第九話 アニの【能力】 前編



 私が連れて行かれたのは、お頭様の館――その地下であった。

 長い、長い階段を降りて行く。そして、【隠匿コンシール】の能力スキルによって隠されたいた重い、金属製の扉を押し開けた。するとそこにあったのは、血の匂いの染みついた拷問部屋。すでに数多の暗殺にんむをこなした私でさえ、ついつい眉をしかめてしまうほどの鋭い悪臭であった。


 だが、思わずそのような反応を示してしまった理由は他にある。

 それは、この部屋の中央にたたずんでいた。いいや、正確には立たされていた。両手を拘束されて吊り上げられたそれは、両目を潰され、辛うじてモノを言う機能だけは残されている。だが、いずれ息絶えるのは明らかな一人の男性であった。


『お頭様――ここで、私に何をしろと言うのですか?』


 隣に立つお頭様に、そう問いかける。

 そうすると彼は、まるで孫を見つめるかのような穏やかさで笑った。私は何がそんなに愉快なのかが理解できず、再び眉間に皺を寄せる。率直に、それは不快だった。

 だが、相手は組織の長だ。反抗的な態度は取れない。しかしこの老人から漂う雰囲気は独特なモノであり、私の中に残っていた微かな【人間】の部分が警鐘を鳴らしている。


『ほっほっほ――なぁに。今からお主には、をしてもらうだけじゃよ』

『ひと、助け……?』


 そうしていると、飛び出してきたのは予想外の一言だった。

 あまりにこのギルドに合致しない言葉。私は思わずオウム返しにそう訊き返した。

 するとお頭様はにたりと、下から舐めるようにして私を見る。その薄く開かれた目に宿るのは、狂気の色だ。背筋の凍るような、冷たい輝きだった。


 これは、聞かなくても分かる。

 文字通りの意味ではない、ということが。


『アニよ――お主は、【治癒ヒール】を扱えるという話だったな』

『お頭様、その話は――誰から?』

『ほっほっほ……』


 こちらが身構えていること、十二分に理解した上であろう。

 お頭様は、誰にも話していない私の秘密を、さも当然のように言ってのけた。どういうことか、それを問いかけても返ってきたのは冗談めかすような笑いだけである。


 たしかに、私は【治癒】を扱うことが出来た。それは病弱な弟が、少しでも楽になればと独学で身に着けた【能力】である。薄氷を渡るような彼の命を、救いたいという一心で、だ。けれども、それ以外に使ったことなどないし、使う気はなかった。


 そのはず、だったのだが――


『それ、そこにいる男――彼奴の傷を癒してやるがよい』


 ――そのことさえ、見透かしたかのように。

 この老人は、そう私に向かってそう指示を出した。見世物を鑑賞するかのようにして、ただただ愉しげに。こちらの弱点おとうとを盾にして、私がそれを断れないと踏んで、そう言ってきた。だけども、こちらにもまだ矜持がある。

 そう。私の【人間】としての矜持が――


『――それにしても、可哀想よのう? この男も』

『……え? どういう意味ですか、お頭様』

『む? どういう意味もない。この男はの――』


 ――罰を受けるのは、罪をなした者だけ。

 そう。考えていた。

 だから――


『――何の罪もない、巻き込まれた一般人だったのじゃよ。組織を抜けた女に騙された間抜けな男。運悪く関わってしまっただけの、哀れな奴じゃ』

『――――――――っ!?』


 そう言われた瞬間に、私の身体は、私の足は前へと突き進んでいた。

 吊り上げられた男性に駆け寄って手をかざす。そして、意識をそこに集中させた。そうすると、彼の身体の損傷具合が把握できる。


 良かった――まだ、間に合いそうだ。

 私は安堵し、しかし再び意識を集中させた。そして、


『――【治癒】!』


 小さく、そう呟く。

 すると淡い光が指先から、男性へと。

 額に汗が滲んでくる。心臓が早鐘のように鳴っていた。これは【治癒】を用いた際に起こる身体反応。私の中にある、おそらくは【魔力】を消費している証拠だった。

 それを分け与えるのをイメージして、傷を一か所ずつ修繕していく。


『【成功】――!』


 そして最後に男性の目を治して、私は施術の終了を告げた。

 見上げるとそこには綺麗な身体をした男性がいる。どこか虚ろな瞳で、私のことを見下ろしていた。だがそれも数秒のことで、やがて目にはハッキリとした意識が戻ってくる。そうして、しばしの時間を費やした後、彼は私にこう言った。



