第22話 舐めときゃ、治る

 これって、死ぬかもしれない。


 落下しながら、ソモル気づいた。

 あの高さから落ちて、無事で済むわけがない。


 落ちる直前に見た、谷間の深さを思い出す。


 渓谷の真下に流れる河。

 あの中にうまい事落ちれば、なんとかなるかもしれない。


 うまく、落ちれば……。


 ラオンの頭を庇って腕でがっしりと抱え込み、胸に押し付ける。



 俺が、衝撃を全部受け止めれば……。


 ……俺は、無事じゃ済まねえかもしれない。


 けど、ラオンは。

 ラオンだけはっ……!


 こんなふざけた事で、ラオン死なせてたまるかよっ‼


 何がなんでも、ラオンは俺が守るって決めたんだよっ‼




 ソモルの全身を、ドンッ! と衝撃が襲った。


 瞬間、ソモルの意識は飛んだ。





          ♡





 ドロリ……重い。

 泥みたいに重い。


 これ、俺の意識か……?



 痺れるように、また意識が沈み込む。

 泥に引きずられ、さらわれるみたいに。



 落ちかけた意識が、不意に引き止められた。



 声。


 俺を呼ぶ、声。



 俺の意識にまとわりついていた泥が、水のようにクリアになっていく。


 その水に包まれて、俺の意識は空気の粒みたいにゆらり浮上した。






「ソモルッ!」




 眼を開くと、すぐ近くにラオンの顔があった。



 すげえ、近い。


 これ、いつもの夢じゃない、よな……?



 ラオン……。


 やっぱ、可愛い……。





 ……痛てえ。


 なんか、あっちこっち、ちくちくズキズキ痛てえ……。




「良かったぁ~! ソモル、死んじゃったかと思ったぁ~!」



 そう云ったラオンの眼から、ポロポロと大粒の涙が零れた。



 ラオン、何で泣いてんだ……?


 また、甘いもんでも食ったのか……?




