26歳――
第1話 リ・バース
- 1 -
――離婚して欲しいの
急いで家に戻ってきた私は、考えをまとめた上で主人に告げた。
不貞を働いた。理由はそれだけで充分だろう。
しかし、それは明かさず『別れて一からやり直したいの』と、他の理由を述べるだけに留めた。
そして、私の考えも――。
「そうか……」
主人はそう言うだけで、特にこれと言って拒むことはしなかった。
テーブルに両腕を乗せ、ずいと身を乗り出ししながら「俺も覚悟を決めたよ」と言う。
「夫婦げんからしいことしたのってあれが初めてだな」
「そう言えばそうだったかしら?」
「ああ……。俺自身どれだけお前に任せっきりだったか、その時やっと気づいたよ」
「遅いわよ」
「ああ、もう手遅れだな」
二人の間に流れる空気は、何とも穏やかなものだった。
もう戻れないとの諦めがあるのだろう。悟りに近い気持ちで、夫婦は沈黙を保ち合った。
そして、私は〈リバース〉をテーブルに置いた。
薄緑色の液体が入った瓶は、私たち夫婦を静かに映している――。
離婚届は翌日、主人が取ってきた。それぞれの事項を記入し、離婚の種類には“協議離婚”にチェックを入れる。離婚後は同居するのかどうかの話し合いなど、まるで婚姻届を書いていた時のように和気藹々としたものだった――。
離婚は面倒くさい。戸籍の変更から住民票、国民年金……まぁ、何度思いとどまろうかと思うほどの手続きをさせられる。
そこに加えて学校にもだ。『急きょ、引っ越すことになった』と告げ、そこでも色々な続きをさせられてしまう。
“大人”は基本的に書類だけで終わるけれど、“子供”はそうはいかない。マキちゃんに別れを告げるのが一番大変だった。一時間以上、延々と泣かれてしまったのだから――。
そこに持ってきて、野上くんだ。面と向かって『さようなら』を告げに行ったのに、いつの間にかセックスに至っていた……。そこで『行くな』なんて言わないで欲しかった。身体を満たす快楽の中で、決意が揺らぎそうになってしまった……。
恋は甘酸っぱいと言うのは確かにその通りだ。
しかし、四十五年の人生の中で初めて知った“失恋”は、実に苦いものである。
主人の方も、『覚悟を決めた』との言葉通り、何と昇格を目の前にして辞表を出していた。
縛るものから解放されたからだろうか、実にスッキリした顔で『退職金で旅行でもするか』と私に言ってきた。
『じゃあ、淡路島でも行く?』
私がそう言うと、二人して笑い合った。
離婚届が出されたのは、夏が終わりを告げ始める九月にした。
せっかくだから、と私たちの結婚記念日にそれを提出しにいった。しかも二人で。
それはとても奇妙に映ったのだろう。
役所の人は私たちの顔と書類を、二度、三度を見比べ続け、やがて疑問を口にした。
――年齢、本当に合っていますか?
私たちは『はい』と返事をした。
書類の中では二人は四十代半ば。持ってきた二人は二十代なのだから――。
- 2 -
それから歳月を経て……。
私は大きくなり始めたお腹を撫でながら、テーブルの上に置かれた書類に目を向けた。
「“夫婦をやり直す”のが正解なんてね」
それは婚姻届、だった。
名前の欄には【林谷 洋治】と【館岡 紀子】と記入されている――。
「考えてみればそうよね。
“子供が出来なかった夫婦”を逆転させるのなら、一度終わらせなきゃいけないんだし」
私たちは運命に抗うことなく、離婚した。
そこから、“同棲”と言う形で暮らすことで、レールを強引に本線に戻したのである。
思えば、その方法は実に簡単だった。
【結婚後、子供ができなかった夫婦】から
【結婚前に子供ができた男女】と言う、事象の準備をするだけなのだ。
つまり、平たく言うと『若返ってからひたすら子作りに励む』と言うだけである。
浮気から身体の関係を持ったのも、あながち間違っていたわけではなかったらしく、主人は他の男の手が入った“女の畑”を耕し直すのに躍起になった。それは『三日三晩』との表現が相応しいくらい、旺盛に“営み”を続け合ったほどだ。
野山くんは一度だけ見かけた。マキちゃんと仲よさげに歩いていて、少しだけ胸がチクりと痛んだ。
けれど、これでよかったのだ。
十八歳の真面目な男の子の反対――主人とは真逆だった、ヤンチャな男の子。主人を引き立たせるためのスパイスだった。また、主人は不良を引き立たせるスパイスになった。ただそれだけなのだから……。
逆転から更に逆転。私はお腹を優しく撫でた。
「キミは男の子かなー? 女の子かなー?
ママはできたら、女の子がいいんでちゅけどねー♪
なんせ最近まで、ママは女子高生だったんでちゅからねー♪」
背中を丸め、お腹に向かって話しかける。
主人から言わせれば『四十八歳だとは思えない姿』であるらしい。
『仕方ないでしょ』
と、私はいつも言う。
主人は四十六歳から二十七歳に戻ったのに対し、私は十七歳に戻ってから二十六歳に進んだ――女の人生を、もう一度やり直すことになったんだから。
リ・バース ~あの頃を、今もう一度……~ @Bizon
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