『傍観者』
「ここ何日かで七人も殺されてる。もうすぐ全国ニュースになるだろうな」
高橋の上司は言外に興奮を滲ませながら、それを隠して淡々と語る。犠牲者に対する哀れみや事件に対する怒りよりも、良いネタを独占的に報道できるチャンスによる興奮が大きいのだろう。
「いいか、これはあの連続殺傷事件以来の大ネタだ。ウチが真っ先に獲る」
地方紙が全国紙に仕掛けるジャイアント・キリングについて、上司はよく編集長と話し合っていた。今回の事件はまさしく千載一遇のチャンスと言える。
高橋はノートパソコンを開き、ブラウザに市内の住所を打ち込んだ。犯行現場にも死亡時刻にも規則性はない。快楽殺人者か思想犯であるなら、何らかの犯行予告や規則性を残しているはずだ。あの連続殺傷事件では、自己顕示欲にまみれた少年が宣戦布告のような犯行声明を社会に突きつけた。今回の事件には、そのようなものが無い。現場に残された血の数字だけが、事件の連続性を物語っている。そんな事件だ。
安アパートに帰り、高橋はローテーブルに取材用の鞄を置いた。学生時代から借りている築40年の木造アパートは、高橋の向上心を否が応でも刺激する。いつか引き払う。そのためにこの事件を報道するのだ。
スマートフォンでSNSや匿名掲示板にアクセスし、真偽不明の情報をリストアップする。
県警は頼りにならない。捜査を担当していた安田という刑事がマスコミを信用していないことは態度から分かる。会社を介さず情報を受け取るために個人の連絡先と住所を書いた名刺を渡したものの、まず連絡はしてこないだろう。高橋は安田の能面のような表情を脳内から振り払うように、掲示板の文字列に没頭した。
未解決事件を語るそのスレッドは、掲示板文化が最も盛んだった頃のような活気に溢れていた。全国ニュースには未だなっていないものの、この不可思議な連続殺人を嗅ぎつけたインターネットの住民たちは思い思いの推理を披露していた。複数犯説や模倣犯説などの現実味のある推察もあれば、異人館に住む死神の仕業だというオカルトじみた物もある。
中には犠牲者の素性を調べる者もいて、『全員が法で裁けない悪事を働いてきた』と断定する一団を形成していた。そのクラスタで殺人者は『スケアリー・キッド』と呼ばれている。
スケアリー・キッドの存在を、高橋はある程度理解していた。彼の幼少期に爆発的に流行したヒーローの名前で、幼い頃に縁日でセルロイドのお面を母親にねだったことがある。
なぜ、そのような呼び名で呼ばれるのか。答えはサイト上に簡単に転がっていた。スナッフフィルムだ。監視カメラを乗っ取ったようなチープな画質で、スケアリー・キッドの面をかぶった何者かが人を殺している。それがSNSの裏アカウントなどで拡散され、この呼び名が定着したのだろう。
高橋は目を背けたくなる気持ちを堪え、アップロードされた殺人の様子をなるべく詳細にメモする。被害者は一様にアイスピックで首を刺され、その血は犯行の連続性を証明するための血文字に変わってしまう。殺人者は人を殺し慣れているのか、なんの躊躇いももたつきも無く、頸動脈を的確に刺していた。
高橋はある程度メモを取り終え、原稿の雛形を作り始める。明日からは会社に何日か泊まり込みになりそうだ。彼は巨悪を暴くジャーナリストになった気になることで、気味の悪さをかき消そうとした。
三日も家を空けていると、帰ってきた時の衝撃は特に大きい。高橋は一気に現実に引き戻されたような感覚になり、苦笑しながら郵便ポストを開ける。
「三日間、どこ行ってはったんですか?」
不意に聞き慣れない声が聞こえ、高橋は怪訝そうに声のする方を見る。無地のTシャツを着た、痩せた男が側に立っていた。高橋の部屋の上の階に住む住人だ。
