第2話 衝突す
飛び跳ねた勢いのまま、両膝を抱えるように引き付け体を縮めて宙を進み、謎の装置の上――無防備な男の胸元へと右足を突き出した。
世界最速スプリンター並の速度の助走からの、飛び蹴りである。棒立ちだった犯罪者の男は、当然吹き飛んで……は、いなかった。
それどころか、蹴り付けた俺の右足は、分厚いゴムの様な感触をした透明な何かに遮られ、触れてすらいない。
相当に驚いたようで、冷や汗と鼻水を垂らしてるけど、それだけだ。
奇襲は、失敗だ。
俺と男を隔てる透明な何かを踏み付け、後方へと飛び
何だあの、まるでバリアーみたいなのは。
あれ? バリアーって、硬いんだっけ?
うん。そんな気がする。アレは防御フィールドだ。勘だけど。
問題は、どうすればアレを突破して、あの男をブッ飛ばせるかだが……。
俺が頭を悩ませている内に、犯罪者の男は立ち直ってしまったらしい。
ちっ。もっとゆっくり動揺してろっての。
「――このッ、恩知らずがあッ! 出来損ないは廃棄処分にしてくれるッ!」
などと、犯罪者の男は意味不明な言葉を叫んでおり……つまりは、ブチ切れているようだ。逆ギレしやがった。
キレてるのは、俺の方だっての。いきなり拉致られて、気が付けば得体の知れない身体にされてて。
ここまでされたら、温厚な俺でもキレるっての。実際、俺史上最大幅でキレてる。知り合いが見たら、「やべっ、カザンが大噴火した!」とか言い出すだろうさ。
俺の名前は、『
「って、おいおい……そりゃあ反則じゃないのか?」
逆ギレした犯罪者の男は、両手を広げたかと思うと、宙に浮かび上がりやがった。
あっという間に高さは、天井付近――十m近いだろうか。
ただでさえ、謎の防御フィールドで守られていて攻めあぐねていたのに、その上宙になぞ浮かばれたりなんぞしたら、素手どころか全裸な俺には、手の出しようが無い。
そして、苦々しく天井付近に浮いた男を睨む俺を
「消えてしまえぇ!」
叫びと共に、突き出した男の両手の前に、灰色の光が集まり出した。
光の色こそ違うが、その様子はまるで、子供の頃に漫画やアニメで見た――
「――ガーリック砲だと!?」
戦闘種族の王子様の必殺技に驚き叫びながらも、慌てて後ろへ飛び退くと、直前まで俺が立っていた灰色の素材不明な床へと、丸太の様な赤い光線が突き刺さった。
床に触れた光は、爆発こそしなかったが、数秒で途切れた後に見えた床は、直径数メートル程の半球状に赤熱して
その光景に、自分に向けて放たれた物の凶悪さを知り、息を呑んだ。
あの野郎、なんつう攻撃して来やがる。あんなのに触れたら、生身の人間なんて、影すら残らず消し飛ぶだろうが!
「誰が避けて良いと言ったッ!」
身勝手な叫びを上げて悔しがる犯罪者の男。
黙って大人しくしているのも癪に障るので、小さな反撃を試みる。
「俺が言ったんだけど、何か?」
「な……ん……ッ!」
ニヤリ笑い付きで言い返してやれば、男は顔を真っ赤にして、口を
今時、小学生でも、こんな程度の低い返しはしないだろう。自分でも、もう少しウェットに富んだ返しは出来なかったのか、とは思ったが、ヤツには効果が抜群だったようなので、まあ良しとしよう。
口撃を受けて激高する男の様子に、少しだけ気が晴れたが、しかしその対価は、お高く付いてしまったようだ。
「きいぃぃいいぃぃー!」
男は金切り声を上げて器用にも空中に浮いたまま地団駄を踏んだかと思うと、目を釣り上げて怒りも
振られる腕に合わせて打ち出されたのは、ソフトボール大の赤い光の玉だった。
飛来する速度は、せいぜい時速百キロほど。二十mは離れた場所から真っ直ぐに向かって来るだけなので、避ける事は簡単なのだが。
「くぅおぉぅのおぉッ、エルフ以下の原始生物ぐぅあぁー!
