第17話 甘い涙
……俺の勘違いでなければ、ラオンと俺って今、すげえいい雰囲気だと思う。
ソモルの胸は、ずっと高鳴ったまま更なる展開を期待していた。
並んで歩く、二人の距離は近い。
歩きながら、時折肩とか腕とかが、何気なく触れ合う程に。
これってもう、友達の距離じゃないよな……? 多分……。
ソモルはそんな思考をぐるぐると巡らせながら、一人で勝手に舞い上がっていた。
さりげなく、手だって繋げる距離感。さっきまで、実際に手、繋いでたし……。
ソモルはちらりと、ラオンの方を視線で伺う。
ラオンは相変わらず嬉しそうに、ソモルから買ってもらった手のひらサイズのぬいぐるみを両手でモコモコとしている。
あのぬいぐるみに、一瞬だけでもいいからなってみたいなあ……、なんて、それはソモルの馬鹿な願望。
ラオンの中で、自分の位置は今どの辺なのだろう。
さっきからソモルばかり浮かれ上がっているけれど、ラオンの気持ちが知りたくなった。
少なくともただの友達のままじゃないって、それくらいは期待していいよな?
だって、手とか繋いじゃったし。ラオンの方からも、俺の手、握り返してくれたし……。
なあラオン、俺の事、どう思ってる?
思いきって、訊いてみたい。
けれど、やっぱり怖い。期待してしまっている分、その答えに怯えている。
ほんの数センチ程、勇気が足りない。
ラオンの事を好きだという気持ちが高まる程に、ソモルは臆病になっていく。
確信よりも、自分一人の勘違いだったらという怖さの方が勝っていた。
ラオンと一緒に居られるのは、多分、後数時間。
もし、俺が好きって云えたら、なんか変わるのかな……。
そう思ってみたけれど、やはり言葉は紡げない。
好きだと云うのはまだ無理だけれど、今はほんの僅かだけ勇気を出してみよう。
小さく唾を呑み込み、声が掠れないように喉を潤す。軽く深呼吸して高鳴る鼓動を落ち着かせながら、ソモルは思い切って呟く。
「ラオン、手……」
ソモルはラオンの方に、ぶっきらぼうに自分の手を差し出した。視線の端っこで、ラオンの様子を確かめながら。
ラオンは、キョトンとしてソモルを見上げた。
「うん」
ぬいぐるみをモコモコしてた片方の手を、にこっとしながらソモルの方に伸ばす。
ラオンの小さな手を、ソモルはしっかり握り締めた。
……ほら、やっぱ俺たち、ラブラブだよな……?
ソモルは密かに、ラオンと行ってみたかった処がある。
何度も何度も、頭の妄想世界で繰り返してきた、甘いシュチュエーション。
あまりにもありがちで、だからこそしてみたかった、夢のデートプラン。
「ラオン、ケーキとか好きか?」
「ケーキ?」
ちょっと洒落たカフェとか喫茶店で、ラオンとスイーツデート!
ベタ過ぎて、自分でも呆れてしまう。けれど一度でいいから、ラオンとそんなデートがしてみたかった。
女の子は甘いものが好きという先入観は、男の勝手なイメージかもしれない。ラオンは可愛いから、ケーキが良く似合う。きっと。
クリームいっぱいにデコレーションされたパフェとかケーキを、幸せそうに頬張るラオンが見てみたい。それが、正直なソモルの願望。
ぬいぐるみを買ってあげた時のような、胸のきゅっとする程のラオンの笑顔が、もう一度見てみたい。いや、もう一度と云わず、何度だって見たい。
欲張り気味に、ソモルはそう思う。
この街には、そんなデート向きのカフェが目移りする程溢れている。だからここは、あえてソモルが店をチョイスする。それくらいは、きちんとリードしてみたい。
だってきっとこれが、二人の最初で最後のカフェデートだから。
「あの店にしよう」
赤茶色の煉瓦造りのオープンカフェ。
午後の優しい陽射しが入り込んで、明るい雰囲気の店内。賑わっているけど、まだまばらに空席もある。
店と同じくらい洒落た店員のお姉さんに、二人は入口近くの席に案内された。
ラオンは追われる身なので、外から丸見えなのはさすがに都合が悪い。ソモルはさりげなく、ラオンを柱の陰になった方の席に座らせた。
向かい合って席に着くと、じわりじわりと幸せで満たされていく。
ソモルの夢でも妄想でもなくて、本当にラオンが真正面に居る。
やべえ……、顔、にやけそう……。
ソモルとラオンの前に、さっきの店員さんが水の注がれたグラスとメニューを置いた。どうぞごゆっくり、と言葉を添えて、店員さんは笑顔で二人の席を離れた。
「ラオン、どれにする?」
ソモルはグラスの水を一口飲んでから、小さめの絵本のようなメニューを開いてラオンに見せた。
「わあ、綺麗! 凄い、これ全部食べられるの?」
メニューを捲りながら、ラオンが眼をキラキラさせて嬉しそうに尋ねた。
