18

 次の日、私は最悪の目覚めでベッドから起きた。


 そして室内の光景に愕然となる。

 棚の一部と床がまっ黒焦げになっていて、墨を撒いたような床には燃え尽きた大小の炭が散乱していた。


 リコリヌは昨夜とは違う場所で、私に背を向けるようにして床で丸くなっている。

 全身が黒いので最初はわからなかったけど、よく見たら毛が焦げてチリチリになっていた。


 寝起き早々のとんでもない光景に、昨日のストレスが蘇ってくる。

 私は昨夜の私から、導火線の短くなった怒りの爆弾を受け取ってしまった。


「リコリヌっ! あなた、私が寝てる間に火をつけて遊んでたわねっ!? 私が火をつけられなくてイライラしてるっていうのに……! そのうえこんなに部屋をメチャクチャにして! 掃除したばかりなのに何てことしてくれるのっ!?」


 大きな声を出しても、リコリヌはこちらを見ようともしなかった。

 そのかつてない反抗的な態度にどんどん怒りが沸いてきて、止められなくなってしまった。


「さては私が何もできないと思ってバカにしてるなっ!? くやしいっ! もう知らない! ずっとそうやって寝てろっ! もうおまえとは口聞いてやらないからなっ!」


 リコリヌにこんなに怒りをぶつけたのは初めてだった。


 いつもだったら少し怒っただけで、足元でコロンって横になるのに。

 それでお腹を見せてきて、許して~ってクネクネするのに……。


 しかし今のリコリヌは、まるで聞こえていないかのように無反応。

 私はやり場のない怒りをどうしていいかわからず、喚き散らしながら地下室を飛び出した。


 今日も天気は快晴。

 空も澄みきった湖みたいに静かだったけど、昨日から吹いていた風はより強くなっていて、外に出るなり突風でよろめいてしまった。


 それでまた、疳の虫がさらに居所を悪くする。


「まったく……リコリヌのバカっ! バカっ! バカっ! バカっ! バーカッ! バカリヌーっ!」


 言いふらすようにまわりに絶叫する。

 息を吐きすぎて、ちょっと立ちくらんだ。


 思えばリコリヌの様子は昨日くらいから変だった。

 呼べば来てくれたけど、ずっと寝てばかりだった。


 きっと、私のことをナメはじめたんだ。そうだ、そうに違いない。

 私のことを、普段はイキがってるくせに、イザひとりぼっちになった途端、なにもできなくなった負け犬だって思ってるんだ。


「ああっ、もうっ! イライラするっ! まったく、こっちは昨日から何も食べてなくてお腹ペコペコだってのに!」


 ……ふと吐き捨てた言葉に、ハッとなる。

 お腹、ペコペコ?


 心の中でつぶやきながら、家の跡地の側に置かれている、給餌器を見やる。


 金属で出来た、柱みたいにのっぺりした長方形。背の高さが私の倍くらい、パパと同じくらいノッポのやつ。

 リコリヌのゴハンをいつも決まった時間に出してくれる、パパとママが作った魔法仕掛けの装置だ。


 給餌器なんて興味がなかったので、全然気にしていなかった。

 でも今は明らかに異常を示すように、埋め込まれた赤い宝石が光っている。


 我が子を間違って溶岩の谷に突き落としちゃったライオンのような、絶望的な気分で地下に駆け戻る。

 リコリヌは同じ場所から動かず、細い呼吸を繰り返していた。


「リコリヌ! あなた、お腹すいてるの!?」


 揺さぶりながら声をかけると、リコリヌは顔を伏せたままキュウンと力なく鳴いた。


 しまった……! いつからか知らないけど、給餌器がゴハンを出さなくなってたんだ……!


