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 家に戻ってから、本にある「ウサギの捌き方」にならってウサギから肉を取り出す作業にとりかかる。

 まずはウサギを捌きやすいように、高いところからロープで吊るすらしいんだけど、最初はその場所探しからだった。


 家の近くを流れている小川に、物干し台がわりに使っている低木があるのを思い出したので、そこを使うことにする。

 いつもは洗濯物を干している枝にロープを引っ掛け、獲ってきたウサギの足を縛って吊るした。


 準備ができたら、次は血抜きというのをやる。

 逆さ吊りにしたウサギの首筋にナイフを当て、本の図解どおりの位置を狙って突き立てる。金属の刃を通してぐにっとした肉の感触があった。


 そのままナイフを動かして、首まわりにぐるっと一周させる。

 柔らかいものが裂けていく感触とともに、濡れた雑巾を絞ったみたいに血が勢いよく流れ出た。


 ウサギの顔が、瞳と同じような赤に染まる。

 長い耳を伝ってボタボタと滴り落ちた液体は、すぐ下の緑々しい草に夕立ちのように降りそそぎ、葉にどす赤い斑点を残した。


 それから、皮を剥がす。


 ウサギの喉のあたりにナイフを少し強めに押し当てて、まっすぐなぞるように、股のあたりまで動かす。

 布を引き裂くような感触、そして破けるような音とともに皮がふたつに分かれ、お腹がパックリと開いた。


 開いた傷口に両手の指を差し入れて、建て付けの悪い両開きの引き戸を開けるみたいに力いっぱい押し広げる。

 強いノリで張り付いた紙みたいに、ベリベリと剥がれた。


 生皮は最初のうちはところどころで引っかかったので、間にナイフを差し込んで、くっついた筋を切りつつ剥いでいった。

 じょじょに引っかかりがなくなり、だんだん力もいらなくなって、最後は服を脱がすみたいにずるりと脱皮した。


 中から出てきたのは、早く生まれ過ぎた赤ちゃんみたいな、ピンク色の肉だった。

 血まみれになっていたのでいったんロープから外し、小川で洗ってからまた吊り下げる。


 お腹のあたりに慎重にナイフを入れて切り裂くと、中にはアンチョビ漬けみたいなどろっとしたものが詰まっていた。内臓だ。


 指を突っ込んで引っ張ってみると、本物のアンチョビみたいなヌルッした感触とともに垂れ出る。

 傷つけないように注意しながら、お腹の中から掻き出す。


 途中でブチッと音がして、潰してしまったことに気づいた。

 指を抜くと血が飛び出して、私の顔と服が赤黒く染まった。


 しかし私は手を止めずに、作業を続ける。

 最後に首を切り落とそうとしたんだけど、骨が固くて何度もナイフでギコギコやった。まるで固い木を切っているみたいな感触だった。


 首が無くなると、ウサギはウサギというより、肉の塊のような見た目になった。

 再び川の水で洗ったあと、平らな岩の上に置いて、ナイフを使って小さく切り分ける。


 そうして……さっきまで無邪気に飛び回っていたウサギは、私の手によって、完全に肉の塊となった。


 私はなぜか、顎がズキズキと疼いていた。

 作業している最中、ずっと歯を食いしばっていたからだと気付く。


 顔も身体も返り血まみれになっていた。小川の水で血を落していると、手が傷だらけになっているのに気付いた。

 作業の途中で手を切ってしまったんだろう、それも何度も。


 夢中で全然気が付かなかったけど、リコリヌに舐めて治してもらった。

 その最中、剥がした毛皮が落ちているのに気付いたので、拾い上げて洗った。


 ウサギの服を枝に干し終えたあと、私はへたりこむ。

 ポタポタ垂れ落ちる水滴をぼんやり眺めながら、しばらく放心していた。



 その日の夕方、私は出来て間もない肉を持って家の跡地にいた。


 串に刺した肉を、準備を終えた焚火のまわりに立てかける。

 私の足元に擦り寄っていた黒猫を抱っこして、呪文を唱えた。


