第一話 遭遇 前編



「走れ、走れ~もっと速く~っ!」

「………………」


 真昼間の屋外で、俺は馬になっていた。

 いや、もちろん比喩だけれども。アレだ――子供を背に乗せて、馬のような役割を果たしていた。上にまたがる男児が「お馬さんごっこ」だと、そう言っていたので、きっとそのままの意味なのだろう。

 【人間】の子供の遊びなのだろが、俺には何が楽しいのか理解できなかった。


「ねぇ、次はわたしとおままごと、しよ?」

「………………」


 四つん這いとなっている俺に、女児がそう声をかけてくる。

 声のした方を見るとそこにいたのは、花のような笑みを浮かべている少女だった。彼女は楽しげに、偽物の包丁を俺に向けてくるが、こちらには苦笑いを返す余裕もない。第一に「おままごと」ってなんだ? その泥団子を、俺に食えと言うのか。


 それは何だろうか、いわゆる拷問ってやつか?


 まぁ、【人間】の子供がそこまでのことを考えることはない――と、思う。

 おそらく彼らは純粋に遊びを楽しんでいるのだろう。

 それは、分かるのだけど……。


「ねぇ、次は僕と~!」

「違うわよ、私とだよぉっ!」


 わらわらと俺を囲む彼らは、こちらの疲労などお構いなしに次から次へと物事を押し付けてくる。肉体的疲労感はそこまでではないのだが、少し間違えれば彼らに怪我をさせてしまう。その精神的な疲れの方が俺には重くのしかかってきていた。


 それでも、俺はこれをやるしかない。

 それが、俺をここに置いてもらうための条件だったからだ。


「じゅ、順番に、な……?」


 俺はどうにか、その言葉を絞り出した。

 口角を持ち上げるが、どうにもピクピクと痙攣してしまう。

 明らかに本心からの言葉ではなかったのは明らかだが、子供達にとってはそれでも良かったのかもしれない。「はーい!」と、元気に声を揃えると、何やら順番を決めるための――じゃんけん? とかいうモノをやり始めた。


 その、素直さだけはありがたい。

 俺は楽しげな彼らの声を聞きながら、一つ大きくため息をついた。


「お馬さん、疲れたの?」


 しかし、そうすると今度は背中に乗った男児が心配そうな声を発する。

 しまった。ため息は厳禁なのだと、そう言われていたのだった。


「い、いや! そんなことはないよ! ――それ、落ちないよう気を付けろよ!」

「うわっ! すごーい! 速い!」


 俺が駆け出すと、男の子は嬉しそうにはしゃぐ。

 その様子に、俺はホッとした。


 さて。そろそろ、この状況を説明しておいた方が良いだろう。

 俺はフーコの【転移】によって、次なる街、ルインにやってきた――のであるが、どういうわけか子守をする羽目になってしまっている。というのも、ここにきてすぐに巻き込まれたある出来事が原因なのであった。


 それは、かれこれ三日前にさかのぼる――


◆◇◆


「どわっぷっ!?」


 ――赤色の光が消え去った後に、俺を待っていたのは浮遊感。

 そして、落下による痛みであった。同時にガサガサっ、という音が真っ暗な世界に響き渡る。目を開くと、そこにあったのは健やかに伸びる枝葉であった。なるほど、肌から感じるこの痛みは、木々に身を擦り付けた際に負った擦過傷によるモノらしい。


 とりあえず、だ。瞬きを繰り返しつつ、俺は周囲を確認した。

 ふむ。どうやら今は、木の上に引っ掛かっている、という状況らしい。四肢が一部、あらぬ方向に曲がってしまっているが、その点については後で【変形】することによって修復できるだろう。


 それよりも、気になるのはここが木の上だとしても、具体的な現在地が分からないことだった。どうにもフーコの【転移】には時折、彼女の意図が含まれているように思われて仕方ない。今回の場合は、彼女との約束を破った俺に非があるのだけれども――


「――まぁ、いいか。とりあえず降りよう」


 内心で愚痴っていても仕方がない。

 そう思って俺は、【変形】を駆使しつつゆっくりと木から降りた。

 すると目の前に広がったのは、広い平原のような庭――と言えばいいのだろうか。俺の降りた目の前には石によって舗装された道があって、左手には遥か遠くに家が見えた。そして、右手にはまるで巨大な檻のような門。それを挟んで、そこには二人の門番がいた。


 なるほど、と。俺は一つ手を打った。

 俺はどうやら、誰かの家の敷地内に【転移】されてしまったらしい。

 そうとなれば仕方がない。あの門番と思しき二人に言って、外に出してもらうしかないだろう。と、思って俺はどこか楽観的に一歩を踏み出した――その時であった。



 ―――― 殺 気 ――――



「――――――ッ!」


 全身に、緊張が走った。

 周囲から少なくとも四つ――否、五つの視線を感じる。

 いずれも息を殺してじっと動かず、こちらの挙動に注意を払っていた。それはつまり、俺が少しでも怪しい行動を取れば、戦闘が始まるということ。まだ回りきっていない思考でも、そこまでは本能が告げてくれた。


