第12話 バスに揺られて遠くまで、二人でデートに行きませんか?

 商店街の手前の停留所から、ソモルとラオンはバスに乗った。

 休日の朝のバスはほぼ空席ばかりで、ソモルとラオンを合わせても乗客は五人だけだった。

 丁度真ん中辺りの席に、ソモルとラオンは並んで座った。窓側の席は、ラオンに譲る。このマーズの景色を、ラオンにたくさん見せてあげたかったから。自分の棲むこの星の風景を、ラオンに覚えていて欲しい。そんな思いもあって。


 マーズの赤みがかった空の下を、バスが走る。ソモルの働く集積所の裏を過ぎ、砂漠に面した道を走り抜ける。

 ラオンは嬉しそうに窓を覗き込み、過ぎていく風景を眺めていた。

 

 こうして無邪気にはしゃいでいる姿を見ていると、ラオンがジュピターの姫だという事を思わず忘れそうになる。ソモルの隣で嬉しそうに笑うラオンは、何処にでも居る生身の13歳の女の子だった。初めて会ったあの頃からそう。ラオンは『姫』だとかそういう事を、ソモルに一切意識させない。そしてそうしたラオンの無邪気さ、純粋さは、ソモルに様々な『モノ』を与えてくれた。



 だから俺、ラオンの事……好きになってた……



 バスは首都ファインに向けて、幾つかの街を抜けていく。

 

 好きな女の子と並んで座ってバスに揺られる。何処にでもありふれた出来事。けれどソモルにとっては、まるで現実感のない夢の中のような出来事。


 ラオンが隣に居る。それだけで、幸せなんだ、俺……


 ラオンの束ねた髪が窓から吹き込む風を受けて、ふわりとソモルの首筋や頬をくすぐる。その度にソモルは、何とも喩え難い心地になった。髪にくすぐられる皮膚よりも、心の方がずっとくすぐったい。

 ラオンの髪が運ぶ良い香りに、ソモルの鼻孔が敏感に反応する。まるで媚薬を吸い込んだように、頭の芯がぼんやりとやられていく。


 思考回路の末端まで、ラオンへの恋心に支配されていく感じ。

 両想い同士のデートならば、触れたり抱き締めたりする事だって許されるのに。


 どんなに気持ちがはち切れそうに疼いても、今のソモルはその衝動を咬み堪えるだけ。


 触れたくても、触れられない。だってラオンは、俺のもんじゃない……


 ラオンの横顔と、その先に続くマーズの赤っぽい空。


 何処にも辿り着けなくてもいいから、このままラオンと二人で並んで、ずっとバスに揺られていたい。その間だけは、ラオンの事をずっと独り占めできる。


 そんな、できもしない願望。

 胸の切なさをごまかすように、ソモルは強く唇を噛み締めた。


 ラオン、お前はなんにも知らずにはしゃいでるけど、俺はお前の事、本気ですげえ好きなんだぜ。友達なんかじゃ、もうねえよ……

 ホントの気持ち全部云っちまいたいけど、お前の事困らせるだけだから、俺、云わねえよ。お前の事好きだから、俺、云わねえ……



「ソモル、見て!」


 ラオンは何か興味を惹かれるものを見つけたらしく、窓の外を指差した。同時にバスが少し揺れた拍子に、ラオンの二の腕とソモルの肩が密着した。

 もろに感じた、ラオンの感触。華奢なのに柔らかな二の腕の感触に、ソモルの心臓が跳ね上がる。


 ほんの一瞬のハプニング。

 何も起こらなかったかのように話しを続けるラオンの横で、ソモルは平常を装いながら舞い上がっていた。


 またバス、揺れねえかなぁ……。あわよくば……


 ソモルがあれこれ企んでいるうちに、バスは目的のファインへ到着した。



「うわ~、すげえ人! なんだこりゃ!」


 ラオンと二人でバスから降りたソモルは、その人の多さに思わず圧倒された。まだ午前中だというのに、沿道を見渡す限り人、人、人で埋め尽くされている。前にターサと来たときは、ここまで混んでいなかった筈。おまけに通りの端々には、屋台が幾つも並んでいる。何かのイベントだろうか?


