神代町一丁目

虎昇鷹舞

第1話

 晴れた空の下、俺は自転車に乗ってとある住宅街を走っていた。俺の仕事はメッセンジャー。今日もこうして預かった書類を持って届ける途中だ。

 時間にルーズな奴にはこの仕事は勤まらねぇ。信頼=時間なこの仕事、信頼が上がれば上がるほどリピーターのお客さんもつくんで少しの油断もいけない。

 今日も順調に時間に余裕を持って届け先の家に向かっていた。


「時間もまだ余裕があるし、届け終わったら昼食にするかな」

 腕時計にチラリと目をやった。時計はそろそろ正午を指そうとしていた。

「んっ!?」

 視線を前にするとT字路から飛び出してきたかのように急に少女が現れた。

「キャッ!」

 俺は慌ててブレーキをかけて左に避けようとしたが避けきれず、自転車を派手に横転させた。

「いでででで…何てザマだ」

 すぐに起き上がって自転車を起こすと、ぶつかった少女を確認すべく振り返った。だが少女の姿は無かった。慌てて周囲を見回すと背後から声がした。

「ちょっと! ちゃんと見てなさいよ! この無礼者!!」

 なんと少女は竹ホウキに乗って空中に浮いていたのだ。

「ちょい…おまっ…なんで浮いてる?」

 俺はあまりの驚きに呆然と慌ててそう言っただけだった。

「何よ! 謝りもしないでいきなりそんなこと言うなんて失礼だわ。こうしてやる!!」

 少女はホウキにまたがったまま両手を胸の前で合わせて妙な詠唱を始めた。

「………」

 少女は詠唱を終えると俺の頭を手でぽんぽんと軽く二、三度叩いた。

「こうしてやるんだか! バイバーイ」

 そういい終えると少女はホウキにまたがってまたどこかへと飛んでいってしまった。何なんだアイツ? そう思い頭を手で触ってみる。ん、頭の側頭部の辺りがむずかゆい。これは…!?


「なんじゃこりゃぁぁぁ!」

 俺は側頭部に生えていたぴこぴこと揺れる耳のようなものに触れた。ちょうど町内の案内板があったのでその板をうまく反射させて俺の姿を見たところ猫の耳が生えてるじゃないか。しかし、よく見るとその下に普通の耳も生えている。なんだこれは…。

「猫耳かよっ!!」

 思わず声を出してしまった。ハッと周囲を見回すが幸い、通行人の姿は無かった。


(参ったな…さっきの女はどこいったんだ…)

 周囲を続けて見回すが、ホウキに乗った少女はどこにもいなかった。

(仕方ない、先に仕事を終えてあのガキを探すか…)

 俺は自転車にまたがり、ヘルメットをかぶろうとしたが頭に生えた猫耳がジャマでうまくかぶることができない。

(あーもう、どうすりゃいいんだよ!)


 ヘルメットを取ると、持っていたバンダナで猫耳を巧く隠すようにして頭に巻き始めた。1枚じゃ足りないので2枚出して巻いた。

(これでよし…っと。さて配達配達…)

 手に持った地図を確認し俺は目的地に向かった。


「またのご利用をお待ちしております!」

 俺は平静を装って届け先の会社のドアを閉めた。普通の一軒屋を会社にした所で閉めたドアの奥からは失笑が聞こえてきた。何かのイベントとかだと思ったのだろうか。まぁいきなり配達員の頭にリアルな猫耳が生えてりゃ誰でもおかしいと思うだろう。

 バンダナで隠したがそれがかえって目立たせる結果となってしまった。これでは受け取った書類さえも本物ではないかと疑われかねない。


 俺は顔から火がでそうなほど真っ赤になりそそくさと家を出て携帯電話で会社に配達の報告をした。

「…無事配達を終えました。すみませんが今日は体調が優れないのでこれであがらせてもらいます…」

 このままじゃ仕事なんかできやしない。今日のところはこれで上がってこの耳をなんとかするのが先だと思い、早退の旨を電話で伝えた。


(これでよし…、問題のあのアホ女を捜さないとな…)

 持っていたこの辺りの地図を広げてみる。ん…? 何か見覚えのある場所だ。

(この辺りは俺が通ってた高校の近くか…)

 周囲を改めて見回すと多少風景は変わっていたが、今いる場所は通っていた高校の通学路だった。卒業してからは一度も学校には行ったことが無く、この辺りに来たことは何年ぶりであろうか。


(って…感慨に耽ってる場合じゃない!)

