第六話 過去との邂逅



 鬱蒼と生い茂った木々。

 枝葉は絡みあい、日の光はまともに差し込まない。昼間だというのに薄暗く、陰湿な雰囲気がこの世界を包み込んでいた。大地に張った根はまるで人の手、踏み入った者達を逃がさぬかのようだ。事実、歩いても歩いても景色は変わらない。どこも似通ったそれであり、まさしく自然のダンジョンと評して相違なかった。


「くっそ……シータ! マーサ! どこにいるんだ!!」


 俺は大声で二人の名を叫ぶ。響き渡る。

 しかし、それは次第に張り巡らされた微細な網によって吸収されていった。

 舌を打つ。歩いても歩いても、二人の足跡は掴めない。俺の額には湿った熱気によるモノ以外の汗が吹き出していた。前髪がそこに張り付く。服の袖でそれを拭うが、その先からすぐにまた溢れ出てきた。不快極まりない。


 ――焦燥感だ。

 俺の中には、ハッキリとした焦りが浮かんでいた。

 最悪の事態――それを考え始めた時から、心臓は速く、そして強く脈打ち始めている。噛みしめた唇からは鉄の味がした。握りしめたてのひらには、爪が食い込む。


「まさか、もう魔物に――」


 ――そこまで口にしてから、大きく頭を左右に振った。

 諦めるな。まだ、間に合うはずだ、と。俺は自分に言い聞かせた。

 だがしかし、現実は非情である。ユキと別れてから、かれこれ一時間と少しといったところか。全速力で駆け回ったが、思いの外この森は広大であった。そのため一向にマーサとシータの姿を捉えることは出来ない。


 だけど、俺には諦めるという選択肢はなかった。

 それは何故だろうか。約束したからだ。みんなと、そして――


「――【家族】は、互いに助け合うモノ」


 そう。ロマニさん、そしてクリムとも。

 それは約束というモノではなかった。だがしかし、あの出会いと別れによって、俺の中でのそれは何物にも代えがたい誓いとなっている。


 だからこそ、守りたかった。

 何故ならもうあの二人は、そして孤児院の人は――


「――く、くるなぁ!」

「!?」


 ぐっと、感情が込み上げそうになった瞬間。

 前方の闇の中から間違いない、マーサの悲鳴だった。


「――――――ッ!」


 疲れ切ったはずの身体が、弾ける。

 足が、暗闇の中へと向かって動き始める。

 そして、そこを駆け抜け、視界が開けて飛び込んできた光景に――


「――――――」



 俺の思考は、凍りついた。



◆◇◆



 【分裂】――【失敗】!


『かぁーっ! ダメだ! やっぱり、いくらやっても出来ない!』


 【スライムあのころ】の俺は、よくこうやって一匹で練習を重ねていた。各地を転々としながら生活をしている俺たちの種族。この時はどこかの林を住処としていた。もはや曖昧になりつつある記憶だけれども、鮮明に思い出せる。


