05

 私は地面にうつ伏せに寝て、草をガッチリと掴む。


 腕に力を込めて身体を引き寄せ、草の上を滑るようにして前に進む。

 身体をピッタリ地面にくっつけて風の影響を減らし、少しずつ這っていく作戦だ。


 それでも向かい風は体当たりしてくるような強さで、気を抜くと押し戻されそうになる。

 草を握りしめて必死に這いつくばっていると、まるで緑の絶壁をよじ登っているような気分になった。


 手を離したが最後、落ちるように一気に滑って家まで戻されてしまう。

 そしたら振り出しからやり直しだ。


 落ちないように踏ん張ってがんばって、川をのぼる鮭みたいに必死に身体をよじらせて、ようやく地下室の階段近くまでたどり着いた。


 石段のヘリに両手をかけ、懸垂するみたいにして階段の中に飛び込む。

 一気に下まで滑り降り、そのまま扉を開けて地下室になだれ込んだ。


 メインルームの入口近くにある赤いハンドルをしがみつくようにして回すと、ゴロゴロと転がるような音をたてて扉の向こうに厚い石壁がスライドしてくる。

 この非常用の石壁はとっても厚くて固いうえに、ママの魔法も掛けられてるから、一度閉めると外からは絶対に開けられないんだって。


 パパからこの壁の事を教わったときは、「こんなの使うヒマがあったら外にいる敵をやっつければいいのに、かっこわるーい」なんてバカにしちゃったけど、まさか頼りにする時が来るとは思わなかった。


