて……」
「何がだ」
「初めて、他の人の家、来た……」
「そうか……」
何となくそうであろうな、とは思っていたので鉄斗の反応は薄い。この少女は少なからず非日常と縁がある。そういう人種――魔術師というものは、世間一般がごく当然に行うコミュニケーションとは外れた位置にいる。
だが、そんな魔術師の特性から見ても、少女は異端過ぎた。
「とにかく、入れ。怪しまれる」
「う、イエス……」
バケモノは恐る恐る玄関に入ると、靴を脱いだ。
ちゃんと靴を脱いだことに鉄斗は安堵する。最低限の常識は弁えているようだ。
「ちょっと鞄置いてくるから、リビングで待っててくれ」
「シ」
「日本語」
「あう……はい」
バケモノはしょんぼりしながらリビングへと向かっていく。何で一つの言語に統一することができないのか全くわからない。
二階にある自室へと上がった鉄斗は鞄を置いてリビングへと降りていく。
だが、バケモノの姿がない。鉄斗は訝しんで家の中を捜索する。
バケモノはすぐ見つかった。だが、発見した場所が少し問題だった。
「バケモノ……」
名前を呼び掛けると、バケモノはびくりと肩を震わせる。彼女はショックを受けたような顔を浮かべているが、鉄斗は別に怒っているわけではない。
ただちょっとだけ驚いていた。同時にやはり、という確信も抱く。
バケモノが物色していたのは、リビングの壁――その向こう側。
大量の仕事道具が並ぶ魔術工房だった。
少しでも魔術の素養がある者なら立ち塞がるように存在する壁が、実は扉であると気付ける仕組みになっている。
バケモノは間違いなく魔術の素養があった。ただ不可思議な力を持つだけではない。
それだけに――若干の逡巡と後悔が生じるが既に諦めている。
「あの、えっと……」
「謝らなくていい。少し驚いただけだ」
と言って、魔術師の工房……にしては明らかに趣の異なる部屋の中を進んでいく。
間違いなく工房ではあるのだが、一般的な魔術師とは扱う道具が異なっていた。
多くの魔術師が飾る杖やスクロールの代わりにあるのは――銃。それも魔術と相性が良い古式銃ではなく、最新式の銃器が並ぶ。ここはちょっとした武器庫だった。ハンドガン、アサルトライフル、ショットガン、スナイパーライフル、ランチャーの類までなんでもござれだ。
それも鉄斗の才能の無さが起因する。
「俺は才能ないからな。こういうので補うしかないのさ」
鉄斗は馴染み深いハンドガンを手にした。シグザウエルP226を魔術改造したモデルで、サイドアームのカテゴライズながらもメインアームと問題なく渡り合えるほどの性能を有している。
とは言え……射手の腕前がなければただの飾りでしかないのだが。
「うぅむ」
物騒な得物を見てきょとんとする程度で済むバケモノは、やはり非日常に慣れている。この武器庫が一般人に見つかれば、世間を騒がす一大ニュースになりかねないのだから。
「鉄斗は才能ないの?」
「ああ、そうだよ。この話はもういいだろ。とりあえず風呂に入ってくれ」
「おふろ?」
「ああ。血に汚れたまま家に帰すわけにはいかない」
戸惑うバケモノを玄関の脇にある洗面所の中へ押し込む。
鉄斗はリビングへと戻り傷の手当てを開始した。魔術という非日常による恩恵は、常人が想像する常識をいとも簡単に払拭してくれる。現代式にオートメーション化された回復魔術を行使して、全治数か月単位の重傷が瞬く間に治療される。
こういうものを使用できる、というとやはり才能があるのではと錯覚しそうになるが、
「誰でも使えるからな」
下手をすれば魔術の知識があるただの人間にさえも。
自嘲気味に鉄斗は呟いて、血が付着した服を着替えようとする。