 この時の俺がいたのは、その住処から少し行ったところにある湖だった。

 広く澄んだその湖面に映るモノは、先ほどと変わらず俺だけ。小さな、半透明なゲル状の【魔物】が一匹だけ、そこにポツンとたたずんでいた。


 今思えば何と無駄なことをしていたのだろう、と思う。

 でもこの時の俺は真剣に、【分裂】を会得しようと躍起になっていた。


『どーして、こうも上手くいかないモノなのかなぁ……』


 が、結果はことごとく失敗。

 意識を集中していたためか、疲労感だけが全身に残っていた。


『はぁ……どうして、俺は――』

『――なーに、ため息ついてんだよ! 辛気臭い!』


 と、自己嫌悪に陥りそうになっていたところ。

 俺の隣にぴょこんと、もう一体のスライムがやってきた。

 呆れたような口調でそう俺に言ったスライムは、くにゃりと【変形】する。そして、こちらをパチンと叩いてきた。


『いってぇ! 何すんだよ――イム!』

『おいおい、怒鳴んなよ。せっかくこっちが、凹んでるスライのことを元気づけようとしてやったってのに』

『力加減を考えろっての、割と本気だっただろ!?』


 俺はこちらに一撃を加えたスライム――イムに、抗議の声を上げる。

 だがしかし、彼は気にもしないといった雰囲気でその場に居座った。どうやら、この堂々とした様子を見る限りワザとであると思われる。


 このイムというスライムは、俺にとっての友人のような存在だった。

 どうにもこいつは、他のスライムとは異なって仲間意識が強いらしい。落ちこぼれな当時の俺は、他のスライムから邪険に扱われていた。しかし、そんな中でもこのイムだけはどういうわけか、友として接しくれる。


 合理的な考え方からは程遠い彼の考えは、今となっても不思議ではあった。

 まぁ、それでも――俺にとっては救いであったのだけど。


『で? 何だよ。俺に何か用か?』

『いや、別に? ただ、また暗い空気を出されても迷惑だからよ。様子を見に来ただけだ』

『俺が【分裂】を失敗する前提かよ……』


 俺がそうぼやくと、イムは豪快に笑った。

 ちなみに、であるが。俺とは違ってイムは優秀なスライムだった。

 あらかたの【能力スキル】は扱うことができ、また次の族長候補にも名前が上がるほどに。そんなスライムとは対極に位置していたのが、俺だったりした。


『なぁ、イム――』


 だから、だろう。

 俺はしばしの沈黙の後に、イムにこう訊ねていた。


『――どうして、俺にこんなに良くしてくれるんだ?』――と。


 すると彼は、『あ?』と何やら不機嫌な声を発する。

 そしてまた、俺の頭をパシンと叩いた。


『いってぇよ! 何すん――』

『――そんなの、こっちの勝手だろ? それに!』


 こちらの抗議など聞く耳持たず、彼は言葉を続ける。何と自分勝手な態度だろうか。だがそれは、当時の俺にしては驚くべき内容であった。


『スライは、いつかきっと大きなことを成し遂げる、そんな気がするんだよ』

『はぁ!? ――俺が!?』

『おう、そうだよ』


 ポカンとする俺に、イムはさらに続ける。


『お前は、オレと同じだと思うんだよ。性格以上に、根本的に、な?』

『同じ……? 俺と、お前が……?』


 どこがだ、と。

 そう訊ねようとするが、出来なかった。

 この時の俺には、いいや。今の俺でも彼の言葉は理解できない。だから呆然としているしか出来なかった。ただ、それでも分かったのは――


『――ありがとう、な』


 何故かは分からないが、彼は俺を認めてくれている――ということ。

 それだけは、ハッキリと分かった。



          ――それは、過去の記憶。

 スライムとしての俺にとって、唯一と言ってもいい喜ばしいモノだった――



◆◇◆



 ――フラッシュバックから、解放される。

 俺はどれだけの時間を立ち尽くしていたのだろう。それは一瞬だったかもしれないし、はたまた数時間のようにも感じられた。


 開けた視界。

 怯えながら棒切れを振り回しているマーサに、気を失っているシータ。それは予想の範囲内の光景であったし、それを助ける気持ちでここに飛び込んできた。

 だけど、これは思いもしなかったのだ。


 ――どうして、そこにいるんだ。


 心の底から、この運命を呪った。

 心の底から、この記憶を呪った。

 心の底から、目の前の現実を俺は呪った。


「なんで、そこにお前がいるんだよ――!」


 マーサが対峙するのは、一体の――スライムだった。

 人間からしたら違いなんて分からないだろう。だけど、スライムの記憶を引き継いでいる俺には、直感的に、その事実が把握できた。


 そう。そこにいたスライムは――



「――イムッ!!」



 【スライムあのころ】の俺にとっての唯一の救い。

 村八分にされていた俺に出来た、唯一の親友だった。






     ――これは、過去ぜんせとの邂逅。

 それは、欠片も望んでいなかった再会、であった――



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る