第一話 俺が【魔王】――!?



 ――ガタゴトと荷馬車は揺れる。


 木製のそれの後方に乗った俺は、仰向けに寝転がり、ぼんやりと空を眺めていた。

 本日は、胸がすくほどの快晴なり。雲一つない空の頂上には眩いほどの太陽が輝いている。荷馬車の振動に紛れて時おり肌をなでる風は、秋の到来を告げるモノだろうか。涼しく、そして心地良かった。


「それにしても、記憶喪失ってホントにあるんだねぇ~っ」


 そうしていると、一人の少女が俺に話しかけてきた。

 半身を起こして声のした方を見る。するとそこには、小柄な女の子の姿があった。肩口で揃えられた栗色の髪に、円らな黒の瞳。【人間】的な感性はまだまだ乏しい俺だけど、何というか――そう! リスのような、小動物系の外見をしていた。俺の方を見て笑いかける姿は、愛らしい、と言えばよいのだろうか。


 彼女の名前は――クリム。

 荷馬車を操縦している髭の生えた、体格の良い男性――ロマニの娘である。ファミリーネームはブラウンという彼らは、アル村という場所にて、農業を営んでいるらしい。そして現在は、王都であるガリアまで収穫した作物の納品した帰り、という話だった。


「ん? あぁ、そうだな……俺も初めて聞いたよ」

「それは、記憶喪失なんだから当然でしょ? スライくんっ!」

「え? そ、そうだな。当然だな、ははは……」


 起き上がりつつそう答えると、楽しげにそう言いながら彼女は笑う。俺はその指摘にハッとして、慌てて調子を合わせた。苦笑いと共に、冷や汗が頬を伝っていく――今のは危なかった、のかもしれない。


 今の俺は、記憶喪失――の【人間】として、二人に同行しているのであった。大草原のど真ん中。その中で蛇行しながら伸びている、舗装されていないあぜ道の上で呆然としているところを拾われて。


 記憶喪失と偽ったのは、俺が【人間】の生活に対する知識を持ち合わせていないからだ。下手なことを言って、自分の素性がバレるようなことがあってはならない。


 そう――自分が【魔王】だということは、バレてはいけないのだ。


 さて。

 それではどうして今、俺がこのような状況になっているのか、簡単に説明しておくこととしよう。その理由というのは先日、俺が【魔王】となった日にまでさかのぼるのであった――


◆◇◆


「俺が――――【魔王】っ!?」


 晴天の霹靂とは、まさしくこのことを言うのではなかろうか。

 【スライム】として死んだと思ったら、【魔王】になっていた。そんな話、聞いたこともない――というか、あってはならないことだろう。自分で言うのも悲しい話であるが、最弱の存在からいきなり最強の存在にクラスチェンジしたのである。何度聞いても、信じられる話ではなかった。


 だが、そんな俺の動揺など知らぬといった風に、フードを被った者は中空へと手を突っ込み、鏡を取り出す。

 そして――


「――では。ご自身の目で、確認されてはいかがですか?」

「あ、うん……」


 そう言って、それをこちらへ差し出してきた。

 なので仕方なしに受け取った俺は、とりあえず自分の顔を見てみることにする。恐怖心半分、そしてどこか淡い期待を半分に、そーっと覗き込むと、そこにあったのは――


「――うおおおぉっ!?」


 まさしく、噂に聞いた【魔王】そのモノの姿であった。

 俺は思わず声を上げる。何故ならその姿は【スライム】含む【魔物】たちの間でも語り草となっていたからだった。


 まず最も印象強いのは、そのギラギラとした、獲物を喰らい尽くさんとする眼であろう。真紅のそれは、見る者すべてを震え上がらせそうな光を宿していた。そして、鋭利な牙は剥き出しになっている。血の滴る様子が目に浮かぶ。内心で、我が顔ながら漏らしそうになってしまったのは秘密だ。


 そして次に目がいったのは巨大な角。これがマジでカッコいい。長い耳の上から生えたそれは、肉を抉り取る鎌のように曲がりくねっていた。そして最後に、自身の背中に巨大な翼があることに気付く。漆黒のそれは大きくうねり、自在に動かすことが出来た。


 身体は筋骨隆々。フードを被った者が親切にも、大きな姿見を用意してくれたので気分よくポージング。あぁ、夢にも見たムキムキボディ――最高じゃないか! 筋肉最高っ!


「信じて、いただけましたか――スライ様?」

「あぁ! 信じるよ。信じる――けど、どうして俺が【魔王】に? 俺【スライム】だったはずだし、死んだし。というか、どうして俺の名前知ってんの?」

「ふむ。一度に聞かれては、少々困りますね」


 フードを被った者――もう面倒なのでフー子、もといフーコと呼ぶことにする――は、小首を傾げるような仕草をする。そして、しばしの間を置いた後に一つ、うなずいたフーコは説明を始めた。


 ……の、だけれど――


「まず、これはお伝えしなければならないのですが……」

「うん。何か重要なこ――」

「――先代の【魔王】様は、老衰で亡くなられました」

「ぶふっ!?」


 ――それは、いきなりパンチのキツイ一撃だった!

