25
もしかしたら追ってこないかも、とちょっと期待したんだけど、相手にそんな気は微塵もないようだった。
すぐに背後から、突き上げるような地響きが追い立ててくる。
まるで、転がってくる大岩から逃げているような気分だった。
追いつかれたらたちどころにペチャンコになっちゃうような、有無を言わせぬ圧力……!
恐怖のあまりどこを走っているかもわからず、デタラメに逃げまくった。
あの巨体が回り込まないと通れなそうな、狭い木の下とかくぐってみたけど、おかまいないしにへし折ってまっすぐに進んでくる。
なんかズルい、鬼ごっこのルールは守ってよぉっ……!
しかし抗議したところで聞いてくれそうもない。
問答無用に、太鼓をドコンドコン叩くような、低くて重い足音が迫ってくる。
大砲みたいに発せられた咆哮が耳にかじりついてきて、生きた心地がしなかった。
キノコで死にかけたのとは違うタイプの、命を奪われる恐怖にさいなまれる。
自分よりも何倍もでっかいヤツに追っかけられまくる恐怖。絶対に許してもらえなさそうな恐怖。ちょっとでも転んだら追いつかれちゃうミスできない恐怖。ずっとこのままなのかと思う終わらない恐怖。
怖くて怖くて、全身の血が凍っちゃったみたいに身体がうまく動かないのに、でも動かさなきゃいけない……動かさなきゃ殺されちゃう!
……もしかしてこれが、狩られる者の恐怖!? 猫のリコリヌに追いかけられているネズミって、こんな気持ちだったんだっ!
アレコレ考えているうちに背後に気配を感じたので、足を止めずに首だけ後ろに捻ってみると、飲み込む直前の高波みたいに覆い被さろうとするクマがいた。
私の顔の倍くらいある、大きな手を振り下ろそうとしているところだった。
ぶっとい鉄杭みたいな爪が並んだ、
「うわあああああああっ!?」
それだけは絶対になるものかと、おもいっきり踏み切って大ジャンプ。
なんとか逃れられたかと思ったけど……背中の肉が抉れるような激痛が追いすがってきた。
「ぎゃあっ!」
肺から絞り出したような悲鳴とともに前のめりに倒れ、勢いあまって藪の中にゴロゴロと転がる。
幸運というか不運というか、藪を抜けた先には地面がなかった。
「うわああああああーーーーーーーーーーーっ!?」
痛みの悲鳴に続き、息つく暇もなく転落の絶叫をあげ、ほぼ垂直の急斜面を落ちていく。
ところどころ岩が突き出ている崖を、転げながら落ちたものだから、身体じゅうを袋叩きにされているみたいにあちこちが痛んだ。
顔面でも受け止めて目から火花が出た。
そして麓のあたりで、待ち構えていた岩にトドメとばかりに背中を打ちつけてしまい、さらに傷を抉られてしまった。
激痛のあまり息ができなくなる。
無理な運動による疲れと、想像を絶する痛みと、うまく呼吸ができない苦しさ。
かつてない苦痛を続けざまに受けた私の意識は、どこかに飛んでいくのにそれほど時間はかからなかった。
次に気がつくと、私は落ちた時と同じ場所に、同じ格好で倒れていた。
夕焼けに照らされていて、あたりは流れ出した私の血で染め上げたみたいにどす赤かった。
気を失っていたのはほんのわずかな間だけのような気がしたので、一瞬にして時が過ぎてしまったみたいに感じる。
顔だけ動かしてまわりの様子を見てみると、私はどうやら崖に囲まれた窪地のような場所に落ち込んでいることがわかった。
急斜面に囲まれて袋小路のようになっていて、足を向けている奥のほうには唯一、ここから出入りできそうな割れ目がある。
崖を落ちたのはこれで二度目だけど、以前の真新しい地割れとは違ってこちらは草木が生えているので、かなり古くからある窪みのようだ。
あれほど追っかけてきていたクマの姿はどこにも見当たらない。
私は長いあいだ気を失っていたのに、まだ生きている。
ということは、アイツはあきらめてくれたのかな?
立ち上がろうとしたけど、できなかった。どうやら骨が折れているらしい。
身体を少し動かしただけなのに、口からいろんなものが飛び出してきそうな激痛が走る。
立つのを嫌がるように、足がガクガク痙攣しはじめる。
動くのを全身で拒絶するみたいに、引いたはずの汗がまたドッと出てきた。
ヤバい……立つどころか、起き上がることすらできない……!
でも早くここから離れて家に帰らないと……ここがどこかもわからないから、夜になる前に帰らないとマズいのに……!
くっ……武器を見つけたからって、調子に乗っちゃったのがいけなかったんだ……弓ならいけると思って「泣いた青虫」をすっかり忘れてた……。
ああ、もうっ、バカ、バカ、バカ……!
パパの教えを忘れてクマなんかに挑んで……あっさりやられちゃってこのザマ……!
ああ、いくら悔やんでも足りない。足りないけど……クヨクヨするのは後回しにしなきゃ。
このまま死んじゃったら。オバケになっても後悔したまんまになっちゃうよ。
それよりも、生きて帰るためにはどうすればいいのかを考えなきゃ。
……このままじっとしていたら、いつか動けるようになるのかな。
折れた骨って、じっとしてたら元通りになるのかなぁ。
それともがんばって動いたほうがいいのかな。
いま動かせそうなのは頭と手くらいだ。
他は動かそうとしても動かないか、動かしただけでイーって歯を剥きたくなるほど痛いかのどっちかだ。
考えていると顔が火照ってきたので、手で触ってみたら血がいっぱいついていた。
鼻に触ると倍くらいに腫れ上がっていて、鼻血がこんこんと湧いていた。ちょっと触っただけでギーって歯噛みをしたくなるくらい痛い。
ああっ、いまどんな顔になってるんだろう、きっとメチャクチャな顔になってるんだろうな。
口の中も、鉄臭くて生ぬるい液体でいっぱいだなと思ったけど、どこもかしこも血だらけになってるみたいだ。
ゲホッとむせたら、赤い液体が噴水みたいに口から飛び出た。
血の雨となって顔に降りそそぐ。
ああ、もう、目に入っちゃった。
見てるものまで赤くなってきちゃったよ……ただでさえ夕日で真っ赤っ赤なのに、これ以上赤くしてどうするの。
もうヤケになって、寝たまま握り拳を作って地面を叩くと、ぱしゃっと飛沫があがった。
血だまりだ。私が流した血が、水たまりみたいになってる……。
そうか、背中か。背中を引っかかれたときの傷から、いっぱい出てるんだ……。
触っても血、吐くのも血、見えるのも血……。
なんだろう、血、血、血……血ばっかりじゃないか……。
滲んだ夕焼けを眺めているみたいに、だんだんぼんやりしていく頭でそんなことを考えていると……ゴアッと鳴き声がした。
耳にこびりついて離れないその声は……忘れもしない、アイツの声だった。
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