海風のクローゼット

小野 大介

本文

 これは私が実際に体験した話です。


 林間学校か、臨海学校のどちらかだったと思います。うろ覚えですが、しめ縄で結ばれた二つの岩山が突き出た海に夕陽が沈む、そんな風景が思い出されますので、きっと後者でしょう。

 一クラス三十数名の生徒たちが三つと数名の先生方の団体で、とある旅館のような大きな施設に宿泊しました。

 そこは古くてボロくて、薄気味の悪いところでした。

 生徒たちはいくつかのグループに分けられまして、それぞれに一部屋ずつ与えられます。どれも同じような部屋だったと思われますが、私たちのグループに与えられたのは、薄暗い上に狭くて、ホコリ臭いしカビ臭いという、質の悪い部屋でした。

 奥の窓から見えるのは山の風景でしたが、すぐそばにあるので茂みと大差ありません。

 部屋の形状は長方形で、正確な大きさはわかりませんが、八畳ほどでした。そこに子供とはいえ、七、八人の男子を押し込めるのですから、粗雑な扱いを強いられたものです。

 思えばおかしな部屋でした。和室で、床は畳なのに襖は無く、扉も引き戸ではない上にベニヤ板。押し入れすらも無くて、代わりにクローゼットが一つだけありました。

 黒っぽいクローゼットで、当時の私にはとても大きく、妙な重厚感がありました。とはいえ、材質は安っぽい。

 子供ながら(これはひどい部屋を与えられたものだ……)と思いました。


 体力が有り余っている時分とはいえ、なかなかの過密スケジュールで、帰ってきたらもうヘトヘトでした。

 大広間での騒がしい夕食会の後、芋洗い状態で風呂を済ませて、さほど夜も更けていないのに部屋に戻された上に、自分たちで布団を敷かされて強引に就寝させられました。

 いくら疲れているとはいえ、そんな時間に寝られるはずがないでしょうに。

 無論、どこの部屋でも恒例の枕投げが開催されました。そして、ある程度騒がしくすると先生からの注意が入り、一度は点けた灯かりを消されてしまいました。

 すると始まるのが、これまた恒例である怪談です……。

 得意な生徒がまずは名乗りを上げ、先導される形で始まりました。

 隙間無く敷かれたデコボコの布団の上に寝転がって薄くて重たい掛布団に包まり、ドキドキ、ワクワクしながら怪談話を語り合うのですが、私はそのとき、ドキドキもワクワクもせず、ただただハラハラするばかりでした。

 当時の私はひどい怖がりで、怪談は大の苦手でした。陳腐なホラー映画でさえも悲鳴を上げて泣き喚いてしまうほどに。

 母によれば、ずっと幼い頃にはよく“見ていた”そうなのですが、保育所に入る頃には見なくなったそうです。いつしかそういったことに鈍感になってしまったのでしょうが、ゆえにめぼしい体験などまるで無く、苦手だからそもそも疎く、怪談話のストックなど一つもありませんでした。しかも口下手……。

 皆の手前強がってはいましたが、内心は恐怖と不安と緊張に苛まれていて、震えていることに気づかれないようにするのでもう手一杯でした。

 一人、また一人と怪談を語り終えて、もうすぐ私の番だというときでした、突如として大きな物音がしました。

「うわあっ!」

 あまりに突然だったので誰もが驚き、一斉に音がした方向に振り返りました。すると、今の今まで閉まっていたクローゼットが開け放たれていました。

 誰が開けたのかと思った矢先、廊下に続く扉が開いて、オレンジ色の明かりを背にした先生がぬっと顔を覗かせました。

「なんや、まーだ起きとんのか?」

 鬱陶しそうな顔をしている先生に対して、誰かが今まさに起きたことを説明しました。

 皆で怪談話をしていたら、クローゼットの扉がひとりでに開いた。すごい音だった。

 それを聞かされた先生は、少し考えて言いました。

「それはきっとなぁ、外の風が吹き込んだんや。どっかに穴でも空いとってな、外と通じてんねん。海風は強いからなぁ」

「なーんだ、そっかぁ」

 皆、先生の言い分に納得していました。

(えええっ、そんな馬鹿な!?)