が、不意に響いたどたどたという足音とそれに呼応して接近してくる何者かによる急襲に中断させられる。
「何だ? 一体――何があった……?」
「アイドントノウハウトゥユーズマシーン!」
「何だ、英語……機械の使い方がわからない?」
「イエス、イエス!」
必死に喚くバケモノの気迫に押されて振り返ると、その容姿に鉄斗は度肝を抜かされる。バケモノは単刀直入に言って全裸だった。挙動の一つ一つはまるで幼子が親に身体を拭いてとせがむような微笑ましいものだが、彼女の精神年齢はともかく、肉体年齢は思春期に入った少女のそれである。
つまり、目のやりどころに非常に困る。無論、裸を見て大声を出すほど子供じみてるわけでもないので、鉄斗は先程と同じように彼女の背中を押し始めた。
「わかった、教えてやるから。全く、お前さんの貞操観念は一体……」
と全裸の少女を連行する鉄斗の姿は、少年という齢を素通りしたオヤジじみたものではあったのだが、
「やっほーサボリ魔君への抜き打ち家庭訪問でーす! ほらほら、世話焼き系美少女ちゃんが学校をサボった幼馴染へノートを写させに来てあげた……ぞ?」
外部訪問者が抱くイメージが、同じものだとは限らない。
何の前触れもなくドアを開け放った幼馴染の来訪には、同年代の子どもに比べて冷静な鉄斗でも面食らわざるを得なかった。
「え? え……?」
右手に持っていたカバンが重力に引かれて落ちる。呆ける自称世話焼き系美少女、もとい幼馴染である
くせ毛のせいで乱れがちな茶髪と高校の制服を組み合わせると、不良のような印象を与えるが、実体は真逆である。その髪色は生まれつきのものであったし、病欠などの例外を除いてほとんど欠席はなく、学業も優秀なため先生方からの評価も高い。
そしてまた、貞操観念に関しても優秀な成績と同じく――極めて真面目である。
「フー?」
バケモノは突然の来訪者が誰かを英語で訊ねている。が君華も、また鉄斗にも彼女の疑問に答えている余裕はない。
「落ち着け君華。お前は誤解をしている」
「嘘だ……」
「嘘じゃない。話を聞け。今の状況をよく考えてみれば……」
どうにかして誤解を解こうと奮戦する鉄斗だが、
「幼馴染が。全裸の女の子と。お風呂場に入ろうとしている」
君華の客観視は言い得て妙である。鉄斗としても危うく納得しかけてしまうほどに。
「外れではないな、確かに」
「ほぅーらやっぱりぃ! 信じてたんです! 幼馴染は信じてたんですよぉ! なのに、なのに、なのに! 学校をサボって一日中、家の中でえっちぃことしてたなんて!!」
「だが正解でもない。お前は大きな誤解をしているぞ、君華――」
「いやあ触らないで触れないで! 近づかないでケダモノぉ!」
誤解を解くべく手を伸ばした鉄斗を拒絶する君華。
どうするべきか思案する鉄斗だが、バケモノのくしゅんという可愛らしいくしゃみに注意を乱される。
「カウドゥ」
「すまんが少し耐えてくれ、今誤解を――」
「一体全体どこが誤解だって言うの――待って、血!?」
「っと、おい」
全力で距離を取っていたはずの君華は、鉄斗の制服に付着した血に気付く。
今度は逆に全力で接近しようとして、玄関の段差に足を取られた。
「おおっと」
支えようとした鉄斗ごと、君華は木の床に転倒する。
だが、彼女は悲鳴を漏らすことなく鉄斗の右腕を掴み状態を確かめている。
転んだ拍子に鉄斗の上に馬乗りの形となっているが、その顔に一切の羞恥はなく。
「治療しないと……病院! 救急車!」
「ちょっと待て君華! お前は誤解を」
「どこが誤解なの! 携帯、携帯……」
「だから怪我は――負ったが、完治した。……魔術を使った」
「本当に……?」
「嘘は吐いてない」
