21
「り……リコリヌ? リコリヌ!? やだっ、死なないで! 死んじゃやだ! やだっ、やだっ、やだあ! あなたまでいなくなっちゃったら、私、どうすればいいの!? お願い、私をひとりにしないで……!」
しかし途中で気付いて揺さぶる手を止め、出そうになった絶叫をゴクリと飲み込む。
な……何度言ったらわかるんだ! 泣いても何の解決にもならないって!
わめいてるヒマがあったら最後まであがくことを考えるんだっ!
顔をブルンブルン振って、弱い心を払いのける。
立ち上がると膝が勝手にガタガタ震えだしたので、殴りつけて止めた。
進んでいた方角の壁に近づいて、見上げてみる。
ガケみたいな土の壁は、二階建てのうちの家くらいの高さがあった。
ところどころに太い根っこのようなものが伸び出していたので、それを掴んで登ってみることにした。
私は猫のリコリヌにも負けないくらい木登りが得意なので、手がかりさえあれば壁だってへっちゃらだ。
途中で根のない所もあったけど、土に爪を立てるようにして登った。
土は思ったより固くて、指先が血豆だらけになったみたいに赤く腫れ上がった。
痛い。焼けた砂利に指を突っ込んでるみたいだ。
痛みをこらえるために歯を食いしばる。歯が軋んでギリギリ音をたて、こめかみもズキズキした。
それでも構わず奥歯を噛みしめて、根っこに向かって手を伸ばす。
ようやく掴んだ木の根、しかし力を込めた瞬間ズルリと抜けてしまった。
そのまま身体ごと落下、背中をしたたかに打ちつけてしまい息ができなくなる。
もう、地面にくっついたみたいに身体は動かなかった。
でも、無理矢理に引き剥がすようにして立ち上がり、再び登る。
「あ……あきらめるか……あきらめてたまるかっ……あきらめるもんかぁっ!」
ここでくじけたら完全に終わり、もう二度と立ち上がれない。
だから意識を繋ぎ止めるように声を張り上げた。
最後は言葉にならなくて、わぁわぁと絶叫していた。
あきらめてたまるかと思うたび、頭の中にパパの顔が浮かんできた。
パパは全身を水浸しにして、私を見おろしていた。
「ルクシー、なぜリコリヌが助かったか、わかるかい?」
川からあがったばかりのパパは、身体のあちこちから雫を滴らせていた。
私は胸の中でミーミーと鳴く、濡れそぼったリコリヌを抱きしめたまま顔をあげる。
「ぱ、パパが……パパが助けてくれたから……?」
しゃくりあげながら答えると、パパはゆっくり頷いた。
「そうだ、パパはママと一緒に助けてきた。人も、動物も、いくつもの命を救ってきたんだ。小さい頃のルクシーも、パパとママで助けたんだ」
私は涙を拭って頷いた。
「うんっ! 私もパパやママみたいになる! 人や動物をいっぱい、いっぱい助けたい!」
「偉いぞルクシー、パパやママみたいになりたければ、ひとつだけ覚えておいてくれないか?」
パパはしゃがみこんで私の頬に触れる。
ごつごつしているパパの手は、濡れていても温かかった。
「七転八起、なにがあってもあきらめるな。あきらめなければ命は助かるんだ。パパはあきらめずにルクシーを探した。だからこそリコリヌを助けられたんだ。そしてルクシー、お前が叫んでくれたからこそ、パパはルクシーを見つけられたんだ」
私は必死になって、川を流されていくリコリヌ追いかけたけど、追いつけなくて転んでしまった。
リコリヌが死んじゃうとわぁわぁ泣いていたら、パパが来てくれたんだ。
「もしルクシーが叫ぶのをやめていたら、パパはルクシーを見つけられなかったかもしれない。この意味がわかるかい? どんな大変なときでもあきらめちゃダメだってことが」
やさしい、でも力強いパパの言葉に、私は黙って頷いた。
転んだ私がさめざめと泣いてたらリコリヌは助からなかったかもしれないということだ。
それはまだ幼い私にもハッキリと理解できたし、そう考えただけでも悲しくなって、また涙があふれてきた。
「悪足掻きはみっともないことかもしれない……でもそれがなんだってんだ。気取っていて救えるものなんてなにひとつない。走れ、走るんだ。でも、走れなきゃ歩いてもいい。歩けなきゃ這え、這えなきゃ叫べ、叫べなきゃ祈るんだ」
私は何度も頷き返す。リコリヌを助けるためだったら、どんなみっともないことでもやれると思った。
私の覚悟を感じ取ったのか、パパは「そうだ」と続ける。
「大切な者のためなら最後の最後まで足掻いて足掻いて足掻きまくる……それが勇者ってもんだ。ルクシー、お前はそれができる子だ。なんたってパパとママの子なんだからな」
パパは私の頬から手を離し、小指を立てて差し出してきた。
私は目に涙をいっぱい溜めながら、小指を絡めあわせる。
「わかった、私、あきらめない! 何があっても足掻きまくる! ずっとずっと、ずーっと足掻き続ける!」
そうして交わした約束は、私がこの歳になってもずっと守り続けてきたもののひとつだった。
……四度目の悪足掻きをする頃には、指先の感覚は完全になくなってたけど、なんとか上まで這いあがることができた。
ガケっぷちに生えていた細い木の幹を、ガシッと掴んで登りきる。
淵の向こうは、低木が密集する藪になっていた。
ひしめき合うようにして並ぶ木は同じ種類のようで、あっと掠れた声が出てしまう。
