36 襲来

 私は直感していた。きっとリコリヌも直感していたに違いない。


 あの影は悪いヤツらだ。村の人たちじゃない。ましてやパパやママなんかじゃ絶対にない。

 毒蛇や毒蜘蛛のような、教えられなくても危険だとわかる、害なすヤツらのような気がした。


 私はリコリヌをなだめると、人影に気づかれないようにそーっと、側にあった茂みの中に身を潜める。

 そしてサセットバの村で借りてきた単眼鏡を取り出し、伸ばした先っちょだけ茂みの外に出して様子を伺ってみた。


 人影は複数、それも十以上あった。

 どれも肌が緑色で、明らかに人間ではないようだった。


 身体つきは大人よりは小さいようだけど、私よりは頭ひとつ分くらい高そうだ。その頭はツルツルで、コウモリの羽根みたいな大きな耳が生えている。

 左右の耳の付け根どうしが繋がってるみたいに裂けた口があって、黄色く汚れた牙が生えている。


 身につけている服は拾ったボロ布みたいにみすぼらしい。

 腰にはベルトがわりのチェーンを巻き、武器がわりの包丁をぶらさげていた。靴は木靴っぽい。


 パッと見た感じ、貧乏な悪魔みたいな見た目だった。

 あれは、もしかして……ゴブリン? 絵本でみたヤツとそっくりだ。


 ゴブリンは人型のモンスターで、絵本でもよくやられ役として登場する、

 弱っちいモンスターといえばコイツ、みたいなヤツだ。


 パパから聞いた話だけど、ゴブリンはいたるところにいるモンスターらしくて、まるでゴキブリみたいだと言っていた。

 パパはそんなゴブリンを何千匹という単位で倒してきたらしい。


 私もゴキブリだったらいっぱい倒してきた。台所にたまに出るんだけど、おっとりしてるママがこの時ばかりは悲鳴をあげるからすぐにわかるんだ。

 そしたら飛んでいって、やっつけてやるのが私とリコリヌの仕事だったりする。


 たとえゴブリンが出てきても同じように退治してやるつもりでいたんだけど、家のまわりにはゴブリンどころか、モンスターの気配すらなかった。


 出てきてほしいとは思ってたんだけど……でも、何もこんなときに、あんなにいっぱい出てこなくてもいいのに。

 ゴキブリも一匹ずつ出るんだから、せめて一匹だけにしてほしかった。


 他にゴブリンについて知っている事といえば、とても残酷な性格だということだ。

 それは夕食後にみんなで暖炉を囲んでいるときに、パパが教えてくれたんだ。



 私はロッキングチェアの上でママに抱っこされてたんだけど、パパの話にガマンできなくなって足をバタつかせた。


「私もパパみたいにゴブリンと戦いたーい! どこにいけばいるの?」


 椅子が前後に傾いて、私の膝の上で丸まっていたリコリヌが迷惑そうにフミーと鳴く。

 隣のソファにいたパパは、揺れるチェアを手で止めて苦笑する。


「さっきはいたるところにいるって言ったけど、このあたりにはいないな。というか、モンスターがいないから、パパはここに家を建てることにしたんだよ。それにルクシーじゃまだゴブリンにはかなわないよ」


 私はぷくっと頬を膨らませたあと、すぐに言い返す。


「むーっ、そんなことない! パパから習った剣術があればイチコロだよ!」


「いいか、ルクシー、ゴブリンは弱いけど油断ならない奴らだ。放っとくと大勢集まってきて群れになって、村や人を襲いだすんだ。弱いくせに性格は残酷で、人間もすぐには殺さずに弱らせて苦しめながら、じわじわとなぶり殺しにするんだ」


 パパは言いながら、ソファから身を乗り出し、


「特にルクシーみたいな子供は捕まったら大変だぞ、こーんな裂けた口で、噛みつかれちゃうんだ」


 口の端を指でつまんで引っ張りながら、大口を開けて私を脅かした。


「怖くないもん、そんなの噛みかえしてやるんだから!」


 膝の上にいたリコリヌを脇抱っこしてパパに突き付けると、リコリヌは顔の半分くらいが口になるほどの大アクビをした。

 私も負けじと顎が外れんばかりに口をがおっと開く。


「ルクシー、それだけじゃないぞ、ゴブリンは子供を捕まえて奴隷にするんだ。目玉をくり抜いて何もかも見えなくして、逃げられないようにして死ぬまでこき使うんだ」


「へへ、それもへっちゃらだよ! ゴブリンなんて何匹いてもリコリヌと一緒に全部倒してやるんだから!」


 私は本当に平気だったんだけど、ママは怖くなったのかギュッと私とリコリヌを抱き締めてきた。


「も、もうっ、パパ、そんな怖い話しないで」


「安心してママ、ゴブリンが来てもゴキブリみたいに私が追い払ってあげるから!」


 震えるママの頬を、私とリコリヌで挟むようにして頬ずりすると、すぐにふふ、と笑ってくれた。

 パパも仲間に入りたくなったのか、ソファから立ち上がって大きな腕を広げ、ママごと私とリコリヌを包み込む。


 真似して頬をくっつけようとしてくるパパの髭がくすぐったくて、私とママはふたりでクスクス笑った。



 ……食後はいつも暖炉の前で、こんな風に家族みんなでおしゃべりしてたんだ。


 いつもパパが武勇伝を話してくれて、ママがたまに相槌を入れて、私はそれをかぶりつくようにして聞いていた。

 忘れもしない楽しいひとときだった。


 その思い出の詰まった家はもうないけど、跡地ですらゴブリンたちに踏み荒らされるいわれはない。

 しかもゴブリンたちは、私が作っておいたゴハンを勝手に食い荒らしていた。


 お酒を飲んでいるのかふらつきながら暴れまわって、私が苦労して作った干し肉台から肉を取って、かぶりつきながら蹴りを入れて台を壊していた。

 それだけならまだしも、地下からいろいろ持ち出して、そこら中にぶちまけている。


 畑のほうには人影がなかったので無事かなと思ったけど、すでにメチャクチャにされた後だった。

 ジャガイモの蔓は引きずり出され、キャベツは踏み荒らされてバラバラになっている。


「くっ……!」


 私は唇を噛む。

 怒りのあまり、単眼鏡を叩きつけそうになってしまう。


 パパとママが残してくれた私の居場所なのに、好き放題に荒らされてしまった。

 悔しくて悔しくて、腹の底が溶岩になったみたいにグツグツ煮えたぎって、口から噴火したい気分だった。


 今すぐに殴り込みに行きたくなったけど、グッとこらえる。

 ……「いからない」「あわてない」「むりしない」だ。


 いくら弱っちいとはいえ、相手はモンスター。相手の強さもわからないうちに突っ込んでいって、クマのときみたいに返り討ちにあうわけにはいかない。

 しっかりと準備をしてから戦いを挑むんだ。


「いこう、リコリヌ」


 私は火照る身体のままそっと立ち上がり、帰り道を逆戻りしてその場を離れた。

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