第6話 逸れたレール
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物語をやり直し、生まれ変わらせる――。
これが〈リバース〉の本当の効果だ。
けれど、それが分かったところで、この先の運命が変わると言うわけではない。
若い私は今、“離婚”への道を着実に歩んでいる。それだけは避けたいが、このまま解決策が見つからねば本当にそうなってしまう。
――好きな人ができた
主人にはこれが一番効いたのだろう。寝る前、私に『すまない』と小さく謝ってきた。
そして、『お前の決断に従う』と、最悪の結末を覚悟する言葉を続けた。
罪悪感よりも、解放感に満ちたのが私の答えなのだろう。しかし、それは“私の身体”の出す答えであり、“私の頭”が出した答えではない。
思うつぼになるつもりはないが、答えが出るまで、私はそれに従うつもりでいた。
だから、私も覚悟を決めて家を出た。行く場所は一つしかない――。
「よお」
「あ……」
以前、野山くんと別れた場所。私はそこで彼を待っていた。
「その、変わりないか?」
「う、うん……ちゃんと、
「そ、そうか……まぁ、その様子からして大丈夫そうだな」
「うん。私の意思を尊重してくれるみたい。ただ……」
「ただ?」
「私、また戻らなきゃならないの……」
野山くんは、残念そうに「そうか……」と言うだけだった。
そして「いつだ」と訊き、私は「まだ分からない……」と曖昧な答えを返す。
少し重い空気が漂う。それを払拭するように、私は無理に笑顔を作った。
「だから、いっぱい思い出残そうっ!」
野山くんは少し驚いた顔をしたが、すぐに「ああ!」と力強い返事をした。
その日から、私たちは毎日のように顔を合わせ、唇を重ね合わせた。
私は多分、色々なことを忘れたかったんだと思う。彼といる間は、大人の私の苦悩を忘れられる。
これまで四十六年間、私は失敗らしい失敗をしてこなかった。
親の言うことをちゃんと聞き、安全なレールに乗って進んできたからだ。
若者は“経験”を食べて大人になる。いわゆる、“ソダチザカリ”だ。
それには当然、失敗も含まれている。また、そこで負った“怪我”も含まれている。失敗と言う食べ物は苦い。食べないに越したことはないが、『良薬は口に苦し』と言う言葉があるように、それは“戒め”と言う薬にもなる。
私はその味を知らずに育った。と言うより、多くを経験したつもりになっていただけだ。
だからきっと……人生をやり直した“私の身体”は、それを知ろうとしていたのだ。
「……いいのか?」
「うん……」
野山くんが心配そうに顔を向けた。
私はそれを見上げながら、弱々しく頷いた。
ここは彼の家の中、彼のベッドの上――。
恋人になって六日目、私はついに服を脱ぎ捨て、初めて主人に身体を触れさせた。
いや、恋人ではない。正しくは『友だち同士で恋愛をしている』だけだ。
マキちゃんは『セックスをしてから恋愛をすることが多い』と、乱れた価値観を語っていたことがあったのだけれど、何となく今それが理解できそうだった――。
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コトが終わったあと、私は一筋の涙を落とした。
それ以上はまだ流さない。“戒め”にするのは、まだもう少し後だから。
「お前って……」
ベッドの上で横になりながら、野山くんが言いにくそうに私の顔を見た。
「ん?」
私は何も気づかないフリをして目を向けると、
「いや何でも無い……」
と、彼はと口をモゴモゴとさせた。
理由は分かっている。どうして“経験済み”なのか、だ。
それを知っていたけれど、私はややこしくなるので口元に笑みを浮かべるだけに留めた。
「変なの」
「う、ま、まぁ……うん、そう言うこともある、のか?」
私はくすくすと笑った。
「そう言えば、お前はどこに行くんだ?」
「え? あー……うーん、よく分からないけれど、今度は遠くの世界かな」
「なんだそりゃ」
「説明が難しいの」
大人の世界に行くの、なんて説明しても理解されないだろうし。
「ま、大人になったら分かるわよ」
「大人ねぇ……」
「野上くんは、将来の夢とかあるの?」
「ねえな」
「即答しないでよ」
「ねえもんは仕方ねーだろ。
一回ダブってるしよ、まず卒業が目標だし」
「ダブってって……そっ、そうだったの!?」
「あれ? 言ってなかったか?」
「初耳よ」
「あーでも、真面目になって立派な大人になりてえとは思うぜ」
私は『彼らしい夢だ』と思い、つい口元を緩めてしまった。
それに気づいていない彼は、じっと天井を見つめながら「でもよ」と呟いた。
「人様に迷惑をかけて来た奴が言うのも|烏滸(おこ)がましいよな」
「そんなことはないわ、やり直そうって思うだけ立派よ」
「だってよ、人生のレールから脱線してんだぜ?」
「なら、レールを本線まで繋げ直したらいいのよ」
「そんな簡単なもんかねえ」
「簡単ではないだろうけど……。
けれど、道を間違えたからと言って、逸れた道が一本道じゃ――」
私の頭に、レールが繋がる光景が浮かんだ。
突然、言葉を切った私に野山くんはもぞりと身体を起こし、心配そうに私の顔を覗き込んだ。
そうだ、そうすればいいんだ……!
私は身体を起こすと、脱ぎ落とした下着と服を手に取った。
「ど、どうしたんだ?」
「レールを繋げればいいのよ! 選択肢は一つじゃなかったのよ!」
声を弾ませる私に、野山くんは「お、おう……」と言うだけであった――。
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