第七話 喜びと悲しみと
――過去との邂逅は突然に。
それは、少なくとも俺にとって嬉しいモノではなかった。
いいや。きっとそれは、誰もが望んでいなかった形での再会であった。
「くるなって、いってるだろ!?」
少年――マーサは、棒切れを振り回して泣き叫ぶ。
対してスライム――イムは、襲いかかるタイミングを計っていた。
マーサの背後で気を失い、大木にもたれ掛っているシータは目を覚ます気配がない。どうやら頭部に傷を負っているらしく、額から一筋の血が流れていた。
俺はその様子をただ、呆然と見つめる。
まるで舞台に上がることが出来ない観客のように。俺は一人虚しく、その光景を見つめるだけだった。ただの映像のように、目蓋の裏に焼き付ける作業。しかし、脳がそれを理解することを拒み続けていた。
目の前に広がっている現実に、取り残されているような浮遊感。
しかし同時に、この場をどうにかしなければならない、という焦燥感が背後から迫ってきていた。だけども、身体は動かない。何故なら、こんな状況望んじゃいなかったから。こんな再会が待っていようとは、微塵も思っていなかったから。
「な、んで……」
どうして、こうも運命は残酷なのか。
どうして、よりにもよって
どうして、よりにもよって今、この時に限って――
『……だ。オレは……!』
「え……?」
――だが、その時。
俺の耳に飛び込んできたのは、懐かしい、あの頃の言葉だった。
『オレは、生きなきゃならないんだ……っ!』
「……イム?」
普通の人間にとっては、ただの奇声にしか聞こえないであろうモノ。だがしかし、前世の記憶を引き継ぐ俺にとってそれは、聞き慣れた響きであった。
そして、次に飛び出してきたイムの声は――
『生きなきゃならない! アイツ――スライの分もっ!! オレが!!!』
「――――――――」
こちらの心を激しく揺さぶるモノ。
あの時の絆が、決して嘘ではなかったのだと――そう思わせるモノだった。
だから、だろう。気付いた時にはもう、俺は二者の間へと割って入っていた。そして旧友の方へと向き直る。
「スライ……っ! お前、どうして……!」
「いいから! ここは俺に任せとけ!」
「……っ!!」
それを俺は手を広げて制する。
すると、こちらの覇気に圧されたのか少年は息を呑んで黙り込んだ。肩越しにそれを視認し、俺は再度イムを見て深呼吸。喉が詰まるような緊張を覚えながらも、どうにか記憶の奥、そこにある言語を絞り出した。
『――イム? 分かるか?』
【
『……な、んだと!?』
「えっ……!」
驚愕の声は二つ。
一つは眼前のスライム。
そしてもう一つは、後方の少年から。
『お前は、何者だ……? それに、どうしてオレの名前を――』
だがしかし、今の場合優先すべきは――イムの方だろう。
だから、俺は旧友の言葉を遮った。
『――俺は、スライだ』
『………………っ!?』
瞬間――目の前のスライムは、見て分かるほどに後ずさった。
声もなく、彼は二度目の驚きを露わにする。警戒をしているのだろうか、しばしの沈黙が俺達の間に舞い降りた。そして、そんな時間が永遠に続くと思われたその時。
ピンと張りつめた空気を断ち切ったのは、イムの方だった。
『本当にスライ、なのか……?』
その声は相変わらず警戒したモノ。
それでもどこか、歓喜を秘めた響きをしたモノであった。
俺は静かに頷いてから、上げていた腕を下ろす。そして、攻撃をする意思がないことを示すためにゆっくりと両手を上げた。
そうすることで、ようやく彼は緊張を解く。
だが、それと同時に顔を出したのは疑問であった。
『でも、お前……死んだはずじゃ、なかったのか? どうして、人間に……?』
『あー、それは説明すると長くなるんだけど、転生したんだ。魔王に――』
『――はぁっ!? 何だよ、それ!!』
それに、俺は素直に答える。
するとイムは今日一番の驚きといった様子で、ピョンっと、その場でコミカルに飛び跳ねてみせた。冗談を言うなと、そう言わんばかりのその仕草。そんな彼が一番、冗談のようなリアクションを取っていた。空気が弛緩していく。
『あぁ、でも事実だ。俺が嘘をついたこと、一度でもあったか?』
『そ、それは………………………………知らねぇけど』
