昨夜も訪れたショッピングモール、そこに隣接した公園(と言ってもベンチが何脚か置いてあるだけだが)に三人は集合していた。時刻は十二時回った所だ。


「予想通り、目撃情報は一切なしだった。詠歌君の家の裏山に張られていたっていう結界と似たような物を使ってるんだろう」

「でしょうね。それをされたら普通の人にはどうしようも出来ない」


 オープンすると同時にショッピングモール内と昨夜通った飲食店街を聞き込みして回ってみたが案の定、成果はなかった。元々期待していなかったとはいえ、情報が一切ない今のままではどうする事も出来ない。


「一朝一夕でどうにかなるとは思えないけど、君はどうやって結界を見破ったんだ?」

「地上に残る魔術とはお前たち人間が同じ人間相手に行使する物。そもそも私には効果はない。昨晩、奴の結界に気付いたのは一度経験していたからだ。私はそうして感覚に慣れなければ見逃す程度の違和感しか感じない。感じ取りたければお前たちも慣れるしかあるまい」


 例えるならそれは小さな蜘蛛の巣だ。意識すれば気付く事も出来るが、そうでなければ触れるまで気付けない。


「要するに現段階じゃどうにもならないって事だ」


 彩華は一度、詠歌は二度、魔術による結界内部に足を踏み入れているが、そんな感覚など身に付いてはいない。結界の内と外での差ぐらいなら分かっても、外から探し出す事など不可能だ。となればやはり頼れるのは一人だけ。


「エリュンヒルテ様、お願いします。吸血戦姫ヴァンパイア・ヴァルキュリアとしてのあなたの御力でどうか、アイネちゃんを探して下さい」


 初めからそのつもりだったのだろう。彩華は自身の無力さを正しく理解している。『非科学現象証明委員会』として活動を続け、それでも一度たりとも探し求めた非科学に触れる事は叶わなかった。今回も自分の力では見つける事は出来ないと覚悟していた。

 頭を深々と下げ、出来る限りの礼を尽くし、彩華はアイリスに懇願した。


「僕からもお願いだ。……いいや、お願いします」


 詠歌もまた頭を下げた。詠歌にとっては今もアイネは他人に過ぎない。しかしそれが彩華の大切な友人であるならば、この街で再び対攻神話プレデター・ロアが蠢いているならば、それを解決する為に頭を下げる事を厭わない。


「顔を上げろ。……悪意のみで構成された我が身は、しかし吸血戦姫ヴァンパイア・ヴァルキュリアであるが故の矜持がある。私がお前たちの願いを聞き届ける事はなく、ただ己の意思にのみ従う。だからこそ、お前たちは私に対して礼を尽くす意味などない」


 顔を上げた二人の目に映ったのは、アイリスのマントの内側から飛び立つ無数の蝙蝠。以前見たものと同じ、彼女の使い魔。それが朝の街に散らばっていく。


「……君が誰かの為に何かを為す事はない。ただ自分の意思で、自分の為にだけ行動する。そういう事?」

「然り。悪に天地はなく、私も変わる事はない」


 吸血戦姫ヴァンパイア・ヴァルキュリアの矜持。詠歌はシグルズとアイリス本人から天上における彼女の役割を聞いている。そんな装置としての役割の為に生み出された彼女が抱く矜持が一体どんなものなのか、それは想像するしかない。


「だからどうか、そう簡単に頭を下げてくれるなよ」

「ああ、ごめん」


 それでも今、彼女が感じているものは自分たちと同じだと思いたい、詠歌が、彩華が、互いのそんな姿を見たくないように。アイリスも同じであると。


「ありがとうございます、エリュンヒルテ様!」

「礼はいらん。奴の驕りが気に食わんだけだ」

「あの女の子の事?」

「あの小娘は警戒は無意味などとほざいていたが、それは奴とて同じだ。この私を前にして何の警戒もしていなかった。それが驕りでなくて何だと言う」


 昨晩、あの少女と言葉を交わしたのはアイネとアイリスだけ。詠歌と彩華には目もくれなかった。しかしアイリスの事も軽んじていたのだという。争うつもりはないようだったが、仮にそうなったとしてもアイリスを下す自信があったという事だ。


