出会い
出会い
それはもう、ずっとずっと昔のこと────。
初めて出会った時、ちーちゃんは今よりずっと小さくて、あたしが入れられていたケースが丁度覗けるくらいの身長しかなかったよね。
ちーちゃんの隣に並ぶお父さんとお母さんは大きいのに、ちーちゃんだけ小さくて、あたしはとても不思議に思ったの。
あたしが近づくと、ちーちゃんは大きな黒い瞳を輝かせながらあたしを見て、大きな声で「この子がいい!」ってお父さんとお母さんに言ってたね。
あの時から、あたしはちーちゃんと “家族” になった。
ちーちゃんはとにかくお転婆で、あたしと遊ぶ時もとにかくドタバタ騒いで、いつもお母さんに怒られてたね。
毎日毎日、色々な遊びをしたね。
あたしは見ていることしか出来なかったけど、ちーちゃんが楽しそうに笑うから、あたしも楽しかったよ。
ちーちゃんはどんどんお姉さんになっていったね。
遊び方も変わって、お勉強も沢山しなくちゃいけなくて、とても忙しそうだった。そんな時でもあたしと遊ぶ時間だけは、絶対に譲らなかったよね。あたしを “相棒” って言ってくれた時、本当に嬉しかったんだよ。
夏になって、ちーちゃんが貰った風鈴の音をずっと一緒に聞いていたね。あたしは初めて聞く音だったから少し驚いちゃったけど、あんなに綺麗な音はきっとこの先もう聞くことはないと思うんだ。
長かった夏が過ぎて、涼しい秋が来て、さむいさむい冬が来て、また暖かい春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来て……。
あたしがちーちゃんの家族になって2度目の冬。最近、あたしの体は思い通りに動かなくて、ちーちゃんと遊びたくても、すぐに眠くなっちゃうの。……だから少し、眠るのが怖いんだ。
…………あの日も、いつもと変わらない寒い日だった。
自分の手や、足が、どんどん冷たくなっていく。
もう、あたしのためにちーちゃんが入れてくれた柔らかい綿を集める力も無くて、ただただ体中から体温が無くなっていく感覚だけを感じていた。
とても眠たくて、今にも眠ってしまいそうだった。
(ちーちゃん……ちーちゃん……)
ちーちゃんはもちろん学校で、今この場所には誰もいない。
(ばいばい…………ちーちゃん)
───────────────────
あの時、ちーちゃんにお別れを言えなかったことが、あたしの唯一の心残りだった。
ちーちゃんに会いたい
ちーちゃんにお別れを言いたい
ちーちゃんにお礼を言いたい
ずっとずっと願って、気がついた時には、あたしはあの公園にいた。
ちーちゃんと同じ人間になって、ちーちゃんがプレゼントしたくれたマフラーと同じ色のマフラーをして、大好きだったあの風鈴を持って。
勿論とても驚いたし、なんで人間になれたのかも分からなかった。でも、ここにいれば、ちーちゃんに会える気がした。
根拠なんて無い、漠然とした自信と、確信
風が風鈴を揺らして、あの時と同じ綺麗な音が鳴った。
風鈴の音を聞きながらしばらく待っていると、桜の木で囲まれた道から、一人の女の子が歩いてくるのが見えた。
(ちーちゃん…………っ)
一目で分かった。あの女の子は、ちーちゃんなんだって。
あたしが知っているちーちゃんの姿とは全然違ったけれど、確かに女の子はちーちゃんだった。
ちーちゃんがあたしの前まで来て立ち止まると、風鈴がまた チリン と鳴った。
ちーちゃんはあたしの目を見て少しだけたじろいだ。それから、小さな声で言ったんだ。
「……綺麗な音だね」
「ありがとう」
「お姉ちゃんは、風鈴好き?」
「うん、好きだよ」
ああ、やっぱりちーちゃんだ。
あたしはこの時、本当の意味で確信した。
またちーちゃんの会えたことが嬉しくて、つい声が跳ねてしまう。多分、ちーちゃんは分かってないと思うけど。
あたしの隣に座ったちーちゃんは、座っていてもあたしより大きかった。あの時より大人っぽくなった顔も、長くなった黒い髪も、あたしにとっては何もかもが新鮮だった。
「お姉ちゃん、あたしと一緒に遊ばない?」
ほんの少しの我儘を言ってみた。
ちーちゃんにあたしの正体を明かしたら、何かが終わってしまうような気がしたから。
断られるかもって思ってたのに、ちーちゃんは案外あっさりと誘いに乗ってくれたから、少しだけ、心配になった。
あたしがまだ生きていた頃、夏になると楽しそうに出かけていくちーちゃんを見て “かわあそび” がどんな遊びなんだろうって、ずっと気になってた。初めて足をつけた川は冷たくて、透き通っていて、キラキラしていた。
ちーちゃんは、目を細めて微笑んでた。
川からの帰り道で、ちーちゃんはあたしにアイスを買ってくれた。あたしはアイスも初体験だったから、空みたいな色をしたアイスが不思議で仕方なかった。
