19

 下半分だけになった給餌器に、半泣きですがりつく。

 しかしもう手遅れで、箱いっぱいにあったはずのゴハンは一粒も残っていない。


 見上げると、ゴハンはすでに緑色の煙となって立ち上り、絵の具のように青い空に混ざりつつあった。


「か……返して! リコリヌのゴハン!」


 飛び去っていく最後の望み、あきらめてなるものかと追いすがる。


「それがないとダメなの! それで全部なの! だから返して! 返してってばぁ!」


 金槌を振るった時以上の祈りを込め、叫ぶ。


「リコリヌは……リコリヌはずっとゴハンを食べてないの! それなのになんで持っていくの!? 持っていかないでぇーっ!」


 顔をあげて走っていたせいで、足元にあった岩に気付かず躓いてしまう。

 普段ならこんなので転んだりしないのに、ガムシャラに走ってたせいで顔を擦る勢いで地面を滑り込んでしまった。


 それでも顔をあげて、手で空を掻きむしりながら、声を限りに叫ぶ。


「私、もう好き嫌い言わない! ううん、私のゴハン全部あげる! だから返して! お願いお願い、お願い、お願い! お願いだからぁーーーーーーーっ!」


 私はこんな時だというのに、昔の出来事を思い出していた。

 かつて感じた、言い様のない焦りが蘇ってきて、心が張り裂けそうだった。


 ……まだ私が小さかった頃、ふざけすぎて子猫のリコリヌを川に流してしまったんだ。


 その時も泣き叫びながら追いかけたんだけど、全然追いつけなくて、今と同じように転んでしまってわんわん泣いていた。

 そしたらパパが馬で駆けつけてくれて、川に飛び込んでリコリヌを助けてくれたんだ。


 でも……今は誰も助けに来てくれない。


 いくら叫んでも、いくら泣いても、私の声はびゅうびゅうと鳴る風に吸い込まれていくばかりだった。

 舞い上がったリコリヌのゴハンは、水に溶けたように空に消えていった。


 すでに声も枯れ、あふれる涙でとうとう何も見えなくなって、私は草原に突っ伏してしまった。


「うっ……ううっ、死んじゃう……死んじゃうよぉ……このままだとリコリヌが……死んじゃうよぉ……」


 きっとリコリヌは長いことゴハンを食べてなかったんだ。

 それなのに私につきあってくれてたんだ……お腹ペコペコなのにガマンして、動けなくなる限界まで……!


 そうとも知らずに、私は自分のことしか考えてなくて、いっぱい食べ物があるのに残して、捨てて、八つ当たりして……!


「うわあああああああああーーーーーーーーーーん! リコリヌ、死んじゃやだあーーーーーーーーーっ! やだっ! やだっ! いやだーーーーーーーーーーーーーっ!」


 自分の愚かさに、身体が暴発する思いだった。


 掠れる声を雑巾みたいに絞り出し、くしゃくしゃになったモップみたいに手足をばたつかせる。

 しかし、身体が草まみれになるくらい暴れても、気持ちは全く晴れなかった。


 やるせない気持ちのまま雑草に食らいつき、歯で引きちぎる。

 ひどい苦味が口に広がって、干からびたカエルみたいにグエッってなっちゃったけど、なんだか目が覚めた気がした。


 だ……ダメだっ! 泣いてるだけじゃ、なにも変わらない……!

 今までは泣けばなんとかしてくれる人がいた……だから泣いてすませてきた……!


 でも今はひとりぼっちじゃないか! 全部、自分でなんとかしなきゃいけないんだ……!

 私が……私が……自分でなんとかしなきゃ……! でなきゃ……リコリヌが死んじゃうんだ……!


 助けるんだ……私がなんとかして、リコリヌを助けるんだ……!


 心を決め、口の中の雑草を吐き出しつつ立ち上がる。

 激しい向かい風は吹雪みたいで、凍えるペンギンみたいに身体を縮こまらせながら地下室へと戻った。


 リコリヌは閉じこもった亀みたいに、その場から動いていなかった。尻尾すら同じ位置に投げ出されている。

 眠っているのか、それともお腹が空きすぎて身体が動かないのか、まるで剥製みたいに静かだ。


「もうちょっとだけガマンしてね、私が絶対にゴハン、食べさせてあげるから」


 ゆっくりと上下する黒い背中に声をかけてから、テーブルの上の本と再び向かい合う。

 さて、リコリヌのゴハンを作る方法を調べなきゃ。


 本の自動給餌器の説明ページを開き、そこからさらにめくっていくと、ゴハンの作り方が書いてあった。

 内容をまとめると、リコリヌのゴハンは「グリソビ」という木になる実らしい。


 木は地下茎によって繁殖し、林のように一箇所に集まる形で増えていく性質がある。

 根を深く張るため地震などにも強いそうだ。


 実は、季節を問わずに成る。

 グリーンピースを巨大にしたような鞘に入ってて、一粒が私の握り拳くらいの大きさ。


 鞘にはアルバレッグが苦手な成分が入っていて、また実も固いので子供のアルバレッグでは自力で採って食べることができない。

 野生のアルバレッグの場合、親が実を取り出し、口で噛み砕いて子供に食べさせてあげるらしい。


 リコリヌの場合はパパが実を採ってきて、給餌器で細かく擦り潰して食べられる形にしてあげていたようだ。

 肝心の、グリソビの木が生えている場所は本に書いてあったみたいなんだけど、ページが破けていてわからなかった。


 でも、ようはグリソビの実を見つければいいわけだ。


 場所はわからないけど、木の実だったらきっと森に生えているはず。集まって生えているのであれば探しやすい。

 それに給餌器は壊しちゃったけど、自分で擦り潰せばいいんだ。


 よし、と椅子から立ち上がる。

 すぐさま飛び出していきたい気持ちだったけど、寸前で踏みとどまる。


 ちょっと待った。私はいつも思い立った瞬間に行動をはじめるけど、それが悪い結果に繋がることがたまにあるような気がする。

 一刻を争うことなのは確かだ。けどリコリヌの命が掛かってる以上、もう失敗は許されない。


 となると、もっと考えたほうがいいんじゃ……?

 ふぅ、と心を静めるように息を吐き、再び腰を降ろして本に向き直る。


 私は文字が嫌いだったから、この本にもロクに目を通してこなかった。

 でも有益な情報が詰まっているから、よく読んだらこのピンチをなんとかできるヒントがもっと得られるかもしれない。


 給餌器はすでに壊しちゃったけど、念のため給餌器の項もよく読んでみる。

 するとそこにあった説明に、私はひとすじの光を見つけたような気がした。


 それはロウソクみたいな小さな光だったけど、考こむうちにどんどん大きくなっていき、ついには太陽のように頭の中でさんさんと輝き出した。

 何かひとつのことをこんなに考えて結論を出したのは、生まれて初めてかもしれない。


「……よし、今考えられるいちばんの手はこれだ。うん、これしかないっ!」


 もう迷わない。今度こそ、と立ち上がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る