第3話 敗者は

 

 

 

 円柱状に開いた斜面に、足を踏み出す。足の裏に感じる穴の表面は、意外とすべらかで、このまま登って行くのは心許ない。

 少しでも安定させようと、足の指に力を入れて踏み締めると、穴の表面が、窪んだ。足の指の形に。


 えー。この床、そんなに柔らかくないよね……。

 まあ、便利だから、今はいいや。

 この身体の異常さは、全部後回しだ。いちいち気にしてたら、何もできやしない。


 足を踏み出し、指を食い込ませて、足場を確保。足を踏み出し、指を食い込ませて、足場を確保。

 そうして、一歩づつ、無心で斜面を登り。穴の外へと出た。

 煙は晴れて良好な視界の先には、壊れた円環状装置の向こう側でヘたり込んだ犯罪者の男と、その傍らに立つイケメンエルフ。

 犯罪者の男は、さっきまでの狂騒が嘘のように、ぐったりとしている。これ以上、何かをしでかすか事は無いだろう。


 丁度、イケメンエルフも、犯罪者の男の下に着いたところな様子で、燃え尽きたように座り込んだ男の背後に立ち、右手に持った剣の先を男に突きつけた。


 これで決着か。


 そう思ったのも束の間。イケメンが、剣を顔の右側辺りの高さに、振り被った。

 右手だけで握っていた柄の尻を、左手で包むようにして、両手で握っている。その行動の意図するところは――。


 みなまで考えること無く、身体が動いていた。

 犯罪者の男の首を目掛けて斜めに振り下ろされる鈍色にびいろの剣。

 狙いはその剣の、柄尻。

 ヘたり込んだ男の右側へと回り込む。身が足を軸に身体を回転。左の後ろ回し蹴りを低軌道から放ち、握っているイケメンの左手の指ごと、踵で蹴り上げた。


 踵に硬い物を踏み砕いた感触を残し、剣は明後日の方向へと飛んで行った。


「うぎぃ!」


 イケメンが顔に似合わない苦悶の呻きを上げ、砕け潰れた左手を右手で庇うようにして包みながら二歩三歩と後退り。力が抜けたように膝を着くと、身体を丸めてうずくまった。


 咄嗟の出来事だったけど、上手いこと身体が動いてくれて良かった。ほぼ狙い通りの結果だ。

 ……多少、手加減が足りなかったかもだが。


 手加減不足の結果、かなり痛そうな事になってるイケメンの青い短髪頭を見下ろしながら、声を掛けてみる。


「大丈夫か? 悪かった。この身体に慣れてなくてさ」


「…………」


 ……しばらく待ってみたが、返事が無い。痛みをこらえて、小刻みに震えてる。

 うーん。大丈夫じゃ無いのかな?


 別の事、聞いてみるか。


「なぁ。なんでこの男を殺そうとした? こいつはもう、無抵抗じゃないか」


 今度の問い掛けには、イケメンが弾かれたように顔を上げた。その顔は、痛みと怒りに醜く歪んでいる。

 そこに、この顔だけは良い男の、内面を見た気がした。


「貴様、こんな事をして、許されると思っているのか……」


 ……質問に質問で返されてしまったぞ。しかも、恨みがましい低い声で。

 そうとうお怒りのようです。

 まぁ、いきなり指の骨ボキボキに折られたら、オレも切れるか……。


「……そりゃあ、いきなり怪我させたのは悪かったと思うけどさ。そっちだって、この男をいきなり殺そうとしただろ?

 敗者には死を、なんて主義だったとしてもだ。俺にはまだ、この男に用事があるから、死なれちゃ困るんだよ」


 そう。この身体トンデモボディを、どうにかして貰わんといかんのよ。


 真摯に訴えてみたが、この似非えせイケメンには通じなかったらしい。視線に悪意が籠った。


「レノグルス様のご意思の遂行を妨げたのだ。死では温いな。従属……いや、隷属刑が妥当だろう」


 そう言って、似非イケメンはニヤリと厭らしい笑みを浮かべた。

 直後。似非イケメンから、ゾワリとする感覚を覚え。世界の全てから、色が薄れた。


 何だ? 何が起きた。似非イケメンの仕業か?