「暖炉の宿りびとよ、今宵一晩の恩義のため、その力を貸したまえ……ルーイ・ルーイ・フレイル」


 猫手を握って印を描き、枯葉に向ける。

 小さな爆発が起こったみたいに勢いよく火の手があがった。


 うーん、ママのおさがりだったマジックワンドに比べると、リコリヌの手のほうが火の勢いがずっといい。さすが伝説の魔法触媒の材料だけある。


 同じ火をつけるにしても、マッチよりもワンド、ワンドよりもリコリヌのほうが気持ちがいい気がする。

 こうして薪に火をつけるのも久しぶりだからなおさらだ。


 ここしばらくはキノコのみを焼いていた。

 焼きキノコはあまり火力が要らないので、枯葉のみを燃やしてたんだ。枯葉はあんまり燃やし甲斐がないんだよね。


 でもようやく肉が手に入った。

 肉を焼くならやっぱり薪だろうと思い、倉庫にストックしていたのを引っ張り出してきて、久しぶりに火つけにチャレンジしたんだ。


 この前マッチでやった時には全然ダメだったので、ちょっと心配だったんだけど、魔法だと一発で燃えてくれた。

 でも、もしかしたら、同じ魔法でもワンドだと無理だったかもしれない。


 リコリヌだと、魔力が薪の芯で弾けるみたいにボンと発火するので、マッチでは全然相手にならなかった薪も簡単に燃やせるみたい。

 まさにリコリヌ様々、魔法様々だ。


 魔法様々といえば……もうひとつ、無くして不便さを感じたものがある。


 家の台所には、ママの氷結魔法が封じ込められたアイスボックスがあって、そこに生肉とかを保存してた。

 私のスパークリングジュースやアイスクリームも冷たいままにしてくれるスグレモノだったんだ。


 でも、今はそんな便利なものはどこにもないので、肉の保存はどうしようか悩んだ。


 本によると、燻製にすれば日持ちするらしい。

 しかし設備が必要みたいですぐには作れそうもなかった。でもそれらの設備が必要になる手前あたりまで下準備をすれば、干し肉ができるらしい。


 ウサギを捌いたあと、ついでに干し肉作りまでやっちゃおうかと思ったんだけど……今日の私はいろいろやり過ぎて疲れていたので、途中にイヤになって止めてしまった。


 お腹もペコペコだったので干し肉作りは明日に回して、少し早い夕食にすることにしたんだ。


 火は魔法のおかげで問題なく起こせた。でも、肉を焼くのは初めてだった。

 自分で焼いてみてわかったんだけど、肉ってどのくらい焼けば食べられるようになるのかかりにくくて、途中で齧ってみては生で、また火に戻すというのを繰り返した。


 そしていろいろあったけど、本当にいろいろあったけど……私はようやく、待ちに待った肉を口にすることができた。


 最初のひと口は、震えるほどおいしかった。


 もしかしたら、ちょっと生だったかもしれない。

 それに捌き方が下手だったのか、臭みが強かった。

 味付けも塩だけで、他にはなんにもない。


 でも……今の私にとっては、何よりもごちそうだった。


 テーブルに座れば当たり前のように調理された肉が出てきて、それは当たり前のように私の食べる分だった。

 それを当たり前のように私は食べて、当たり前のように嫌いなのは残したり、食べきれない分はもういらないと言って残していた。


 だけどそんなのは全然当たり前じゃなかった。

 当たり前のように食べられて、捨てられる物なんてこの世になにひとつ無いんだ。


 みんな必死に逃げて、捕まっても暴れまくって、身体が動かなくなるまで抵抗して、最後の最後まで生きようとした「生命」なんだ。


 それから私は、ウサギの肉を骨までしゃぶって食べた。


 骨も食べようかと思ったけど歯が立たなかったので、洗って、毛皮と一緒に干した。

 残った生肉を風通しのいい所に置いたあと、疲れきっていたのでそのあとすぐ床についた。


 布団の中でリコリヌを抱きしめながら、奪った生命の分だけ強くなってやる、と誓い、瞼を閉じた。

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