第十二話 忍び寄る異変



『ボクの身体はあと、もって一ヶ月……だから、キミに賭けたいんだ』

『俺に……? それに、一ヶ月って?』


 ユキはそう言って俺を真っすぐに見つめた。

 俺はそれに対して驚きを抱くと同時に、彼の言葉を咀嚼し切れずにこぼしてしまう。その反応は決して理解を示すものではない。が、しかしユキはどのように受け取ったのであろうか――静かに頷くと、おもむろにその重い口を開いた。


『簡単に、言うとね? ボクの身体には大量の毒が流れてる。それは一方で延命を図るモノではあるけれど、もう一方では身体の破壊を進めるモノなんだ』

『身体を破壊する、毒……?』

『毒も煎じれば薬となる。お頭――リベドはね、不老不死の秘薬を作ることに執心してたんだ。その過程で編み出したのが、この薬。そして、多くの人間がそのための実験体にされた。そして、ボクもその一人だったんだよ』


 そう言って、彼は懐から紫色の丸薬を取り出し、こちらに示す。


『これはね、飛躍的に身体機能を向上させる薬なんだ。ただ、副作用として肉体には過度な負荷がかかる。その結果として、生まれつき身体の弱かったボクは人並み以上の身体能力を得た。代わりに、こうなってしまったけどね……』

『――――――――っ!?』


 俺はあまりのことに、息を呑む。

 何も、言葉にすることは出来なかった。

 何故なら、ユキがそう語って晒した胸は丸薬のそれよりも深い色に侵食され、腐り落ちていたから。それは明らかな異常であり、奇異な様相であった。腐敗しながらもなお脈動するように蠢く彼の胸には、戦慄以外の何も感じられない。


『ボクの心臓は、この薬のお陰――いいや、で動いている。まぁ、それももうじきに限界を迎えそうだけどね?』

『どうにか――』

『ん? どうしたの?』


 俺は、つい口を挟んでしまう。

 するとユキは不思議そうにこちらを見て、小首を傾げた。


『――どうにか、ならないのか!? 例えば、アニの【蘇生】で!』

『………………………………』


 声を震わせながら訴える。

 だがしかし、対して彼は無言のまま目を瞑り、静かに首を左右に振った。

 そこにあるのは、明確な意志。そして、同時に諦念。どうやらユキの中ではもう、結論が出ているらしかった。アニの規格外の【能力】をもってしても、自分が救われることがない、ということを。


『お姉ちゃんの【能力】はね? ――きっと【蘇生】じゃ、ない』


 彼はそう小さく口にして、こちらを見た。

 浮かんでいたのは、儚げな微笑み。愛らしい、女の子のようなそれには胸を打つ何かがあった。その何かはまだ、俺には理解できないけれども――この子のためになら何でもしたいと、そんな決心が出来そうだった。


『もっと、違う何かだと思う。何故か、そんな気がするんだ』

『違う、何か……?』


 それは彼女の【能力】をその身に受け続けた彼だから、分かることなのだろうか。

 ユキは俺にそう言って、最後にこう懇願した。


『スライくん、お願いだ。リベドを止めて、お姉ちゃんを――』


 深々と、頭を下げて。


『――お姉ちゃんを、救い出してあげてほしい』


 それは断ることの出来ない申し出。

 そして、俺の行く先を決定付けるようなモノであった――。



◆◇◆



「なぁ、スライ……? どうしたんだ?」

「あ、あぁ……悪い。少し、考え事をしてたんだ」


 俺はマーサの言葉で我に返る。

 俺達がいる場所は、孤児院。つまりは自分たちの家だ。

 新しくイムを加えた5名で帰還した俺たちは、ひとまず食事などを済ませ、眠りにつこうとしていた。だが、そんな折に俺はこの少年から声をかけられ、二人で夜の星空を見上げているのである。


 だが、そうしている間にも、であった。

 俺の頭の中に巡るのは、館での出来事ばかり。

 救いたいモノを救えるか否か、そのことばかりが俺の脳内を支配していた。


「で、話ってなんだ? お前が俺に相談がしたいって、珍しいじゃないか」


 だけども、今は目の前のことに集中しよう。

 俺は隣に腰かける少年を見ながら、そう言った。


「べ、べつにいいじゃねぇか。ただ――」


 すると少年――マーサは、どこか気落ちした風にそう漏らす。

 そして、こう続けるのであった。


「――あの時、ヒドイことを言って……その、ごめん」

「あの時……?」


 けれども俺はその言葉の意味が理解できず、そう繰り返してしまう。


「あ、あの時だよ! オレがスライのこと、化け物だって、言った!!」


 呆然としてしまっていると、少年は我慢の限界だと言わんばかりに立ち上がってそう叫んだ。そこに至ってようやく俺は、彼の言いたいコトが分かった。

 あぁ、そう言えば、である。あの時はシータのことで頭がいっぱいで、言われるまで忘れていた。どうやら彼は、俺に向かって放った発言を気にしているらしい。


 俺が【人間】ではない、という事実を。

 この少年はあの時、端的に表現してみせた。

 でも、それを思い返しても俺には一つも怒りが湧いてこない。何故なら俺は彼の言う通りに【人間】では、ないからだ。恐怖心を持たれたって当然だし、警戒されたって当たり前。だというのに、この少年はそのことに罪悪感を覚えているらしかった。