 予定していなかった人の多さに、盛り上がっていたソモルの気分も少し尻込みしてしまう。ソモルは、人混みが得意ではない。せっかくラオンとゆっくり街デートの計画が、もう台無しだ。


「わあ、凄い! お店がいっぱいある」


 ラオンはというと、意気消沈のソモルとはリバーシブルのシャツの裏側くらい対照的に、あちこちキョロキョロしながら眼を輝かせている。

 ラオンが喜んでいるのならば、ソモルは多少の人混みもまあ良しとする事にした。


―マーズ王生誕祭―


 沿道に掲げられた、派手な垂れ幕が眼に入る。

 そういえば、明日がマーズ王の誕生日だった。ラオンが、確かそう云っていた。

 マーズの王城は、この首都ファインの中心に位置する。


 だから、この混雑なのだ。単純に考えれば想定できた筈。ソモルは、デートの行き先選択を失敗した自分を悔やんだ。


「わ~、ソモル! あれ見て! 面白いよ」


 ラオンが指差す先では、大道芸人が輪っかとボールを使ったパフォーマンスの真っ最中だった。この手の芸は良くありがちで、ソモルも幾度か眼にした事もあり物珍しさすら感じない。そんなパフォーマンスを、ラオンは夢中になって見物していた。


 その様子はきゅんと胸が鳴る程可愛らしく、ソモルはパフォーマンスには一切目もくれず、ただラオンを見詰めた。くすぐられたように、心がこそばゆい。

 そんなラオンを眺めているうちに、ソモルは不意に要らぬ事を思い出してしまった。


 そうだ。ラオンは、マーズ王の生誕祭に出席する為に、ここへ来たんだった。

 ラオンだけこっそりフライングで先に来ちまってるけど、明日には来賓客として、ジュピターの姫に戻っちまうんだ……


 ソモルは急に、その現実に引き戻された。


 今ソモルの隣で笑っているラオンは、ただの13歳の女の子。けれど明日がくれば、ジュピターの姫君という姿に戻る。束の間の魔法が解けるように……。

 今は髪が触れる程傍に居るのに、明日には絶対に手の届かない場所へ戻ってしまう。どれほど焦がれても、届かない処へ。


 ほんの一日。一日だけ……。

 俺と、ラオンの時間。


 限られた時間なのだと気付いてしまうと、酷く苦しい。それに続く時間が、次にいつ来るという保障すらない。


 これが、俺とラオンの最後の時間かもしれないんだ……


 ラオンはジュピターの姫君。報道などで成長していくラオンの姿を眼にする機会は、きっと幾らでもあるだろう。けれどそれは間接的なものであり、ラオンと繋がっているわけではない。ソモルの今のこの気持ちと同じくらい、一方通行なもの。

 遠い場所でどんどん綺麗になっていくラオンを、衛星放送の画面を通して、新聞の写真を通して、見詰め続けるしかできない。体温も、感触もないラオンを。


 俺が、この宇宙で一番、好きな……


 ラオンの笑い声がした。今ソモルの傍に居る、暖かくて柔らかな、生身のラオン。

 一瞬一瞬のラオン。

 


 今俺と同じ時間の中に居るラオンを、しっかり直にこの眼に焼き付けて、記憶に刻み付けるんだ。絶対、一生忘れないように……

 今……、今日一日だけは、俺だけのラオン。今日だけは、絶対誰にも渡さねえ。


 流れる人と人の間を、ソモルとラオンは並んで歩いた。

 ゆっくり、ラオンの歩幅に合わせて。大切に、この時間を刻みつけながら、ゆっくりと。

 ラオンを、絶対に見失わないように。


 ソモルは人混みに紛れるように、ラオンの小さくて柔らかな手を、ぎゅっと握り締めた。



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