39 決戦

 それから数日後の、あと少しで夕暮れを迎えようかという頃。

 私とリコリヌは身を寄せ合うようにして、ゼングロウの森の茂みに息を潜めていた。


 私が構える単眼鏡の中では、退屈そうにアクビをする見張りゴブリンが映っている。

 もう少し待てば、ヤツらは見張りを残して酒盛りを始めるはず。


 最初は地下で乾杯して、しばらくすると千鳥足で地上に出てきて、明け方まで飲み明かすんだ。

 それが毎日偵察してわかった、ゴブリンたちがいちばん油断する時。


 こしゃくなことに全員が飲んだくれることはなくて、ふたつのグループに別れて一日おきにお酒を飲んでいるようだった。

 さすがに夜はみんなで寝静まるかなと思ったんだけど、これもやっぱり片方のグループが残って寝ずの番をしていた。


 ゴブリンたちは最弱モンスターとはいえ、頭はかなりいいのかもしれない。

 しかも最近はゼングロウの森から木を切り倒して、資材として運び込むようになった。


 どうやら私たちの家に本格的に住み着くつもりのようで、堤防や見張り台みたいなのを組みだしている。

 そんなのが完成してしまったら、攻め込むのはますます難しくなりそうなので、やるなら今しかない。


 私は「よし」とひとり頷くと、茂みの中で腹這いになったまま単眼鏡をしまう。

 ここまでは普段と同じ偵察なんだけど、今日は作戦を決行をするつもりだったので、いつもより緊張していた。


 この高鳴りがゴブリンたちに聞こえるんじゃないかとドキドキする。


 私のすぐ隣には、私と同じような姿勢をとる小さな仲間のリコリヌがいる。

 静かに目を閉じたまま、じーっとしていた。寝ているようにも見えなくもない。


 そして私たちから少し離れた後方には、これまたじーっとしている大きな仲間のアインがいた。

 身体じゅうに偽装用の葉っぱを貼り付けているので、生け垣みたいになっている。


 私は仲間たちの様子が変わりないことを確認して、「よし」ともう一度頷いた。

 そしておもむろに、小さいほうの仲間に顔を寄せる。


 黒い毛糸玉のような顔は動かないまま、耳だけこっちに向いて「聞いているよ」というフリをした。

 私はヒソヒソ声で囁きかける。


「リコリヌ、いい? これからアインを突っ込ませるから、あなたは援護にまわって、アインの背中を守るのよ?」


 もう何度も確認して練習してきたことだけど、私はなんだか不安で、念を押さずにはいられなかった。

 リコリヌのほうはうんざりした様子で、返事とアクビを混ぜたような「ニャファ~」とこっちまで力の抜けるような声を漏らした。


 ゴブリンの仲間かと思うほどにリラックスしている。戦いの前だってのにかなりの度胸だ。

 それとも、これからすることがよくわかってないのかな……。



 私が考えた作戦はこうだ。


 まずアインを敵のまっただ中に突っ込ませ、続いてリコリヌも行かせてふたりで大暴れさせる。

 これはオトリで、ゴブリンたちを全員地下からおびき出すのが目的だ。


 地下がもぬけの殻になったら、私がそのスキにこっそり地下に潜入して、必要なものをリュックに詰める。


 大事なものを取り返したあと、外の戦いが良いカンジだったら、私も混ざってゴブリンたちを全滅させる。

 もし悪かったら、アインを置いて私とリコリヌだけ逃げる。


 ……名付けて「大暴れしてると見せかけてこっそり奪い返し大作戦」。


 大暴れの要となるアインの強さは、家の番をしていたときにお墨付きだ。

 しかし、動く力の源である背中のゴーレムコアを攻撃されると、すぐに停止してしまう弱点があるのがわかった。


 コアはもともと金属のカバーで覆われてたみたいなんだけど、嵐で吹っ飛ばされたときに外れて無くなっちゃったみたい。

 いちおう木組みで覆ってはみたんだけど、あまり攻撃には耐えられそうにないんだよね。


 アインは力持ちだけど動きは鈍いので、相手がたくさんいると簡単に背中を取られちゃうだろう。

 すぐにコアを攻撃されて、あっという間に終わりだ。