「これが……グリソビ!?」
私よりも少し背が高いくらいの木は、本のイラストと全く同じ見た目だった。
グリーンピースを巨大化させたような鞘が、重さで枝をしならせるほどに鈴なりに成っている。
私はもはや立っているのもやっとだったけど、自然と前に歩きだしていた。
命を削って登った山のてっぺんで、湧き出す清水を見つけたような気分だった。
いちばん近いところにあるグリソビの木に、喉を潤すようにすがりつく。
リュックから取り出したナタで、枝ごと切り落とした。
いくつも鞘がついた枝を持って、ガケを転げ落ちる。
「り、リコリヌ! ゴハンあったよ! ゴハン!」
しかし、土に還るように地面と同化しているリコリヌの反応はなかった。
震える手でグリソビの鞘を握って、実を押し出す。
濡れたボールのような緑色の実が三つ、ボトボトと糸を引きながら落ちる。
拾いあげてみると、実というよりは種みたいに硬かった。
これをこのまま食べさせられないか考えたけど、まだ子供のリコリヌでは無理だというのを思い出した。
大きいうえに硬いから、私にしたらクルミを殻ごと飲み込まされるようなもんだ。
絶対喉に詰まらせちゃう。
実を石の上にコンと置く。
リュックから取り出した小さい金槌で、思いっきり叩いてみた。しかし表面で滑ってしまい、はずみで実を遠くへ転がしてしまった。
追いかける時間も惜しかったので、別の実を石の上に置く。
片手で押さえつつ叩いてみると、わずかにヒビが入った。
これならイケるかと思い、無我夢中で金槌を振るう。
何度か滑って押さえている指を打ってしまい、ただでさえ腫れているのがさらに膨らんでイチゴみたいになっちゃったけど、もうそんなことはどうでもいい。
これでリコリヌが助かるなら、かまうもんか。
リコリヌが助かるなら……指の一本や二本、くれてやるっ!
グリソビの実はまるでガラス玉を砕いているみたいで、鋭い破片となって砕け散った。
しばらくして、粉には程遠いものの、バキバキになった破片くらいにはなった。
すくい集めてリコリヌの元へと持っていく。
「リコリヌ、ゴハンだよ! お願い、起きて! 起きてゴハンを食べて!」
しかしリコリヌは本当に死んじゃったみたいに、ピクリとも動かない。
私はグリソビの実の破片をいくつか取って、自分の口に詰め込む。
歯がキシキシする気持ち悪い感触ごと、砕くつもりでガリッと噛んでみた。
か、固っ。それに鋭いから口の中に刺さる……まるで窓ガラスを食べてるみたい……!
い、痛っ。口の中が切れた……! でも、木の実になんか負けてたまるか……!
こんにゃろ、こんにゃろと、親のカタキみたいにバリバリ噛み砕いて柔らかくする。
おじいちゃんでも食べられるくらいにグジュグジュにしたところで、リコリヌの口を持って開く。
そっと顔を寄せ、柔らかくなった実を口移しする。
口から口へ、舌を使ってゆっくりと中身を移し終えてから、口を閉じてまた寝かせる。
しかし、リコリヌは食べるどころか、わずかにしていた呼吸も忘れているように動かない。
「た……食べて……食べてよ……お願いだから、食べてよぉ……」
涙をリコリヌの顔にボタボタ落としながら祈った。いつまでも、いつまでも祈り続けた。
私はあきらめなかった。リコリヌが起きるまで、ずっと側にいるつもりだった。
だって、あきらめなければ、絶対に助けられるって信じてたから。
……それが起こるまではほんのわずかな時間だったかもしれない。
でも私にとっては永遠とも思える長い時間だった。
リコリヌの閉じたままの口が、花の蜜を吸う蝶の羽根のようにうっすらと開き、そして閉じた。
見逃してしまうほどわずかだったけど、たしかに噛む仕草だった。
「……リコリヌ?」
だいぶやわらかくしたのでそんなに噛まなくても飲み込めるはず……と思って見守っていたら、リコリヌの喉がゴクリと鳴った。
「り……リコリヌ!」
リコリヌの口を持って開いてみると、私があげた実は全部飲み込んでいた。
「ま、待っててね! すぐに次のをあげるから!」
興奮のあまり、呼吸がまともにできなかった。
何度も取り落としそうになりながらも破片を口に詰め込んで噛みまくる。
まるで私がお腹が空いているみたいに夢中になって口を動かす。
口の中が切れて血まみれになっていたけどかまうもんか。
赤ちゃんが食べても大丈夫なくらい柔らかくしてからリコリヌに口づけをし、唾液に乗せてゴハンをあげる。
それを何度か繰り返すうちに、反応が少しずつ良くなってきて、だんだん仲良しだった頃のものに戻っていくのがわかった。
途中でリコリヌは私の顔がひどくなっているのに気付いたのか、ゴハンそっちのけでペロペロ舐めてくる。
いつものおせっかいだけど、今は嬉しくてたまらなかった。
「リコリヌ、よかった、リコリヌ……! ああっ、リコリヌ、リコリヌっ!」
私は枯れることを知らない涙を滝のように流しながら、弟のような、兄のような存在を抱きしめる。
リコリヌも号泣するようにキュウンキュウンと鳴き続け、私の涙をずっと舐めとってくれた。
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