第19話 エスケープ


 ソモルとラオンはびくんと肩を震わせて、ほぼ同時の動きで声の飛んできた方向を見た。


 花の飾られたオープンカフェの広い入り口、そこを占拠するようにズラリ取り囲んだ黒服のSP集団。まるでカラー写真の中に、モノクロームが混ざり込んでしまったようなチグハグ。


 SPたちの中心には、混じりっ気なしの白髪頭の小柄な老人が一人。

 声の主。ラオンお付きのジイやである。




 嘘だろっ~⁉ こんなとこで! しかも、こんなタイミング悪い状況で!



 ソモルの背中に、冷たい汗が滲む。


 突然の黒服集団の登場に、賑わっていたカフェ店内は音量をゼロにしたように静まり返った。しんとした店内をBGMのボサノバだけが、空気を読めない道化師の歌声のように陽気に響く。


 ラオンは困った顔で、ソモルとジイやを交互に見た。

 零れた涙を、頬っぺたに滑らせたままで。


 そんなラオンを眼にしたジイやの顔色が、熱湯を頭からかぶったように見る見る真っ赤に染まっていく。




「姫様! 大変怖い思いをさせました! このジイやが、今お助けいたしますぞ!」



 もさっとした純白の眉毛をぎっと吊り上げ、鼻息も荒くジイやが叫んだ。今にも噛みつかんとする、老犬のように。眼光鋭くソモルを睨み付け、怒り最高潮の様子。




 ……ヤバい。明らかに、なんか誤解してる……。



 確かにこの絵面は、誰がどう見てもソモルが目茶苦茶ラオンを泣かしてるようにしか思えない。さっきまでのカフェ店内の空気がそれを物語ってたように、ジイやたちの眼にもそう映ってしまっているのは間違いない様子で……。

 大惑星ジュピターの姫君を目の前に、ソモルは悪党にしか見えないのは、真相はともかく曲げられない事実。



「……逃げるぞ、ラオン!」



 こりゃあ不味いとばかりに、ソモルは慌てて席を立ち、ラオンの手を引く。


 今この場で誤解を解くのは、多分とんでもなく難しい。大体運良く誤解が解けたとしても、ラオンと引き離される事は避けられない。

 それが、一番ソモルには納得のいかないところなのだ。



 俺、まだラオンと離れたくねえ!

 だって、まだ俺……。



 ラオンを連れて、ソモルは中庭に面して開けたガラス扉から勢い良く外へ飛び出した。



「姫様あっ!」



 二人の後を追いかけようとしたジイやは、そのまま店員に捕まった。

 成り行きからケーキとハーブティー代未払いのまま(食い逃げ状態)店から逃亡したソモルとラオンの飲食代を、代わりにジイやが請求されていた。

 罪悪感は拭えないが、これはラッキーな足止め。



 多分俺、もう二度とこの店の敷居は跨げねえな……。


 ソモルがそんな事を考えてる間に、ジイやから指令を受けたSP軍団が二人を追って駆けてくる。

 こいつら、見るからに手強い。



「ラオン、こっちだ!」


 混雑した大通りに出た二人は、人と人の間を潜りながらそのまま駆け抜ける。こういう混み混みした場所では、ガタイの良いSPよりも小柄な二人の方が有利だ。

 上手い具合に人に紛れてしまえば、こっちのもの。


 ラオンは、走るのが得意ではない。ソモルがしっかり手を引いて、ラオンの速度をカバーする。ラオンが人にぶつからないように。何かにつまずいたり、足がもつれて転ばないように。気遣いながら、ラオンがついてきてくれてる事を確かめながら走る。