「あの狂信者がどうなろうと興味はない。だが詠歌、お前も剣を取るならば奴の驕りと侮りを断ち切ってみせるがいい」

「……ああ」

「そして彩華」

「はい!」


 アイリスは目を細め、彩華を見つめる。何かを見定めるように紅い瞳が彩華を射抜く。


「お前にとってもこれは決断の時だろう。自らの目で見定め、選ぶがいい」


 それが何を指しているのか、彩華にはまだ分からなかった。




 ◇◆◇◆




 真昼の街を蝙蝠は飛ぶ。見た目こそ地上の蝙蝠と同じだが、その実態は吸血戦姫ヴァンパイア・ヴァルキュリアの魔力によって生み出された使い魔だ。昼夜も環境も問わず、主に従いその役割を果たす。

 今回命じられたのはアイネと昨晩出会った少女の捜索。アイリスの記憶を元にそれぞれの個体が飛び回る。オーディンの使い魔たる大鴉程の機動力はないが、既に少女の結界も一度見ている、其処に辿り着くのにそう時間は掛からなかった。

 この街には中央区と東区の間を流れる川がある。その川から程近い、とある空き家。其処を囲むように張られた結界を一羽の蝙蝠が発見する。

 認識を阻害する人払いの結界の中、それがなくとも荒れ果て、誰も気にも留めないような廃屋と言ってもいいその空き家の周囲を旋回し、様子を窺う。草木が生い茂り、明かりもないその中は昼間であっても暗い。アイリスの使い魔である彼らは多くの蝙蝠が持つ超音波によるエコーロケーション能力を持たない。アイリス本人であればその程度の暗闇で視界が遮られる事はないが、僅かな力しか持たない彼らでは結界越しにその中まで窺う事は出来なかった。

 けれど、その空き家の外、朽ちた日本家屋にはあまりに不釣り合いな”それ”を見逃す事はない。


『――――』


 ”それ”は人型であったが、本来あるべき五体の一つが欠けていた。

 ”それ”は漆塗りされたような黒の光沢を持っていた。

 ”それ”が何であるか、蝙蝠には判断する術はない。しかし与えられた機能に従い、主に報告すべく視界を共有しようとした直前だった。

 ――ブチリ、と肉の潰れる嫌な音と共に蝙蝠は”それ”の手の中で役割を終えた。


『――――』


 突如跳び上がった物言わぬ人型は握り潰した蝙蝠を地面へと離し、自身もまた降り立つと再び彫像の如くその場に留まった。

 僅かに間を置いた後、軋む音を立てて”それ”の背後の扉が開かれる。


「……意外。吸血戦姫ヴァンパイア・ヴァルキュリアがわたしたちを探してるの?」


 扉から顔を出したのは昨晩の少女。握り潰され、地面に溶けるように消えていく蝙蝠の残滓を認め、言葉とは裏腹に無感情に呟いた。


「あなた、一体何をしていたんですか?」


 扉の方を振り向き、そう声を掛けると遅れて返答があった。


「……吸血戦姫ヴァンパイア・ヴァルキュリアの考えなど知るものか」

「でもあなたを探しているみたいですよ」


 再び屋内に入り、後ろ手に扉を閉める。部屋はひび割れた窓から差し込む僅かな光のみで薄暗い。抑揚のない声で相槌を打って、少女は鎖に両手足を繋がれたアイネを見下ろした。


「お前の目的は吸血戦姫ヴァンパイア・ヴァルキュリアではなく、私だろう。奴が何を考えているのかは知らないが、悠長にしている時間はないはずだ。……さっさと仕事を済ませろ」

