第五話 涙の理由 前編
――それからまた一週間余りが経過。
その日はあいにくの雨だった。
そうなると農家であるブラウン家では、やることが無いらしい。
なので俺は、自分にあてがわれた部屋の中で、フーコから与えられた課題に勤しんでいた。鍵を掛けた密室の中で腕を伸ばし、意識を集中させる。そうすると、腕が本来の俺の形状――すなわちは【スライム】状態――となり、形を変えていった。そして、最終的には瓜二つな【人間】が互いに手を繋ぐ形となる。
【分裂】――【成功】!
「ふぅ……これで、今日のノルマ達成――でも、少し時間がかかり過ぎ、か」
俺から離れた分身は、ボンヤリとした表情でベッドに腰掛けてこちらを見た。
そして、こう言う。
「たしかに、これじゃ実戦向きではないかもな」
「だよなー……」
俺は俺の言うことに同意した。
そして、並ぶようにしてベッドに腰掛けて天井を見る。
今の【分裂】は時間にして約一秒――だが、仮に何者かとの戦闘となった際にはそれ以下の時間に短縮しなければならない。また意識を集中しなければならないため、その間、無防備になるのも問題であった。
では、どうするか。
それは結局のところ――
「――練習、あるのみ」
「ですよねー……」
分身にそう言われて、俺はぐったりとうな垂れた。
その様子を見て、隣の彼はけらけらと笑う――あぁ、俺の笑い顔ってこんななのか。
などと、無関係なことを考えていると、不意に疑問が沸き起こった。そう言えば、今まで気にしていなかったけど、この分身が持っている一定の意思、という奴は、自分のことをどう思っているのだろうか。
「そりゃあ、お前と大半は同じだよ。ただ、自分の経験は一時のモノだって、認識してるだけでさ」
「そういう、ものなのか?」
「そういうもんだよ」
考えていると、やはり自分の半身なのだろう。そう勝手に声をかけてきた。
なるほど、自分の考えていることは自分が良く分かってるってこと、か。つまり今は俺ならこう考えるだろうと、そう考えた半身が先に話しかけてきたということだった。――分かりにくいけど。
でも、だとしたら――
「――悲しくなんかねぇっての。お前だって、まだそんな感傷に浸るほど【人間】のこと、分かっちゃいねぇって分かってんだろ?」
「……うぐ。まぁ、そうだけど、さ」
くそ。心配した自分が馬鹿だった!
たしかに今、『消えてしまうことが悲しくないのか』と、そう尋ねようとはした。だけども、それについての答えは俺自身もよく分かっているモノ。それを他でもない自分自身に指摘されてしまった。
彼の言う通り、俺にはまだ【人間】の心――気持ちというモノが分からない。
だけど――
「――でも、内心ではこの間のクリムとの一件、気にしてるんだろ?」
「だーっ!? お前、一回戻れ!!」
意識の主導権は俺が握ってるはずなのに、なぜか会話の主導権は分身に握られてしまっていた。俺は我慢し切れなくなり、ついついそう声を張り上げる。
すると彼はニヤニヤとしながら手を挙げた。
「おー、怖い。まぁ、もしまた話したくなったら【分裂】してくれや。それじゃ!」
「誰がお前なんか呼ぶか!」
そして、そんなことを言いやがったので、すかさず俺は【合体】を試みる。
【合体】は【分裂】の逆――すなわち、50ずつに分けたモノを100に戻す【
【合体】――【成功】!
