第11話 朝っぱらから、俺ってば……

 瞼の向こうの明るさに、ゆらりゆらり、眠りの底から意識が浮上していく。

 ソモルは眠りから波に揺られるように遠ざかりながら、ぼんやりと鳥の声を聞いていた。


 もう、朝か……


 ほんの直前まで、何かの夢を見ていた気がする。ソモルはまさぐるように夢の余韻を追いかけてみた。けれど掻き回した夢の残像は煙るように溶け、結局そのまま見失った。

 何だかまだ眠り足りない気がして、ソモルは夢と覚醒の境界を揺らつきながら彷徨さまよう。瞼が重く、開けるのも億劫だ。

 今日は休みだし、このまま微睡みに甘えて過ごそうか。そうして二度目の眠りに落ちれば、ラオンの夢に出会えるかもしれない……。


 …………


 ソモルの意識は、吊り上げられたように急激に覚醒した。あれだけ重だるかった瞼を、かっと開く。そのまま跳ね上がるように上体を起こした。固い床に毛布を敷いただけで寝たせいか、僅かに背中が痛い。


「おはよう、ソモル」


 右斜め上から、可愛らしい声が降る。その声の刺激に、ソモルの起き抜けの心臓がキュンと締め付けられる。血流が、一気に上昇した。


 窓から射し込む薄い朝の光を浴びて、ラオンはにっこり笑っていた。

 まるで現実味のない光景。ソモルの妄想または、夢の中のような出来事。


 これって、夢じゃねえもんな……


 ベッドの上に居るのは、確かに現実のラオン。ソモルが貸したTシャツとスエットを着て、前髪に寝癖がついたままの、正真正銘寝起きのラオン。


 なんだ、これ……幸せ過ぎる……


 起き抜けの心に、目一杯の幸せを噛み締める。


 やっべえ……顔、にやけちまう……


 口元を引き締め、ソモルは無理矢理平常の顔を作る。


「……ラオン、先起きてたんなら、俺の事も起こしてくれて良かったのに」


 照れ隠しに、ボサボサの髪を手櫛てぐしで直しながら零す。

 ラオンはいつから起きていたのだろう。自分のだらしない寝顔を見られていたのかと思うと、どうにも恥ずかしい。昨夜ラオンの寝顔はさんざん見ておきながら、ずいぶん勝手なものだとは思うのだが。


「ソモル、仕事で疲れてるでしょ。だから、起きるまで待ってた」


 その一言で、ソモルの気持ちは完全にラオンに持っていかれた。可愛い顔でその台詞、あまりにも刺さり過ぎる。思わず抱き締めたい衝動を、ソモルはぐっと抑え込む。体の中心が、堪らない程疼いていた。どうにも、思春期暴走気味。

 頼むから、無用な刺激はしてくれるなラオン。昨夜なんで、ほぼ誘惑に完敗だったのだから。ラオンが絶妙なタイミングで寝返りを打ってくれなければ、完全にブレーキを踏み損ねていた。


「ん~っ……」


 悩めるソモルの胸の内など露知らず、ベッドの上ではラオンが腕をくーっと上げて伸びをしていた。そうする事でくっきりと現れたTシャツの下の柔らかく綺麗な体のラインに、ソモルの視線は吸い寄せられる。

 まだ微量な胸の膨らみ、腰から尻に続く緩い曲線。思春期の女の子だけが持つ、危うく繊細な形。ソモルは必然的に、眼を奪われていた。

 ラオンに気づかれぬように髪を整えるふりをしながら、こっそり盗み見る。


 自分もしっかり男だったんだと痛感する。

 配達先の女の子とかには、全く興味が湧かなかった。運び屋の兄ちゃん連中がソモルをからかってその手の話を吹っ掛けてきても、いつも軽く交わしていた。自分では、ずっと硬派のつもりでいた。

 なのにラオン相手だと、完全にスケベ心に巻かれている。

 惚れた男の弱味、とでも云えばいいのか……。


 ラオンと眼が合いそうになり、ソモルは慌てて視線を逸らす。


「お腹空いちゃった」


 ラオンの言葉に、ソモルはまとわりついていた煩悩を振り払う。


「パンとミルクならあるけど、それでいいか?」

「うん」


 ジュピターの姫君がそんな朝食で満足するのか、というソモルの心配など必要なかったようだ。嬉しそうに頷くラオンは、やっぱり姫という身分をソモルに意識させない。パンとミルクのストックは、確かギリギリ二人分。少し多めに買っておいて良かった。


 こんななんでもないやり取りが、ソモルの妄想を開かせる。

 これってまるで、恋人同士の朝みたいだ。

 一瞬でもそんな思考に走ってしまったものだから、いけない欲望がソモルを意のままにすべく渦巻き始める。


 朝っぱらから、何考えてんだ俺……


 真っ赤に染まる顔をラオンに見られまいと、ソモルは俯いた。そして、このままではヤバイとばかりに立ち上がる。


「……俺、顔洗ってくるからさ、その間に着替え済ませとけよ」


 それはほとんど、この場を逃げ出すための口実。何かを誤魔化そうとすると、ぶっきらぼうな物云いになってしまう。ソモルの悪い癖。ラオンに背中を向けたまま立ち上がるとソモルはそそくさと扉に向かい、そのまま外に出た。

 朝の湿り気を含んだ空気と緩い太陽の光が、ソモルの逆上せた体を包み込む。


 ……頭、冷やそう


 扉に寄りかかり肺の中の息を全て吐き出してから、ソモルはすぐ裏の水道へ向かった。


         ♡


 頭を冷やして顔を洗いソモルが小屋の中に戻ると、ラオンは云われた通りに自分の服に着替えていた。昨夜自分の服をきちんと畳んだように、ソモルが貸したTシャツとスエットも丁寧に畳んで置いてあった。まだラオンの温もりが真新しい自分の服を横目に、ソモルはまた良からぬ思考に走らぬように欲望を制御する。


 二人は朝食のパンとミルクを頬張りながら、今日の行く先の相談をした。あれこれ互いの提案を上げながらたわいもない冗談を云ったりするこんな時間も、ソモルにとっては堪らなく幸せな一時ひととき


 ラオンが居る。それだけで、今は何も望まない。

 嘘みたいだ。夢の続きか、疑いそうになる。


 こうしているだけで幸せなのに、ラオンに触れてみたいなんて思う俺は、欲張りなのかな……


 一日中何処にも行かずにラオンとここで一緒に居られるだけでも、ソモルは満足だった。けどやっぱり、ラオンが行きたい場所にも連れて行ってあげたい。

 訊ねるとラオンは、楽しくて賑やかな処がいいと答えた。あまりにアバウト過ぎる。

 ソモルの暮らすこのサンタルファンの街に、観光スポットやらの気の利いたものはない。ほぼ商店街やら民家で埋め尽くされている。その店も、ラオンが喜びそうなものでは到底ない。それに第一、この街には知り合いが多すぎる。配達先の人に見られるのは、まだいい。冷やかされたとしても、むしろなんか嬉しい。

 問題は、ターサを始めとする弟分に見つかった場合だ。非常に面倒な事になるのは明らか。冷やかされるとか、そんなレベルで済まされる筈がない。


 という事で、ここは無難に隣街のファインに行き先を決めた。

 雑誌を飾るような洒落た店も多く、女の子が好みそうなスポットもあちらこちらに点在する。マセたターサに付き合わされてソモルも幾度か行った事があり、街の造りも朧気だが見当がつく。


 そんなお出掛けプランを頭の中で組み立てながら、ソモルは不意に気づいてしまった。


 これってもしかして、デート……じゃないのか?


        to be continue

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