「………………」


 だが、俺は迷う――ここでいきなり戦闘となるのは、得策か、どうかを。

 その警鐘を鳴らすのは、理性だ。何故なら新天地へきて早々に目立つ行動を取っては、今後の活動に支障をきたす。ならば、荒事を起こすのは間違った選択なのではないのか――そう考えたのだ。

 しかし、相手方はそうは思ってくれいないらしい。

 その証拠に、今この瞬間に攻撃を――


「――……貴様、どこから入った?」


 放とうとした、その時だった。

 聞き覚えのある声が、向かって左から。それは――


「――……アニ、か?」

「あぁ。だが、まずはこちらの質問に答えるんだな」


 あの日、ロマニさんとの一件で争った女性――アニであった。

 彼女は鋭く、訝しむ赤い視線をこちらに投げかけている。銀の髪は今日は結ばれておらず、腰の辺りまで流されていた。身にまとうのは先日のような軽装ではなく、一般的とも言える女性の服。茶色の、上下が繋がったそれであった。だがしかし、向けられた殺気は周囲のそれよりも強いモノである。


 それでも――彼女が手を挙げた、その直後だった。


「……どうして、だ?」


 ――殺気が、消えた。

 俺の首を落とさんとしていた空気は失せ、周囲には静かなそれが漂っている。

 もっとも、一番の殺気を放っている人物は目の前にいるわけだけれども。それでも、対話が成立しそうなだけ、先ほどの集団よりは何倍もマシな気がした。


 そもそも、だ。

 こうやって配下の者を下がらせたところから見ても、話し合いをする気はある、と見ていいだろう。それを証明するかのように、彼女は深くため息ををついて、腰に手を当てた。

 そして、俺に向かってこう言う。


「質問に答えろ、そう言ったはずだ。どこから入った」

「………………」


 なので俺は仕方なしに、無言のまま上空を指差さした。

 アニはそれを目で追って、肩をすくめる。


「話しにならんな――まぁ。以前も貴様は、突然に降って湧いたから信じてやらんでもないが」

「……だろ?」

「何だ、急に。馴れ馴れしい」

「………………」


 信じてもらえたと思ったら、これであった。

 ふむ。これは交渉も難航しそうだ。だが、それにしてもどうすれば――


「ほっほっほ――何やら面白い青年だの?」


 ――いいのか、と。

 そう考えていた時、不意にしわがれた声がした。

 それは背後から――などということはなく、正面から、音もなく。


「えっ……?」


 驚き、声のする方を見てみればアニの背後。

 そこには杖をついた、齢八十を超えるであろう小柄な男性が立っていた。

 彼は禿げ上がった頭に、曲がった腰をして、口元には不敵な笑みを浮かべている。身にまとうのはどこか独特な、黒の上下が繋がった衣服を羽織っていた。そしてそれを腰あたりの帯で締めている。


 その立ち居姿は、普通の老人であった。

 しかし、どういうわけだろうか。この人物はただ者ではない。

 そもそも、これほどまでに気配を消せる【人間】が普通なわけがない。相当な手練れだ。少なくとも、場数では俺よりも圧倒的に。桁がいくつも違うほどに。


「これこれ、そんなに気を張るでない。取って食ったりせんよ――ほっほっほ」


 だが、それもそこまでだった。

 唐突に、彼から放たれていた異端の空気が、影をひそめる。

 十数秒後――そこに立っていたのは、いかにも好々爺然とした人物であった。


「……? 気のせい、だったのか?」


 俺はその変化に、思わず小声でそう呟いてしまう。

 だけどもそれは幸いにも、彼らには聞こえなかったのであろう。小さく笑った後に、老人はアニに向かってこう言った。


「これ、アニよ――この青年は、お主の知人か何かかの?」

「……えぇ。まぁ、顔見知り程度ですが」

「そうかそうか。ほっほっほ」


 そして、満足げにうなずいた後にこう続ける。


「青年よ、名を何と言うのかの?」

「え、スライ……ですけど」

「スライ、か。覚えておくとするかの。まぁ、ボケてしまっとるかもしれんがな! ――ほっほっほ」


 俺はその突然の問いかけに対して、ついそう答えてしまった。

 すると彼は、何やら嬉しそうに自らを皮肉りながら大声で笑ってみせる。そうして一しきり笑い終えると、今度はアニの方へと向かい直して言った。


「ならば、アニよ。このスライの処遇は、お主に任せるぞ? 好きにせい」

「…………何を、考えておられるのですか」

「ほっほ、何も考えておらんよ。ただ――」


 と、一度言葉を切る老人。

 そして、ちらりと――俺の顔を見て、にたりと笑った。


「――面白いコトが起こりそうだと、そう思ってのぉ」

「――――――っ!」


 刹那――ぞくり、と。

 全身の毛が逆立つような寒気が、俺を襲った。

 それはやはり、最初に覚えた違和感そのものであり、俺の足に杭を打つには十分。恐怖心にも似た嫌悪感があった。それで分かるのは、この人物とは相容れない何かがある、ということ。


 しかし、その正体を確かめるよりも先に――


「――行くぞ」





 俺は、アニに手を引かれていた――


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