15

 それから枝が燃え尽きるまでの間、何本かのターシケ串を平らげた。

 私はそれでようやく、一日ぶりに満たされることができた。


 お腹いっぱい、とまではいかないけど、これから活動するのにじゅうぶんな力をもらえた。

 ターシケはまだ残っているので、残りは夜に食べるとしよう。


 さぁて、次はあの地下室をなんとかしないとダメだよね。

 これからパパとママが帰ってくるまで、地下のメインルームで寝起きすることになるんだけど、今は息もしたくないほど汚れてるからなぁ……やったのは私だけど。


 しょうがない、掃除なんて全く気が進まないけど、余裕のあるうちにやっておこう。

 よっこらしょ、とおばあちゃんみたいに重い腰をあげて、処刑台に向かうような気持ちで地下への階段を降りる。悪臭が迎えてくれた。


 苦い薬を飲んじゃったみたいに自然と顔が歪む。

 でもガマンしつつ倉庫からモップを持ち出して、ママがしてたのを思い出しながら床をこすってみる。


 汚れた水たまりをかき混ぜると、食べたばかりのターシケがこみあげてくるようなひどいニオイが立ち上ってきた。

 何度もウェーとなりかけたので、洗濯バサミで鼻をつまんで続けた。


 モップでひたすら汚物を拭ってたんだけど、しばらくするとクリームを塗りのばしているみたいになって全然取れなくなっちゃったので、外の小川に持ってってジャブジャブ洗った。

 そうしたらまた汚れが落ちるようになったんだけど、地下と小川を往復するのが面倒だったのでバケツに水を汲んで、そこにモップを突っ込んで洗うことにした。


 額に汗を浮かべながらひたすら床をこするという単純作業をしていると、なんだか無心になって、自然とママの顔を思い浮かべてしまった。


 頭の中のママは、鼻歌を唄いながら部屋のモップがけをしていた。



「どうしたの? ルクシー」


 視線に気付いたママがモップを動かす手を止めて私を見る。


「……モップがけのなにがそんなに楽しいのかなと思って」


 私は、猫のリコリヌが尻尾で弾いてよこしてくれたオモチャを、木箱にポイと投げ入れながら聞いてみた。


「ふふ、あなたがお部屋を散らかした跡を見ながらお掃除するのが、ママとっても嬉しいの」


 そう言うママは嬉しそうに目を細め、心の底から染み出してきたような微笑みを浮かべる。


「あなた、赤ん坊のころはずっと病気で、何度も死にかけていたのよ。自分の力で泣けないくらい弱かったの。それがこんなに散らかせるくらい元気になってくれて……。それを見るのが嬉しくって」


 ママはモップを持ったまま、部屋の壁を愛おしそうに撫でた。


「あなたがチョコレートソースをこぼして落ちなくなったこの壁のシミも、あなたが転んで柱にぶつかってつけた傷も……この家であなたが元気いっぱいに生きたという証。あなたが汚すたびに、ママにとっては嬉しい、素敵な印が残っていくの」


 言い終えるまでは浸るようにしていたのに、急にママは「しまった」という顔になった。


「あ、だからといってお片付けなくていいわけじゃないわよ。さぁ、ベッドの下にあるボールもしまってくれないと、ママ、お掃除できないわ。あなたがよく潜り込むから、ベッドの下もしっかりとモップがけしておかなくちゃいけないんだから」


 ママに促された私は「はーい」と返事をしながら、ベッド下からボールを引っ張り出す。

 そのままおもちゃ箱めがけて思いっきり投げつけた。


 ボールは一度は箱に入ったものの、勢い余って飛び出してしまった。

 そこにリコリヌが飛びついて、ボールはさらに変な方向へと跳ねて部屋の窓ガラスを割ってしまった。


 さっき嬉しいと言ったはずのママは、みるみるうちに真逆の怖い顔になる。

 まるでだまし絵みたいな変わりっぷりだった。


 ママは私とリコリヌを廊下に座らせると、お説教を始めた。



 叱られたのは置いといて……ママみたいに考えるのであれば、この地下の汚れも私が元気いっぱいに生きた証ってことになる。

 でもそんな風に考えてみても、掃除のツラさは変わりそうもなかった。


 私の生まれて初めての掃除、簡単だろうとタカをくくっていたけど思った以上に大変だった。

 とりあえず床はひととおりキレイにしたけど、まだ終わりじゃない。


 薬棚に残ったガラスの破片を始末したり、残ったニオイを追い出すためにバスタオルをバサバサやって扇いだり、なんやかんやと夕方までかかってしまった。

 もちろんママみたいに幸せな気持ちにはなれなくって、逆にこんな面倒なことをママは毎日やってたのか、とげんなりしてしまった。


 ママはいつも鼻歌を唄いながら楽しそうに家の掃除をしてたけど、何がそんなに楽しいんだろうと疑問だった。

 尋ねてみてもわからなかったし、こうして実際にやってみても楽しさがわからないままだ。それどころか拷問かと思うほどツラかった。


 なんにしても、私はママが掃除してくれるからって散らかしまくってた気がする。

 初めて自分が汚したものを自分で片付けてみたけど、もう二度とやりたくない。


 これからはなるべく部屋を汚さないようにしよう、と心のなかで固く誓った。

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