第3話 神社
翌朝、美味しそうな匂いで目が覚める。
横には幸せそうに眠る千奈がいたが、その向こうの布団はもぬけの殻だった。
千奈のふわふわの髪を撫でて居間に向かうと、京子が机に向かっていた。
「おはよう、京子」
あくびをしながら声をかけるとやっと気づいたのか、振り返って微笑んだ。
「おはよう、美桜」
「なにやってるの?」
「課題」
「そっか。偉いね」
また課題に集中し始めた京子の横に座って少しの間ボーッとしていると、耳が台所から聞こえてくる音を捕らえる。
ふらふらっと台所を覗くと、そこにはとある人物の後ろ姿があった。
その人物を見た瞬間、まだぼんやりとしていた意識が一気に覚醒する。
「た、小鳥遊先輩!? お、おはようございます!!」
「おぉ。おはよう。悪いな、勝手に台所借りてる。今朝飯作ってるから」
「いえ! その、すみません。ありがとうございます」
先輩より遅く起きたうえに、出来ないとはいえ先輩に料理を作らせているという事実に申し訳なさがこみ上げてくる。
「あの! なにか手伝いましょか?」
「そうだな……もう出来るから裕樹と櫻宮を頼む。アイツは多分部屋にいるから。櫻宮はまだ寝てるだろ」
部長の言う通り部屋で本を読んでいた副部長に声をかけたあと、なかなか起きない千奈に苦戦しながらもたたき起こして用意をさせる。
千奈の手を引いて今に戻ると、ちゃぶ台には綺麗な色の玉子焼き、ふっくらとした一切れの焼き鮭、色鮮やかなほうれん草のおひたし、そして食欲をそそる香りのお味噌汁、艶々の白米と美味しそうな料理の数々が並んでいた。
「…………美味しそう」
思わずこぼれ落ちた言葉に、部長が笑った。
「そう言われると作った甲斐があったってもんだよ。口に合うか分かんねぇけど、冷めないうちに食べてくれ」
慌てて座ると、部長の掛け声で一斉に手を合わせて食事が始まった。
部長の作った朝食は見た目以上に美味しくて、朝はあまり食べない私でもペロリと完食してしまった。
その後、それぞれの用意、朝食の片付け、部屋や風呂の掃除を済ませ、図書館の開館に合わせて十時に家を出てそれぞれの目的地へと向かった。
「ここが神社? なんかすごいキレイだね」
京子が興味深そうに周りを眺める。木に囲まれた社はキラキラと木漏れ陽を浴びて輝き、参道を照らすように入り込んだ光がより神々しさを増す。私も昔から好きな光景だ。
三人で並んで参拝していると、社の裏、御神木である大きなの木の後ろから人が出てくる。
「美桜?」
声の主は、この神社の宮司の娘である友人の望月真生だった。村で颯馬と真生だけが私の同級生である。
「真生! 久しぶりだね。元気だった?」
「まぁ、それなりに」
「あっ、紹介するね。高校の部活仲間の京子と千奈。で、こっちが友人の真生」
「二年、橘京子です。よろしくお願いします」
「同じく二年、櫻宮千奈ですっ!」
「望月真生。よろしく」
今回はちゃんと紹介を入れれたことに心の中で自分を褒める。久しぶりの再会を楽しみたいところでもあるが、そのために帰ってきたわけではない。
「実はね、今日は話が聞きたくてここにきたの」
「話? なんの」
「この村で起こった『神隠し』って知ってる?」
神隠し。そのワードを出したとき、一瞬真生の顔がピクリと反応したような気がした。
「なんで神隠しなんか」
「私ね、今都市伝説研究部に入ってて、神隠しを調べるためにここまで来たの」
「へぇ……それで神隠し。さぁね。聞いたことないよ」
「では、二年前にこの村に警察が入ったことは?」
京子の言葉に今度ははっきりと真生の顔が陰る。
「…………事実だよ。確かに警察があちこちにいたことがあった」
辛そうに顔を歪めて口を開いた。こんな真生を見たのは初めてだった。
それほどその警察が入ったという案件が真生にとって重大だったということだろう。
被害者が真生の身近な人物で間違いない。けれど、二年前女子中学生で真生の周囲にいた人物なんてしれている。
私が引っ越すときに全員見送りに来ていてくれたはずだ。
じゃあ、誰が被害者なのか。
「キレイだね、美桜!」
今と変わらない美しい境内で、私の手を引く幼い女の子。ぐっと低くなった私の目線より少し高い位置にあるその女の子の顔はわからない。あなたは誰なの。これは一体――
「いっ!」
突如襲った強い頭痛に立っていられなくなり、その場に座り込む。
まるで鈍器で殴られたような強い痛み。今もなお続く、頭の中心から強く押されるような痛み。
頭が割れそうだ。
「うっ……あっ……」
「美桜」
暖かい。トクントクンと規則正しい音が心地いい。痛みが、ゆっくりと引いていく。
完全に痛みの治まったあと、深く呼吸をしてやっと真生が抱きしめているのだと気がついた。
周りの全てを遮るように、腕で頭を抱えて耳を塞ぎ、胸に抱き寄せられて視界が塞がれる。
胸から伝わる鼓動が音として心に届いていた。優しい音。落ち着く。昔から大好きな真生のぬくもり。
「……真生」
「美桜。いい。何も見なくていい。何も聞かなくていいから」
子どもをあやすような優しい声。真生がどうしてこんなことを言っているのかはまったくわからなかった。
だけど、許されたような気がした。
心にぽっかりと空いた大きな穴が埋まったわけではないけれど塞がれた。そんな気がした。
ありがとう、と真生に告げると、優しい囲いが解かれ、立ち上がってぽんぽんと頭を撫でられる。
「みぃちゃん!」
「急に座り込むからびっくりしたよ」
心配そうに覗き込む京子と千奈に笑いかける。京子が差し出した手に掴まって立ち上がると、抱きついてきた千奈が不安そうに見上げる。
「みぃちゃん、帰ろう?」
「ありがとうございました。望月さん」
千奈に腕を組んで引っ張られ、足を踏み出した。どんどんスピードを上げる千奈とその隣に並ぶ京子についていきながら後ろを振り向いて真生にお礼を言った。
「西の山には入らない方がいいよ」
いつもと変わらない声だったのに、その声は距離が離れていてもはっきりと聞き取れた。
西の山。
家の裏の山だ。よく祖母と一緒に入って山菜を取っていたあの山に入らない方がいいとはどういうことだろうか。
千奈が進むのと反対方向に歩き出した真生に理由を聞くには、少し距離が開きすぎていた。
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