第八話 【人でなしのアニ】



『お頭様! どうして、どうしてなのですか!?』


 ――その日がやってきた。

 欲張った私に与えられた、裁きの日が。


 すべてを手に入れようと私への罰は、大切な者の喪失であった。

 組織は私の不忠を許しはしない。それは理解していたものの、まさか私の唯一の宝物が奪われるなんて、まだ幼い私には想像できなかった。いいや、それは違う。この時、失って初めてどれだけ大切なモノであったのかを理解したのだ。


 組織の長――お頭様は、私の叫びに対して不敵な笑みを浮かべる。

 それだけで、その時の私は怯み上がってしまった。


『なぁに、そう悪いようにはせんよ。ただ身元の引き受けをしてやろうというだけのこと。お主が任務に集中できるようにという、こちらの気遣いだよ』

『そ、それは……!』


 言い返すことは出来ない。

 たしかに、私の行動に制限が付いていたことは間違いなかったのだから。

 弟の面倒を見るために任務を外れることは、何度もあった。しかしそれは、組織も了承していたはず。だが、どうして今になってこのようなことを言いだしたのか。


 その原因は、私にあった――。


『話に聞くに、アニよ――お主はロマニとその娘を、二度も見逃したそうだの?』


 そう。そうだった。

 それは、私の【人間】として矜持。

 罰を受けるのは、罪をなした者に限るべきだという考えによる行為。だがその欲張りは、今になって自身の首を絞めていた。きっとそれは本来、両立ならざる願いであったのだろう。そう――私は、気付くのが遅すぎた。


 震えた手で、ガーゼで覆われた顔に触れる。

 その内側には、仮面の持つ【束縛ギアス】に逆らった時に出来た傷があった。深々と肉を抉り出したそれは、生涯残るであろう傷だと医師は言う。

 だけども今、私を襲う虚無感はその宣告によるものではなかった。


 自分のなしたことが、徒労であったこと。

 そしてその徒労の結果が、最も大切なモノを失うことであることが――。


『だが、儂も鬼ではない――アニよ。お主はとても面白いモノを見せてくれた。それで、こちらから提案があるのだが……それを聞けば、弟の命は保証しよう』

『えっ……?』


 そんな時、悪魔の囁きが聞こえた。

 私は泣き声にも小さなそれで、声の主を見上げる。彼――お頭様は、心優しい老人のように微笑んで、こちらの肩を軽く叩いた。




 そうしてその日、私は【人間】ではなくなった。

 そう。私は【人でなし】になったのだ――。



◆◇◆



「フーコ! 悪い、助かる!!」

「いいえ、それよりも速くアニさんのところへ! 彼女ならまだ助けられます!!」


 俺達が【転移】による赤色の光に包まれる最中、フーコは珍しく焦った様子でそう叫んでいた。『アニならまだ助けられる』というのは、彼女の【治癒ヒール】のことを指しているのだろうか。確かにそれは、ロマニさんの窮地を救った輝きだ。


 だが――今の俺には、確信が持てなかった。

 何故なら俺の腕に抱えられている少女は、すでに冷たくなっている。

 柔らかかったその身体は硬くなり、流れ出ていた血でさえ、今や凝固して黒く変色していた。そばかすが愛らしいその顔からも色が失われて、青ざめている。


 俺の脳裏にはすでに――『死』という現実が、深く刻まれていた。


『おい、スライ! 勢いでついて来たけど、オレがいていいのか!?』

『今は、そんなこと構ってる場合じゃないんだよ!』


 光の中で、イムが俺にそう言う。

 だが彼の主張を聞いている暇はなかった。それになし崩しではあるが、イムをまたあの森で孤立させることは出来ない。これは、俺の我が儘でもあったのだが……。

 もう一人の少年――マーサは、きっと反対だろう。


「スライ……」

「……どうした? マーサ」

「………………………………」


 その証拠に、光が消え始めた時。彼はうつむいていた。

 服の端を握り締めて、悔しそうに唇を噛む。人の感情は難しい。おそらくは、様々な思いが彼の心に渦巻いているのだろう。そう思われた。

 しかし、俺にはそれを完璧に察することが出来ない。マーサが何を思い、何を考え、このような一連の行動を取ったのか。そして、そんな彼にどんな言葉をかけてあげればいいのか、俺にはまだ分からなかった。


