第十三話 決意、そして来訪者
二日経っても、アニは帰ってこなかった。
そうなると、事情を知らぬ子供たちの顔にも不安の色が浮かぶ。それまで当たり前にあった日常が変わり、大切な人が唐突に姿を消したのだ。気にするな、という方が無理な話であろう。事実、普段はお姉さん的な役割を果たしていたシータでさえ、表情が優れなかった。
「おはよう、みんな……」
広場に集まっていた子供たちに、そう声をかける。――が、返事はなかった。
うつむいている彼らには、俺の声は届いていないのかもしれない。
こうなると、俺には何も――
「なーに、暗い顔してんだよ! みんな!」
――出来ない、と。そう考えようとしていた時だった。
不意に背後からそんな声。驚き、振り向くとそこに立っていたのはマーサだった。
少年はどこか怒ったような、不思議な表情を浮かべつつ腕を組んでいる。見れば、彼の後方には【人間】に【変身】したイムの姿もあった。言葉はまだ話せないが、この数日でずいぶんと孤児院に馴染んだものである。
さてさて。
そんなことを考えていると、先ほど声を荒らげた少年はこう続けた。
「アニ姉ちゃんがスゲー強いってのは、みんな知ってんだろ? それに、仕事でこのくらい帰ってこないなんて、あったじゃねぇか! なぁ――シータ?」
「え、あ。うん……でも――」
「――でも、じゃねーんだよ! アニ姉ちゃんは帰ってくるんだ!」
そして、少女――シータに問いかける。
彼女は他の子供たちと異なり、事情を知っていた。だから、曖昧な返答しか出来ない。しかし、そんなシータに対してマーサは強く、根拠のない宣言をぶち上げた。
俺には彼のどこから、そんな気力が湧いてくるのかが不思議でならない。だが、その解答はすぐに、こちらへと向かって投げかけられた。
「な、スライ? 何があっても、アニ姉ちゃんを取り返してくれるんだもんな!」
「え、あ……」
声を失ってしまう。
それは、あの夜に俺が少年に言ったことであった。
あの時はとにかく彼を励まさねばならない、と考えていた。心の奥底では、俺もまたアニはすぐに帰ってくる、そう願っていたのである。だからあれは俺自身、空元気だったのだと、そう言っても何もおかしい話ではなかった。
だけどもそんな空元気を、この少年は――本気で信じている。
俺よりも、俺の言葉を信じていた。
「な! ――男に、二言はないよな!」
真っすぐに。
彼は俺のことを見上げて、拳を突き出してくる。
あぁ、そうだ。約束しちまったモノは、守らないと嘘だよな――。
「あぁ! もちろんだ。俺に任せとけって!」
そう、思った。
だから俺はそう言って、軽く、少年の拳に自身の拳を合わせる。
男同士の約束だ。決して破ることの出来ない――否。破ってはならない約束。そして、必ずや完遂しなければならないことでもあった。
だから俺は、しっかりと息を吸い込んでから、他の子供たちに向かって――
「――大丈夫だ、みんな! アニは、俺が必ず連れ帰るから!」
改めて、そう宣言した。
すると子供たちは、どこか光明を見出したように面を上げる。
そして次第に、表情には明るさが戻ってきた。それはシータも同じく。彼女もまた他の子と同様にして、笑顔を取り戻していた。
俺はそれを確認すると、マーサの方へと向き直る。そして、
「ありがとな、マーサ」
「なーに、良いってことよ!」
そう感謝を述べると、そんな小生意気な言葉が返ってきた。
彼らしい、悪ガキっぽい笑顔を浮かべながら。
「よし。そうと決まれば……!」
俺は覚悟を決めた。
拳を握りしめて、一人うなずく。
絶対に、アニのことを救い出してみせるのだ――と。
――その、直後だった。
「…………スライくんっ!」
後方から、俺の名を呼ぶ人物が現れたのは。
その人物は鬼気迫る表情で、真っすぐに俺のことを見つめていた。
外れた左肩を押さえ、苦悶の表情を浮かべながら。額からは血を流し、呼吸は尋常ではない程に乱れていた。気を抜けばその場で倒れ伏してしまいそうな、満身創痍の状態で現われた彼――ユキは、涙を流しながらこちらにもたれ掛ってくる。
「ユキ……!? どうしたんだ! 何が――」
あまりの事態に俺は困惑した。