『そこは嘘でも、ない、って言ってくれない!?』
『ダチに嘘つけってのか! ヒドイ奴だな、お前! やっぱりスライだ!!』
『頼むからそこで確信すんなよ! 俺がクズな奴みたいになるじゃないか!』
気付けば俺達は思わず、そんなやり取りをしていた。
それはまるで、あの頃に戻ったかのように。
自然と口元には笑みがこぼれて――あぁ、笑って涙が出ることもあるんだな。
◆◇◆
その後に俺達は、互いの近況を簡単に教え合った。
どうやらイムは俺を見殺しにした他の奴らに反発し、あの集団を抜けたらしい。しかしその後、各地を転々とするうちに一匹では生きることも困難になってきた。そして、とうとう人を襲うようになり、今に至るのだという。
マーサとシータを襲ったのは偶然だった。
そして、そこに俺が訪れたこと。それもまさに、数奇な運命だと言えた。
『すまねぇ、スライ。この嬢ちゃんを傷付けたのは……オレだ』
『お前も生きるためだったんだろ。それは――』
――仕方ないことだ、と。
そう言いかけて、俺は口を噤んだ。
ハッキリとは言えない。だがしかし、これは認めてはいけないと感じた。昔を思い出し、つい合理的かつ冷酷な判断を下しかけたことを、俺は反省する。
最後まで答えることはなく、俺は呆けた顔をしている少年の方へと向き直った。
「マーサ! こっちはもう大丈夫だ。シータは大丈夫なのか?」
「――――――――っ!」
そして、人間の言葉でそう声をかける。
すると――
「――く、くるなっ! お、お前は人間じゃない!!」
「えっ……?」
マーサは怯えた表情でそう叫び、俺とイムの前に立ちはだかった。
それは、シータのことを守るようにして。足を震わせ、涙目になり、それでも少女のことを守らんと、必死になっていた。俺はそんな彼を見て、ようやく自身が下手を打ったのだと理解した。
そうだろう。よくよく考えれば、当たり前だ。
スライムと対話のできる人間なんて、いるはずがない。それはつまり、俺が人間ではない何かであると、そう示してしまったことに他ならなかった。
「くるな! どっか行け! ――この、化け物!!」
だとすれば、マーサがこうなるのも分かる。
棒切れを片手に、俺のことを倒さんとする気持ちもよく分かる。
だって彼は、微塵も間違っちゃいない。あまりにも単純明快な答えだった。だけれども、今はそんなことに構ってはいられない。
何よりも、奥に倒れているシータの容態が気になったから。
「マーサ……でも、今は――」
「――うるさい、うるさいうるさいうるさい!! こっちにくるなぁっ!?」
でも、それは叶わない。
伸ばした手は見えない壁に阻まれたように、少年の声によってその動きを止めてしまう。足も、まるで杭を打たれたかの如く。重く、一歩も踏み出すことが出来なかった。空気が再び、張り詰めていくのが分かる。膠着状態だった。
――こうなったら、力ずくでいくしかないのだろうか。
そうなると、それしか手がないのではないかと、俺が考え出した時だった。
『お、おい! スライ!! あの坊主の足元を見ろ!!』
背後から、イムの声が聞こえたのは。
そして、その声につられて俺は視線を下に落とし――
「―――――――――ッ!?」
それを見た――その、真っ赤な水溜りを。
考えるまでもないだろう。血だ。血液だ。
誰のモノか? それこそ愚問だ。それは奥に倒れる少女――
「――シータっ!!」
彼女から溢れ出しているそれに、違いなかったのだから。
俺は無意識に駆け出していた。震えるだけのマーサの横をすり抜けて、倒れる少女を抱き起こす。すると分かったのは、あまりにも酷な現実だった。
――致命傷だ。
深々と裂けた後頭部。
そこから溢れ出す鮮血は、止まることを知らない。そしてシータの身体からは、だんだんと温もりが失われていく。その感覚が、嫌というほどに手に伝わってきた。
「シータ! 起きろ、シータ!!」
彼女の名を叫び、肩を揺する。繰り返し、繰り返し。
けれども、揺すっても、揺すっても、何度も揺すっても、その目は――
「嘘、だろ……?」
――シータのその円らな目が開かれることは、なかった……。
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