これ全部食べられるの? 何か少々変な質問に、ソモルの心が引っ掛かる。
まさかと思いながらも、ラオンに訊き返す。
「もしかしてラオン、ケーキ食った事ねえの?」
「うん、ない」
ケーキの写真に眼を奪われながら、ラオンが答えた。
……そうなのか。
そういえばジュピター人は確か、宇宙一の辛いもの好きだったような。
不意に、ソモルが思い出す。
なのに、甘いものチョイスって……。
どうしよう……。俺、なんかすげえ失敗したかも。
ソモルは僅かに後悔しながら、肝心なところが抜けていた自分を責める。
「だからね、ケーキ食べるの凄く楽しみ!」
ほんのちょっと頬を桜色に染めて、ラオンが微笑む。
良かった、喜んでる。
ソモルが、ほっと胸を撫で下ろす。
どうかケーキが、ラオンの口に合いますように。
ソモルはクラシックビターチョコレートケーキ、ラオンは果物がたくさん乗ったムースケーキを選んだ。飲み物は、この店のオススメだというハーブティーにした。
ハーブティーはひとつのポットに入っていて、それをセルフサービスで注ぐ。
ソモルは最初にラオンのカップにハーブティーを注いだ。白いカップに立ち上った湯気は、甘い香りがした。
「このお茶、いい匂いがする」
ラオンはハーブティーのカップを顔に近づけて、香りを楽しむように瞼を閉じた。
……やっぱ、可愛い。
そんなラオンを眺めながら、不意にソモルの思考を余計な考えが奪った。
ラオンがもし、ジュピターの姫とかじゃなくて、俺と同じ街に棲む普通の女の子だったら、どうなってたんだろう。
俺が配達中に、毎日顔合わせたりできたのかな。
そしたらいつだって、こんな風に二人で出かけられたのかな。
そんな架空の現実、考えたって無駄な事くらい判っているくせに。
苦しくなるだけだと、判っているくせに……。
ラオンが俺と同じ街に棲む、普通の女の子だったら。
俺がきちんと好きだって伝えて、そして両想いになれたら、普通の彼氏彼女になれたのかな。
ず~っと、一生傍に居る事だってできたのかな……。
今目の前で笑うラオンを、俺がずっと守ってやる事だってできたのかな……。
そんな夢のような妄想に乗っ取られた思考は、止めどなく巡る。幸せな想像、その現実からは遠すぎる架空の現実が、ソモルを苦しめた。
今の俺には、それができない。
だってラオンは、ジュピターの姫だから。俺の手が届くわけもない人だから。
甘い妄想が、次の瞬間痛い程現実を知らしめてくる。
すげえ、悔しいよ。納得なんて、できる筈もねえ。
けど、どうする事もできねえ……。
内側に充満した苦しさを追い出すように、ソモルは肺の空気を全て吐き出した。
……もう、考えるのやめよう。しかめっ面になっちまう。
ラオンが忘れらんなくなるくらい、最高の思い出、作ってやるんだろ?
笑えよ、俺!
「ラオン、楽しいか?」
「うん、凄く楽しいよ」
…………良かった!
「お待たせ致しました」
店員のお姉さんが、注文したケーキをソモルとラオンの前に置いた。
実物のケーキは写真よりもずっと鮮やかで、ラオンは両手を口元で合わせたまま眼をキラキラさせていた。
「綺麗! 食べちゃうの、もったいないねえ」
「食わなきゃ、もっともったいねえよ」
そうだね、とラオンが笑う。
何でもない会話が、幸せだった。
ラオンが、果物のムースケーキにフォークを挿し込む。
小さく切ったケーキの欠片をフォークの先に刺して、パクっと頬張った。
柔らかそうな唇の端っこにムースをちょこっと着けたまま、ラオンが正面のソモルを見る。
「美味しい!」
花が咲いたみたいな、とびっきりの可愛らしい笑顔でラオンが云った。
やった! 気に入ってくれた!
ソモルも最高に嬉しい気分になりながら、ビターチョコレートケーキを一口食べる。ほろ苦くて甘いチョコレートが、とろり舌の上で溶けた。
この甘さはきっと、一生忘れられない味になる。
優しい時間の記憶。
フォークで刺して、もう一口。
皿の上のチョコレートケーキから視線を上げると、真っ直ぐにソモルを見詰めているラオンの眼とぶつかった。
ドキッとした。
反射的に逸らしそうになった視線を、ソモルは無理矢理食い止める。
何、照れてんだ。
眼が合っても、もう逸らさないって決めたじゃんか。
ラオンを好きだっていう俺の気持ち、もうバレたって構わないんだろ……?
ソモルも、ラオンの眼を真っ直ぐに見詰め返す。
ラオンの大きな
……えっ……?
綺麗に澄んだラオンの眼から、涙の筋が零れ落ちていた。
to be continue
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