それはまるで、逆再生をするかのように。
笑顔を浮かべていた分身はドロリとした【スライム】状となり、俺の手の中に吸い込まれていく。するとどこか欠けていたような感覚が、満たされていくような、そんな充足感を覚えた。
どうやら、こちらの【能力】は問題なくこなせるらしい。
ただ、それよりも、だ。
「何だか、精神的に疲れた……」
どういう訳か、俺の分身は意思を持ち過ぎていた。
これはもしや【魔王】として、【魔力】があり過ぎるせいだろうか。今夜にでもフーコに確認しておかなければ。そうでないと、これから【分裂】を使う度にこんな感じになってしまう。
でも、それだったら――
「――……【
フーコがそう名付けた、その【能力】の方が良いのではないだろうか。
もちろん、そのためには【操作】を覚える必要があるのだけれど、そっちの方が使い勝手がいいのかもしれない。【分裂】と異なり、俺自身の身体能力などの低下もない。――そして何よりも、ああやってイジられることもなくなるのだし。
だけれども、フーコは【不完全なる創造】の使用を禁じた。
理由は、まだ何が起こるか分からない部分があるため、だそうだけど。
「やってみるか……」
俺の好奇心は、止められそうになかった。
そのため俺は手を伸ばし、神経を集中させる。そして――
「おい、スライの坊主! 少し良いか?」
「――ひぃっ!?」
今まさに、新たなるモノを生み出そうとしていた時だった。
ドンドンと、力強くドアを叩く人――言うまでもなしにロマニさん――がいた。俺は思わず奇声を上げてしまうが、それ以降も彼は構わずドアを叩き続ける。
「おい! 坊主、いるのは分かってんだぞ!?」
「今、開けますって! 少しは待って下さい!」
俺は【不完全なる創造】の発動を中止し、急いで扉の鍵を開けた。
すると、まるで蹴破るような勢いで突入してくるロマニさん。その形相はまるでオークのそれ。そして、そんな眉間に皺を寄せた彼は、入ってくるなり部屋の中をくまなく見渡した。
そして腕を組んで首をひねる。そして俺にこう訊いてきた。
「坊主……今さっきお前、誰かと話していなかったか? 俺はてっきり、お前がクリムのことを連れ込みでもしたもんかと――」
「――え? どうして、俺がクリムを連れ込まなきゃいけないんですか?」
「そりゃあ、お前……まぁ、いい。とりあえず、少し話してもいいか?」
「はぁ……それは、構いませんけど」
――はて? ロマニさんは何が言いたかったのだろうか。
その意味が分からずに俺は首を傾げるが、まぁ別に、大した問題ではないのだろう。とりあえず、ロマニさんと共にベッドに腰掛けた。先ほどまで分身が座っていた位置にロマニさん。
俺もまた先ほどと同じ場所に腰を下ろしながら、こう尋ねた。
「それで、話ってなんですか?」
「あぁ、そのことなんだが――」
――と、そこで一旦言葉を切ってから、ロマニさんはこう切り出す。
「お前、クリムと何かあったか?」
「う……どうして、そう思うんですか?」
俺は思わず質問に質問で返してしまった。
それは言うまでもなく、何かあった、からである。それは分身にも指摘された、一週間ほど前、あの日のこと。俺にはどうして彼女が泣きだしてしまったのかが、理解出来なかった。
そのことがずっと頭の中に残っている。忘れようにも忘れられない。
「そりゃあ、ここ一週間のお前たちを見てたらそう思うだろ。前は毎日、仲良く話してたのに、最近じゃあ毎晩やってた勉強だってしてねぇ――だろ?」
「それは、そうですけど……」
だから、だろう。
ロマニさんは勘が良い。
彼はおそらく、俺とクリムの間に流れる空気の変化を機敏に察知した。そして今、こうして俺のところに話をしにきた――ということ、か。
だとしたら、もう白状した方がいいか。
それに、俺もその点についてはハッキリとさせておきたかった。
何と言っていいか分からないが、クリムとこのままの関係を続けるのは、嫌だったから。だから俺は――
「――クリムの母親……ロマニさんの奥さんは、どんな方だったんですか?」
「………………」
そう、同じ問いをロマニさんに投げかけた。すると彼は眉間に深く皺を寄せて、俺の顔を見る――いいや。睨む、と言った方が近かった。
彼の
「お前、それをクリムに聞いたのか」
「……はい」
俺は素直にそれを認めた。
ここまできて、嘘をつく必要はどこにもない。
それどころか、ここで逃げてはいけない。そう思えた。
そうして、どれくらいの時間が経っただろうか。
ロマニさんは、不意に――
「――はぁ~……それを、聞いちまったかぁ……」
そう言ってからがっくりと、うな垂れてしまった。
「あの、その……すみま――」
「――あー、気にすんな。言ってなかった俺が悪い」
俺は彼のそんな姿を見ていられなくなり、思わず謝罪の言葉を口にしようとする。だが、その直後にロマニさんは手のひらで俺のことを制した。
大きく息をついた彼は、覚悟を決めたように俺を見る。
「今からする話は、クリムに漏らすんじゃねぇぞ? 分かったか?」
そして、そう言ってきた。
その凄みに負かされる形で、俺は反射的にうなずく。
ロマニさんは俺が了解したことを確認すると、静かに話し始めた――
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