「ふふふっ」


 少女はアイネに近づくと顔を見上げた。両手を伸ばし、包み込むように頬に触れる。


「お前たちの役目は司祭様から聞いている。独善で以て異端を裁く。俗世に語られる魔女狩りのようなものだとな。審問など名ばかり、捕えられた時点で結末は決まっている」

「それを知って、どうして抵抗しなかったのですか?」

「……私には最早『クタニド』の加護も、司祭様もいない。抵抗する理由なんてもうない」


 アイネの瞳は諦観の色に染まっている。彼女の支え、彼女の全てだったモノは消え去った。もう既に彼女の中では全てが終わっている。


「あなたを審問するのは確かにわたしのお仕事だけど……聞きたいわ、あなたに何があったのか」

「話す事などない」

「そんな事言わないで。ああ、そうだ、自己紹介がまだでした。わたしはユーリ……ユーリ・バートレット」


 見た目通りの子供らしい仕草で手を叩き、少女は名乗った。ユーリを冷めた目で見下ろし、やがてアイネは目を閉じる。話す事など何もないという意思表示にユーリは目尻を下げ、溜め息を吐く。


「悲しいですね。でももう聞きたくて仕方がない。あなたが教えてくれないなら、吸血戦姫ヴァンパイア・ヴァルキュリアやあの子たちに訊くしかないでしょうか」

「……好きにすればいい。だがお前たちにもお前たちの教義があるだろう。それに背く事はお前たちの神に背くも同じだぞ」


 クトゥルーの神々を祀る教団。その一派である『審問会』の内情についてアイネも詳しくはない。ただ極めて直接的に邪魔な派閥を排除している集団だと知っている。アイネ達『クタニド』派を標的となっている事も、司祭であるサエキから聞いていた。

 しかしどんな神を祀ろうと、信仰を捧げる信徒であればそれに背く事は出来ない。教団に無数にある派閥は暴力や権力によって分かれているのではない、それぞれの信仰によって分かたれているのだから。


「いいえ。わたしたちの、わたしの神は全てをお許しになります。わたしがする事は全て神の為なのだから」

「……少し羨ましいよ」


 自嘲の笑みを浮かべ、アイネはユーリを見下ろす。


「お前と同じように狂信を貫ければ、どれだけ救われただろうか……もう私は神を信じる事は出来ない。見返りを求めていたわけではない、だが奪うだけの神など……信じる価値もない」


 アイネはかつて同じクタニドを信じる者たちに、信じる事が救いに繋がるのだと説いた事があった。今となっては空々しいだけだった。


「っ……!」

「いいえ、いいえ。逆よ。神であるからこそ、奪う事が許される」


 両手足を縛る鎖が何らかの力によってその拘束を強め、アイネの表情を苦悶に染めた。ユーリは再びアイネの両頬に手を当て、瞳を覗き込む。アイネに映り込むユーリの瞳は全てを呑み込む深淵のような黒が広がっている。