 ハンドルを回し切るとガコォンと、門がしっかり閉じたような頼もしい音がして、地下室は完全に閉ざされたようだった。


 同時にあたりも完全な闇となり、黒豹にイカスミを吐きかけられてもわからないほど真っ暗になってしまった。

 何も見えなくなって少し慌てちゃったけど、手探りでもうひとつのハンドルを回し、部屋の明かりをつける。


 これでよし、とひと息ついた途端、背負っているリュックがニャーニャーモコモコと動きだした。

 リュックを降ろしてリコリヌを出してあげる。


 ついでに真写立ても取り出して近くの棚に置いたんだけど、前の壁に掛けてあった鏡に私の顔が映り、ふと目が合う。

 鏡の向こうの私は、今にも泣き出しそうな青白い顔をしていた。


 誕生日にもらったブローチを、その日のうちに落としちゃったみたいな焦りと、いくら探しても見つけられないみたいな疲れが混ざった顔。


 ちなみにブローチは本当に落としたことがあって、リコリヌが見つけてくれた。

 いまでは腰に巻いている革ベルトのバックルになっている。

 これだけ大きければ無くさないでしょ、とママがお直ししてくれたやつだ。


 バックルの模様を撫でると、少しだけ気持ちが落ち着いた。


 でも嵐のほうは全然落ち着く様子がなくて、どんどん近づいてきているようだった。

 閉ざされた地下にいても、唸るような音が天井から染み出すみたいに漏れ聴こえている。


 なんだか檻の中に閉じ込められて、まわりを獣の群れに囲まれてる気分だ。


 集まってるのがライオンみたいなカッコイイ獣だったらまだいいんだけど、変な獣だったらやだな。

 たとえば牙が伸び過ぎて口が閉じれなくなっちゃってて、いつもヨダレを垂らしててボエーとか鳴くの。


 って、なに想像してんの……。

 ああっ、もう、ここには窓がないから外の様子がわかんなくて、つい変なことばっかり考えちゃう。


 それにしても、強い風の音ってどうしてこんなに落ち着かない気持ちになるんだろう。

 心が踊るような良いソワソワなら歓迎なんだけど、これは心が押し潰されちゃいそうな嫌なソワソワだ。


 でもこれ以上できることは何もないから、嵐が過ぎ去るまでじっとしてるしかないのがまたじれったい。


 私は床で毛づくろいをしていたリコリヌを抱きあげて、一緒にベッドにもぐりこんだ。

 布団を深くかぶって胸のざわめきを抑え込む。


 このベッドは誰も使っていないはずなのに、カビくさくなくて洗いたてみたいなニオイがした。

 ママだ。ママは綺麗好きで几帳面なので、留守にする前には必ず家中を大掃除するんだ。


 すみずみまでやってるなぁと思ってたけど、まさかこんなところまでやってるなんて……。


 ママ……。


 シワひとつない白いシーツに顔を埋めると、頭の中にママの顔が浮かんできた。

 隣にはパパの顔。


 もうしばらくはひとりでもよかったのに、なんだか急にパパとママに会いたくなってきちゃった……。


 窓がないから今がいつかもわかんないけど、おそらくかなり長い間、私は地下室のベッドの上で布団をかぶって、リコリヌと一緒に縮こまっていた。

 天井からはびゅうびゅう、がらがら、めきめき、ごうごう、ばりばり、がっしゃん、とひっきりなしに何かが壊れる音がしている。


 割れる音、へし折れる音、潰される音、引きずられる音、剥がされる音、そして吹き飛ばされる音。

 私は途中何度かウトウトしたんだけど、すぐに大きな音がして、その度にハッと息を呑むように目を覚ました。


 なかでも嵐が真上に来たっぽい時には、地下室が地震みたいに激しく揺れて、心臓が口から飛び出しちゃいそうな勢いで飛び起きてしまった。

 どうしようどうしよう、と部屋中を走り回ってアタフタしたけどどうしようもなくて、ベッドの下の隙間に潜り込んで、リコリヌを力いっぱい抱きしめて過ぎ去るのを祈った。


 不安で不安でたまらなくて、まるで幼い頃に戻ったみたいだった。


 今はもう何ともないんだけど……昔の私は雷が大の苦手で、空がゴロゴロ鳴るとすぐさまベッドの下に潜り込んで、震えながら収まるのを待ってたんだ。

 両手を耳を塞ぐことに使うか、それともリコリヌを抱きしめることに使うか迷って、私はいつもリコリヌを抱きしめることを選んでいた。


 リコリヌはぬいぐるみと同じで抱きしめると落ち着くんだけど、猫の時は冷たくて、ギュッてすると嫌な顔して離れようとするんだよね。

 だけど私はその度に尻尾を引っ張って引きずり戻して、雷が聞こえなくなるまで肌から離そうとしなかった。


 この地震の時も嫌な顔するかなと思ってたんだけど、リコリヌはベッドの底から天井を見透かすように目を真ん丸にして見上げたまま、じっとしていた。


 どうやらリコリヌも相当ヤバいと感じていたようで、本当にぬいぐるみになったみたいに動かなかった。

 私がいくら抱きしめても顔を埋めても、黙ってされるがままになっていて、でも話しかけたら「ファ」と気のない返事をしてくれた。


 しばらくそうしていると……やがて揺れはあきらめたようにおさまっていき、少しずつではあるんだけど音も遠ざかっていった。

 それにあわせるように私の意識も薄れていって、いつの間にか眠っちゃってた。



 次に目を覚ました時には、あたりはすっかり静まり返っていた。


 あまりに音がしなかったのでかえって不気味だったけれど、こうしていてもしょうがなかったので久しぶりにベッドの下から這い出し、入口のハンドルを回して石壁を動かしてみた。


 内側の扉をおそるおそる少しだけ開けてみると、外から太陽の光っぽいのが差し込んでくる。

 さらに開けると階段の向こうに、真っ白な雲が浮かんだ青空が見えた。


「あぁ、よかったぁ、嵐は過ぎてったんだ」


 私の心の暗雲も晴れた気がして、ホッと胸を撫で下ろす。

 なんだか元気が湧いてきたので、リコリヌとともに「いやっほーっ!」と歓声をあげつつ階段を駆け上がる。


 でも、外に出た瞬間やけに風通しがいい感じがして、私の声は違和感で途切れてしまった。


 地下室を出ると目の前にいつもある、見上げるほどの大きな家。

 それがなぜか見当たらなくて……何がなんだかわからなかった。


「う、うそ……? 家が……なくなって……る?」


 ようやく言葉を絞り出したけど、口に出してみてもまだ信じられなかった。

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