 老衰って何! いや、老衰が何かは分かるけど、そうじゃなくて!


「老衰!? 【魔王】が老衰で死ぬの!? こんなにムキムキなのに!?」


 聞いたことないよ、そんなの! だって、【魔王】だよ!? 死因:老衰って!

 ――と、俺が息巻いているのに反し、フーコはとくに気にした様子もなく淡々とこう続けた。


「老衰と言っても、肉体ではありません――魂の老衰です」

「え? ……魂の、老衰?」


 俺は、またもや聞いたことのない言葉が出てきたことで、ついオウム返しをしてしまう。すると、こくり、小さくうなずいてフーコは説明した。


「魂の老衰とは、簡単に言ってしまえば魂の寿命です。大体の生物は魂の死を迎えるよりも先に、肉体が限界を迎えて死に至ります。その場合には、転生、すなわち生まれ変わることとなります」

「……はぁ、なるほど? つまり先代【魔王】様は、強くなり過ぎた、と」


 なんとなく、だけど分かった。

 先代の【魔王】は、この鍛え抜かれた肉体とその寿命にによって、肉体の老衰、病にかかることもなく、そして誰にも殺されることもなかった。そんな彼の迎えた結末が――


「――そうです。何者にも殺されることのない力を得た【魔王】様が、唯一避けられなかったのが、魂の老衰でした。そればかりは、いかに肉体を鍛えようとも、膨大な魔力を持とうとも不可避」


 そこでようやく、フーコの声に陰りが感じられる。

 俺にはこの二者の間に、いかな物語があったのかは知らない。だけれども、このフーコは心より先代の【魔王】のことを慕っていた。そのように感じられた。


「先代の【魔王】様はワタシに言いました。『我のこの力は引き継がれなければならない』――と。そして、ワタシに魂の死後、転移の魔法を用いて、新たな魂をその肉体に宿すよう命令されたのです」

「……それで、どうして俺だったんだ?」


 これで、難解ではあるモノの、疑問の一部は紐解くことが出来た。

 だけど俺にはさらなる疑問が浮かぶ。それは、その魂がなぜ俺だったのか、ということ。これはいまだに解決していない。だから俺は、フーコにそう尋ねた。


「【魔王】様の考えは、ワタシには到底、理解が出来ません。したがってワタシは命令に忠実に、現状用意できる中で、最も魂を若くして死んだ者を転移させました。――それが、スライ様。アナタです」

「もしかして俺の名前は、その時に?」

「はい。失礼ながら、覗き見させていただきました」

「なるほど、な……」


 ひとまずは、それで納得することにする。

 これ以上は、いま考えたところで、理解が出来そうになかったからだ。それだったら、次に何をするべきなのか、それについてを考えた方が建設的に思えた。

 そのため俺は、フーコに意見を求める。


「それで、俺はこの後どうすればいい? 先代の【魔王】は何か言ってなかったのか?」


 すると、フーコは「大丈夫です」と一言。


「先代の【魔王】様は、次代の【魔王】様にはまず【人間】について学ぶように、と仰っていました」

「【人間】に、ついて? それは、何故?」


 俺は眉間に皺を寄せた。【人間】という言葉は、俺にとっては憎い存在だ。

 それについて、学ぶ理由なんて――


「――ワタシには、先代の【魔王】様のお考えは分かりません。ただ、それだけは必ず為してほしいと、そのようにも仰っておられました」

「…………そう、か。分かった」


 俺は釈然としないながらも、その条件を呑むことにした。

 何故なら、その先代【魔王】のおかげで、俺の魂はここにある。ある意味、命を救われたに近いのだ。それならば、最期に願ったことくらいは、叶えてやらなければならないだろう。


 こちらの返答に、フーコは深々と頭を下げた。そして――


「ありがとう、ございます……」


 ――そう声を詰まらせながら、感謝の言葉を述べる。

 俺はその姿にどこか、胸の奥がモヤモヤとするのを感じた。しかし、この場でそのことを訊ねるのは無神経な気がしてしまい、俺は話を前に進めることにする。


「ところで、どうやって【人間】について学ぶんだ? 書物とか、か?」

「いいえ。その点については問題ありません――直接、スライ様を【人間】のいる場所へと転移させていただきます」

「え? ちょっと待ってくれよ。それって――」


 ――この、姿形のままでか?

