第二話 二人でお風呂
【人間】たちは王都であるガリアを中心に、多種多様な場所に拠点を作り生活をしている。
俺がやってきたこのアル村も、その一つ。ここの住民たちは各々に何かしらの農作物を作り、王都へ出荷することによって生計を立てているようだった。近くの山から流れくる豊かな水を利用し、四季にそった生活をしている。建物は木造のモノが多く、クリム曰く過疎な田舎――というものらしい。
現在、俺が世話になっているブラウン一家は、プラキアという香辛料に使われる作物を栽培していた。冬にかけて実を成すそれは、秋の始まりであるこの時期に植える。収穫する際は積もった雪を掻き分けながらの作業となるので、覚悟しておけ――とはロマニさん談。ちなみに、俺とフーコがいた魔王城からは遠く離れているために、【魔物】による農作物への被害は少ないとのこと。
さて。そんなアル村で生活をすること一週間と少し。
すっかり俺も――
「……ふぅ。今日の作業終わり!」
農家としての生活に、馴染んできていた――と、思う!
今日は朝からプラキア畑での水やりから始まり、居候だからという理由で天井の雨漏りを直したり、立てつけの悪くなった扉を直したり、最後には酪農を営むお隣さんの手伝いと、大車輪の活躍であった!
俺は達成感に満ちた汗を拭い、誇らしげにブラウン家へと帰宅する。
「ただいまーっ!」
「あ、お帰りっ! スライくん!」
二階建ての木造建築であるブラウン家。
その正面玄関から、威勢よく声を上げて中に入ると返ってきたのはクリムの元気な出迎えだった。彼女は笑顔でこちらに駆け寄ってくると、俺が手に持っていたあるモノに視線を落とす。
そして、小首を傾げて訊ねてきた。
「スライくん。この瓶はいったいなに?」
「あぁ、これか? これはな――」
――と、俺は無駄にもったい付けてから、それを取り出す。
「じゃじゃ~んっ! 隣のマロンおばさんから、ミルクを分けてもらいました~っ!」
「わぁい、やったぁ! それじゃあ、今日はシチューにしようかなぁ!」
「しちゅー? って、なんだ?」
「えへへっ。出来てからのお楽しみ、だよ!」
すると、クリムもまた大げさにリアクションを取った。
そうして俺からその瓶を受け取ると、大切そうに抱きしめて、今日のメニューを口にする。しかし元【スライム】だった俺にとっては、すべての料理の名が初耳だ。一応、記憶喪失ということになっているので、そういった類の発言は基本的にスルーしてもらえるのでありがたい。
「おう! スライの坊主、帰ってたのか!」
「あ、ロマニさん。お帰りなさいです」
「お父さん! 今日はシチューだよ!」
さて。そうしていると家主の登場だ。
ロマニ・ブラウン――クリムの父で、この家の家主。【人間】に【変身】している俺よりも数段高い背丈と、逞しい肉体を持つ。この人も、【魔王】の俺にも負けないくらい素晴らしいマッスルだ。
顎鬚をたくわえ、斜めに深い傷跡のあるその顔は、一見強面だがその実、内心は心優しい親父さんである。身寄りのなかった俺を、道中で拾うことを即決したのだから。中々の懐の深さを持っていると見えた。
「おぉ! クリムのシチューか! はっは、良かったな坊主。うちの娘のシチューは、この村のなかでも一番の絶品なんだぞ!」
「へぇ~、そうなんですか」
「もう! お父さんっ!? ――は、恥ずかしいよぉ」
ロマニさんの言葉に同調すると、クリムがそう言って赤面する。
あぁ、それと。ロマニさんについて補足しておくと、彼は相当の子煩悩である。どうにも男手ひとつでクリムを育てているらしく、その溺愛ぶりと言ったら相当のモノであった。今もこうして、すかさず娘自慢を捻じ込んでくるあたりに、その片鱗が垣間見えるであろう。