「許されないのはそれ以外。神ならぬ身で略奪する者たち。取り立て、奪い、蹂躙する者たち。それは神にのみ許された所業なのに」

「くっ……」

「その体に教えてあげましょう。わたしは神の代行者、神に捧げるその尊さを、わたしが」


 何処からか現れた触手のようなものがアイネの体に纏わりつき、体を締め付ける。いつの間にか、ユーリの背後に黒い十字架が出現していた。


「かはっ!」


 触手は十字架へと伸び、アイネの体を磔にする。頭を打ち付け、視界が明滅する。


「ああ、わたしの神様、今あなたに捧げます。背信者の苦悶と悲哀に染まった祈りを」

「ふざけた事を……!」

「その果てに、神様はあなたの魂を収穫してくれる。……それと一緒にあの人たちも」


 扉の外でズン! と衝撃が起きた。顔を動かせない程に強固に縛り付けられたアイネにはその正体が何であるかを確かめる事は出来ない。


「あの子が連れてきてくれる。吸血戦姫ヴァンパイア・ヴァルキュリアも、その仲間も。あの子は優秀だから」


 ユーリが窓の外に目を向ける。もう”それ”は姿を消していた。


「だからさあ、それまで二人きりで楽しみましょう?」


 少女に相応しくない、狂気を孕んだ笑みを浮かべ、ユーリは手を振り上げた。




 ◇◆◇◆




 己の生み出した使い魔がその機能を停止したのを感じ、眉を顰めた。そして意識をその方角に向けると同時に口許は弧を描く。


「アイリス?」

「小娘の相手よりは楽しめそうだ」

「何を――」


 詠歌が追及するよりも先に、アイリスの足元から魔法陣が発生する。公園全体へと広がるそれは暗い光を放ち、瞬時に公園を外界から隔絶した。

 体験するのは二度目のアイリスの結界だが、詠歌には対攻神話プレデター・ロアと北欧神話の魔術結界の差は感じ取れない。だが今気にするべきはそこではない。


「一体何を!?」

「来客だ」


 アイリスの返答とほぼ同時、轟音と共にそれは結界内部へと着弾した。砂煙が上がる中、目を凝らし”それ”を見つける。


「鎧……?」


 ”それ”を視認出来たのは一瞬。次の瞬間には詠歌の視界から消えていた。衝撃と巻き上がった砂煙から移動したのだと辛うじて理解出来た。


「下がれ、彩華!」

「は、はい!」


 アイリスの声に、彩華は状況理解を放棄し、後退する。同時にアイリスの姿がかき消えた。


「ふんっ……『ドラーグル』を思い起こす馬鹿力だな……!」


 消えた二つの影が出現したのは着弾地点であるクレーターの後方、地面の跡からアイリスがその鎧を押し返したのだと理解出来た。


「首がない……?」


 そこでようやく、詠歌たちははっきりとその鎧の全容を視認出来た。黒と紫、禍々しく煌めく鎧の騎士。しかし人型であるはずのそれには兜はおろか、そもそも頭部が存在していなかった。

 アイリスと両手を組み合い、押し潰そうとするその鎧の内部が覗き見えるが、内部はただ黒々とした空洞が広がっているだけ。


「っ……術式始動、魔術武装展開……!」


 ビル群を凄まじい速度で駆け、魔槍を片手で悠々と扱うアイリスだが、その鎧の力に徐々に押され、両足が地面へと埋まっていく。その最中、アイリスのマントが翻り、内部から複数の刃が飛び出す。以前見た物と同じ、魔力によって形成された武具だ。

 剣、槍、斧、そのどれもが殺傷力に優れた武器だが、鎧を貫くには至らない。しかし予期せぬ攻撃に鎧の力は弱まり、その隙にアイリスが両手を放し、飛び退いた。


「エリュンヒルテ様!」

「アイリス!」


 二人の案じる声を背に受け、首なしの鎧から視線を逸らさずにアイリスはマントの内側に手を入れ、取りだした抜き身の剣を詠歌へと投げ渡した。


「動くな、単に邪魔だから返したまでだ」


 詠歌の前の地面に突き立ったのは預けたままになっていた聖剣――ジュワイユーズ。それに手を伸ばし、柄を掴んだ詠歌をアイリスは制止する。


「彩華、お前は口と頭を動かせ。こいつはなんだ?」


 魔力によって生み出した長剣を構え、切っ先で首なしの鎧を指してアイリスは彩華に問う。この場でそれを知っている可能性があるのは彩華だけだった。


「首のない鎧騎士……それなら有名な伝説がある! アイルランドの『デュラハン』! 或いは――」

「『スリーピー・ホロウ』……!」


 だが彩華と比べれば遥かに疎い詠歌も知っていた。それらを題材にした物語がいくつも作られる程、有名メジャーな存在。どちらにも共通しているのは目の前の鎧と同じ、首なし騎士である事。


「けどそれは、対攻神話プレデター・ロアじゃないのに……! どうしてそんなものが!?」


 だが消えたアイネを、対攻神話プレデター・ロアを追っていたはずの詠歌たちの前に現れる理由が分からなかった。


「何処の神話の零れ話かは知らん、興味もない……だが詰まる所、こいつは壊せば壊れるのだろう?」

「……!」


 アイリスの言わんとしている事を理解し、彩華が頷く。


「はい! 『デュラハン』にも『スリーピー・ホロウ』にも、『ウルタールの猫』のような逸話は存在しません!」


 以前までアイネの肉体に宿っていた『ウルタールの猫』は猫の死を起因とした神話であり、それ故に不死身とも言える再生力を持っていた。だが目の前の首なし騎士にはそれはない。そもそも神に関する物語ではないのだ。


「であれば何であれ、首の代わりを落とすだけだ」


 口角をつり上げ、好戦的な笑みを浮かべてアイリスは首なし騎士へと飛び掛かった。

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