その男は誰が見ても陰気な様子で、脂ぎった髪が不潔な印象を与えていた。今まで高橋と話したことがなく、もちろん親しいとも言えない。そのような男に唐突に話しかけられ、彼は警戒心を隠して淡々と答える。
「はぁ、ちょっと仕事が立て込んでまして。あなたこそ深夜の二時に何を?」
「あっ、散歩です」陰気な男は伸びた髪を振り乱し、ぶんぶんと首を振る。その否定とも肯定ともつかないジェスチャーから、高橋は面倒事になりそうなことを察し、黙った。
「そうだ。鍵、壊れてましたよ。最近はこの辺も物騒なんで、注意してくださいね」
高橋は無言で会釈をし、玄関のドアノブを回す。鍵をかけたはずが、強く力を加えずとも開いてしまう。老朽化だろう、高橋はそう思いながら、大家に報告するためにドアノブを撮影した。
高橋は原稿を確認し、小さな窓から射し込む朝の陽射しを浴びる。徹夜明けのグロッキーな感情で推敲すれば、オカルト雑誌のような推論の群れに辟易してしまうだろう。
高橋は一度手を止め、積み上げられた郵便物を手に取った。
「なんだこれ?」
半ばノルマで買っている自社の新聞の下に、裏に宛名が印字された紙片が挟まっていたのである。
「これ以上首を突っ込むな……?」
『哀悼の傘』と名乗る団体からの手紙だった。高橋は、その名前を掲示板でも現実でも何度も耳にしていた。数ヶ月前から有名になり始めた新興宗教の団体だ。駅に行けば、勧誘のビラが毎日配られている。そして、その信者が集まるスレッドでは、例の殺人犯を正義の使者として崇めていたのである。
その脅迫状には、切手も消印も付いていない。即ち、郵便を介さずに直接このポストに投げ込まれたものだ。高橋は震える手を何とか支え、気分を変えるためにスマートフォンの画面を確認した。スリープ状態から目覚めた愛機は、最後に撮影したドアノブの写真を表示する。
ドアノブと一体化した鍵穴には、引っ掻いたような細い傷が付いている。この傷を、高橋は窃盗の現場写真で見たことがあった。ピッキングの跡だ。
「マジかよ……」
高橋は息を止め、辺りを見回す。コンセントから見覚えのない電源タップを引き抜き、無言で型番を調べた。嫌な予感は当たる。盗聴器だ。
脅迫状とピッキングと盗聴器。三つそれぞれが関連性のない事象かもしれない。だが、それを繋ぐストーリーが強すぎる。高橋は新興宗教の信者たちが大挙して襲いかかってくるイメージを想像し、がくがくと膝を震わせる。
理不尽な恐怖と焦燥は、徐々に疑念に変わっていく。高橋は、上の階の住人の正体を調べずに居られなくなった。
「なんでアイツは鍵が壊れたって知ってるんだよ……」
深夜に出歩き、偶然自分と会ったのも怪しい。まさか、監視していたのではないか。高橋の疑念は膨らみ、思わず外に飛び出す。
軋む木造の階段を上りながら、高橋の頭は恐怖に囚われ続けていた。台所の片隅に眠っていた果物ナイフを持ち、何があっても対応できる万全の体制で臨む。
ノックの音に反応はない。意を決して、高橋はドアノブに針金を差し込んだ。相手にやられた事だ、やり返すのは当然だ、と彼は考え、鍵を開ける。
ドアを開けた瞬間、血の匂いがした。狭い部屋を見回し、高橋はそこにある異物を発見する。
その部屋の住人は、首から止めどなく血を流して死んでいた。すり減った畳が赤黒く染まり、くすんだ土壁には大きな『8』という血文字が描かれている。
高橋は呆然と部屋を確認し、玄関先に散らばる名刺を無意識に拾い上げる。この部屋の男が刷ったものだ。
「牧宮ヒロシ、探偵……?」
状況を整理できずに立ち尽くす高橋の背後に、何者かが迫る。高橋の視界が暗くなり、呼吸ができなくなる。
頭に黒いビニール袋を被せられ、高橋はセルロイドの面を被った二人組の集団に連れ去られていった。
風説のスケアリー・キッド 狐 @fox_0829
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