第10節 【1603~1649年 ステュアート朝 前期】

え? 何で①じゃなくて「前期」なのかって? それは次回明らかになるよ。


エリザベス1世が結婚せずに生涯を終え、王位継承者をスコットランド王家であるステュアート家から引っ張ってこなきゃいけなくなったところから。

そんで、次に国王になったのがジェームズ1世。エリザベスの養子です。ちなみにスコットランド王としては6なのですが、ややこしいので割愛。


ジェームズ1世は特に何もしてないので説明することはありません。いやこれマジで。

強いて言うなら「王権神授説」を盾にして専制政治をしたことぐらいでしょうか。

Wikiによる王権神授説の説明は「王権は神から付与されたものであり、王は神に対してのみ責任を負い、また王権は人民はもとよりローマ教皇や神聖ローマ皇帝も含めた神以外の何人によっても拘束されることがなく、国王のなすことに対しては人民はなんら反抗できない」。うん、長いね。


要約すると、『ローマ教皇、神聖ローマ皇帝ですら王に抗うことはできない。だから国民は黙って王の言うこと聞いてればいいんだよ!!』って感じです。ただの独裁者ですね。


手持ちの資料には他にジェームズ1世に関する詳しい説明が載ってなかったので、次いきましょう、次。



次に国王になったのは、息子のチャールズ1世。

「子は親に似る」とはよく言ったもので、このチャールズも専制政治になっていくんですよ。

そうなったとき、当然ですがこの専制政治に不満を抱く人たちが出てきます。

それが議会です。


国王のバックには王党派ロイヤリストが付いていました。

支持層は聖職者や貴族、特権商人など。あまり重税をかけられない上流貴族的な人たちですね。彼らは絶対王政を主張するのはもちろん、ついでにイギリス国教会を強制するのも主張していました。


それに対し、議会のバックには議会派パーラメンタリアンが付いていました。

この議会派の支持層の多くが土地を失った農民とか小作農とか、下級地主層が大半を占めていました(補足)。この下級地主層の総称を「郷紳ジェントリ」と言います。こちらは共和制の主張、そして信仰の自由化を訴えました。


もうお気づきですね。この二者、綺麗に対峙しております。

案の定、議会派は革命を起こして王党派の撤退を図ります。

これが「ピューリタン革命」です。

ピューリタンというのは、キリスト教カルヴァン派のグループの総称です。イギリス国教会に反発した人、的なニュアンスでいいと思います。


このピューリタン革命で名をあげたのが、クロムウェルという男。

彼は議会派出身で、鉄騎隊を編成して戦争をふっかけます。この戦いが「ネーズビーの戦い」。これによって王党派は惨敗、見事議会派が勝利を勝ち取ります。ついでにクロムウェルは、チャールズ1世を処刑しました。


ということは、ですよ。

国王がいなくなっちゃんたんです。

国ができ始めた頃から「王」が必ずいたイギリスの、唯一王のいない期間が始まりました。


そう、共和制の開始です。




補足「議会派」

議会派という呼称は実は大きな括りで、細かくすると以下の4つに分けられます。


長老派プレスビテリアン

支持層は進歩的郷紳。富裕商人など。立憲王政を主張。


独立派インディペンデンツ

支持層は独立自営農民(通称:ヨーマン)、商工業者など。王権を制限したのち、共和制を主張。クロムウェルはここの出身。


水平派レベラーズ

支持層は貧農、小作農、職人やその徒弟など。共和制と、信仰の自由を主張。


真正水平派ディッガーズ

支持層は土地を失った農民が大半。地主制の廃止と、原始キリスト教の信仰を主張。


細かいことは気にしない!って人なら、ここはあまり覚えなくていいかもです。

ですが一応次の頁でちょっと触れるので、頭の端っこに入れておくといいかも。

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