 それにしても、体中痛てえ……。





 ぼんやりとしてる。

 とりとめのない思考だけが、現れてはもやの果てに呑まれていくように。



 泣きじゃくるラオン。


 意識の覚醒と共に増してくる体の痛みに、ソモルは次第に直前の出来事を思い出していく。




 そうだ、俺たち、谷の上から落ちたんだっけ。

 どうりで、あっちこっち痛てえわけだ。


 ……てか、助かったんだな。




「ラオン、どこも、痛くねえか……?」



 ちょっと声が出にくい。

 腹に力が入らないからだろうか。



「なんともないよ、ソモルが守ってくれたから」




 ほんのすぐ間近で、ラオンが囁くような声で云った。

 真っ赤な頬に、涙の粒を乗せたままで。




 そっか、良かった。


 俺、ラオンの事、きちんと守ってやれたんだな……。




 ソモルが笑うと、ラオンはまたポロポロと涙を零した。



「……ラオン、もう大丈夫だから、泣くな」



 楽しい思い出だけを残してやる筈だったのに、すっかり恐い思いばかりさせてしまった。

 ソモルはズキズキする腕を持ち上げて、ラオンの頭を優しく撫でた。

 柔らかな髪の手触りに、なんだかソモルの方が癒されていく。



「……だって、ソモルが死んじゃったらどうしようって、思ったから……」



 ラオンは自分の言葉が引き金になり、更に大粒の涙を零した。




 ……ラオン、俺の為に、泣いてくれてんのか。


 なんだ、俺、すげえ今幸せ。



 もうそれだけで、無事生きてて良かったと、心の底から感謝している。


 泣きじゃくるラオンを見詰めているうちに、ソモルは堪らなくきゅっといとおしくなった。


 ソモルは撫でていたラオンの頭を、そのまま自分の胸に抱き寄せた。

 ラオンの零した涙の冷たさと、その温かい体温を同時に感じる。


 仰向けに横たわった視界のてっぺんに、夕暮れの空が見えた。



「ソモル、ありがとう」



 胸元にかかる吐息と共に紡がれた言葉は、トロッコの脱線の音に掻き消された、あの時と多分同じ台詞。

 あの時ラオンが、ソモルに伝えようとした言葉。

 騒音に邪魔されて、ソモルの耳には届かなかったラオンの言葉。


 あの時聞き取れなかったけれど、何故だかそんな気がした。



 今やっと、おあずけになったままだったその言葉を、ソモルは受け取った。




          ♡




 二人は、どうやら川沿いの大きな樹の上に落下したようだった。


 その樹の枝に撥ね飛ばされ更に低い樹の上に落ち、また撥ね飛ばされて別の樹に落ちる。そうやってクッション代わりになってくれた枝が衝撃を和らげ、ここに転がってきたらしい。


 ラオンが招いてくれた強運としか思えなかった。

 自分だけだったなら、多分死んでいただろう。ソモルは、自虐的にそんな事を思う。自分の運のなさくらい、百も承知だ。

 その時に枝で切ったらしい傷があっちこっちチクチク痛むが、命が奪われなかったのだから、それくらい何でもない。


 本当はこうしてラオンを胸に抱いたまま、もっとずっとくっついてたいというのが本音。だが事態はそれどこではなかったりするから、頃合いの良いところでラオンを離し、ソモルは上体を起こす。


 ズキズキするが、骨は折れてないようだ。

 まずは一安心。

 頭も打っていない。思考も多分正常。


 改めて自分の腕に眼を落としてみると、結構な数の引っ掻き傷がついていた。

 そりゃあ、痛いわけだ。


 滲んだ血が、ようやく乾き始めた生傷状態。



「ソモル、傷、痛いよね。ごめんね」


 ラオンが、ソモルの体のあっちこっちについた傷を見ながら、シュンと呟く。


「傷なんか慣れっこだって! こんなの、舐めときゃ治るし」


 ソモルはわざとおどけて、腕の傷をぺろっと舐めた。

 まだ新しい傷が、ちくっと痛む。


 ラオンが傷を負わなくて良かった。

 ラオンの綺麗な肌に、傷なんて絶対似合わない。


 俺のこの無数の傷は、むしろラオンを守ってできた男の勲章なんだ!

 ……なんてな。



 そんな馬鹿な事を考えてヘラヘラしていたソモルは、突然耳たぶに感じた生温い刺激に神経を震い起こされた。



 えっ……?



 頬と頬が触れる程に、ラオンの顔が真横にあった。

 草の上に上体を起こしたソモルのすぐ傍に、ラオンは膝をついて体を寄せていた。


 耳たぶに、風が当たる。

 チリ、チリ、と細かい痛み。


 寄り添っていたラオンが、ほんの少し離れてソモルの顔を覗き込む。




「耳、怪我してた。傷、すぐ治るといいね」



 涙の後の、まだ少し潤んだ眼。

 まだ僅かに赤い顔で、ラオンが微笑む。



 ソモルは、そっと自分の耳たぶに触れてみた。

 傷の感触と、舐められた跡。




 ……マジ、で…………?



 ソモルの意識は、別のどっかに飛びそうになった。


 とどまれ、俺の意識っ!


 ……てか、ラオンの奴、大胆すぎるっ!

 年頃のヤローに、そんな事しちゃ駄目だって!

 うっかりすると、理性とか飛んじまうぞっ!


 いや、大胆とかそういうんじゃなくて、純粋だからできる事なのか、逆に……。


 純粋、恐こええ……。

 どんだけ、ヤロー殺しなんだ……。


 やっべぇ……。


 今の俺を、あんまり可愛い顔して見詰めないでくれ、ラオン。


 俺は今、俺の中で俺と戦ってるんだ。

 察してくれ、ラオン。



 ……無理だろうけど。





 これは、身を犠牲にしてラオンを守りきったそのご褒美として、しっかり受け取ろう。


 うん!


 俺、生きてて良かった、本当に!



 生きる幸せを大いに噛み締めながら、ソモルは心の内で逆上せ気味に叫んだ。




          to be continue










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