 そこで素早い猫のリコリヌ、通称ネコリヌをつけてふたりで行動させることを考えた。

 攻撃はアインに任せて、背中を狙うヤツがいたらネコリヌが助けるという戦い方だ。


 この方法で敵をぜんぶ倒せればいいんだけど、倒せなかった場合はマズい。

 逃げなきゃいけないことになったら、足の遅いアインを連れては逃げられないので、置き去りにするしかなくなる。


 そうなると、こっちは貴重な戦力を失うことになってしまう。

 ただ失うだけになるのは嫌だったので、私が地下に忍び込んで大事なものを取り返すことを考えた。


 アインと釣り合うかどうかはわからないけど、地下にはいろいろ役立つものがある。パパとママとの思い出の品、みんなで写った真写がある。

 それらを持ち帰ることができれば、たとえ勝てなかったとしても次に繋げられる気がするんだ。



 ……これが、私の考えた作戦のすべて。


 もちろん他にも手はあった。

 たとえば私が地下に行くのをナシにして、敵を全滅させることに戦力を集中してはどうかとも考えた。


 しかしこれだと、どちらかが逃げ出すか全滅するまで戦うことになり、もし負けてしまったら何も手に入らずにアインを失うだけになってしまう。

 失うのがアインだけならまだいいけど、最悪は……。


 私はいろいろ悩んだうえで今の作戦に決めたんだけど、こうして決行する直前になってもまだ割り切れずにいた。

 茂みの中に閉じこもったまま、本当にこれでいいんだろうか、と頭をかきむしり、草の地面に突っ伏す。


 考えはまとまってるんだけど、やるだけの勇気がない。

 思い立ったらすぐやるのが私のいいところだったのに、なんだか泥沼に足を取られたみたいに気持ちが前に行かない。


 こんな気持ちになるのは初めてだ。でも、理由はなんとなくわかってる。

 失敗したら失うものが多いから、きっと怖くなっちゃったんだ。


 これまで私はいろんな大切なものを失い、そして失いかけて、無くすことの怖さを知ってしまった。

 無くなるのが自分だけならまだしも、それがリコリヌだったりしたら……私は自分を抑えられる自信がない。


 ……やっぱり……やめちゃおっかなぁ……。

 でも、ここでやめちゃったら、ますます戦いにくくなっちゃうだろうな……。


 でも、なぁ……やるといっても、他にいい手も思いつきそうにないし……。

 うぅ、どうしよっかなぁ……。


 呻きながらふと顔をあげると、黒いデイジーの花みたいなのが、どアップであった。


「わぁ、なにこれ?」


 一瞬なんだかわからなくてびっくりしちゃったけど、すぐにそれがリコリヌのお尻だと気付く。


 私の顔にお尻を向けていたリコリヌは、長い尻尾を鞭のように振りまわした。

 まるで叩き起こそうとしているみたいに私の頬をピシピシとやりだす。


「あうっ、いたたたた、私は寝てたわけじゃないよ、ちょっと考え事をしてただけだよ、だからやめてリコリヌ」


 でもリコリヌはやめてくれない。

 こ、これじゃまる雪山で遭難して、眠りそうになったところを弟から「しっかりしろ」って往復ビンタされてるみたいじゃないか。


 と思って、ハッとなった。

 そっか……私は何を悩んでたんだろう。これは、あの時と同じだ。

 ふたりでサセットバの村に行ったのと、同じじゃないか。


 私がリコリヌと一緒に、初めて成し遂げた冒険。

 あの時の私は、リコリヌと一緒ならどこへでも行けて、なんでもできる気がした。


 そうだ、そうなんだ。これも私とリコリヌの冒険じゃないか。

 弱っちいゴブリンなんかには、ぜったいに止められない冒険。


 だって私たちは、どこへでも行けて、なんでもできる、最強の姉弟コンビなんだから……!


「……よしっ、やろう」


 私がそう口にすると、尻尾ビンタは止まった。


 弟はくるんと身体をこちらに向けて、今度は私の頬に頭突きをしてきた。

 日向ぼっこが好きな弟の頭は、太陽をいっぱい浴びた干したての布団みたいなニオイがした。

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