 俺は思わず声を上げそうになったが、それを遮るようにしてフーコは言った。


「いえ。その点も問題ないでしょう――スライ様は、前世で【スライム】だったのですよね?」

「ん? あぁ、そうだけど……」


 こちらが首を傾げて答える。

 するとフーコは、どこか懐かしむようにこう続けた。


「先代の【魔王】様はどこまで見通しておられたのでしょうか――スライ様。アナタの魂には、【スライム】としての【能力スキル】が刻まれているはずなのです」

「【スライム】としての、【能力】……というと、【分裂】、【合体】、【変身】とか?」

「えぇ、そうです」


 俺がそれらを挙げると、フーコは首肯しつつそう言う。

 たしかに、それらは俺が生前に使えた【能力】だ。だけれども、俺の場合は――


「なぁ、悪いけど。俺は【魔力】が足りなくて、あまり成功しなかったんだよ」


 ――そう。そうなのだ。

 俺は前世の最期を思い出す。あの時の俺は、【魔力】が足りずに初歩中の初歩であるはずの【分裂】さえ使えなかった。その結果、いとも容易く勇者にやられてしまったわけだ。

 だが、フーコは俺の言葉に対して首を左右に振る。そして、こう言った。


「問題ありません。今のスライ様には、先代の【魔王】様の肉体、そして【魔力】があるのですから」

「えっ!? それって、どういうことだ?」


 俺は思わぬ言葉に、もう何度目か分からない驚きの声を発する。すると、そんな無知な俺にフーコは親切に説明をしてくれた。またもや中空に手を突っ込み、今度はホワイトボード――という名称らしい――を取り出して。


「先ほどからの話でお察しいただけると思いますが、【能力】というのは魂に由来します。問題はそれを想起できるか、思い出せるかどうかです。スライ様の場合は、記憶にあるので、すでにその点はクリアされていると考えられます」


 ――キュッキュ、と。

 ペンらしき何かで、ボードに可愛らしいイラストを描いていくフーコ。さらに文字も淡々とした口調とは裏腹に、丸っこいモノだった。


「それに対して、【魔力】とは肉体を器とし、それに依存します。すなわち現在のスライ様には先代の【魔王】様が残された遺産――膨大な【魔力】が残されているはずなのです」

「な、なるほど。ということは、つまり――」


 俺は答えにたどり着く。すると、フーコも首だけで振り返り小さくうなずいた。


「――今のスライ様は、【魔王】様としての肉体に加え、【魔力】、そして【スライム】としての【能力】を手にしている、ということです」

「おおぅ……!」


 なるほど、と納得がいくと同時に全身が震える。

 つまるところ今の俺は、甚大な【魔力】によって【分裂】、【合体】、【変身】、そしてその他諸々がほとんど【無限に使用可能】という状態、ということだ。それって、考えようによっては反則技――いわゆる【チート】ではないだろうか?


「……それで。話は戻るけど、要するに俺は【変身】して【人間】の中に紛れ込んで、奴らのことを学ぶ、ってことでいいのか?」


 ――と、そこでふと俺は元々の話を思い出す。

 そうだった。俺に与えられた第一の役割はそこだったのだ。

 俺がそう尋ねると、フーコは――おそらくは顎の位置――に手を当てて考え、こう答えた。


「いえ。とりあえずは【分裂】し、その分身を【変身】させ、送り込むこととしましょう」

「あぁ、なるほど。その手もあるのか」


 俺はフーコの意見に感服する。

 たしかに、城主が城を放り出して出かけるというのはリスクが大きいように思えた。その点は【分裂】および【変身】を用いればなるほど、解決する。


「分かった。それじゃあ、早速……っと」


 俺は目を閉じて、前世では滅多に成功しなかった【能力】を使ってみた。


 【分裂】――【成功】!

 続いて、その分身を【変身】――【成功】!


 ――じわり、と。

 【魔王】としての身体から、何かが溶け出すような感覚がした。次いで、そんな軽い虚脱感と共に、確固とした肉体が出来上がっていく。溶ける感覚を逆再生しているような、不思議な浮遊感。それを終えた時、目を開くとそこに立っていたのは――一人の【人間】だった。


 外見は一部を除き、極々平凡、といったらよいのだろうか。

 青い、眉にかかるほどの長さの髪。そして同色の瞳。顔立ちは成人した【人間】にしてはやや幼い。そして身にまとっているのは、上下共に黒色の衣服であった。とくに、これといったモデルはなかったので、おそらくこれは【人間】として生まれた場合の俺の姿――なのだろう。