「はい!お姉ちゃん!」
あたしがアイスを差し出すと、ちーちゃんは戸惑ったように目の前のアイスとあたしを交互に見た。
これも、あたしがずっと憧れていた事のひとつ。
「あたしね、お姉ちゃんと “分け合いっこ” したかったの!」
ちーちゃんは、溶け始めたアイスを見て、困ったように「じゃあ、ひとくちだけ」と言ってアイスを齧った。あたしもちーちゃんと同じようにアイスを齧る。
アイスは冷たくて、口の中であっという間に消えてしまった。とても美味しかった。
アイスを食べ終えて、最初の公園に戻ってきた。太陽はもう沈みかけていて、あたしのタイムリミットも、もうすぐそこまで来ている。
「お姉ちゃん、今日はありがとう!とっても楽しかった!」
「うん、私も楽しかったよ」
ちーちゃんは優しく微笑みながら、あたしの頭を帽子越しに撫でた。その手は、あたしが生きていた時と全然変わらなくて、懐かしさが胸にこみ上げる。
「あたしね、ずっとお姉ちゃんといっしょにあそびたかったんだ。」
「ずっと?」
「うん!」
あたしの言葉に、ちーちゃんは訝しげな顔をする。当たり前だよね。ハムスターの “あたし” に会ったことはあっても、今の “あたし” と会うのは初めてなんだから。
それでも、あたしは言葉を止めない。止められない。
だって、もう時間が無いから。
「お姉ちゃん。あたしずっと前から、お姉ちゃんのこと知ってたんだよ。」
あたしが笑うのと同時に、帽子がふわりと浮いて、飛ばされる。
ちーちゃんはあたしを見て、目を見開いた。
(ずっと、呼びたかったよ)
「大きくなったね、 “ちーちゃん” 」
ちーちゃんは更に目を見開いて、あたしを見つめた。唇が震える。
もう、あたしの名前、分かるかな
「あたしのなまえ、わかる?」
太陽が、山の向こうに沈んだ。
空には小さな星たちが輝いて、夕方と夜が混じりあった空は、あたしとちーちゃんの間に線を引く。
「さくら……?」
ちーちゃんは、オレンジ色の光に包まれながら、あたしの名前を呼んだ。
あたしとちーちゃんの間を、柔らかな風が吹き抜ける。
「覚えててくれたんだね。もう、忘れちゃったかと思った」
少しの悪戯心で言うと、ちーちゃんは首を大きく横に振って、忘れたことなんて無い。と言った。
「さくらは、大切な相棒だもん」
その言葉が、昔も今もあたしの心を満たしてくれる。
でも、ちーちゃんは暗い顔をする。
違うよ、ちーちゃん。あたしはね、ちーちゃんの笑顔が大好きなの。
「ちーちゃん、そんな顔しないで」
「でもっ……私……!」
ちーちゃんは目に涙の膜を貼りながらあたしを見る。ちーちゃんの瞳に映るあたしは、嬉しそうに笑っていた。自分の顔だけど、本当に嬉しそうだった。
「ふふ、ちーちゃんは大きくなっても、泣き虫な所は変わらないね。」
「……ねえちーちゃん。あたしね、ちーちゃんにお礼とさよならを言いに来たの。」
そう、あたしがここに現れた最初の目的は、たったそれだけのことだった。
でもあたしにとって、このふたつの目的は、叶えたくても叶えられない最難関の目的でもあって。
「ちーちゃん。あたしに沢山の思い出をくれてありがとう。……あたしを、“相棒”にしてくれてありがとう!」
本当はね、もっともっと話したいことも、言いたいことも、聞きたいことも沢山あるの。でも、あたしにはもう時間が無いから。
「さくら、私からもお礼を言わせて。」
「ちーちゃん……?」
ちーちゃんは繋いだ手に力を入れると、涙を流しながら笑った。
「私と一緒にいてくれてありがとう。“相棒”になってくれてありがとう。私は、さくらと過ごす時間が、とても楽しかった。」
ちーちゃんは泣いていた。それでも、笑っていた。
あたしの体が透け始める。時間切れみたい。
「さようなら、さくら。」
「さようなら、ちーちゃん。」
目から、涙が溢れる。それでも、あたしもちーちゃんも笑うことをやめなかった。
涙より、笑顔でお別れをしたかったから。
体が、完全に光の粒子になる。
繋いでいた手も、粒子となって消えかかっている。
(ねえ、ちーちゃん。知ってるかな。あたし達はね、ちーちゃん達が流した涙の数だけ、幸せだったってことなの。だってそうでしょ?いなくなったことを悲しんで、寂しく思ってくれるほど、愛してくれてたってことだもの。)
だから、心配しないで。ちーちゃん。
あたしはちーちゃんと出会って、とっても幸せだったよ。
大好きだよ、ちーちゃん。
さようなら。
夏 ゆずかりん @yuzukarin
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