『どうして、助けたんだ……』――と。



『えっ……』


 私は思わず、そう声を漏らしてしまった。

 呆けていると男性は、治ったばかりのその瞳から大粒の涙を流し。


『どうして、殺してくれなかったんだ……』――と。


 そう、私のことを責めた。


『……………………っ!』


 言葉が出なかった。

 ただただ、泣きじゃくる男性を見上げていた。

 黙する以外ない。何故なら、命を救ったことを拒絶されるなんて初めての経験だったから。弟なら、いつも感謝の言葉を述べてくれていたから。


 私は、なぜ彼が私を責めるのかを理解するまでに、しばしの時間を要した。

 そしてようやく、それを理解した時――


『――――っ! ごめん、なさい……っ!』


 彼以上に、深い絶望へと。

 自らの成した事の重大さに、吐き気を覚えた。

 勝手に謝罪の言葉が漏れ出す。もう後戻りはできない、その後悔が、私の心を責め立てた。彼の唯一の救いを、私は奪ってしまったのだから。


 私はもうどうすればいいのか、分からなくなっていた。

 だから、その後のことはあまり覚えていない。

 ただ、一つ分かっていたのは――



 ――私はもう【人間】には戻れない、ということだけだった……。

 


◆◇◆



「……どうじゃ? とても、愉快な話であろう」


 俺の眼前に立つ老人は、そう言って嗤った。

 その笑い方は以前に見た好々爺といったモノではなく、悪鬼のせせら笑い。曲がった腰に、杖をついてはいた。だが、そこから伝わる威圧感は人の域を越え出た何か。

 アニの過去を語って聞かせた彼は、明らかに――


「――どこが、どこが愉快なモノか! ……この【人でなし】が!」


 そう。そうだった。

 こいつだ。こいつこそが【人でなし】だ!

 アニの自由を奪い、願いを、そして希望を奪い取った外道。それが、この老人の正体だった。俺は一段高いところにあつらえられた椅子に腰かける奴を睨み上げる。


 ここは、このお頭――その名をリベドと言う――の自室であった。

 拷問部屋を出た俺はイムやマーサ、アニにシータと分けられ、ここへと通された。広々とした部屋だ。周囲にあるのはどれも、豪華な調度品。これらは、どれだけ汚いことをして手に入れた品々なのだろうか。考えるだけでも反吐が出た。


「ほっほ……儂を【人でなし】と呼ぶか? この人擬ひともどきが」

「なっ……!?」


 だが、直後に返された言葉に俺は声を失ってしまう。

 こちらを見下ろすリベドは、くつくつと笑った。そしておもむろに立ち上がった彼は、ゆったりとした動きで俺のもとへ。


「ロマニの件じゃがの? どうにも、おかしい――死体がここまで綺麗なモノか。儂が見たいのは、朽ち果てていくロマニの無様じゃったからな。そこで少し調べてみると、スライよ、解はすべてお主に行きついた」

「――――――――っ!?」


 じり、じりっと詰め寄ってくるリベド。俺はその不気味さに、圧倒された。

 いつから知っていたのか。この男は、どこまで――


「――ほっほ……そう強張るでない。すぐに取って喰ったりはせぬよ」


 知っているのか、と。

 固まってしまった俺に、老人は横に立ち囁いた。

 この感覚は、アニの時とは違う。まったく異なる恐怖心だった。アニが鋭く、狩りをする肉食の魔物の如きそれなら、この男は相手を毒殺するような大蛇のそれ。

 全身に絡みつくような、這い回るような悪寒が俺を包み込んでいた。


「まさか、人ならざる者が化けて紛れ込んでおるとは、な。その正体はまだ分からぬが――ふむ。興味深いのぉ? お主は、本当に何者だ?」

「……………………」


 頬を舌で舐められたような、気色悪さ。

 しかし、リベドのその発言で俺の心には若干の余裕が生まれた。

 相手はまだ、俺のことを見極めきれてはいない。それはつまるところ、まだこちらにもアドバンテージがあるということだった。だから、俺は答えない。


 すると老人は、にたりと笑って俺の顔を見つめてきた。


「まぁ、良いわ。それでのスライ、お主には一つ――協力を願いたくての」

「…………協力、だって?」


 そして、そんなことを言う。

 俺は呆気にとられるも、どうにか平静を装いながらそう訊き返した。そうすると何を思ったのか、リベドは上機嫌となり語り始める。


「お主――永遠の命、というモノに興味はないかの?」

「永遠の、命……だって?」

「うむ、いかにも」






 俺は、彼の野望の一部を知ることとなった。

 【人間】としての道を外れた【人でなし】の、愚かなる野望を。

 そして、俺は知ることとなった。アニの【能力】、その真実を――。

 

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