 ですが私は納得できませんでした。当然でしょう。しかし、認めるのが怖くて言い出せませんでした。そうに違いないと思いたかったのです。

「もう寝なさい」

 先生はそう言い捨てると、クローゼットの扉をしっかりと閉めた後、そそくさと部屋を出て行ってしまいました。

 私たちは素直に言いつけを守って眠りについた――なんて、そんな聞き分けがいいはずがなく、きっかけはどうあれ盛り上がってきた怪談話をやめるはずもありません。無論、再開です。

 皆はなんとも楽しそうでしたが、私だけは小さくなり、ガタガタと震えていました。すぐ目の前にあるクローゼットが怖くて仕方が無かったんです。

 そういえばそうです、私はクローゼットのすぐ真ん前の位置に居ました。だからこそ、余計に怖かった。

 誰かが新たな怪談話を始めて、それがいよいよ佳境に入ろうというときでした、クローゼットがまたも突然開きました、大きな物音を立てて。

 それはもうすごい勢いで、風圧を感じたほどです。

「ぎゃあああっ!」

 私は飛び上がらんばかりに驚きました。叫び声にも似た悲鳴まで上げてしまって、発狂でもしたように泣き喚いてしまいました。

 クローゼットが開いた物音に驚いた皆は、そんな私の有り様に再び驚き、そして戸惑っていました。そしてどうやら白けさせてしまったみたいで、

「もうやめよう」

「怖がらせてごめんな」

「うん、やめようやめよう」

 と、口々に言い出しました。

 私はクローゼットに対する恐怖心と、クラスメイトの前で大泣きしてしまった恥ずかしさに耐えられず、布団に顔を埋めたまま、しばらく泣き続けていました。うるさくしてはいけないと声まで殺して……。

 そして気づけば朝になっていました。

 先生たちが各部屋を見回り、生徒たちを起こしていました。私も誰かに起こされて目を覚ましました。

 寝ぼけながら布団をたたんで、体操服に着替えて部屋を出る。朝の体操をするためです。

 その後朝食を取り、休憩を兼ねたしばしの自由時間になると、私は一人部屋に帰らないで先生の元へ行き、クローゼットの件を打ち明けました。

 ですが、先生の返答は昨夜とまるで同じものでした。

 クローゼットのどこかに穴が開いていて、それが外と通じている。勝手に開いたのはそこから入り込んだ海風のせいだ。そうに違いない。

 私はどうしても納得できませんでした。そんなことがありうるのでしょうか。

 私たちの部屋は二階、もしくは三階にあり、下にはもちろん部屋があります。

 クローゼットが接していた壁の向こうにも部屋がありますし、部屋と部屋の間の壁はさほど厚みもありませんでした。

 どのような仕組みになっているのか、非常に気になりました。気にはなりましたが、そのときの私には、あのクローゼットを開ける勇気は皆無で、内部や裏側を覗くことはどうしても出来ませんでした。そのため、クローゼットがどうして開いたのか、その原因はわからずじまいです。

 あの夜以降、私を気遣ってか、怪談話の類は一切行われなくなり、あのクローゼットが勝手に開くことも、何故かなくなりました。

 もしかしたら、イジワルやイタズラをされたのかもしれません……。


 あれから、十余年もの時が経過しました。記憶も薄れて、脳裏に焼きついた風景もぼんやりとしてきています。

 そんな中、一つだけ妙なことがあります。

 これを書いている今もそうなのですが、当時のことを思い出そうとすると、必ずある光景が浮かび上がるのです。

 それは初めて部屋を訪れたときに見たと思われる、クローゼットの中の様子。ハンガーをかけるための横棒が一つだけあるのですが、そこに何故か浴衣の帯が結んであって、その先には人らしき影が……。

 大きな輪を作るように結ばれた帯の中に首を通したその人影は、手足を伸ばして座っているのですが、なんだかだらりと、ぐったりとしていて、その姿はまるで人形のようで……。

 その人影がなにをしているのか、今の私にはわかります。わかりたくもないですが。

 いつ頃からそんな光景が浮かぶようになったのかは定かではありません。見たことが無いはずなのに、私の頭の中には確かに存在するのです。

 それは私が、恐怖から産み出してしまった幻覚なのでしょうか。それとも、当時の私が見て見ぬふりをした真実なのでしょうか。

 そしてなにより気になるのは、その光景が頭の中に存在するのは私だけなのか、ということです。

 私だけが見ていたのか、はたまた皆も見ていたのか。もしそうだとすると、先生が言ったあの妙なこじつけも合点がいきます……。

 とはいえ、今となってはもう調べようもありませんし、調べたくもありませんけどね。

 ただ一つ言えるのは、これが私の体験した唯一の怪談話であり、ノンフィクション、事実であるということです。


【完】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

海風のクローゼット 小野 大介 @rusyerufausuto1733

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