 だが、少女の行き先など全くをもって見当がつかなかった。

(困ったな…んーとりあえずこの辺にある公園でもいって一休みするか…)

 正午を回り、日差しが強くなってきているのがわかった。それに頭に生えている猫耳が妙に熱を帯びていていつもよりも暑く感じていた。このままじゃ耳が焼けそうなほどの痛みを感じていた。俺は慌てて自転車を飛ばして公園に向かった。


「ふー、一休みだ」

 俺は耳を押さえつつ公園の日陰に滑り込んだ。公園の中の道沿いに置いてあるベンチの隣には大きな木が石畳の道沿いに植えられていた。


 ベンチに座り一息ついた。汗がじわっと染み出てきた。まずはこの暑さを回避してからこれからの行動を考えようとした。と、ふと目の前の木を見て何かを思い出しかけていた。

(何だっけかな…見覚えある木だな…)


 ベンチを離れ、木に触れてみる。よく見ると木の一部の樹皮が人工的に剥がされ、何か文字を削ったような跡があるのがわかった。

(何が書いてあるんだ…佐…佐々木…)

 風化して薄くなっている跡をじっと見ていると佐々木と彫られているのがわかる。

「ゲッ…これもしかして」

 俺は完全に思い出した。すると背後から少し前に聞いたような声が聞こえてきた。

「…やっと思い出した? 随分と遅かったわよ!」

 俺は振り返るとそこにはさっき見たホウキに乗って現れた女が立っていた。


 木に刻まれた「佐々木」の文字、高校の近くの公園、ホウキに乗って現れた少女。この3つのキーワードから遂に思い出した。

「お前! 高校の時、同級生だった佐々木美香だろ!」

 俺が少女を指差して答えた。

「やっと思い出したの? 随分と長かったわね…これだけヒントが色々とある場所だったからもう少し早く答えてくれると思ってたけど…」

 少女は呆れ顔で答えた。

「そりゃ…忘れたかったんだよ。あん時はツラかったんだから…」


 俺は美香から目をそらして答えた。俺は高校の時この子と付き合っていた。俺の所属していたサッカー部のマネージャーをしていた彼女とは妙に調子が合い、どちらからともなく付き合おうと言い出し、付き合っていたのだった。

「確か付き合いだしたのが2年の夏の合宿の時で…」

 美香はホウキに乗ったまま俺の周りをゆっくりと回っていた。

「お前が交通事故で死んだのが2年の冬だったな…」

 そう、美香は交通事故で死んだのだ。部活の後、俺は帰り道で使う駅が同じ美香と駅で別れた後だった。俺が家に着いた時、事故のことを知らされた。すぐに病院へ行ったが即死だった。年の瀬の迫るひどく寒い日だった。

「酔っ払い運転の車が急に背後から迫ってきたのよねぇ…常識的に考えて歩道を歩いていて、車が飛び込んでくるような場所じゃなかったし、避けられなかったよ…」

 美香が天を見上げて答えた。当時付き合っていたことは部活のみんなにも知られていて冷やかされながらも公認の仲になっていた。

「クリスマスが近くて映画観に行こうなんて言ってたもんな…」

 その映画のチケットは美香の棺の中に一緒に入れた。それから俺は部活も辞めた。


「でも、いくら辛かったからって墓参りくらい来なさいよ! 寂しかったんだから…」

 美香が涙をぽろぽろと落とした。俺は高校を卒業するまでは季節ごとに墓を訪れていたが大学進学で故郷を離れてからは墓に行くことは無かった。

「なんか…過去に縛られると言うか、心が重くなるんだ…」

 忘れたくても忘れられない。だが縛られること無く新しい恋をするべきなのか心は今もずっと揺れていた。

「そうね…でも、正直最初完全に忘れられていたことにはショックだったわよ!」

 ムキーと腕をブンブン振り回して美香は怒った。

「あれは…驚いたんだ。まさか死んだお前があの頃の姿で出てくるもんだから…普通に考えてみろ。同一人物のわけなんか無いんだから…」

 俺は完全にあの時は動揺してしまっていた。


「そっか…私の方もそろそろ時間みたいだし…」

 美香は腕時計を見ながら空を再び見上げた。

「時間って?」

 美香は俺に顔を急に寄せると猫の耳を両手で軽く触った。

「んっ…?」

 すると俺の頭に生えていた猫の耳がなくなっていた。

「少しの時間だけこうしてアナタの前に現れられるようお願いしたの。でも、もう時間みたい。寂しいけどこれでお別れよ」

 美香がゆっくりとホウキにまたがったまま天へと昇っていく。俺は手を伸ばして美香のホウキを掴もうとするがホウキは俺の手をすり抜けた。

「無理よ…私もう死んでるんだもの」

 そのままぐんぐんと天へと昇っていく。

「美香!!」

 俺は思わず美香の名前を大声で叫んだ。美香は俺に向かってにこっと微笑むとふっと空に吸い込まれたかのように姿を消した。俺は美香が消えた空をしばらく眺めていた。

(…墓参り行くか…折角だし)

 俺は「神代町一丁目公園」と書かれたプレートのある公園の出口から出て、美香の眠る墓を目指して自転車を漕ぎ出した。日差しはまだまだ暑く、午後の暑さも厳しそうだ。

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