 だが、きっと――願っていることは同じだろう。

 だから俺は、少年の頭を強く撫でながらこう言った。


「大丈夫だ。シータは、絶対に助かるから」

「スライ……っ!」


 すると少年は、大粒の涙を流しながらこちらを見上げる。

 鼻水を垂らして、顔をぐしゃぐしゃにして。ずぶ濡れた声で俺の名を呼んだ。


「――よしっ!」


 俺はそれを見て、一つ気合を入れる。

 さぁ。こう宣言しては後に引き返せなくなってしまった。

 いいや。元より最悪の事態など考えるべきではなかったのだ。それを考えている暇があるのなら、まずは出来ることからやっていこう。そう思い直し、俺は開けた視界へと目をやった。


 すると、そこは――


「――どこだ、ここは……?」


 見知らぬ、部屋の中。

 薄暗く、石の壁によって覆われている一室だった。

 明かりとなるのは、片隅に置かれた松明のみ。だがしかし、それらを置いて一番に気になるのは、その部屋に充満している悪臭であった。卵の腐ったようなそれは、鼻から脳へと侵入し、眩暈を引き起こす。


 何の、ニオイだろうか――?

 俺は一瞬それを考えて、しかしすぐに頭の中から弾き出した。

 今はそんなこと、どうでもいい。まずはアニを探さなくてはならない。そのためにも、まずは松明を手元に持ってこなければ。


 そう思って、俺は足を一歩踏み出して――。


「えっ……?」


 何か、重いモノを蹴ったことに気付いた。

 そうして、そこでようやく暗闇に目が慣れてきてくれる。だが――


「――――――――っ! マーサ、見るな! 目を開けるな!!」


 直後、飛び込んできたのは予想だにしない光景だった。

 とっさに俺は声を張り上げて、マーサにそう指示を出す――が、時すでに遅し。俺と同じソレを見た少年は口元に手を当てて、


「う、ぅっ…………!!」


 すぐにそれが何なのかを理解し、激しく嘔吐した。


『おいおい、スライ……これって』

『あぁ、これは……』


 イムも、状況を把握したのだろう。

 彼は俺に向かって小さくそう声をかけてきた。俺はスライムの言葉で、決定的な事実を言葉にする。そうだ。ここは――



『――拷問、部屋……だな』



◆◇◆


 薄暗い部屋の中で、転がっていたのは腐った男の死体だった。

 四肢を切り刻まれ、臓物を引きずり出され、人間と判別するのも恐ろしい状態で発見されたソレ。虫がたかったソレには、目を向けることさえはばかられた。

 だが、真実そこにあることは変えようがなく、こちらの心をへし折りにかかる。


 よく見れば石の壁にも、血飛沫の痕跡が残されていた。

 そして無造作に置かれた、どのように扱うのかも不明な拷問道具。それらはいずれも使い込まれており、刃物は切っ先がこぼれて錆びていた。


 いいや。もう、これ以上は見ていられない。

 俺は目を背け、松明の足元で震えているマーサを見た。

 子供に、この光景は刺激が強すぎる。どうにかして出口を探さなければ――


「――お前達……どうして」


 と、そう考えていたその時だった。

 聞き覚えのある、しかし今この場では聞きたくなかった声。だけれども俺達が今、探し求めていた人物の、その声であった。

 果たして、その人物とは――


「――――アニ!?」


 そう。銀髪の美女――アニであった。

 彼女はランタンを片手に、困惑した表情で俺達のことを見つめる。背後にはいつの間にか現われた金属製の分厚い扉があり、外へと繋がっている様子であった。

 だけれども、そんなことよりも気になったのは――彼女の衣服。


 彼女のそれは――血によって染め上げられていた。


 何が何だか、分からない。

 何故、アニはこのような場所にいるのか。

 何故、アニはそのように血にまみれているのか。


 いいや、分かっていた。

 彼女がここに現われた時点で、彼女がここで何をしていたのか。

 俺は内心では強く否定しながらも、頭の中では即座に分かってしまっていた。


「アニ、これは……」


 思わず、問いを投げようとしてしまう。

 そう。これは――お前がやったことなのか、と。


「……………………っ!」


 だが、答えを聞くのが耐えられなかった。

 それに、ここにはマーサもいる。そんな過酷な、残酷な現実を――


「――ほっほ、遅いではないか。アニよ」


 突き付けたくはない。

 そう願った矢先、ある一人の人物がアニの背後から現れた。


 しわがれた声のその人物は、次に、決定的な一言を述べる。

 そう――



「――後片付けは、済んだかの?」――と。



 相も変らぬ、好々爺としたその人物は笑う。

 薄く開かれた目に、人のそれらしからぬ光を宿し。

 まるで、この状況を予見し、愉しんでいるかのように。


 俺はその時、理解した。

 街の人々が、彼女のことを恐れていた理由を。





 ――彼女が【人でなしのアニ】と呼ばれる、その所以を。

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