正直に答えたが、君華はしばらく疑いの眼差しを向け続けた。鉄斗は彼女が自分を信用するまでひたすら待つ。仰向けになった弊害で、バケモノの裸体が視界の端に映るのを意識の隅へと追いやって。
「わかったよ」
ようやく君華は信じてくれた。少々過保護すぎるきらいがあるが、両親がいない身にとってはこの心遣いは素直にうれしい。
だが、それで万事解決というわけにもいかなかった。
「すまない君華、悪いんだが……」
「ん? 今更自分の悪さに気付いたの? 幼馴染を心配させてばかりで」
「どいてくれないか」
「え? あ……」
君華はようやく自分の体勢を自覚する。顔が急速沸騰したやかんのように熱を帯び、飛び跳ねるようにして立ち上がった。無論、踏み台は鉄斗である。
いくら訓練を積んでいるとは言え、人間の跳躍にはそれなりのダメージを受ける。
ぐぅ、と苦悶の声を漏らす鉄斗を君華は指さして、
「や、やっぱり鉄斗君は変態だ! 女の子を乗せて喜んじゃってぇ!」
「誤解だ、君華……お前は昔から思い込みが激しすぎる」
「コールド……」
二人のやり取りを傍観していたバケモノが、身を震わせながら呟いた。
君華の欠点は思い込みが激しいところだが、その欠点を補って余りある長所がある。
それは面倒見がいいことだ。鉄斗から説明を受けた彼女は完全には納得していないものの、今はバケモノといっしょに風呂場へ入って補助をしている。
その間に服の着替えを済ませた鉄斗はソファーの上で物思いに耽っていた。
(バケモノねぇ。確かにあの魔力量は尋常じゃない)
さながら魔力の貯蔵庫である。歩く爆弾と表現しても差し支えないほどの力だ。
当初こそサングラス男がなぜあんなところをうろついていたのかわからなかったが、今となっては単純明快だ。十中八九バケモノの確保だろう。どの組織が糸を引いているかはわからないが、どうせろくでもない連中に決まっている。
「魔術同盟の過激派か……厄介な案件だ」
古代より繁栄を謳歌してきた魔術世界は、現代科学の支配する人間世界に対して劣勢である。歴史の流れを紐解けば自業自得の末路なのだが、それでも未だ魔術の復権を願う者たちは多い。
鉄斗にしてみれば、今以上に魔術と科学の均衡が保たれた時代はないのだが、彼らにとってはくそったれの時代なのだろう。
ただ奇妙ではある。魔術爆弾、もとい魔力炉と表現しても良い彼女を必死になって確保する理由がわからない。
なるほど魔力炉という側面だけを見れば素晴らしい価値を持つ存在なのかもしれない。だが、そんなもので世の中が変わるほど世界は甘くないのだ。
それに彼女自身、力を制御できていない節がある。兵器としては程遠い。
魔術と科学双方の見識を持つ者からは三流品のレッテルを貼られる核兵器よりも、武器としては決定的に不適格な存在だ。
やはり奇妙ではある。あるのだが……。
「ジエンド!」
「言いたいことはわかるが、それは英語の文法として正しいのか?」
「うぅ?」
意気揚々と洗面所から現れたバケモノは、鉄斗の問いに首を傾げる。彼女は今、鉄斗が貸した未使用のジャージを着用していた。
その後ろから、制服の袖を捲った君華がやってきて一息ついた。
「まさかこんなに大きい子の身体を洗う羽目になるとは思わなかったよ」
「すまない、助かった。……身体も洗えなかったのか?」
気分爽快な様子のバケモノに聞こえないよう君華に耳打ちする。と、彼女もまた真剣な表情で訊き返してきた。
「この子、やっぱりちょっと変かも。普通ならできておかしいことができないの。もちろんさ、そういう障害のある人の可能性もあるけど、彼女、別にそういった類の問題を抱えてるようには見えなくて」
「お前さんはどう思った?」