そして、俺が問いかける。すると彼は、涙声でこう訴えてきた。
「――お姉ちゃんが! お姉ちゃんが、リベドに掴まった!!」――と。
「なっ――――!?」
息を呑んだ。
考えていた最悪の可能性の一つ。
それが現実となって、俺の目の前へと突き出された。
◆◇◆
――それは、彼女なりの決意だったのかもしれない。
シータに【蘇生】をかけた後、アニはリベドの住まう館へと戻った。
それは、すべてのコトに決着をつけるため。今までの
だが、しかし。
そこにあったのは、想像を絶する力であった。
彼女――アニ一人の力では、とても超えることの出来ないほどの……。
「それで、今アニは……?」
「………………」
俺はここまでの経緯について簡単に聞いてから、ユキにそう訊ねた。
しかし、彼はそこから先は黙したまま何も語ろうとはしない。ただ唇を噛みしめて、うつむくばかりであった。そこには恐らく、姉を守れなかった無念さが現れているのだろう。だから、俺はそれ以上の追及を避けた。
憶測でしかないが、彼は彼なりに手を尽くしたのだろうから。
その身に負った深い傷。それが、何よりの証明であった。
「ごめん……ボクの力では、お頭様には敵わなかった……!」
言って、ユキは深々と頭を下げる。
ちなみに今、俺たちがいるのは孤児院の一室。一つの大きなテーブルと、全員分の椅子が置かれた部屋であった。そこで対面に座り、俺は彼の話を聞いていたのである。子供たちとイムは、俺の後方に一列に並んで各々に神妙な表情を浮かべていた。
「いや、俺の方こそ何も出来なくてごめん……」
「そんなことない! スライくんは、何も悪くないんだ。ボクが、力不足だった――いいや。正確には、お頭様の考えを甘く見ていたから……」
互いに謝罪を繰り返す。
俺たちはそれぞれに、自身の失点についてを繰り返し懺悔し続けた。
だがしかし、いつまでもそう言っている場合ではない。俺はさっき子供たちの前で宣言をしたばかりだ。アニを――必ず連れ帰るの、と。
一度、深呼吸をしてからユキに向かって、再度こう問いかけた。
「アニは、無事なのか……?」
「今はまだ大丈夫――だと、思う。お頭様は、お姉ちゃんの【蘇生】の【能力】を欲していたから。殺したりは、決してしないはず」
「そう、か。そうだよな……」
すると今度は、しっかりとした返事が。
俺はそれを聞いて少しだけ安堵した。たしかに、彼の言う通りだ。
リベドは彼女の【能力】が目当てだったはず。それならば、命の保証は少なくともされているはずだった。
無論、最低限度の――ではあるが。
「スライくん。お願いがある――一緒に、お姉ちゃんを助けてほしい」
考えていると、ユキが面を上げて俺にそう言ってきた。
真っすぐな意思。それはあの日にも向けられたモノ、それと相違なかった。
「……あぁ、分かった。行こう」
言われるまでもない。
ちょうど、俺の方からも提案しようとしていたところだった。
ここまできたら覚悟はとうに決まっている。数日前の俺とは、もう決別した。だから俺はそう答えて立ち上がる。そして、ユキの隣へと歩み寄った。
その、瞬間だ――。
「!? ――スライ、危ない!!」
マーサが、何かに気付いてそう叫んだ。
「えっ――――!?」
だが、時すでに遅し。
俺は信じられないモノを見ていた。
信じたくはない。だがしかし腹部に感じるその感触が、俺を現実へと引き戻した。目の前――ゼロ距離の位置。密着する形で、ユキが俺へと身体を預けてきていた。
それは、先ほど外でしたように。けれども、今は明確な違いがあった。
「ユキ……? お前、どうして――」
それは、俺の身体に深々と突き刺さった刃物の存在。
ユキの手に震えるほど強く握られていたそれは、易々と俺の身体を貫いていた。
「――ごめん。スライくん……」
そして、返ってきたのは感情のないユキの言葉。
遠くに聞こえるのは、子供たちの悲鳴。
現実感は、それよりも遠く。
何が起きているのかが、まるで理解できない。
俺にはただ静かに、目の前にあるモノを見つめることしか出来なかった――。
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