 私はテーブルの上にある本に飛びついて、ページを破るような勢いで「リコリヌのゴハンについて」という項を開く。


 給餌器の説明では、埋め込まれている三つの宝石の挿絵があった。

 青い宝石が光っているときは正常、黄色い宝石が光っているときは中のゴハンが残り少ない、赤い宝石が光っているときは異常があることを知らせてくれるらしい。


 食べ物や薪をいっぱい残してくれていたパパとママのことだから、給餌器のゴハンが切れているとは考えにくいと思ってたけど、やっぱり壊れてたんだ。

 説明によると給餌器には一年分のゴハンが入っているらしいから、ゴハン自体は給餌器の中にまだたっぷり残ってそうだ。


 給餌器が再びゴハンを出すにはどうしたらいいんだろう……!?

 早くしないとリコリヌが死んじゃう!


 あわててページをめくり、故障のときどうすればいいのかを探してみたけど字がびっしりあってなにがなんだかわからなかった。

 説明は私にもわかるようにわかりやく書いてあるみたいだけど、気持ちが焦って内容が全然頭に入ってこない。


 ああっ、もうっ……こうなったら……!


 本をバンと乱暴に閉じ、倉庫に飛び込む。

 火事のまっただ中にいるみたいなヒリヒリした気持ちで室内を見回すと、壁にスレッジハンマーが立てかけてあるのを見つけた。私と同じくらい背のある大きな金槌だ。


 よし、これだ!

 今はのんびり直してる場合じゃないから、ブッ壊してでも中のゴハンを取り出さないと!


 金槌は昨日使った斧よりもずっと重くて、持ち上げられないほどだった。

 柄を掴んで引きずって、給餌器の前まで持って行った。


 装置の赤い宝石は、弱ったリコリヌの呼吸みたいに、ゆっくり、ゆっくりと明滅していた。

 今にも消え入りそうなで、私の心はさらに駆り立てられる。


 パパとママの作ったやつだけど、ごめん、壊すね。

 と心の中で謝ってから、金槌を肩に担ぐ。


 金槌の頭は鉄の塊みたいで、まともに立っていられないほど重い。

 その上まとわりついてくるような強い風に煽られて、まるで泥沼を歩いているみたいに足がもつれる。


 でも負けじと振り払って、給餌器に襲いかかった。

 前に倒れこむようにして、鉄ゲンコツをブチかます。


 表面の金属板が波打って、壊れた鐘みたいな音をたてた。

 本体は地面に埋まっているのか、殴ってもわずかに揺れるだけだ。


 なんたってあの嵐でも飛ばされなかったんだ、倒すのは難しいだろう。

 でも壊すことならできるはず。できるはずなんだけど……お腹が空きすぎて力が出ないよぉ……。


 だけど泣き言を言ってる場合じゃない。

 身体じゅうに残った力をかき集めるようにして、金槌を振りかざす。


 しかしブン殴ってもブン殴っても、甲高い音がするだけで何も起こらない。楽器を叩いているみたいだ。

 しばらく叩き続けて塗装は少し剥がせたけど、すっかり息が切れて汗だくになってしまった。


 それでもあきらめてなるもんか、リコリヌの命がかかってるんだ。

 力がなければ気合いだ! 気合いで金槌を振るうんだっ……!


 軋んで悲鳴をあげる身体に鞭打って、鉱石を掘る奴隷のように槌を打ち付ける。

 祈るような気持ちもあわさって自然と、追い詰められた強盗みたいな大声を張り上げていた。


「リコリヌのゴハン、だせーっ!」


 ガンッ!


「だせっ、だせっ! よこせーっ!」


 ゴンッ!


「このっ! いい加減にしろーっ!」


 ガスッ!


「このっ、このっ、こんのぉーっ!」


 メキッ!


 何度目かの攻撃でついに思いが通じたのか、給餌器の上半分がバキッと折れるような音をたてて外れた。


 箱状になっていた外装がバラバラになり、中からリコリヌがいつも食べている薄緑色の粉が見える。

 それもめいっぱい詰まっていたようで、まるであふれた砂金のようにこぼれ落ちた。


「や、やった……!」


 しかし喜んだのも束の間、一層強い突風が吹き荒れる。


「あっ!?」


 給餌器の中にあったゴハンは風に乗って、霧のように散り飛ばされてしまった。


「や……やめてっ……!」


 私は、血が凍るような思いで叫んだ。

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