まぁ、そうなった理由というのは、流石に一週間やそこらでは話してもらえるはずがない。という訳で、とりあえず俺は地雷を踏まないよう注意しつつ、彼らと三人での共同生活を送っているのであった。
「そ、それじゃあ二人とも!? とりあえず順番にお風呂入って来てね!」
「ん? あぁ、分かった」
「おう! 頼んだぜ、クリム! 今日も美味い飯を食わせてくれ!」
「んもうっ、お父さん!?」
さてさて。
そんな幸せな茶番をしていると、とうとう恥ずかしさに耐え切れなくなったのか、クリムはそう話を切り上げて台所へと向かって駆けて行った。ロマニさんの追い打ちにも、しっかりと反応しながら。
という訳で取り残されてしまった俺たちであったが、クリムの言う通り、順番に風呂に入るとしよう。そう思って俺は、ロマニさんの顔を見上げた。
すると――
「――おう、坊主。たまには裸の付き合いってのをしようや」
「へ……?」
唐突に彼はそう言って、ガッシと肩を組んできた。
一応、【魔王】としての力は分身であるこちらにも引き継がれているため、彼の腕を振り払おうと思えば振り払うことは出来る。だがしかし、それをしては失礼になるように思えた。そして何より、突発的に力加減なく振り払えば、ロマニさんが無傷で済む保証はない。
と、いうわけで。
なし崩しの形ではあるが、俺は彼と一緒に風呂に入ることとなってしまったのであった……。
◆◇◆
「ほほぅ? 痩せこけてると思いきや、良い身体してんじゃねぇか」
「あの、すみません。そんなにジロジロ見ないでもらえますか。ロマニさん?」
それなりに広い風呂場に入ると、ニヤニヤとしながら彼は俺のことを見る。
どうやらロマニさんもまた筋肉の魅力に取りつかれた一人である様子であったが、何やら今の状況は誤解を招きそうなので勘弁願いたかった。そんな訳で、俺は逃げるようにして浴槽に入ろうとする――が、
「まぁ、待てや。先に背中流してやるよ、ほら」
「なっ! ちょっと!」
両肩を掴まれ、無理矢理にシャワーの前にある腰かけに座らされる。
そうすると、もうされるがままだ。ザッとお湯を浴びせると、彼はゴシゴシと力一杯に俺の背中を洗い始めた。――もう、何なのだ。この状況は。
俺はもはや諦めの境地で、目の前に揺らめく湯気のようにぼんやりと、ここ一週間を思い返す。この一週間は、俺にとっては初体験のことばかりだった。
こうやって風呂に入ることもそうだが、【人間】として生活し、【人間】について学ぶことは、俺にとって新鮮なことばかり。食事一つ取ってみても、フォークやスプーンの使い方だって、最初は分からなかった。今では一通りのことは覚えたが、最初は大変だったのだ。
それでもクリムとロマニさんは笑うことはなく、懇切丁寧に、色々なコトを教えてくれた。【人間】はどのように生活をしているのか、そしてどのような助け合っているのか、を。
それは、生きるか死ぬかの生涯を送った【スライム】時代の俺には、あり得なかった温かさだった。俺は最終的に仲間に見捨てられて死んだ。それはもちろん、俺が足手まといだったという理由もあった。だけれども、それにしたって、あんまりな最期。あんな結末は、あってほしくは……なかった。
「――なぁ。スライの坊主よぉ」
「……え? どうかしましたか。ロマニさん」
そう考えに耽っていると突然、後ろからロマニさんに声をかけられた。
俺は間の抜けた返事をしながら、肩越しに彼の顔を見ようと試みる。しかし、手は動かしながらもうつむいていたために、その表情がどのような色を浮かべているかは分からなかった。
その様子に、首を傾げる。すると――
「――お前。記憶喪失って……嘘だろ」
「――――――――」
突然に、心臓を鷲掴みにされた。
声も出ず、ただただ目を見開く。
呼吸が、若干ではあるが荒くなる。それを鎮めようと、俺は固唾を呑み込んだ。
