24
家から北側にある「ゼングロウの森」はその名のとおりパパの手がだいぶ入っていて、森というより大きな庭のような感じだ。
でも家から南側にある「スペットの森」はかなり鬱蒼としている。
獣道も狭くて歩きにくいし、そこらじゅうで動物……ウサギやリス、シカとかが行き交う姿が見える。
動物たちは近づいただけで怯えたように逃げてくんだけど、なんだか脅かしてるみたいで気の毒に思えた。
でも同時に、私がすごく強くなったような気分にもなって、勇者様のお通りだい、とズンズンと歩いていった。
しばらくしてスペット爺さんの山小屋が見えたんだけど、まるで隕石でも降った後みたいに無残な形になっていた。
「スペット爺さん!?」
名前を呼びながら小屋のまわりにある庭を突っ切り、高床になっている階段をあがって慌てて玄関に駆け込む。
小屋の屋根も扉も無くなっていたので、中には入り放題だった。
しかも、壁も倒れ家具すらも残っていない室内は、入口の時点でもぬけの殻だとわかるほどに見通しよく、どこも念入りに壊れていた。
ああ、なんてひどい。やっぱり、あの夜の嵐でこんなになっちゃったんだろうか?
……でも変だ、家がこんなになってるなら外の森もメチャクチャになってなきゃおかしい。
道すがらの森は多少は荒れていたけど、ここまで酷くはなかった。
うちが飛ばされた時と同じような違和感を感じたんだけど、いくら考えても答えは出なかった。
しょうがないので、家の中をもっとよく調べてみることにする。
かつて扉であったろうものを踏みしめ、奥へと足を踏み入れる。
かつて家具であったであろう瓦礫の下も覗き込んでみたけど、ペチャンコになっている人の姿がなくてホッとした。
ふと、残骸となったクローゼットの下から弓を見つけた。
狩猟用の複合弓だ。
これはスペット爺さんが使ってたやつだ、私も使わせてもらってたから間違いない。
近くに弦と、矢の詰まった矢筒も落ちている。
スペット爺さんは、自分の商売道具である弓は誰にも触らせないと言っていた。
でも私だけは触っても怒られなかった。それどころか、この弓でよく射ち方を教えてくれたんだ。
私は弓術をパパだけじゃなく、スペット爺さんにも教わっていたので、弓の腕前にはちょっと自信がある。
狩りとかはまだしたことがないんだけど、木に掛けた的には百発百中。私には才能があるって、ふたりの先生から褒められるほどだったんだ。
……この弓、借りちゃおっかな。スペット爺さんは、私ならいつでも使っていいって言ってくれてたし……ちょっとだけならいいよね?
そう自分に言い聞かせて、弓を手にする。
弦を私の力に合わせた張りにして、軽く指で弾く。
ビィンとしなる弦にあわせて、背筋がゾクゾク震えたような気がした。
……うんっ! 久しぶりだけど、これ、いいかも!
うちの地下室にはいろいろ便利なものが詰まってたけど、武器だけはなかったから、これはちょうどいいかもしれない。
なんたって、私にとって使い慣れているという点がポイント大だ。
家事や木こり仕事はどれもイマイチだったけど、剣と弓はずっと練習してたからお手のもの。狩りとかやればバッチリうまくいくはず。
こうして弓を構えているだけでも、見世物小屋から故郷の海に戻った人魚みたいな気分になって、恐いものなんか無くなってくる。
よぉし、家に戻ってさっそく射ってみよう。
私はワクワクしながらスペット爺さんの家を出た。
……出たところで、外に大きな影があることに気づく。
荒れた庭の片隅で、大岩みたいな毛玉がモゾモゾしていた。茶色い毛むくじゃらの身体を持つ大きな獣……クマだ。
今まで遠巻きでなら、何度か見かけたことのある存在。
その時は豆粒くらい小さかったんだけど、こんなに近く、目を閉じて石を投げても絶対に外さないくらいの距離で見たのは初めてだ。
身体は屈めているようなんだけど、大きなパパよりもずっと大きい。
確かパパは、森でクマを見かけたら、気づかれる前に逃げろと言っていた。
クマは庭にできた水たまりの前で屈んでいて、水を飲んでいるようだった。
私は高床の上にいるので見おろしているんだけど、まだこちらには気付いてなさそうだ。
逃げるなら今だ。
今しかないんだけど……ちょっと待てよ。
今の私には弓という武器があるじゃないか。うまくやればコイツでアイツを仕留められるかもしれない。
そしたら、クマの肉が食べられるかも……!?
たまにスペット爺さんが持ってきてくれるクマ肉は、ちょっとくせがあるんだけど、私の大好きなビーフに近い味でおいしいんだ。
かつて食べたクマ肉の煮込みを思い出すと、生唾が出てきてゴクリと喉が鳴る。
最近の食べ物といえば、キノコと木の実ばっかりだったから……肉が恋しい。
キノコと木の実も悪くないんだけど、食べた感がなくてなんか物足りないんだよね。
もっとエネルギーが湧いてくるようなものを食べなきゃやってられない……そう、ビーフの肉みたいな……!
そうだ、ためらうことなんかあるもんか。私は勇者の娘じゃないか。
普段から弓の練習をしてたのは何のためなんだ。いまがその成果を試すチャンスじゃないか。
なにもかもうまくできなかった私が唯一、うまくできることじゃないか……!
よしっ! と決意する。
弓を構えつつ矢をつがえ、まだ水を飲んでいるクマに向けた。
スペット爺さんから、クマの弱点は眉間だと聞いたことがある。
そこを一発で射抜ければ、イケるはず……!
ギリギリと弦を引き絞りつつ息を吸い込み、じゅうぶんに引いたところで息を止める。
いまだ無防備に伏せている巨体。
その先端で、ピチャピチャと音と波紋をたてている口。
それより少し上にある、長い鼻筋に矢の切っ先を合わせて……矢羽を離す。
勢いよく射ち放たれた矢は、風を切り裂きながら一直線に進んでいく。
飛び先には、大きな顔のわりにつぶらなふたつの瞳があって、ちょうどその隙間にストンと突き立った。
クマは、ゴアッ! と弾かれたようにのけぞる。
やったか!? と身を乗り出してみたけど、刺さった矢はすぐにはたき落とされてしまった。
眉間は確かに捉えてたんだけど、厚い毛皮に阻まれて致命傷にはならなかったようだ。
それどころか毛だらけの顔にわずかに血を滲ませるだけで終わってしまった。
クマは舌をしまうのも忘れてこちらに顔を向け、すぐに私の姿を見つけた。隠れる間も、とぼける間もなかった。
ちょっと可愛いかなと思っていた顔に面影はなく、殺す気しか残っていないような猛獣の顔つきになっている。
直後、狂犬のように舌をはみ出させたまま、猛然と四つ足で迫ってきた。
でかい身体なのでひと足ごとにドシンドシンまわりが揺れて、ここまで振動が伝わってくる。
しかもノロそうな身体のくせに動きが素早くて、あっという間に側まで近づいてきた。
私は思わず飛び上がり、心臓が胸を突き破るかと思うほど仰天してしまう。
「……うわっ!? や……やばっ!?」
反撃する気は全く起こらなかった。
それよりも早く逃げなきゃ、と高床から飛び降り、クマに背を向けて一目散に走り出した。
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