第11節 【1649~1714年 共和制&ステュアート朝 後期】

議会派が勝利を勝ち取ったネーズビーの戦い。

少しはマシな政治に……なるわけない。


議会派は4つも派閥があるので、当然意見が合わずに分裂してしまう。

とりわけ独立派が問題児。中でも指導者のクロムウェルは「こうじゃなきゃイヤだ」と突き通す男だったので、「国王の専制政治嫌だから国王いなくていいんじゃね」という理由で倒したはずなのに、徐々に彼の独裁政治へと傾いていく。


国民「これ国王倒した意味ねーじゃん。それにあの男好かんわ。王政に戻すべ」


と、独裁政治に不満を持ち始めた国民が出てきたため、再び王政を戻すことになる。

だからといってクロムウェルを処刑したわけではない。


それ以前に、クロムウェルは終身護国卿という役職についていて、対外政策を担っていた。彼が病気で死んだあとは息子が跡を継いだが、事態の収拾がつかなくなり辞任。今の政治家みたいだね。


それで王になったのは、処刑されたチャールズ1世の息子、チャールズ2世。彼はピューリタン革命の混乱の中、ひっそりと亡命していた。で、亡命していた矢先に独裁者の息子が役を退いたことを聞き、王政復古を呼びかけ王になった。


その後はジェームズ2世、ウィリアム3世とメアリ2世の共同統治、アンと続いていく。ステュアート朝最後の王アンの時代(1707年)に、イングランド議会とスコットランド議会が合併して、グレートブリテン王国が成立する。アイルランドが併合するのは1801年で約100年も先になるよ。




ステュアート朝後期の何がわかりづらいかって、人名のややこしさ。

ジェームズ1世の息子がジェームズ2世って思うじゃん? 実際はチャールズ1世が息子。チャールズ1世の息子がジェームズ2世だから、ジェームズ2世はジェームズ1世の孫にあたるね。うん、ややこしいね。

ちなみにチャールズ1世にはメアリという娘もいたんだけど、メアリ2世とは別人。メアリ2世はジェームズ2世の娘だからね。英国王朝もうちょっと別の名前付けろよ。

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