第1章 時織
『自由』について考えよう。
自由。
なんて壮大なテーマだろう。
そして、まるで人間そのものであるかのように、底の無い泥沼のテーマだ。
答えが無いのではなく。
終わりが無い。
ただただ終着点だけが存在しない。
自由とは、束縛の対義である。
一般的な認識としてはこう定義されるのだろうけど、はたして、本当にそうなのだろうか。
日本国憲法第三章。
自由権。
人身の自由。
精神的自由。
経済的自由。
このように人は束縛からの脱却を願う時、得てして自由を切望するものだ。
けれど。
そこに“自由であるが故の不自由”は、本当に存在しないのだろうか。
答えは否だ。
どころか、往々にして人は、“何をしてもいい”と言われれば“何をしていいか分からない”という状況に陥りがちである。
往々にして――常々、ごく普通に、珍しいケースでも何でもなく、普遍的な平均値で。
何をしてもいい自由というのは、当たり前のように束縛たりうる。
束縛の対義語であるはずの自由が、他ならぬ束縛であるというのだ。
いわばそれは。
悪を否定した正義のような。
死を無いものとした人生のような。
他人が存在しない平等なだけの人間のような。
存在そのものを揺るがしかねない、絶対矛盾。
存在そのものが矛盾である無限理論。
故に、終わりが無い。
例え答えを出したところで、それだけに囚われ続ければ、それはもう完全とは、正義とは、人生とは、自由とは言えないからだ。
自由とは、何か。
その問い自体が、自由に反してるとも言えるし、また同じくらいに言えない。
だから結局、考えるしかないのだろう。
そして、見つけ続けるしかないのだろう。
死ぬまで。
諦めるまで。
自分にとっての――自由を。
家を出てから既に3年、わたしはまだ、何も見つけられずにいた。
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