「たぶん、彼女は教わってないんだよ。できないんじゃなくて何も知らない。まっさらなの。その証拠に、シャワーも一回教えただけで何の不都合もなくこなせたし、それに、私が知る限りでも既に十か国語は話してた。本当は日本語も堪能だと思う。単純に使う方法とタイミングがわかっていないだけで」
「ネグレクト、とか?」
「かも。警察に相談した方がいいかな。どちらにしろ迷子でしょ? この子」
「それはそうなんだが……」
今度はリビングの中を散策し始めたバケモノを眺めながら嘆息する。
鉄斗としては警察の厄介になるのは避けたいところである。警察にも魔術事件を解決するための部署が存在するため、昼間の件についてもそろそろ調査が開始されていてもおかしくない頃合いだ。
そんな状態で迂闊に警察に相談へ行けば面倒なことになるのは決定事項だ。それは是が非でも避けたかった。
「警察よりも、調停局にしよう。向こうなら融通が効くし……」
「何か他にも隠してることあるんじゃない? 鉄斗君」
「何でそう思うんだ? 別に何もないが」
と訊き返す鉄斗だが内心は焦っている。疑惑の眼でこちらを凝視する君華は、名探偵の如き推理力を発揮して、こちらの隠し事を暴いてくるのだ。
実際、鉄斗には彼女に伝えていないことがある。自分よりも格上の魔術師が撤退したこと。そして、その背後には何らかの過激的な思想を持つ集団が存在していること。
もしそれらが君華に発覚すれば、彼女は間違いなくパニックを起こすし、生来の世話焼き魂を躊躇いなく行使して引きずっても警察署へ連行するに違いない。
そちらについても是が非でも避けねばならない。鉄斗は上手く誤魔化す方法はないか思案して、
「シスター」
突然停止したバケモノへ注意を逸らす。
「シスター? 教会の?」
君華が訊ねるが、バケモノは何も聞こえないかのように放心している。
そうして、やるべきことを思い出したかのように玄関へ向かって駆けだした。
「ちょっとおい、バケモノ!」
「か、帰る! 帰ります、帰らないと!」
「バケちゃん!?」
慌てて君華と鉄斗が追いかけるが、バケモノは既に外に出てしまっていた。
二人揃って外へ出る。が、
「いない……嘘?」
「バカな……どういうことだ?」
鉄斗の口から洩れた疑念はバケモノの移動速度について言及したものではない。
まともに魔術を扱えないはずの彼女が残したであろう痕跡が、綺麗さっぱり消去されていたからだ。
※※※
シスターは怒っている。
シスターが怒っている。
どうする? アンサー、謝る。謝罪する。
「うぅ……」
検知結果、憂鬱。計測結果、不安。
それでも動く。必然のため。
自宅へ到着したバケモノは、開放手順を実行してドアを開ける。
そして躊躇いなく手順を破棄する。コードが変更されるのは時間の問題だ。
もしまた外に出ようとすれば、その都度コードを導き出す必要性がある。
その気が起きるか? 回答、ノー。
言語プログラム対象、シスター。プロトコル実行。
「……う、う」
廊下。直進。ドア。指紋認証。クリア。
リビング到着。視界精査。シスター不在。
「……う、ん……?」
不可。おかしい。
違和感を検出。バケモノは首を傾げて――。
「人間と接触したようだな」
「シスター……!?」
暗いリビングの物陰から姿を現したシスターに戦慄する。
シスターの服装は普段通りのものだ。
普段使いの甲冑に身を包む彼女は、フードを被った頭部をこちらに向けている。
表情、無=怒。
シスターは怒っている。
「何度設定すればわかる。ここは日本だ。言語フォーマットを更新しろ」
「わかり……ました。義姉さん」
「それでいい。よくはないが」
「う……ぅ!?」
感想、綺麗。しかし怒。
どうしようもなく怒っている……理由、無断外出。