「……? 成功、しましたね――スライ様」

「あぁ、でも……」


 フーコの言葉にうなずき返しながらも、俺には違和感があった。

 それは今ほど生み出した分身が、目を閉じたまま、動こうとしないことである。その俺の疑問を察したのか、フーコはこう考えを述べた。


「おそらくは、意識の主導権がまだ【魔王】様としてのアナタに残っているのでしょう。試しに、玉座にお座りになって目を閉じてみてください」


 そして、俺は言われるがままに玉座に腰かけ、目を閉じる。

 すると――


「――【転移】します」


 フーコが俺の胸に手を触れ、そう短く言葉を口にした。

 その直後である――


「――えっ? あれ……?」


 やけに重い目蓋を持ち上げると、俺の目の前にいるのはフーコと――【魔王】としての俺だった。玉座に腰かけたままの【魔王おれ】は、先ほどの【人間】としての俺のように、目を閉じたまま動かない。まるで眠っているかのようだった。


「俺、人間になってる……?」


 次いで自分の身体を確認する。

 それは、先ほどまで見ていた【人間】としての俺に相違ないようであった。


「【転移】――成功しました。これで、準備は整いましたね、スライ様」

「あ、あぁ。そうだな」


 なるほど。これが、フーコの【能力】らしい。

 おそらくは任意のモノを別の位置へ移動させる力――テレポート、のようなモノ。それはそれで反則級な【能力】にも思えた。――が、とりあえず今は置いておこう。


 少なくとも、このフーコから敵意は感じない。

 味方に間違いないのだから。


「それでは、続いては肉体の【転移】を行います。よろしいでしょうか?」

「あぁ、分かった――あ! そうだ。その前に一ついいか?」

「? どうされましたか?」


 俺はもうすでに【能力】を発動させたのであろう、赤い光を手から放つフーコにそう言った。すると、フーコは本当に不思議そうに首を傾げる仕草。

 そうだった。ずっと、忘れていたことがあった。


 だから俺は、改めてこう尋ねた。


「お前――名前は?」

「名前、ですか……?」


 するとフーコはここにきて初めて、驚いたような声を上げる。

 そして、しばし考え込み――


「――名前は、ありません。ですので、スライ様のお好きなように」


 そう答えた。だったら、もう遠慮なく呼ぶことが出来る。

 だから俺は、こう断言した。


「じゃあ、お前はこれからフーコだ! ――よろしくな、フーコ!」

「フー、コ? ……フーコ」


 赤い輝きが増す、その最中。

 フーコはまるで噛みしめるようにして、その名を繰り返す。そして、一際大きな輝きと、風が舞い上がったその時――


「――はいっ! ワタシは、フーコ! よろしくお願い致します、スライ様!」


 とても嬉しそうな、フーコの声が聞こえた。

 それはまるで、今になって初めて感情が宿ったかのような明るいモノ。

 風に煽られてフードがめくれ上がる。しかし、そこにあったフーコの顔はハッキリとは見えなかった。それでもどこか、俺の勘違いかもしれないけれど――



 ――彼女・・は、笑っていたように見えた。


◆◇◆


「スライくんっ、起きて! もうすぐ着くよっ!」

「ん? あ、あぁ――クリム、か……」


 そうして、今に至る。


 思い返しているうちに、どうやら眠ってしまっていたようだった。

 クリムに肩を揺すられて、俺の意識はだんだんと覚醒していく。ぼやけた視界も、次第にクリアなモノに変わっていった。すると一番に飛び込んできたのは、こちらの顔を覗き込む少女の満面の笑み。


「荷馬車で座ったまま寝るなんて、かなり疲れてたんだねっ!」


 クリムは俺が目を覚ましたことを確認すると、楽しげにそんなことを言った。

 そして隣に腰を下ろすと真っすぐに、どこまで歩いても果てしのない平原だった道の先を指差す。俺は目をこすりながら、示されるままにそこへ視線を向けた。

 すると、そこには――


「――……あっ!」


 小さな集落が、村が見えてきていた。

 それは本当に地平線の先に小さく。しかしはっきりと、その姿は視認できた。日の沈むその手前には、【人間】の営みが、確かにある。それに俺は思わず、感嘆の声を漏らしてしまった。

 すると、それをどういう意味に取ったのか。それは分からないが、クリムはさらに嬉しそうにこう言った。



「スライくんっ! ――ようこそ、アル村へっ!!」



 クリムは自然な流れで俺の手を取った。

 それは本当に自然に。まるで、古くから知る友人にそうするかのように。興奮した様子で、俺のことを心から歓迎してくれているみたいだった。

 だけど、俺には――


「――あぁ。ありがとう、クリム」


 そう答えながらも、どこか迷いがあった。

 そう。まだ知らぬ場所へと向かう期待と興奮、しかしそれと同時に不安があった。あるいは、それは恐怖心と言ってもいいのかもしれない。


 だが、しかし。

 これだけはハッキリとしていた。そう――


「ついに――始まるのか」



 ――今、この時。

 俺の、未知なる冒険の日々が始まったこと。



 そして、それはきっと、俺にとって大いなる一歩だったに違いなかった――


 

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