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねええぇぇッ!」
狂気を感じる叫びを響かせ、腕を振るう姿は、ヒステリーを起こして、手当り次第に部屋中の物を投げつけて来る危ないヤツそのもので、しかし飛来するのはクッションやリモコンなどでは無く、ある意味包丁よりも危険な無数の光球だ。
先程の丸太光線よりは、殺傷能力は低そうだが、それでも着弾した床が焼け焦げているのを見る限り、当たったらただでは済まなそうだ。
そんな光球が、弾幕よろしく押し寄せて来ては、全てを躱しきるのは中々に難しい。
飛んで来る光球それ自体は、良く見えている。
身体も
しかしこの身体、女の子みたいな華奢な見た目に反して、とんでも無くじゃじゃ馬だ。思った以上に、軽やかに反応し過ぎるのだ。
俺は約三十年、当然ながら同じ身体を使っていた。
なので、この感覚の齟齬の原因を、急に新品同様に新しいこの身体へと変わったかだ、とは言い切れはしない。人の脳は、すぐに騙され錯覚するのだから、確固たる基準と客観的に比較しなくては、尚更正しい事など判らない。
しかし、だ。それでもこの身体のスペックは、どうにも高過ぎると思うのだ。
具体的には、そうだな。
今までの身体が、ペダルを全力で漕いでプロペラを回して飛んでいる人力飛行機と、今の身体は、音速を超えて飛ぶジェット戦闘機を最低速度で飛ばしている状態くらいに、性能が違いそうだ。
正直、この身体で全力を出した時に、どうなるかの予測が立たない程、凄そうな身体なのだ。
凄い凄いって、小学生並みの感想しか出てこないが、とにかく凄いんだから仕方がない。
ただ、どんなに凄くとも、この身体はお世辞にも扱いやすいとは言えない。馴れれば違った感想になるのかも知れないが、身体が別人になる程の事態に、そうそう馴れるとは思えない。
身体がそんな状態なのだが、もっと問題なのは、精神面だろう。
今こうして、無数の光球攻撃に晒されていても、何故か危機感が湧かないのだ。頭では、当たったらヤバそうと考えていても、それとは違うどこかが危機感を薄めてしまうのだ。
馴れない身体に、そんな精神状態が重なってしまっては、結果は決まっていたようなものだった。
躱した光球の数が三十を越える直前。二十九個目の光球が、俺の右の太股に直撃した。
「ふひひひひひっ! やったあたったあ!
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねええぇぇ!」
攻撃が
その目標にされてる俺はと言えば、今、光球連撃を浴びながら、ちょっと戸惑っている。
ヤツの放ったいかにも熱そうな光球は、熱いどころか、むしろ心地良いくらいだったので。
こう、温湿布みたいな?
その事に驚いて、動きを止めてしまったのだ。
例えるなら、そう、あれが近いかも。不意にヤカンを押し付けられて、『熱っ!』って驚いたけれど、実はヤカンの中身は水で、触っても熱くなくて二度ビックリ! みたいな。
微妙に違う気もするが、要するに、だ。先入観による錯覚だったのだが、それを脳が認めるのに時間がかかってしまったのだ。
で。続く光球も、避ける必要を感じられず、こうして今も浴び続けているわけだが……これ、攻撃ってよりも、むしろ癒しなのだが。
足下で溶けてる床も、なんだか足湯みたいにしか感じない。
流石にこれは、錯覚だとは思えないのだが……何なんだろうね、この身体……。
とにかく、こんな感じで、俺が光球攻撃自体に曝される事に問題無い。
けれど、俺から外れた攻撃が、床に着弾して生じる煙が、少し問題か?
光球の着弾した床が焼け溶け、この時に生じた白煙が、周囲に立ち込め始めている。
そこへ、融解した床が発する光や光球のそのものの光が、ぼんやりと赤く色を付けて、周囲の視認性が悪化しだしているのだ。
これで、ヤツの放ってくる光球が、宙を進む時に風を巻き込むなり、着弾してから弾けるなりすれば、多少は煙が散りそうなのだが、そんな事もなく。俺の周囲の視界は、刻々と悪化している。
周りが見え無いのは不便だし、思った以上にストレスを感じる。
どうにかして煙の向こうが見えないものか、っと思ってたら……何ぞ、これは?