もしかして、バレたのだろうか――俺が【人間】ではない、ということが。いいや、それはない。バレるようなミスは犯していないはずだ。それに、ロマニが指摘したのは『記憶喪失』についてのみ、だ。
まだ、動揺するには早い。
俺は何も答えずに、ただ彼の言葉を待った。そして――
「――なぁに。そこまで硬くなんなよ。俺は別に、お前が本当は何者か、だなんて興味はねぇんだからよ!」
「あっ……そう、ですか」
ついその言葉に安堵して、言ってしまった。
そう、俺は自ら――
「……って、ことは。やっぱり、嘘なんだな?」
「………………」
『記憶喪失』が虚言であると、認めてしまったのだ。
してやられた、と思い警戒心を強める。場の空気が、静まり返った。
彼は、どういうつもりなのだろうか。もし、俺が【人間】ではないということまで分かっているのだとすれば、こちらは実力行使で口封じをするしかない。
俺は思わず、それだけはあってほしくない、と――そう思ってしまっていた。
緊張が、俺の身体を力ませる。
そうしていると――
「――だから、そう硬くなるなっていただろうが! お前が、どこの誰かなんて、俺にとっちゃあどうでもいいんだ。それは本心なんだからよ」
「……本当、ですか?」
「おうよ」
その言葉に、肩から力が抜けていくのが分かった。
どうやら最悪の事態は免れたらしい。俺ががっくりと頭を垂れたことに対して、ロマニさんはそれを豪快に笑い飛ばす。ただ、その陽気な姿に、こちらとしては一つの疑問が浮かんだ。
「それじゃあ、どうして……俺のことを置いてくれてるんですか?」
「あん?」
そう。それは当然のことだった。
こんな素性の知れない、しかも自身を『記憶喪失』だと偽っていた者を、そうだと気付いてなお追い出さずにいてくれたのか。そのような怪しい【人間】を、匿う理由が分からなかった。
俺のそんな『普通』とも思える疑問に、ロマニさんは不思議そうに声を発する。
そして、にたりと笑いながら、こう言った。
「へっ……なぁに。もし、クリムに危害を加えるような奴だったら、すぐに追い出してたさ。でもよ、どうにもそうじゃねぇ。仕事だって必死にこなしてくれる。こいつは――何か『ワケあり』だなって思ったわけよ」
「………………『ワケあり』、ですか?」
「おう」
俺がそう訊き返すと、さらに彼は続ける。
「あいにくだがよ、俺だってそこまで誇れるような【人間】じゃねぇ。それでもこうやって、必死に生きてきたんだ――まぁ。要するに、俺自身とお前を重ねちまったんだよ。勝手に……な!」
「………………」
そう言いながら彼は、ザバッと、湯をかけて俺の背中を洗い流した。
俺はそれを無言で受けて、立ち上がる。自然な流れで、俺たちは交代で位置を変えた。そして、今度は俺がロマニさんの背中を洗い始める。
そうして初めて気付くのは、そこには顔と同じように深い傷跡が無数に存在している、ということだった。それらはどれも痛々しい。しかし、彼の言ったような、誇れないモノだとは、とても思えなかった。
「まぁ、だからよ。好きなだけいるといい。スライの坊主が、いたいだけな」
「……ありがとう、ございます」
俺は傷口を痛めないよう最大限に気を遣いながら、そう感謝を述べる。
それは、心からの言葉だった。
まさか、自分が【人間】に心からの感謝を口にすることになるとは、思わなかった。だけど何故か、それはとても心地の良いモノであった――
ちなみに。
その会話が一段落をついた後――
「――ただし、娘には手を出すんじゃねぇぞ? 分かってるな?」
「? 手を、出す? ……はぁ、分かりました」
そんな、謎の警告も受けたのであった。
しかし俺には、その言葉の意味するところがまるで理解出来なかった――
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