「私の許可なく外に出て、あまつさえ……人間と交流を持った? それに、その恰好は何だ。博士がお前用に見繕った服を投棄したのか?」
「違う……違う。あれは……洗濯してくれるって……」
「不用心に。そうか。そしてお前は一体何度……生体情報を抜き取られた?」
「そ、そんなこと……」
「あると言ったはずだ。人間はお前が思うような綺麗なものじゃない。忘れたわけではないだろう。あの時のことを」
「う……」
あの時。
あの時のことは忘れられない。忘却不可。
フードの隙間から覗く銀髪が暗闇の中で怪しく光る。
「自覚しろ。お前はバケモノだ」
「はい。私はバケモノ……」
「赤上鉄斗と立羽君華については私が処理しておく」
「っ、ダメ!」
「何がダメなんだ? 奴らは敵だ」
「で、でも!」
「私に刃向かうな。問題はあの二人だけではない……。連中がお前の生存を嗅ぎつけた。こちらにも対処しなければ……」
「義姉さん!」
「黙れ!」
義姉の一喝はバケモノを静止させる。が、そこでイレギュラーな事態が起きた。
義姉はよろめいて、テーブルに手をついた。苦しそうに呻いたのだ。
「義姉さん……? 大丈夫?」
「いいから、私の指示に従え。誓いは……最後まで果たす」
「けど」
「頼まれた書物は部屋に置いてある。私が帰ってくるまで家を出るな」
「あ……う」
バケモノを残して。いつもそうだ。
悲しい。とても悲しい。
けれど、それを伝える方法がわからない。
それを教えてくれたであろう人は死んでしまった。
目の前で、殺されてしまった。
しかし
いつもと同じ。だから、バケモノの心は切なくなる。
「うぅ」
呻き声を漏らす。悲しい。
そしてその悲しさを払拭する術がない。書物は知識を与えてくれる。
けれど、使い方まで教えてくれない。答えだけを漠然と突きつけて、そこに至るまでの過程を説明してはくれないのだ。
理論は実践を経て初めて経験として蓄積される。
圧倒的に経験が足りない。バケモノが求めているのは経験だった。
それさえあればきっと……力になれる。
そう信じている。
いつの間にか消えてしまっていたあの笑顔。
バケモノは理解している。彼女の笑顔が消えたのは間違いなく自分のせいで。
だからこそ、自分は彼女を助けなければならない。なのに――。
「ううう」
もどかしさに呻きながら、何となくカーテンから外の様子を窺う。
二階建ての家は、全てカーテンが閉じられている。自分の存在を隠匿するため。
正答、私はバケモノだから。
バケモノが外に出ると、みんなが怖がってしまう。
だから、家の中にいる。それが正しい。義姉は正しい。
けれど、やはり。
「外に出る。出ないと、経験、できない……」
=力になれない。とても悲しい。
でも、外に出ると義姉は怒る。
どうすればいいのか。苦悶。苦悩。
バケモノが悩んでいると――。
「あ……鉄斗」
紙袋を所持した鉄斗が、道を歩いていた。
誰かを探すように。
※※※
「くっそ。やっぱり当てがないと無理か」
かれこれ三時間は捜索しているが、バケモノの家は発見できそうにない。
鉄斗は思考を整理するべく立ち止まり、紙袋の中身を一瞥した。
洗濯されたバケモノの服が丁寧に折り畳まれて入っている。
鉄斗としてはまず服を返却したかった。そして、その後、どういう事情なのかをバケモノの家族に問い質すつもりだった。
例の魔術師と敵対行動を取ってしまった以上、鉄斗はもう無関係ではない。あのサングラス男がいつ自分のところへ襲撃を仕掛けるのかわからないのだ。
バケモノの家族が敵か味方かどうかだけでも判断しておきたい。もっとも、バケモノの様子を見るにろくでもない人物の可能性が大いにあるのだが。
(一度帰った方がいいか? どうせまた君華が来るだろうし)