この感覚を、どう言葉にしたものか。
謎翻訳と同じような感覚で、周囲の様子が解ってしまったのだが……。
頭の中に、目で見ているのとは別画面が増えて、そこにに見たい映像が映っている……。
とでも言えばいいのか? 目で見ているのとは別の視界が増えたのだ。
一言で言ってしまえば、謎視点である。
視界の確保が斜め上な結果でなされ、釈然としないながらも受け入れた頃。長々と続いていた光球攻撃が止まり、俺の中で物議を醸していた謎視点を使って見ていた煙の向こうで、動きがあった。
そろそろお約束として、『殺ったか!』とか叫ぶ殺ってないフラグの一つも建ててもいい頃だと思っていたのだが、あの犯罪者の男はその辺の
本来なら正しい行動なのだろうが、残念な事に、自分が
「ふひひひひひっ! このまま、魂すら消し飛ばしてくれようッ!」
見当違いな事を叫びながら、男は前方に
その量は初撃のそれを優に越え、五倍――軽自動車程度ならすっぽりと入ってしまいそうな大きさにまで、膨れ上がった。
アイツ、今度はファイナノレフラッシュか! また野菜王子の技とか、外見は全く似てないカカシ野郎のくせに!
と、無理矢理テンションを上げようとしたが、ちょっと厳しいな。結果が見え見え過ぎて。
「……アストラル因子すら消し飛んでしまええぇぇッ!」
絶叫。後に閃光。
男が放った、小ぶりな灯台ほどに太いその光の筋は、辺りを赤く染めながら床へと斜めに突き刺さり、音も無く消え去った。
あとには、十m近い穴だけを残して。
そして俺は、穴の中である。
無傷で。髪の毛一本どころか、まつげの一本すら焦げたりしもせずに。服を着ていたら、その分は被害と言えたかもしれないが、元々全裸だし。
むしろ、全身を少し強めの炭酸水で洗われた感じで気持ちよかったくらいだ。
ただ、足下の床が消し飛んでしまい、そのまま穴の中に落下したのは、小さな誤算だったけれど。
さて、どうしようか。
今も穴の外からは、あの男の高笑いが聞こえて来ている。きっと俺を仕留めたと思っているのだろう。
もしかしたら、『万が一奇跡的に原型は留めていたとしても、確実に虫の息だ』、くらいの予測はしてるかも知れないが。
それでも勝利は疑っていないのだろう。そんな笑い声だもの。
そんな状況で、だ。掠り傷の一つも無い状態で、俺がひょっこり穴から出て行ったら……あの男、完全に錯乱しちゃわないか?
今でも正気かどうか怪しいとこだが、最後の一押しをしちゃいそうな、気がするんだよ。
でも、行かない方が、もっと嫌な予感がするし。
ここは出て行くべきだと、俺の勘が囁くのさ。
はっきり言って、俺をこんな訳のわからない身体にした事は、許せそうに無い。悪い夢なら覚めてくれと、いまだに思っている程だ。
元の身体に戻しでもしなければ、許そうとも思えやしない。
……ただまぁ、その、なんだ。腹は立つが、あの男が懸命に抗っている姿を見ていたら、破滅を望むほど心底恨む事は、難しい。
できるだけの償いをして、罪を償ってくれと思うのは、甘いのだろうか。
でもまぁ、そこら辺は後で考えよう。
いつまでもここに居るわけにもいかないし、そろそろ
謎視点で穴の外を観てみれば、あの男、力を使い果たしたのか、空中から降りて床に座り込んでしまっている。
そして、どうやらイケメンエルフの方も戦闘が終わったようで、男の下へと歩き始めた。
頃合、なのだろう。
でも、嫌な予感がするんだよなぁ……。
内心で感嘆しながらも、穴から出るため、五十度くらいの角度がありそうな坂に、足をぺたりと踏み出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます