第4話 届け物
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私はもしかしたら、まだ夢を見ているのかもしれない。
そんな気がしてならず、何度もバチャバチャと顔を洗っていた。
しかし、濡れた顔をタオルで拭っても鏡に映る“少女”はいなくならない。
「やっぱり、昔の顔よね……」
鏡の中の私は卵形の輪郭を撫でた。
丸い目には涙袋がほどよく膨れ、小高い鼻はつんと上を向く。唇はやや薄く、口は小さい。平成顔と昭和顔、と言うのをテレビで見たことあるけれど、間違いなく私は“昭和顔”だろう。当時はちょっとだけ自身があったけれど、今の若い子や芸能人と比較すると、まったく敵わない。
しかし、鏡の中の私は背筋を伸ばすと、ピンクのパジャマをピンと張って身体を斜めに向けた。
「うふふっ」
私は上機嫌でリビングに戻ると、主人はぎこちなく私を見た。
未だに慣れないみたいだ。まぁ、私も似たようなものなので仕方ないけど……。
「おはよう」
「お、おはよう」
いつもの朝なのに、凄く違和感がある。
「パンでいいか?」
「うん、それでいい」
食パンをトースターにセットして、タイマーを回す。
ジー。タイマーが回る音だけが部屋に響いている。
主人はトースターの前に突っ立ったまま、私は冷蔵庫からバターを、食器棚からお皿を取り出し、それを主人の近くに置いた。
チーン。タイマーの鈴が鳴るまで、私たちに会話はなかった。
「それで」
主人から次の言葉が出たのは、トーストがほぼ食べきろうかって時だった。
私の顔をまじまじと見つめながら、ゆっくりとパンくずがついた口を動かす。
「若い身体はどうなんだ?」
「驚くほど軽いわ。まるで身体中にバネがついているみたいに、ふわふわしてる」
「そ、そうなのか」
「それで、あなたはどうなの?」
「俺? 俺はまだ飲んで――」
「若返った奥さんについてよ」
何をトンチンカンなことを、私は少し呆れた。
「あ、ああ……その、まだ驚いている……」
「それだけ?」
「いや、何と言うか……昔を思い出したよ。
お前と付き合い始めた時、周りの奴らが凄く羨ましがっててな」
「え、そうなの?」
「襲撃計画まで立てられたほどだ」
「ええっ!?」
当時は『あんな男と別れて俺とさ――』と言われたこともあったけど、まさかそこまでとは思いもしなかった……。
「お前は結構人気あったんだぞ」
「初耳よ」
「本当だぞ? こうして再び、あの時のお前と会えたことが未だに信じられない……。
一つ屋根の下で朝の挨拶をして、飯を食う……なんて夢を見たが、まさか本当に日が来るとは、本当に信じられない」
主人の素直な言葉が嬉しかった。
高校二年の時に交際を始め、卒業してから地元の電気屋に就職し、二十六歳の時に結婚――その日の初夜で結ばれ、そこでやっと家の中で『おはよう』の挨拶を交わし合った。奇しくも私が若くなったことで、三十年越しの夢が叶ったこととなる。
「昔さ、オバさんになっても、って歌あったじゃない?」
「ん? ああ、あったな」
「あなたはオジさんね」
私は若くなった声を弾ませると、お腹が出てきた主人は苦笑いしかできなかった。
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若くなったとしても、私は“四十六歳の林谷 紀子”であることに変わりない。
掃除洗濯などの主婦業ももちろん行い、ちゃんとお昼の準備もする。そこで初めて気づいたのだけど、私の“感覚”は身体の影響を受けているようで、お昼の焼飯を口にした主人が『味が濃い』と言っていた。
そしてまた、身体の影響を受けているのは“感覚”だけではない。
「ああ、これも合わないわ……」
昼食後、二階にある自室に戻った私は、タンスから古いズボンやスカートを引っ張り出しては腰に当てる作業を繰り返していた。
母の服を着る娘の感覚、と言ったところだろうか……穿けないこともないのだけれど、ウェストから全体的に一回り大きいのだ。
それは、ショーツやブラなどもそうで、身につけるものすべてに言えた。
三十年後の私はここまで大きくなるのか、信じたないけれど、目の前に広がる衣類が何よりの証拠である。
「でも、昔の私はそれほどスリムだったってことよねぇ」
私は前向きに考え、ゆったりしたシャツの裾をまくり上げてみる。
白くほっそりとしたお腹が、小さく可愛らしいおヘソ……きめの細かい滑らかな肌は、見た目のまま柔らかい。
これなら現代っ子にも負けないだろう、これを見るだけで口元が緩んだ。
朝、主人から『人気があった』との言葉に、私の頭のどこかに『当然よ』と答えた自分がいた。私は当時、ちょびっとだけ身体には自信があった。ちょびっとだけ。
当時はロングスカートが流行っていて、デパートで買って貰った新しいそれを姿見に映しては、『ストレートヘアにした私が繁華街を歩き、すれ違った不良が口笛を吹く』と言った妄想をしては、うふふと心弾ませていたものだ。
……今思えば何がよかったのだろう。
(まぁ、当時は主人とも付き合っていたしね)
不良に関しては、主人との関係を強めるスパイスになることが多かった。
“妄想の主人”が格好良くやっつけ、時には負けて私が連れ去られてしまうけど、最終的には何とかして愛を深めると言った展開が多い。無茶苦茶だけど、当時は少女小説が流行っていたから、と言うことにしておこう。
実際の不良は怖いし、絶対に近づきたくなかったけれど、猫がその格好をしているグッズはこっそりと集めていた。
昔の記憶をどんどんと思い出してゆき、もしかしたらこれも身体の影響か、なんてことを考えていると――。
ピンポーン。
と、一階の方からインターホンが鳴るのが聞こえ、私はパタパタと階段を降りた。
「はぁーいっ」
「林谷さーん、宅配便でーす」
扉越しにそう言われ、見慣れた緑の帽子とベージュの作業服のシルエットに、私は印鑑を手にいそいそと玄関扉を開いた。
いつも家に配達に来てくれる田中さんだ。私を見るなり驚いた様子を見せた。
「あら、ご苦労様。暑いのに大変ねぇ」
「そ、そうだねぇ」
「荷物はそれかしら? 結構大きいわね」
「え、ええ、お嬢ちゃんはこの家の……親戚かな?」
「え? やだわもう、お嬢ちゃんだなんて――」
私はそこで、ハッと思い出した。
「あ、そ、そのそうっ、し、親戚よ!」
「そ、そうかい? じゃあ、ここにサインを――うん、ありがとう」
田中さんは荷物を玄関の上がり框に段ボールを一つ置くと、『じゃあ、おばさんによろしくね』と、【林谷】と書かれた伝票を手に、逃げるようにして家を出ていった。
「や、やっちゃった……」
私は玄関で立ち尽くしてしまっていた。
不気味に思われて当然だ。
十七歳ぐらいの少女が、オバさんみたいに馴れ馴れしく話しかけるんだから……。
今の私は十七歳なのだから、言動には気をつけなければ……と思いながら、届けられた肩幅よりも大きな段ボールに目を向けた。
【メリー製薬株式会社】
送り主に片眉を上げたものの、“製薬”と言う文字から、何となく察しがついた。
荷物は重いけれど、持てないほどの重さではない。底に詰め込まれているだけで、上の方はスカスカのようだ。
いったい何が入っているのか。リビングまで運んだ私は、私はハサミで慎重に開封すると、その中には――
「え……」
ビニールに包まれた白いセーラー服、黒いプリーツのスカート、黒い革鞄、ローファー……これらから考えられることはそう多くない。私は急いで主人を呼んだ。
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主人もただならぬものを感じ取ったのだろう。
私の呼び声に「どうした」大慌てで駆けつけ、段ボール箱の中を覗き込む。
「これは、あの薬をくれたシスターの会社からなのか……?」
主人は伝票に目をやると、下唇を出した。
腕を伸ばして離して見ているのは、やや老眼気味だからだ。
「支援する、と言ってたしそうじゃないの?」
「いったい、どうしてこんなのを」
「多分だけど……年相応の行動させたいんじゃない?」
「年相応?」
「だって、今の私が十七歳としたら高校二年生でしょ?
もしこのまま家にいたとしても、ずっと家の中に引きこもってられないし」
学生であれば、朝から夕方まで学校の中にいるので、平日昼間に遭遇することが避けられるし、朝夕に出会ったとしても『ワケあってしばらく身を寄せているんです』と言い訳ができる。私は自分なりの仮説を主人に話してみた。
「なるほどな……。
確かに、うちにこんな若い子が出入りしていたら怪しいけれど、学生なら説明がつくか」
「うん」
「じゃあ、それでやってみるか? 書類とかどうなっているのか調べなきゃならないから、しばらく時間かかるが」
「“高校生体験”だから、ゆっくりでいいわよ」
主人は「そうだな」と言うと、段ボールを閉じて部屋に戻ろうとした。
私は「あっ」と声をあげ、主人を呼び止めた。
「どうしたんだ?」
「あのさ」少しもじもじしながら主人を見た。「あっちの方……どうする?」
「あ、あー……」
主人はそれに動揺を隠せなかった。
“あっちの方”と言うのは、当然“夜の営み”のことだ。
私は確かに主人の奥さんだから、したい時になったらいつでもできる。
けれど、それは四十六歳の身体の時だからであり、今の十七歳の“少女”の身体ですることは絵面的にも憚られてしまう。かといって、夫婦なのに我慢し合うのは気まずさを残すに違いない。
だから、そこだけはハッキリとさせておきたかった。
「う、うーん……」主人は今一度、足先から頭のてっぺんまで私を見た。
「…………」
「ま、まぁその、見た目の問題はあるけど、紀子本人には変わらないんだから……だ、大丈夫じゃないか?」
「う、うん……分かった」
私は上目遣いに主人を見ると、遠い昔の感情が胸の奥から蘇ってくるの感じていた。
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