絶賛学業放棄中の鉄斗としては、母親の生まれ変わりのような君華に突っつかれるのは避けたいところだ。
早々に方針を固めた鉄斗は踵を返そうとして、
「スト――――ップ!!」
「バケモノ……?」
寸前まで何の変哲もないありふれた家屋と認識していた家の窓から叫ぶバケモノの声を聞いた。
「優れた魔術だ」
どたどたという騒々しい足音を聞きながら、バケモノが住んでいる住居を見上げる。
鉄斗はバケモノの声を聞く直前までその家をまともに確認しようともしなかった。無意識下で暗示を仕掛けられ、ありふれた一軒家だと処理されてしまっていたのだ。この時点で、高度な魔術に長けている存在であることがわかる。
だからこそ、あのサングラス男はあの場所で捜索していたのだろう。
藁にも縋る想いで。文字通りしらみつぶしだったというわけだ。
本来ならば今もバケモノの存在は隠匿されていたに違いない。
バケモノが外に出てしまうというアクシデントさえなければ。
「厄介なことに首を突っ込んでるな」
今更ながらに後悔をする鉄斗の前で、扉がバンと仰々しい音を立てる。
バケモノは鉄斗が貸与したジャージのままだった。テツト! とたどたどしい発音で名前を呼ぶ。
「服、着替えてないのか?」
「……何で?」
バケモノはきょとんと首を傾げる。無邪気に。
鉄斗は頭を抱えながら紙袋を差し出した。
「とりあえず、着替えだ。置いて行ったからな」
「オゥ、失敬」
「失敬……?」
単語のチョイスを訝しむ鉄斗の前で、バケモノはポンと両手を叩く。
そして、さらに鉄斗を慄かせる奇行に奔る。
「要返却! 延滞料金!」
「な、待て! 脱がなくていい!」
おもむろに上着を脱ぎ出し、白く輝くすべすべのお腹が露わとなる。加えて、ちらりと下着……ブラジャーの類が見える……ことはない。
うまいぐらいに隠れている、というわけではない。
身に着けていないから見えないのだ。
当然ではある。バケモノが何らかの理由でまともな教育を受けておらず、性的知識も皆無であるならば、恥ずかしいという概念が芽生えるはずもない。
だが、だからと言って看過はできない。白昼堂々住宅街の真ん中で、思春期を迎えた年頃の少女のストリップショーなど披露されて良いはずがない。
「何で? ホワーイ?」
「やるよ。それ、やるから。お前にプレゼントしてやるから」
「いいの?」
「ああいいよ。どうせ使わないし」
鉄斗は学業に身を入れていない。それは体育も例外ではないのだ。
「プレゼント……贈り物……」
バケモノはその響きを噛みしめるようにジャージの袖を頬に当てる。
彼女の家庭環境上仕方のないかもしれないが、鉄斗としてはそんなものに感銘を受けられても困る。――どうせなら、ちゃんとしたプレゼントで喜んでもらいたい。
誤魔化すように咳をして、強力な隠密術式に保護された家を見上げた。
「今、家に誰かいるのか?」
首を横に振るバケモノ。となれば。
「少し、いいか。バケモノ」
「う……?」
住宅街の先――商店街へと鉄斗は顎で指し示す。
バケモノはそのジェスチャーにきょとんとしている。
「少し、付き合ってくれないか? 話がしたい」
「トーク……お話……でも」
バケモノは心配事があるかのように家を見つめる。
そして、懸念を振り払うように首をぶんぶん振った。
「そうする。そうしないと……だから……」
「ありがとう。行こう」
鉄斗はバケモノを先導し始める。
バケモノもその後ろをとことこと追従していく。
見えもせず、聞こえもしないところで歯車が動き出していることに気付く様子もないままに。
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