 突然の奇妙な現象に戸惑っていると、似非イケメンが不自然な程に、極々ゆっくりと、動いている事に気が付いた。

 その光景は、いつだったかテレビのスポーツ番組で見た、ハイスピードカメラで撮影した映像に似ていて。

 似非イケメンが、左手を覆っていた右手を、徐々に徐々に上げて、俺の方へと向けようとしている様子が、スローモーションを超えるスーパースローな映像として観て取れている。


 うん。これはきっと、アレだ。この身体の、謎の能力シリーズのせいだ。

 動きが遅く見えるって事は、謎視界の効果か? 謎動体視力みたいな……違うか、なんかシックリこないしなぁ。


 段々と伸ばされて来る似非イケメンの右手を観ながらこの現象を考察していて、無意識に首を傾げた時だった。まるで水中に居るような抵抗感を覚え、長くて邪魔な髪が傾げた方の頬に張り付き、更に邪魔に感じた。


 おや? なんだか、動きづらい?

 違う。俺の動きが速過ぎるのか。ああ。はいはい。つまり謎加速ですね、わかります。

 ……って、わかんねぇよ!


 セルフボケッツコミの後、右手で何も無い空間にエアツッコミを放つと、油の様に粘度を増した空気を引き裂き、ビシッと音がしそうな速さで腕は動いた。

 今のこれ、どの位の速度が出てるんだろうか。

 空気の壁を突破してるっぽいから、音速以上か? すると、今のエアツッコミで、ソニックブームが発生してる、のか? リアル俺ガイルなのか?


 ソニックブームは一先ず置いといて、この引き延ばされた時間の中でも、俺の主観時間通りに動ける事になるのではないか?

 いや、まてよ? 空気抵抗が増えたのに、重力も足と床の摩擦抵抗もそのままじゃ、それこそ水中を歩いてる様なもどかしい状態になるのか?


 似非イケメンを観れば、まだ右手を伸している最中で、何故か怪我が治っている左手を右腰のポーチらしき物に持っていって、何かを取り出そうとしている。


 よし。まだ慌てる時間じゃない。

 今の内に、この謎加速現象の実地検証をしておこう。


 最初は、ゆっくりと歩いてみた。


 歩けない事は無いが、やはり水中か、それ以上に動き難い。少しでも身体が浮いて床との接地が緩むと、ふわっとしちゃって足が空回る。


 そこで、足の指で床を握り締めてみた。ななめの穴を登って来た時みたいに。むしろあの時よりも、指の間を目一杯広げてから、手で掴むみたいに踏ん張ってみた。

 するとこれが中々良い感じ。散歩するくらいの速さでなら歩けた。

 これ以上の速さを求めるなら、四つん這いになって手でも床を掴む必要があるだろう。

 で、やっぱり髪が邪魔過ぎる。切るか縛るかしたいが、素っ裸な俺がハサミやらヒモと、そんな文明の利器を持っている訳もなく、我慢している。


 ではでは。謎加速の特性も、なんとなく解ったとこで、いまだに手を伸ばし続けてる似非イケメンを、どうにかしますか。

 この似非イケメン、俺がこの男の周りをぐるりと散歩して正面に戻ってみたら、突き出した右手を囮にして意識をそらして、その隙に左手で隠し持ってたらしい投げナイフを握ってやがった。

 動きの流れからから予測して、コイツ、俺にあのナイフを喰らわせるつもりらしい。目にも殺意が篭っている。

 いきなり殺しに来るとは、ふてぇヤロウだ。


 ……これは、多少痛い目に遭わせても、正当防衛だよな。

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