 中途半端になったまま、置き去りにしてしまったカフェデート。

 今更考えたところで仕方がないが、もう取り戻せないからなんだか悔しい。


 もっとずっと、いい時間にするつもりだったのに。

 もっとたくさん、ラオンに笑顔になってもらうつもりだったのに。


 ラオンにプレゼントする筈だった、最高の忘れられない想い出。

 ミッションコンプリートは、まだまだお預けのようだ。



 だからまだ、あいつらにラオンは渡せねえ。

 俺たちの時間を、あいつらに奪われてたまるもんか。




 知らない人ばかりで溢れ返った街中での、ソモルとラオンの逃亡劇。姫君を悪党から守って逃げるような、お決まりのパターンとは違うけれど。

 ジイややSP軍団からすれば、ソモルの方が悪党なのは間違いない。


 けどこれは、恋をかけたエスケープなんだ。

 ……なんて、ね。



「ラオン、曲がるぞ」



 頃合いを見計らって、ソモルとラオンは狭い路地の角を曲がった。

 軒並み連ねる店と店の間、ダンボールだの梱包材だのが無造作に置かれた狭い道を、二人は小走りに進む。

 走りながら、後ろを振り返り様子を伺う。


 どうやらSPは追って来てない。

 上手く巻けたか。


 人混みが見方してくれたおかげで、二人は運良く逃げ切れたようだ。

 ようやく、走る足を止める。



「ラオン、大丈夫だったか」


 やはりラオンにはきつい運動量だったらしく、呼吸がだいぶ乱れていた。

 顔も、桜色を通り越して真っ赤だ。さっき、泣いたせいもあるかもしれないが。

 滲み出した汗のせいで、前髪が僅かに額に張り付いてる。

 そんなラオンを見ながら、ソモルは自分の額からもたらり汗が流れ落ちてるのに気づいた。

 掴んだままのラオンの腕も、それを握るソモルの手のひらも、じわり汗に濡れている。乾いた空気が、体にこもった熱を心地好くさらっていく。



 俺も多分、ラオンと同じくらい真っ赤な顔してんだろうな。


 そんな風に向かい合っているうちに、ラオンが小さく声を洩らして笑った。



「楽しかった!」


 心底嬉しそうにそう云って、また笑う。

 ソモルは、苦笑い。



 ……全く、なんでも楽しんじまうんだもんな、ラオンは。

 俺の気苦労なんて、これっぽっちも気づいてねえんだろうな。



 ほんのちょっと不満げに心で愚痴ってみながら、ソモルもラオンに吊られていつの間にか素直に笑っていた。



 本当に俺、ラオンと一緒に居るといろんなものを受け取ってる気がする。

 ひねくれて絡まっちまってた俺の心を、ラオンは丁寧に解きほぐしてくれた。


 それからラオンは、俺の心にいろんなものをくれた。

 楽しい事、嬉しい事、あったかい事、……そして、恋をする事。


 これは、一生手離したくない感情。

 例え、叶わなくても……。


 一生叶わない感情だとしても、俺は絶対にこの感情を手離さない。

 そう決めたんだ。

 ラオン、お前ともう一度会えたから。



 ラオンの姿を記憶に焼き付けながら、心の内側でソモルが誓う。


 好きだという気持ちを言葉にするには、とんでもなく勇気がいる。

 ソモルにはその勇気が、ほんの少しだけ足りない。



 無駄な勇気なら、腐る程あるのにさ。


 ほんのちょっと勇気が足りないだけだから、なんかの拍子に背中を押されて、うっかり打ち明けちまうかもしれないけど。

 その時は嫌な顔しないで、今みたいな笑顔で受け止めてくれよな、ラオン。



「追っかけっこも飽きたしなあ、さあて、どうするか」



 ラオンに、もっといろんなものを見せてやりたい。

 けれど、街中に戻るわけにもいかなそうだ。


 斜めに傾き出した陽射しが、狭い路地の壁を照らしている。

 夕暮れまでは、多分後二時間くらい。



「うん、どうしようか」


 ラオンは、ソモルが買ってやった手のひらサイズのぬいぐるみをまたモコモコといじりながら呟いた。

 まるでぬいぐるみに言葉を云い聞かすみたいに睨めっこしながら考えている。



 不意に、細い路地の地面に黒い影が射した。

 人影。



 ヤバい! 見つかった!


 ソモルはラオンを庇って身構え、影の方に振り向く。


 影の先には、灰色の服を着た背の高い男が三人居た。真ん中の一人だけが、他の二人に比べて線が細い。



 ……ん、女?



 薄暗くて一瞬判らなかったが、二人の中心に居るのは女のようだ。

 ラオンを追ってきたSPではないようだが、あまり鉢合わせていい連中とも思えない。

 ソモルはラオンを背中に隠し、連中を威嚇するように睨み付ける。



「……見つけた」


 真ん中の女が云った。

 タバコの吸い過ぎで潰れたような、ざらついた声。


 表情はない。

 けれど、二人を射るように向けられた眼。



 なんだよ、こいつら……。




「さあ、渡してもらおうかしら」



 女の口角が、僅かに上がっていくのが見えた。





        to be continue








 


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