 俺には、それが不思議でならなかった。

 どうにもマーサは、俺の思い描いていることとは、違うことを考えているようだ。

 それが何なのかが、気になった。どこか、そう――ロマニさんやクリムのことが思い出されたから。ロマニさんもまた、俺が【人間】ではないと知っても【家族】だと言ってくれた。その優しさが、想起されたから――。


「オレはシータに良いところを見せたかったんだ! でも、いざとなったらどうにも出来なくて、結局シータに大怪我をさせちまった……!」


 少年は拳を握りしめて、小刻みに震わせる。

 そして、だんだんと涙声になりながらも叫び続けた。


「そのイライラを、スライにぶつけちまったんだ…………【家族】に! 一緒に生活してきた大切な仲間に! だから――ごめんっ!!」――と。


 その謝罪にあったのは、思いやり。


「マーサ……」


 俺はそれを受け取って、どこか胸が暖かくなるのを感じた。

 あぁ、懐かしい。やっぱりこれは【人間】の持っている、良い部分なんだ。いいや、誰しもではないだろう。それでも、このマーサという少年は、その心を持っていた。俺にとっては、もうそれだけで十分すぎるほどの褒美。

 俺の中の【人間りそう】を肯定してくれた――。


「なぁ、スライ……って、何すんだ!?」

「心配すんなっての。怒ってないからさ、ゆっくり休もうぜ?」


 だから、俺は誠心誠意をもってそれに応えよう。

 ワシワシと、乱暴に少年の頭を撫でると、俺はにっと笑ってみせた。

 すると、それを見たマーサは一瞬だけ呆けた顔をすると、すぐにいつもの悪ガキらしい笑顔に戻る。だが、それを見て安心するのも束の間。

 少年はまた不安げな表情に戻って、こうこちらに問いかけてきた。


「なぁ、スライ……?」

「どうした? まだ、何かあるのか?」

「アニ姉ちゃん、すぐに帰ってくるよな……?」


 ――と。

 俺はその質問に対して、窮してしまう。

 何故なら、その答えを持ち合わせていなかったから。

 アニはシータを【蘇生】した後に、館の方へと戻って行ったらしい。イム曰く、その表情はどこか硬く、だが同時に何かを決心したかのようなそれだったという。

 まるで、決戦の地へと赴くような、強い意思を持っていた――と。


「なぁ、スライ。アニ姉ちゃん、大丈夫なんだよな?」


 それは、まだまだ幼い少年にも分かったのだろう。

 だから怯えているのだ。もしかしたら、大切な【家族】を失うのではないか、と。だとすれば、俺に出来ることと言えば一つしかない。

 俺は再度、彼の頭を力一杯に撫でてやった。


 そして、笑いながらこう言ってやるのだ。


「大丈夫、俺を信じろって。アニは必ず帰ってくるから。もしすぐに帰ってこなかったら、俺が引きずってでも連れ帰ってきてやるって」――と。


 すると、少年は破顔一笑。

 駆け足で孤児院の中に戻って行った。

 俺はその後ろ姿を見送って、一つ息をつく。マーサにはああいったモノの、心の奥底ではどこか不安があったからだ。そんなに簡単にいく話ではない、と。

 どこかで、そんな予感がしていたから――。


「いいや、考えすぎだ。きっと明日には、アニだって帰ってくる……」


 だが、それを押し留める。

 自分に言い聞かせるようにして、不安を一蹴する。

 だがしかし、濃い霧のようになって足元に纏わりつくようなそれは、中々に消え去ってはくれなかった。だけれども、空に輝く星々のように、未来は明るいと信じた。

 それを見て、俺もまた気を取り直し、孤児院の中に入っていく。


 大丈夫だ――と。

 そう、何度も言葉を繰り返しながら。


 しかし、俺は気付いていなかった。

 分厚い雲が、その星々を覆い隠そうとしていたことに。






 翌朝、俺は誰よりも早くに目を覚ました。







 ――が、しかし。

 そこに、いつもいるはずのアニの姿は、なかった――


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